第2話 暖色に染まっている日々
「ねえ。僕たちって親友?」
いつも通りの放課後。教室に残っているのは貴田、北西、僕の三人だけで、僕の机を中心に各々椅子に座っていた。貴田は、昼休憩に抜け出して本屋で買ってきた漫画を読んでいる。北西は自分の携帯に目を落とし最近はまっているらしいゲームをしていた。問いかけが耳に届いたのだろう、二人とも顔を上げてポカンとした様子で僕の顔を見てくる。一時の間が空いた後、
「もちろんっ!」
「きもい」
こんなにも意見が分かれるものか。
「急にどうした?風邪か?」
読んでいた漫画を半ば強制的に中断させられ少しだけ不機嫌そうな様子の貴田が問いかけてくる。
「いや、健康体だよ」
とりあえず後半の疑問に答えてやる。前半の問いについては、特に何か考えていたわけでもなく、悩みがあるわけでもなく、ただ何となく思った事柄を口にしただけだったので返事をしなかった。沈黙が流れる。先ほども、各々好きなことをしていたために沈黙が流れていたはずだが、今流れている沈黙には多少の気まずさを感じるものがあった。
「……知ってるわ!最初の質問はなんだってことだよ」
沈黙に耐えられなかったのか、僕が言葉を続けないことを感じたのか、さらに言葉を投げかけてくる。自分の口から出た疑問を頭で整理しながら、投げ返すことにした。
「特に、深い意味ないんだ。僕たちこうやってよく集まってるけど、親友ってことになるのかなって。ふと思っただけ」
「もちろんっ!」
北西が先ほどと全く同じセリフを全く同じテンションで繰り返してくる。
「親友っていうのが正直どんなものかよく分からんけど、まぁこれだけ毎日集まってるんだから仲はいいんじゃないか?」
貴田がちゃんと頭の中で考えたであろう言葉を口に出す。
「仲は良いね。じゃあ、そもそも親友って何だろう。何でも言い合えるとか?」
気のせいか貴田が強張った表情になる。少し気になったが、そんなことよりも自分の口から出た疑問に気が向き始める。頭の中で次々に扉を開けて考えの奥へ奥へと進んでいく。先ほど自分の口から出た仮説の検討を始めた。何でも言い合える仲っていうのは結構当たりに近い気がする。仲が良いからこそ言える内容というものは誰だってあるだろう。
まだ少し違和感の残った表情の貴田が発言を始める。
「い、いやまぁ、親友って言っても言えない事の一つや二つあるんじゃないか?」
気のせいか動揺しているようにも見える。隠し事でもあるのか?
「まあそうだね!私も言えないことあるよ!例えばねー。うーんとねー……、んー……」
「ないんだな」
北西の発言に対し、貴田が僕の代弁をしてくれる。北西は隠し事なんてしない。というより出来ないタイプだ。だから、そもそも親友に限らずあらゆる人に対して正直なのだろう。
「まあ、北西はともかく、その通りかもね。隠し事していると親友でないっていうのは少し違う気がするしなぁ」
貴田のほっとした表情が目に映りこむ。隠し事しているな、こいつ。
「じゃあ、いつも一緒にいるとか!」
さも名案を見つけたように、大きな目を見開き嬉しそうな声を北西が上げる。
「一緒にいても仲良いとは限らないだろ。特に女子とか同じグループ内でも好き嫌いとかあるイメージなんだけど」
「そんなことない!皆仲良いもん!実夜ちゃんと枝里ちゃんだって、すぐ仲良くなるもん!」
「もう仲悪い組あるんじゃねーかよ。しかも田辺と紅井かよ。衝撃だわ」
北西案は即座に否定されることとなった。一緒にいるだけでは胸中の心境に関して肯定的である証明にはならないという貴田に同意する。いやしかし、田辺と紅井か……。二人って毎日同じグループで昼飯食べているけど……。
言葉は止まり、沈黙が落ちてくる。貴田に目をやる。口を閉じ机の下にしまっている手元に視線を落としている。……飽きたんだな考えるの。携帯を弄ってやがる。
北西に目を向けると、腕を組み目を閉じて下を向いている。……寝ている。
時計の針を眺める。一定のリズムで微かな音が耳に届いてくる。この音一つ鳴るたびに少しずつ頭の中の異物が流れ出ていくような心地よい感覚に陥る。かち……かち……がらっ。
がらっ?
時計から発せられる音とは遠く離れた不快なノイズが混じる。その不快な音がした方向、教室の前側にある横開きのドアに目を向ける。この二年三組の担任である里崎先生が立っていた。
「やっぱりお前らか。暇なら部活でも何でも入れよなあ」
北西が薄目を開けたまま焦点がどこにあるか分からない表情をしている。里崎先生の入ってくる音で眠りから強制的に目覚めさせられたからであろう。貴田は相変わらず携帯を弄っている。先ほどまで隠していた手元はいつの間にか堂々と机の上に出ていた。里崎先生が入ってきた事に関しては気づかない体を貫いている。
「僕たちは暇を楽しんでるんで、これでいいんです」
「はぁ?なんだそりゃ」
里崎先生が近くの椅子をとって、僕と北西の間に座る。
「……何をしているんですか」
「いや、俺も暇を楽しもうと思ってな」
「暇なんですか?」
「いや」
沈黙……。
暇ではないんだよな?じゃあ、なぜ座った。言葉と行動が一致していない。どうするんだこの空気。確かに先ほどから沈黙は流れていたが、里崎先生が来てから空気重くなったぞ。そりゃそうだろ。生徒だけの空間の中に先生が混じればそりゃそうなるだろ!
「里崎先生って親友とかいるんですかー?」
僕の納得のいってない心境をよそに、北西が話しかける。貴田は無言で携帯に目を落としたままだ。
「そりゃいるさ。シュウとかな」
「へえ。学生の時のお友達ですか?」
里崎先生が僕たちの輪の中にいることに違和感を覚えながらも、親友を議題にしていた手前、はっきりと親友がいると言われればどうしても気になる。
「飼い犬だ」
「犬飼ってるんですか!?いいないいなー!散歩したい散歩したい!」
「いいだろう、いいだろう。可愛いぞー」
まてまて。いやまてよ。どうして北西は普通に会話を続けているんだ。おかしいだろ。親友を聞いてるんだぞ。なんでこの人は飼い犬の名前を答えたんだ。ボケたの?その割に普通に会話続けるってどういう狙いだ。
「家に帰るとすぐかけよってくるんだよ」
「いいなーさすが親友ですね!!」
親友では無いだろ。ペットだろ。よく飼育されたペットだろ。いや、信頼しあっている仲なんだろうけど、違うだろ。今の話での親友とは違うだろ。
北西と里崎先生がはずんだ会話を続けている中、僕は目を貴田に向ける。納得いかないのは僕だけではないはず。貴田だって、先生だから突っ込めてないだけで違和感を覚えているはずだ。
僕の視界には未だ携帯を無表情で弄る貴田の姿が映った。
なんでこいつはこんなにも会話に参加しないんだよ。
「じゃあ、俺は職員室に戻るからな。お前らと違って暇じゃないんだ。遅くなる前に帰れよ」
里崎先生は三十分ほど僕らと、主に北西と話をすると満足したのか颯爽と教室から出ていった。結局何をしにこの教室まで来たのかは分からなかった。恐らく職員室での仕事から抜け出したとかそんなところだろう。
やっと落ちついた教室に戻ったと息をつく前に、次は教室の後ろの扉からこの午後五時過ぎの落ち着いた教室を台無しにする生徒が一人登場した。
「へいへいへいへいへーい!なーにしてんのよー」
「お前が何してんだよ
里崎先生の時は何一つ話さなかった貴田が真っ先に反応する。佐根月は短髪長身、いつも元気でクラスでも目立つ方だ。北西と似たタイプである。運動神経も抜群で、なぜ将棋部に入っているのかは誰も知らず、この学校の七不思議の一つだと言い出す奴もいる。
「今日部内戦あってさー、初っ端で負けちゃったわけよ!暇なわけよ!」
「さねっち弱ーい」
「弱くない!くじ運悪かったの!部長とあたるんだもん無理だよー」
佐根月が北西に言い訳をしながら、ついさっきまで里崎先生が座っていた位置を自分のものにする。
「それにしても毎日何をするでもなく集まってよく飽きないなー」
「何もすることないから集まってるだけだよ僕たちは」
佐根月の問いに僕が答える。里崎先生の時と違って教室内の空気に変化はなかった。里崎先生はこの学校の先生の中でも一番生徒との距離が近い人ではあるが、やはりどうしても生徒と先生という間の壁を完璧に拭い去ることは難しいようだ。
「佐根月の親友ってだれよ」
この話はもう飽きたと思っていたが、貴田が携帯をポケットにしまいながら問いかける。
「そりゃもちろん俺の親友っていえば将棋よ!」
「悲しいなあ」
「悲しくないだろ!将棋部なら親友は将棋だろ!いや、恋人っていうべきか?」
「あーはいはい。痛い痛い」
「うるせーばーか!」
仲良いなこの二人は。はたから見ると親友と言われて疑う人はいないだろう。ただ佐根月は多くの人に対してこんな感じだからな。仮に友達が少ない人が、その内の一人だけと今のこの二人ほどの仲の良さであるなら親友と言っていい気がする。でも佐根月はどうだ?このくらいの仲の良さなんて学校に何人いるんだ。全員が親友?それを親友と呼んでしまうには、親友という言葉の希少さが薄れてしまっている。
そうだ。親友とは希少であるものだという認識がまずある。そう何人もいるものじゃない。ということは、親友というのは自分の持つ友達の人数や、その友達との関係の深さからも、定義できるものかもしれない。
「佐根月は親友ってどういうものだと思う?」
僕と違って友達が多いであろう佐根月の場合、親友と呼ぶに値するための条件は僕よりもはるかに厳しいのではないだろうか。
「仲良い奴は皆親友だろ!お前らだってもちろん親友だぜ!」
そうきたか。友達が多い人は親友の条件も厳しいかと思っていたが、逆だった。知り合えた人をすぐに親友と呼べるからこそ、佐根月は友達を多くつくれるのだろう。
「腹減ったしそろそろ帰るか」
あれから佐根月は部活に戻った。負けた勢いで飛び出してきたらしく、早めに戻らないと部長に小言を言われるらしい。まあ、部活だし当然だろう。そもそも部活中に飛び出す時点でどうかと思う。
この季節では外はまだ明るかったが、時計の針は十八時を周っており、貴田の一言で何もすることのなかった僕たちは帰ることにした。三人で教室を出て下駄箱に向かう。自分の靴を取り出しながら、未だ答えの出ない問いについて考えを続ける。
親友っていうのは一人や二人くらいの少人数であると思っていたが佐根月からすると皆が親友らしい。確かに、親友が多いといけないなんてことは無いだろう。でもそれなら友達との区別は?友達、親友という二つの言葉があり、共通認識がある以上、自分の周りでもその二つを区別することは出来るはずだ。ただ、それを佐根月はしていない、というだけなのだろう。だからこそ、佐根月の周りには人が集まるわけではあるが。
「まーだ考えてるのー?はげるよー」
「そんなに僕の毛根は弱くありません」
北西の性格から由来するのであろういつも通りの軽さで、呑気な言葉を降りかけてくる。そういえば、北西は友達と親友は区別しているのだろうか。佐根月と同じように、北西は誰からだって好かれていて顔も広い。ということは、その辺の考え方も佐根月と同じで皆を親友としているのか。
「北西は佐根月と同じように皆を親友だと思ってるの?」
何気なく口に出した問いは改めて僕の頭の中で反芻される。少しだけ、寂しい気持ちになったような気がした。自分の気持ちのはずなのに、はっきりしない感覚が気持ち悪かった。
「ん?なんか、いろっち疲れてる?気のせいかな?」
前々から思っていたが、北西は人の気持ちを察する能力に長けている。この前だって、家で妹と喧嘩した時があったが、すぐに違和感を覚えていたのは北西だった。そんなに顔に出していたつもりは無いのだが。
北西は僕の返事を待たないまま、言葉を繋げた。
「んー、そうだねー。皆を親友とかって考えてはいないかなあ。やっぱりまだこれから仲良くなれるって感じの人もいるしね!」
北西の言葉に先ほどとは逆に少しだけ安堵した。そこでようやく僕は自分の気持ちを理解した。僕は北西が皆のことを親友だと言うのが嫌だったのだ。いつも放課後三人でいて、それが楽しくて、どこか僕の中では二人を親友としていた。いわゆる他の人たちとは違う特別な存在として認識していたのだ。それを相手にも求めていたのだろう。お互いがお互いを同じ価値で評価していることを望んでいた。そのことに自分で気づいたとき、心の中の不純物が消えたと同時に恥ずかしさが込み上げてくる。必死になってそれを押し込む。なんとか北西にばれないようにしたい。
「あれ?なんか顔色変わった?」
「気のせいだよ。とにかく、北西は佐根月とは違うんだね」
「人によって色々違うもんだな。ペットが親友とか言う奴もいれば、皆親友だとか言い出す奴もいるし、これからだって奴も」
親友、と一括りの言葉にしたところでそこから定義される意味がこんなにも人によって変わるとは。
「いろっちはさ、三人でいると楽しい?」
唐突な質問。ちゃんと考えたことはなかった。楽しいという言葉にも色々な幅がある。だから、本当なら一考の余地があるものだ。でも直ぐに分かった。僕たちの関係を楽しいと感じている。というよりは、この関係こそを楽しいというのだろう。
「うん。まあ……。どうだろうね」
言いよどむ。何となく、心に正直になることに恥ずかしさを感じてしまう。
「私はねー、楽しいよ。めちゃくちゃ」
見透かした目を僕に向けながら北西が話す。この正直な目で見られると、恥ずかしさのために取り繕ったはずの言葉にこそ恥ずかしさを感じてしまう。
「考えること苦手だから、答えなんて分からないけど、楽しいならもう親友ってことでいいんじゃない?それに親友じゃなくても楽しいってことは良いことだよ!」
今日一日考えた内容を無駄に帰する発言だ。しかし、納得もしてしまう。そんなものなのだろう。人との関係というのは感情が何より重要であるということだ。言葉にしようとすることが的外れであった気がしてくる。
「その通りだな。俺も楽しいぜ。この三人の感じ」
北西の発言に貴田も乗っかる。ニヤついた顔をこちらに向けてくる。
「あー……。まあ、じゃあ僕も楽しいよ」
「じゃあってなんだよ!親友と思ったのになー!あーぁ!あーぁ!」
少しだけ自分の中の貴田への感情にイラつきが混じったが、それでも、やはり楽しいと思えた。残りの高校生活はもちろん、その後もずっと何も無い何もしないこのダラダラした楽しい関係のままで、この感情のままでいたいと思った。
ただただ平凡な日常が続けばいいと思った。
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