第1話-2 始まりは夏を想えば


 ショートホームルーム終了後、出席番号によってランダムに振り分けられた掃除場所に各々が移動していく。僕と貴田は教室、北西は視聴覚室の掃除当番が振り分けられていた。


「よーし、ささっと終わらせるか!」


 貴田は教室に整然と並んだ机と椅子を順番に後ろ側に詰めていく。当然、貴田一人に任せるわけにもいかず、僕や他の教室掃除の当番も机を運び始める。


「うっ。この机重っ」


 教科書やノートが机の中にたくさん残っていた。いわゆる置き勉というやつだ。


「ちゃんと持って帰れよなあ……」


 愚痴を呟きながらも机を後ろへと運ぶ。そこで、ふと思いついた。

 よし、貴田に運ばせてみよう。


 教室の前半分の掃除が終わり、机を再び前へと運んでいく。後ろに下げた時に重い机はだいたい把握していた僕は、その机を避けるかのように机を選んで運んでいった。


 貴田に向かって念じる。(窓側のその机は重いぞ。重い。)


 これで、貴田が重い机を避けるように運ぶのなら僕の頭の中を読んだ可能性があると考えられる。そうでなければ、まぁ重い机を運んでくれたということで結果オーライだ。



 (えぇ……。これ重いやつか。運びたくねぇ。偶然に重かったら諦めもつくが、事前に知らされると避けたくなるな。でも、ここから他の机に替えるのも不自然か……。あー、めんどうくさい。めんどうくさいけど、思色にこれ以上疑われるのはもっとめんどうくさい。……運ぼう。)



 ちっ。運んだか。やっぱり駄目かあ。



 学生服を着た人々が拘束される時間が終了し、人によっては教室を出て部活動に身を入れる時間へと移り変わっていく。この口平高校二年三組において、部活動に所属していないのは、僕、貴田、北西の三人だけだ。ショートホームルーム終了直後こそ教室は多少騒がしいものの、十分もすれば、教室内だけ日が沈んでしまったような物悲しい雰囲気に包まれる。


「なあ。何するよ」

「何しようかねー」


 トイレから戻ってきた僕が教室の扉を開けると、貴田と北西がそれぞれ自分の席に座ったまま、会話をしているとは思えないほど気力のない言葉を交わしていた。


 トイレへの往復の間、僕は一人考えていた。なにかこうアイデアが生まれないものか。しかし、そうそう革新的な考えなんて浮かぶわけもなく、そもそも常識的に考えればありえないことなんだよな。と妄想、いや、思考にも規制がかかり始めていた。


 貴田に目を向ける。口では北西との会話を続けながら、貴田は外の景色をぼーっと見ていた。今の僕の視界に貴田の後頭部が映った。なんとなく、頭を叩いてみたくなった。よし、叩こう。


 貴田は自分の席に座っている。つまり僕の席の一つ前だ。僕は教室の後ろ側の扉から自分の席に向かって歩を進める。自分の席までたどり着いたところで、椅子を引き出さず、もう一歩進む。目前に貴田の頭がせまる。右腕を頭の上まで上げる。


(このまま振り下ろせば直撃!死ねぇぇぇぇぇぇ!)


 窓を向いたまま後頭部をこちらに向けている貴田の頭に向かって振り下ろす。


 振り下ろした手刀は貴田の頭部に激突した。かと思いきや、寸前のところで貴田の左掌によって受け止められていた。さらに顔は未だ外の景色に向けられたまま。



「え……」



 混乱した。

 まさか止められるとは。僕が近づいてくるのは、なんとなく分かっただろう。しかし、僕の席が貴田の後ろだから、そこに違和感は無かったはずだ。問題としては最後の一歩か。いや、気づかれないように最後の一歩だけは慎重さを込めた。さらに、急に頭を叩くなんて分かるものか?普通に話しかけるだけかもしれないし、百歩譲って叩くと気づいても頭かどうか分かったものじゃない。背中かもしれない。さらに、そのタイミングは?貴田は僕が腕を振り下ろしたその丁度のタイミングで左手を防御に回した。これだけのハードルを偶然に越えてきた?確かに、それも否定できないわけじゃない。


 でも。でもでも、仮に。本当に仮に。貴田が。考えを読めるとしたら。僕は貴田の頭を叩く直前、心の中で叫んだ。それを読み取られていたら?攻撃してくるのも、タイミングも読める。あとは、攻撃箇所だが。冗談とは言え、死ねという言葉を聞いているとするなら、守る場所は頭が真っ先に思い浮かぶだろう。


「貴田……」


 人の考えが読めるなんてあるわけがない。今日一日考えていたが本気で信じていたわけじゃない。ただの暇つぶしみたいなものだ。そんなの。そんな能力がある人なんて。いるなら。貴田がもしそうなら。今まで一人で妄想してたこととか!?これから妄想することとかも!?こいつに筒抜け!?



 貴田が外に向けていた顔をこちらに向ける。その顔は……にやついていた。


「思色……。全部窓に映ってるぜ。丸わかり」

「あ……」


 考えすぎて疑心暗鬼になっていた心が急に明るくなった。見落としていた。外の景色を見ているってことは窓だって視界に映る。僕の急な行動だって、またそのタイミングだって丸わかりに決まっている。


「せえいっ!」


 後頭部に軽い衝撃が走る。後ろを向くと北西がいつのまにか俺の真後ろに来ていた。


「ハッハッハ。思色君。不意打ちとはこうやるのだよ」


 北西はいつも通りのえくぼを作りながら、満足げな表情をしていた。


「……わざともらってやったの」





 結局、僕たち三人はどこへも行かず教室の中で無為な時間を過ごした。他愛もない、中身も無い会話をしたり、各々本を読んだり携帯をいじったりしていれば、いつの間にか窓の外の景色は暖かい色に染まっていく。


「そろそろ帰るか」

「帰るかあ!」


 貴田の言葉をきっかけに、北西が反応して帰ることになった。ちょうど部活も終わった頃合いのせいか、多くの人が学校の校門を通り抜けていた。校門を出た後、北西が声をかけてくる。


「んじゃねっ!明日ねー!」


 貴田と北西は校門を出た後右に向かうが僕は左で帰り道が違うため、学校帰りは一人になる。


「うん。じゃあね」


 挨拶を返し、二人に背を向ける。


「いつも元気だけど、落ち込んだりとかしたことあんの?」

「あるよ!ありありだよ!昨日とかすっごい落ち込んでたよ!」

「嘘つけよ」


 背中から二人の声がかすかに耳に届いてくる。僕はポケットからイヤホンを取り出し、耳に付けた。適当にランダムで流すように設定。耳に音が流れてくる。景色が目に流れてくる。思考は止まる。頭の中が、体全体が、溶けてこの景色と音楽だけに支配されていく。


 1曲目が終わり、イヤホンから流れていた音が止む。流れ込んでいた景色も同様に、その流れは止み、目に映りこむただの存在に変わる。感覚が戻ってくる。



 ふと、違和感を覚える。あれ?なんか……。



思考がまた回転を始めようとしている。この違和感の正体を掴もうとさっきの教室でのやりとりを思い出そうとする。貴田との会話……?そう。僕が信じかけた時……。

 二曲目がイヤホンから流れ出してきた。回転を始めていた思考が再び止まりかける。手を伸ばせば触れられる距離にある、真っ黒な違和感の正体が遠ざかりつつあるのを感じた。ここで音楽を止めれば、またその違和感の前まで戻れる気がした。ほんの少しだけ僕は悩んで、ポケットに伸ばしかけた手を止めた。


 まぁ、いいか。音楽を流し続け、僕の感覚は再び音と景色の世界に溶け出し始めた。




「じゃ、また明日な」

「うーい!」


 貴田は、いつも通りの楽しそうな北西の返事を聞き、自分の家への帰路に歩を進める。ここから家までの残り十分程度は一人で帰ることになる。彼は先ほどのミスについて自問していた。思色の手を止めた時だ。


 完全にミスった。いきなり死ねとか流れてくるもんだから、つい止めてしまった。窓に映っていたっていう言い訳は咄嗟にしてはよく出た方だとは思うが……。

 あいつの「貴田……」っていう漏れた言葉に対して言及しなかったのはまずい。そんな顔してどうした?みたいな一言を入れるべきだった。

 普通の人間なら、ボソッと名前を呼ばれたら何かしらの反応をするだろう。それをせずに、止められた説明なんて、それこそあいつの思考回路読んでいた証明そのものじゃないか。でも、北西があの後すぐ入って来てくれたのは助かった。あれで気がそがれたはず……。気づくかな……。いや、後々言われたところで、それこそどうとでも言い訳できるか。それに、思色のことだし、一日たてばまた別のこと考えてるだろ。




 一人になって北西はいつもの通りの道を帰る。雲一つない綺麗な夕暮れを見上げながら歩いていると、コンビニの前に立つ小さな男の子を見かけた。買い物中の親を外で待っているのかな。初めはそう考えていたが、表情を見てそうではないことを悟った。

「どうしたどうしたー?迷子か少年」

「……」

 男の子は固い表情のまま、真顔で彼女を見つめていた。

「そうかそうか、お姉ちゃんに任せなさい」

 言葉は交わさないまま、二人は手をつないだ。表情に変化は無いがそれでも男の子の心が休まったことを北西は感じ、笑顔になる。

「今日ねー、学校でね……」

 二人は歩きながら、話を始める。基本的に彼女が話し、男の子は黙って聞いているだけだったが、二人を包む空気は彼が一人でいた時と比較にならないほど暖かいものになっていた。

 北西が自分の家についた時には先ほどの夕暮れは見えなくなり、頭上に光の点がいくつも現れていた。

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