第1話

 目を開けると、少し眩しい白い空間。それから、黒く縁取られた大きな鏡。それ以外に何もない。どこまでも続く空間に浮かぶ鏡だけ。

 ああ、新しくボディメイキングしたときの転生の間だ。

 自分の手を見ると、ごつごつした青黒い鱗と鋭い爪がある。手のひらは滑らかな金色の鱗だ。そのまま手のひらから見て、二本の長い指の外側に少し短い指が二本、内側には短く小さな指、見慣れた物にそっくりだが、すべてが見慣れた物をか弱く幼くした物になっている。

 鏡を見ると、青黒いスラリとしたトカゲ顔に白い二本のツノとくるりとした目、下あごからお腹側が金色で、背中にはコウモリの羽のような翼がある。幼い顔つきに幼い体つき、ああ、懐かしい。この姿は、ボディメイキング直後の姿だ。さっきまでプレイしていた『神話の夜明け』のマイキャラクターが、空を翔る巨大なドラゴンだ。今は、そのボディを小さくして幼くした姿になっている。この姿はボディメイキング直後の姿だ。そのことは、ここが転生の間であることとも一致する。ということは、鼻先から尾の先までがオスのラブラドールレトリバーほどだ。長い尾を抱えて丸くなれば、人の腕の中やひざの上に収まるだろう。

 ふわふわとした覚束ない浮遊感、俺は鏡の前でくるりと宙返りする。紙飛行機に身を委ねるような心許なさ。今までプレイしていたボディなら、軽く飛ぶだけで空気を切り裂くスピード感も力強さも感じられた。しかし、今はスピード感も力強さも感じられない。ボディメイキングデータは残っているがプレイングデータは残っていない、もしくはプレイングデータを呼び出せない、そんなところだろうか。データがないのは少しもったいないが、そもそも今もプレイできていることの方がおかしいのだ。

 メニューに意識を向ける。コンソールが出てこない。これもバグだ。それも致命的なバグだ。くるりと回って、大きな鏡に視線を向ける。その鏡が何であるか、示すガイドが出てこない。これもバグだ。

 致命的なバグが多いが、不思議はない。バグの原因は大量に思い当たる。フルダイブ型VR機『神酒』も、神酒専用ゲーム『神話の夜明け』も、元からバグが多い。そのバグの多い『神酒』も『神話の夜明け』も、ダウングレードパッチを当てている。アップグレードされるたびに心身の健康と安全のための機能制限が繰り返されたのが不満で、制限解除のためのダウングレードだ。その結果、もちろんバグが増えた。しかも、『神話の夜明け』の日本サーバーはサービス終了だ。終了日時は今日の二十四時、さっきまでみんなでカウントダウンしていたから、もう過ぎている。サーバー終了に伴う回線切断処理にエラーが生じても不思議はない。というより、バグが起こって当然だろう。最新パッチなら安全にゲーム終了するだろうが、これはダウングレード版だ。使用上、致命的なバグが起これば強制切断される。それはゲームの『神話の夜明け』もそうだし、ハードの『神酒』もそうなっている。しかし、その強制切断がなされていない。となると、自分でログアウトしなければならないが、『神話の夜明け』のゲームコンソールも『神酒』の機器コンソールも開かない。つまり、自分で終了する手段がない。困った。しばらくすれば強制切断するだろうが、いつまで待てばいいのだろうか。

 他のVR機器にはない特徴が、『神酒』にはある。それは、人間の四肢感覚や五感感覚とは異なる身体感覚を体験できる、ということだ。そして、その特徴を存分に発揮したのが『神話の夜明け』というゲームだ。人間以外の身体感覚は、ユーザーに強烈なインパクトを与えた。だからこそ、各地で様々な問題が取り沙汰されてもコアな人気を維持し続けた。そう、各地で様々な問題が取り沙汰されたのだ。ゲーム内のダメージやボディロストに伴う感覚によって引き起こされた脳障害や精神障害、長時間プレイに伴う脳障害や精神障害、強制終了に伴う脳障害、それらの報告が何度も繰り返されている。もちろん、それらはアップグレードパッチが公開されるたびに少なくなっていった。少なくなっていったが、なくなってはいない。他のVR機器やVRゲームより、未だに健康被害報告は遥かに多い。

 俺の『神酒』と『神話の夜明け』には、わざわざダウングレードパッチが当ててある。しかも独り暮らしで来客の予定もない。ローカルの外部処理として切断されることは考えにくい。だが、まだ強制切断処理が行われていない。いつになったら強制切断処理が行われるのだろうか。ただでさえ問題のある『神酒』と『神話の夜明け』は、連続プレイ時間が長くなるほど加速度的にリスクが高まる。このままの状況が続いたら、俺の意識や認識はどのように変化してしまうのだろうか。

 ヤバい。本格的にヤバい。

 何度試してもコンソールが開かない。喉の奥から「クァアアッ」と声が漏れた。周りを見渡しても変化はない。この場所から離れるように飛んでみると、大きな鏡が同じ距離を保つように追いかけてくる。真上に飛んでみても追いかけてくる。これは転生の間の仕様通りだ。どこからどこまでが仕様通りで、どこがどのようにバグっているのだろうか。

 ヤバい。面白くなってきた。

 俺が喋ると、しわがれた声と甲高い声が同時に喉の奥で震えた。ぐるんっと宙を回って鏡を見る。仕様通りなら、この鏡は、メイキングしたボディを見る以外の役割がある。別のマップに移動するための扉で、行き先はハバーサブの神殿だ。しかし、この扉は一方通行、通り抜けたら戻って来れない。

 だが、そもそも別のマップに移動できるのだろうか。今は『神話の夜明け』の日本サーバーのサービスは終了している。マップデータを読み込めるとは思えない。マップ移動して読み込むはずのマップがなければ、エラー表示とともに、復旧方法を選ぶコンソールが表示されるはずだ。そこで致命的なエラーを吐けば、やはり強制切断処理が行われる。もちろん、バグれば脳障害のリスクが高まる。

 そもそも、何もしなくても長時間プレイは脳障害や精神疾患などのリスクが加速度的に高まるのだ。だったら、あれこれと試したって同じじゃないか。だったら、面白い方を選んだ方が楽しいじゃないか。

 俺はくるりと宙返りして、鏡へ飛び込んだ。


 そこでまた、いつもの仲間と出会った。

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