第3話-2 はせる想いの限界は

 僕たち三人は里崎先生に連れられて口平高校から徒歩三分ほどのところにある近くの喫茶店に入った。四人掛けのテーブルに、僕と貴田、向かいに里崎先生と北西という形で座る。里崎先生はポケットから一本の煙草を取り出し、恐らく百円であろう安っぽいライターで火をつける。口から煙を一息吐いた後、里崎先生が口を開く。


「あ、煙草吸っていい?」

「おせーよ。吸ってんじゃねーか」


 もう一息吸った後、目線を中空に漂わせながら本題を口にする。


「宮内……をどうしたいの?」


 脈拍が上がる。この質問はどういった意味を含んでいる?飛び降りの件を知っている?それとも鎌をかけているだけ?


「どうしたいって……どういうこと?」


 貴田も警戒しているのであろう。真剣な表情で質問を返す。そもそも里崎先生に言ってしまうという手もあるが、人ひとりが死のうとした事柄だ。先生であるという理由だけで早々に話すべきだとは思わない。出来る限り知る人の人数は最小限にするべきだろう。


「宮内の件に首を突っ込もうとしてるんだろ?」

「先生はどこまで知っているんですか?」

「全部」


 曖昧な答えしか返ってこない。どこまで信用していいものか分からない。


「はっきり言ってくれないと、何も話せません」


 里崎先生は再び、煙草を一口吸い、顔を上に向けて煙を吐く。短くなった煙草を灰皿へと押し付け火を消すと、椅子から腰を上げながら言い放つ。


「俺は先生だからな。生徒が何か手助けを求めているなら手伝ってやる。でも求めてこなければ、俺自ら手助けをしようとは思わない。悪かったな、付き合わせちまって。帰るぞ」


 話すことが正解か。話さないことが正解か。勘だけで判断するなら話してしまいたいが、これは僕の問題ではないだけに自分一人の判断、ましては勘なんかに頼るのは抵抗がある。どうしたものかと、他の二人に目を移すと貴田と目が合った。


「言った方が良いと思う」

「え?」


 判断できないでいる僕の心の揺らぎを見透かしたような発言に少し動揺してしまう。


「全部知ってるんだろ?だったら隠しても意味もない。言ってもいいだろ?」


 貴田が確認をとる。全てが不確かだ。知っている確証もない。信用できるかも分からない。でも、貴田が言うべきだと言って、北西も首を縦に振っている。それに恐らく、分岐点だ。ここは。正解であるかは分からないが、動くべき時のような気はする。


「そうだね。聞いてもらっていいですか先生」




「成る程ね。それで、お前らは宮内が飛び降りなんかしないようにしたいと」


 これまでのいきさつを里崎先生に説明した。先生は始終、煙草を片手にまるで興味が無さそうに黙って聞いていた。


「あのさあ、思ったけど、全部知ってるなら説明とか要らなかったんじゃねえの?」

「そんなことないだろう。知っていても答え合わせは重要だし、認識の共有ってのはお互いの利益になるものだぞ」


 里崎先生はまだ半分程までしか吸っていない煙草を灰皿に押し付け、注文したコーヒーに口を付ける。僕たち三人も、各々飲み物を手に取り、里崎先生が口を開くのを待った。


「それで。もう一度聞くが、宮内をどういう風にしたいの?」

「助けたい!」


 すぐに北西が答える。


「本当に?今日会ったばっかりだろ。何をそんなに宮内のために必死になろうとしてるんだ?言ってしまえば、お前らには関係ないことだろう」


 すぐに返すことができない。その通りであると、心のどこかで思っているからだろうか。今日、偶然、会っただけのことだ。関わる必要も義理もない。言ってしまえば、それで、終わり。考えて、言葉を選ぶ。


「でも……。その通りだとは思います。でもやっぱり、関係無いなんてことは無いと思います。今日、会ったんですから。宮内のため、というのは傲慢かもしれません。ですから、自分たちのために、このまま関わりを無くすのは、気持ちが悪いから。だから、自分たちのために宮内を助けたい……です」


 言葉を繋いで話すことの難しさを実感する。なんてまとまりのない言葉の並びであることか。それに、言っていて恥ずかしい内容であると自覚する。それでも、嘘がひとつもないことも自覚する。人のためになんか、そう簡単にできるわけがない。動きたいと思うのは自分のためだろう。でも、それでいいとも思う。


「……ふーん。成る程ね。いいよ。納得した。少しだけ手助けはしてやる。後は自分らでなんとかしろ」


 気のせいか、ほんの少しだけ満足そうな顔で里崎先生は、煙草に再び火をつける。


「なんとかって、生徒の命に関わることなのに先生は動かないのかよ」

「俺は、関わりをもとうとは思わないからな。生徒が助けて欲しいなら手助けしてやらないこともない。というスタンスだ。それが例え命に関わっていてもな。宮内が死にたいと思っているなら俺はそれを止めない。今はお前らがそれを止めたいと言っているから、少しだけ手助けしてやろうというだけだ」


「先生失格だな」


 貴田があからさまに不服な表情をつくる。


「ま、俺はそもそも人間失格みたいなところあるからな」

「そんなことないよ!先生は人間合格だよ!」


 北西のフォローとも言えなくもないフォローが入る。里崎先生もまさかそんなことを言われるとは思ってもいなかったであろう。目を点にして、苦笑いで流している。


「それじゃ、本題に入るか。宮内を助けるのは単純だ。飛び降りたくなる理由があるわけだから、それを解消してやればいいわけだ」


 少しの間があく。当然のことを言っているようにしか聞こえないが。


「そりゃそうだろ。それが分からないから困ってるんだよ。先生は分かってんの?」


 恐らく三人とも同じようなことを心に思ったであろう。その気持ちを貴田が代弁してくれる。


「分かっているよ。俺は」


 衝撃的な答えが返ってくる。分かっている?それはつまり宮内が飛び降りる理由のことを言っているのか?


「……ほんとかよ。じゃあ、教えてくれよ」

「それは出来ない。さっきも言ったが俺は生徒の手助けをする立場だからな。お前らの肩を持ちすぎると、宮内の敵になってしまうだろ。だからヒントはやるよ。あいつの悩みはあいつ一人だけの悩みだ。友達のことでも家族のことでもない。あいつの力の問題だ。まずはそれを知ることだ。そこから解消できるかは、まぁ、お前ら次第といったところか」


 再び空く間。理解が追い付かない。何を言っている?


「力……っていうのはどういうことですか?宮内が飛び降りる原因がその力っていうもので、その力とやらは宮内自身だけが持つものだということですか?」


 里崎先生にじっと目を見つめられる。ただ目が合うというだけのはずが、奥の奥、心の根底まで覗き込まれているような、僕自身すら知らない引き出しの中身を確認されたかのような妙な気分になる。


「思色。世の中にはな、なんでもあるんだよ、意外と。自分の知りえないことが存在しないことにはならない。宮内は、お前が知らないような特別な力があって、それに悩まされてるってことだ」


 ドッキリでも仕掛けられている気分だ。特別な力?そんなこと早々に飲み込める内容ではない。だが、真剣な会話の中で冗談を言う雰囲気でもなく目を見据えられて話されると、本当にそうなのかと説得されそうになる。


「その力ってのは具体的に何なんだよ」


 隣に座る貴田から質問が飛ぶ。信用したのか?この話を?


「……そこはなあ。プライベートな内容だからな。言えないね。宮内本人の口から聞きだせ。助けたいなら、話させることだ。これ以上の助言はもうない。さっきも言ったが後はお前ら次第だ。自分たちのために頑張れ。解散」


 口々に、特に貴田が、質問と罵声をかけ続けていたが、里崎先生はその言葉通り、それ以上の情報を話すことは無かった。時間が無駄に過ぎていき、僕たち三人は里崎先生から情報を得ることをあきらめ、喫茶店を出た。





「ねぇ。二人は宮内が持つ特別な力とかいうのを信じたの?」


 未だに半信半疑な気持ちでいる僕はとりあえず二人に確認をとる。


「うん。いろっちは信じてないの?」


 北西の即答。まあ、こいつはそういう性格だから、特に先生の言葉ともなればまず疑わないのだろう。


「……まあ、信用しづらいのは分かるが。あいつが呼び出して、本気で悩んでいる俺たちに対してあの空気の中で嘘をつくと思うか?いくら里崎が雑な先生であっても、裏切るような人じゃないだろ」


 確かに、それはそうかもしれない。そんな気がする。どちらかといえば疑い癖のある貴田まで信用するというのなら、僕だけ反対していても仕方がない。それに、今ある情報がついさっき得た情報しかないのだから、とりあえずはこれで動くしかないだろう。


「まあ。そうだね。じゃあ、明日とりあえず、宮内に会いにいこうか」






 喫茶店の中に残る客はカウンターに座る年配の男と四人掛けのテーブルに座って煙草を燻らせる里崎の二人だけであった。テーブルに座る彼は口から煙を吐き、目線はやや上の何もない空間においている。特に誰に話かけるでもなく、独り言を呟いていた。


「類は友を呼ぶってやつなのかねぇ」


 里崎の呟きが何を意図しているのか、分かるものは本人ただ一人であろう。それは先ほどまで話していた生徒と、飛び降りをしようとする生徒の関係のことを口走ったのか。さらに言えば、そこに自分のことも入っているのか。






「晴れてるなあ」


 窓から空を見上げる。今日も昨日と同じく晴天である。雨だったなら、屋上からの飛び降りはしないのかもしれないという安易な希望を抱いていたが、その考えは無駄に終わったようだ。


 帰りのホームルームが終わり皆が帰り始める中、僕たち三人は一目散に一年一組に向かう。昼休憩時にも向かったのだが、宮内は教室におらず会うことは叶わなかった。


 教室のドアを開ける。すぐに向かったためか、まだクラスの中に人は多く残っており、廊下側の一番後ろの席に宮内がいるのが見えた。


「あ、みやっちー!なんか食べにいこ!!」


 北西が一目散に駆け寄る。いくら下の学年とはいえ、他のクラスに入るのは多少躊躇するものだと思うのだが、さすがは北西といったところか。


「えっと……北西先輩でしたよね。お誘いは嬉しいのですが、今日はちょっと……」


 昨日あったばかりのしかも先輩から誘われれば、ついて行くのも少し躊躇われるだろう。しかも、飛び降りを見られている人からであれば尚更か。


「いいから行くぞ。放課後一人になったらお前また昨日みたいに飛びお」

「あー!!すっごいお腹空いてきました!行きますか!行きましょう!」


  見るからに慌てふためいている。クラスの人に飛び降り未遂をしたなんて知られたくないのだろう。貴田の発言が軽率すぎる。いや、こういう展開を見越しての発言な気もする。


 結局、最初は渋っている様子であった宮内も、北西に連れられるようにして、僕たち四人は昨日里崎先生と話した喫茶店へと向かった。


 昨日と同じ席に僕たち四人は座った。他に客は二人。話声は全くなく、店長の趣味であろう静かで心地の良いジャズが流れている。


「さー。早速本題行こうかね。宮内、まだ飛び降りしようとしてんの?」

「私がどうしようと勝手でしょう?」


 攻撃的な口調。まぁ、主に貴田に向けられているわけだが。それでも、やはり僕たちに理由を話す気はないらしい。


「まぁ、確かにそうなんだけどね。でもさ、僕たちもう関わっちゃったわけだから、見て見ぬ振りは寝つきが悪くなるというか。何か力になれるなら出来ることはするし」

「ありがとうございます思色先輩。でも、気持ちだけで十分です」


 丁寧な言葉で断られる。しかし、これを聞きださないことには助けようがない。どうすれば宮内の信頼を得られるのか頭を回転させるが、一向に良い案が浮かばない。そもそも会ったのが昨日のため信頼もなにも無いのが当然といえば当然だ。


「宮内。隠さなくても、もう俺ら知ってんだよ。お前が普通じゃないって。だから悩んでんだろ?」


 宮内の顔が強張る。動揺しているのが明らかだが、一呼吸おくと冷静さを取り戻したのか、貴田の目をじっと見据える。


「何を当然のことを言ってるの?飛び降りをしようとしている生徒が他と比べて普通なわけないでしょう?」

「そういうことを言ってるんじゃない。お前が一番分かってるんだろ?その力が嫌で死にたくなったんだろ?」


 もちろん、貴田を含め僕たちは宮内が持つ力のことについて詳細は知らない。だが、このまま説得しようとしても時間の無駄だと考えたのだろう。貴田はあたかも知ってるかのように振る舞い、宮内に鎌をかけ、真相を知ろうという腹づもりのようだ。


「さ、……誰から聞いたの?」


 宮内の目が泳いでいる。先ほどよりかなり動揺しているようだ。このまま聞き出せればいいが、会話をしているだけでわかる。宮内は頭がいい。このまま情報を出してくれるとは考えにくいが、もうここまできたら、貴田の話術に任すしかない。


「別に誰だっていいだろう?そこは特に問題じゃあない。それに俺たちだって全部を知ってるわけじゃないからな。詳しくお前の口から聞かないと解決の可能性は上がらない。」

「……解決できるっていうの?」

「それはお前次第だ」


 言葉巧みだ。解決してやるという立場から上下関係を確立させていつのまにか優位に立っている。何の根拠もないのに。助ける側、助けられる側という差を理解し、強気でいったところが功を奏したのか。言ってしまえば首を突っ込んでいるだけなのに。とりあえず、今後貴田の言葉はそうそうに信用しないと僕は決めた。


「それで、その力はいつから始まったんだ?」

「……高校に入ったくらいから」


 高校に入ってから?宮内は一年生のはずだ。つまり、その力とやらを手に入れてからたった三か月ほどで、死を望むようになったということだ。力を得たと言われると、プラスの力を想像してしまうが、マイナスの力、何の得もない、死にたくなる力ということか?それに、こんなにもスムーズに話が進むとなると、未だ半信半疑だった力というものの存在をとりあえずは信用しなくてはならない。


「成る程な。それで?お前はその力を具体的に何に使用したんだ?」

「何に使った?こんなの使いたくて使うわけないでしょう!?……本当に私の力を知ってるの?」


 おっと、早速墓穴か?使いたくて使うわけがないということは、自動的に発動してしまう力ということだろうか。


「……知ってるって言ってんだろ。まずお前が俺たちを信用してくれないと話は進まないんだよ」

「じゃあ言ってみなさいよ。私の力。さっきから含ませる言い方ばかりじゃない。私の信用を得たいなら、まずあなたが信用させてよ」


 宮内の疑いとストレスが積もり始めているのが僕でも分かる。同時に空気も凍り始める。どう切り返すつもりだ貴田。視線を向けると、じっと宮内の目を見つめ返している。この堂々とした態度はたいしたものだが、実際何も知らないのだから内心かなり困っていることだろう。助け船を出したい所であるが、ここを切り返す発想が生まれない。


「ねぇ」


 恐らくここまで空気を読んで黙っていた北西が口を開く。助け船か?思わぬダークホースが来たものだ。しかし不安も残る。そんなに頭が回る方ではないはずだ。ただでさえ追い詰められているこの状況がさらに悪化してしまう可能性すらある。嘘をつくことが得意ではない北西が正直に全てを話してしまう……とか。


「もう飽きた。こんなのいいから皆で遊びに行こうよ」


 ……頭が回らなさ過ぎたか。ここでその発言をするとは。先ほどと同じように空気が凍り付くのがわかる。が、張りつめている感じはやや緩和されていた。


「いやいや、北西よ。今そんな空気じゃなかっただろうよ」

「知らないよそんなの!面白くないの!!皆ぴりぴりしてるし!楽しいことした方が良いじゃん!!」

「……まあ、そりゃそうかもしれないけども」


 ここにいる全員が圧倒されている。空気は読めていなかったものの、この勢いで今は北西が空気をつくっている。いや、空気を読んだうえで意図して……?そんなに機転が利く方ではないと思うが、空気を読めない奴でもなかったはず。偶然だろうか。


「じゃあ、話は終わりということで、北西先輩は遊びたいようですし私は帰りますね」


 これ以上話が進むことは無いと判断したのか、宮内が席を立とうとする。


「え、何言ってるの?みやっちも一緒に行くんだよ!」





 十分程、宮内は渋っていたが結局、北西の勢いに負ける形となり話は中断、僕たち四人で遊びに行くこととなった。ボーリング、ゲームセンター、カラオケ、という高校生定番の遊び場を周っていき、あっという間に時間は過ぎる。気が付くと外は暗くなっており、道行く人たちも、制服を身に纏う人々からスーツを着ている人たちに代わっていた。


「そろそろ帰ろっか!楽しかったねー!」


 北西は満足そうな笑みを浮かべている。最近はいつも教室でだらだら過ごしているだけだったため、外に遊びに行くことが僕たち三人は久しぶりだった。教室にいることが楽しくないわけではないが、今日みたいに遊びに力を入れるというのもたまには良いものだと思う。それに、宮内も楽しそうにしていた。本当に。先日死のうとしていた人とは思えないほどに。何回も笑顔でいるのを見た。こんなにも楽しめるのなら、どうして死のうとしたのか。僕の頭の中は疑問で一杯になるばかりだった。





「かなり楽しんでいるように見えたけど」


帰り道、北西と宮内の方向が一緒らしく二人と別れ、僕と歩いているのは貴田だけである。


「宮内だろ?だよなあ。死のうとしているようには見えなかったな」


 貴田も僕と同じように感じたらしい。しかし、事実は事実である。宮内は学校の屋上から飛び降り自殺を試みようとした。どれだけ今日を楽しそうに過ごしていたとしても、そのことが消えるわけではない。そうしようとした原因が何かあるのだ。


「放課後楽しくできるなら、教室内が原因かもな。となると、やっぱイジメられてたりするのかねえ」


 その可能性はもちろんある。教室内に原因というのは良い線いっているかもしれない。ただ、宮内がイジメられているというのは、どうも僕にはピンとこなかった。


「イジメられている……ようには見えなかったなあ」

「そりゃ昨日今日会ったばかりの俺らがそんなの察せられるわけないだろ。……まあ、気持ちは分かるけどな。宮内のクラスの奴に色々聞いてみるか」


 二人で相談した結果、明日の放課後、宮内の飛び降り自殺の原因解明のために周りの人に尋ねてみることになった。そのために宮内自身はその場から退場してもらわなければならず、その役は北西にお願いする予定だ。先輩後輩の関係とはいえ、同じ女子生徒同士であれば仲良くなりやすいだろう。それに、相手は北西だ。今日だけでもかなり距離が近くなったに違いない。

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