後編

「ツヤン!」


 アトリエの扉を壊しかねない勢いで押し開け、二階の私室へ飛び込む。そこに部屋の主の姿はなく、机とベッド、本棚が寂しげに佇んでいる。


 どこへ行ったのか手がかりは見当たらない。ただ、いたずらに不安を掻き立てる痕跡はあった。


 粉々に砕けたガラス瓶。中に満載していた赤い錠剤が床一面に飛び散っている。体調不良の症状がひどくなったとき、ツヤンが服用していた薬だ。


 イブは夢中でアトリエを飛び出しながら、頭だけは冷静さを保っている。ツヤンが外出する心当たりといえば、魔導書を取り扱う古書店、薬の材料を扱う魔法薬店、食料品のための中央市場、そして──夜中にこっそりと通う、孤児院。


 関係があるかはともかく、一年前のツヤンは隠れて孤児院に通うことなどなかった。空白の期間に何かそうするきっかけがあったのかもしれない。そもそも孤児院のシスターはイブの不在をどう捉えていたのか。


 頭にいくつもの疑念が渦巻くのを感じながら、イブはもっとも近い孤児院へと直行する。いつの間にか空が黒黒とした暗雲で覆われ、昼下がりの町並みが陰鬱な空気に沈んでいる。


 孤児院の門扉の前に立つと、中庭で子どもたちが遊んでいるのが見えた。


「あ、姉ちゃん」

「姉ちゃんだ姉ちゃんだ、囲めー!」

「今まで一年間もどこ行ってたのよー!」

「ええと、その」


 何度通っても示し合わせたように会えなかった子どもたちにあっさり会えたので、イブは反応に困る。涙目の子どもたちに囲まれて泣き付かれるとますます動けなくなってしまう。


「みなさん、離れてください。イブお姉ちゃんが困っていますよ」

「お母さん……」


 それを見かねたのか、教会からシスターが顔を出して鶴の一声。子どもたちはぐずりながらも身を引く。


 シスターはすべてお見通しと言わんばかり、親指で教会の裏手を指し示す。


「ツヤンさんなら墓地にいます。じっくり話してきなさい」

「お、お母さんはどこまで──」

「知っているか、と聞かれれば全部と答えましょう。ですが、今問答すべきは私とではありません」


 イブはごくりと喉を鳴らす。シスターは本当にすべてを知っているのだろう。子どもたちに出会えなかったのは、空白の一年について子どもたちがボロを出しイブに感づかれるのを防ぐため。だから空白に気づいたとたん子どもたちに会えたのだとすれば、イブには納得できる。シスターは底しれない人だから。


 ともあれ、シスターの言う通り今はかまっている暇はない。教会の建物をぐるりと回って裏手に回る。イチイの木立が並ぶ薄暗い小道をくぐると、灰色の石が整然と並ぶ墓地が広がっている。


 はたしてツヤンの姿は、墓地の中央にあった。よく手入れされた墓石の前でぽつねんと、イブに背を向ける形で立っている。


「ツヤン! 平気!?」


 半ばほっとして声をかけるとツヤンの肩がびくりと揺れる。思いの外力強い声音で「うん、平気」と返ってきたが墓石に向かったままで、イブの方は見ない。


「もしかして瓶が割れてたの見た? 出る時うっかりしちゃって、後回しにしてたんだ。心配かけたね」

「そ、そう。ならいいんだ。えっとね……」

「聞きたいことがあるんだろう?」


 先回りするのが流行っているんだろうかとイブは少し呆れた。しかし立て続けにツヤンが口を開くにつれ、イブは愕然としてしまう。


「大方冒険者たちが口を滑らせたか。どうして空白の一年を私が黙っていたのか、その間に何があったのか。そんなところ?」

「そうだよ! もう、分かってるなら目が覚めたときに教えてくれてもいいじゃない!」

「うん。でもその前に。イブ、あなた一年前のあの日のこと、どれだけ覚えてる?」


 あの日。イブが昨日のことだと思いこんでいた、今から一年と一ヶ月前の日のことだ。


 もちろん覚えている。前日にイブとツヤンは軽い口論になり、多少気まずい雰囲気を残したまま冒険者の依頼を受けた。悪魔の瘴気で強化されたモンスターたちに苦戦したものの、どうにか倒して街に帰り、完了報告の後はいつもどおり二人でアトリエに戻って寝た。


 イブがそう答えると、ツヤンの横顔に寂しげな笑みが浮かぶ。


「はあ……もしかしたら本当のこと、思い出すんじゃないかと期待したけど……ありえるはずもない、か」

「どういうこと? ツヤンが何言ってるのか全然分かんないよ!」

「こういうことさ」


 ふいにツヤンがしゃがみ込み、墓石を愛おしげに撫でる。イブが墓地に来てからずっと凝視していたものだ。地方の実家を飛び出した家出貴族のツヤンに、墓を立てるほど親しい誰かがいたのだろうか。


 疑念と少しの嫉妬を込め、イブは墓石をちらりと見やる。


『イブ・フォルスラ(728〜745)』


 そこに刻まれた文字を読み取ったとき、まずイブが考えたのは同姓同名の可能性だった。何しろイブ・フォルスラとはこうして墓地に駆けつけツヤンと相対している少女であって、他の誰でもないのだから。


 知らず滝のような冷や汗を流すイブに、しかしツヤンは断言する。冷酷に、残酷な現実をつきつける。


「君はもう、死んでいる」




ーーー




 その日はツヤンとイブの二人にとってなんの変わりもない、普通の一日になるはずだった。


『ふざけんじゃねえ! どう考えてもギルドの怠慢だろうが! お前らのせいでアイツは死んだんだ!』


 違ったのは悪魔の依頼書が貼り出されていたことと、早朝からカウンターの職員にがなり立てる冒険者がいたことだった。


 年配のその冒険者は想定外のモンスターに遭遇し仲間を喪ったらしく、それをギルドの情報不足のせいだと難癖をつけていた。ツヤンはうっとうしげに冒険者を押しのけて、強引にその日の依頼書をカウンターへ提出。


 子どもにぞんざいな扱いを受けた冒険者はまなじりをつりあげ、ツヤンとイブへ猛然と食ってかかる。しかし二人が話題の新人Bランクだと見てとるや、振り上げた拳を引っ込め忌々しげに唸りだす。暴力では敵わないと判断したのだ。


 無視をきめこむツヤンと、おろおろするイブ。そんな二人に冒険者は舌打ちまじりにこう吐き捨てた。


『ちっ、薄汚えスラムのガキがよぉ』


 ツヤンは杖で冒険者を殴った。


 落ちこぼれ貴族やお嬢様などと言われても、ツヤンは我慢できただろう。でもイブの生まれをどうこう言われるのは、到底耐えきれなかった。


 徹底的に殴りつけるつもりのツヤンだったが、イブに羽交い締めで止められる。そのまま逃げるように街の外へ向かった。


『どうして止めるんだ! あの男は君のことを言ったんだぞ!』

『もう慣れてるよ、あんなの。でもツヤンが怒ってくれたのは嬉しいな。ありが──』

『慣れてる、だって?』


 ツヤンは腹が立った。なんでもないように笑って、慣れてるとまで言ってみせるイブに。イブに慣れるくらいの罵倒を浴びせ続けた周囲の全部が憎らしくて仕方なかった。


『このバカ! 悪く言われたのになんで怒らないんだ! 君にはプライドってものがないのか!』

『えっ、えっ』

『ふん、もういい。さっさと依頼を済ませて帰るぞ!』


 血筋の違いかもしれない。落ちこぼれとはいえ貴族の出であるツヤンは、悪罵への耐性が低かった。殊に自分よりも大切なイブの侮辱だけは、絶対に許すわけにはいかなかった。


 それでもイブ当人は気にしていないから、モヤモヤした不満と憤懣を抱えたまま仕事へ向かう。文句の付けようのない仕事をして、あの冒険者のような非難を寄せ付けないほどの名声を欲した。


『ツヤン、撤退しよう! こいつら強すぎる!』

『だ、ダメだ! どうにか作戦を考えるから、それまでは……!』


 だから、撤退の判断もできなかった。


 デイドリームタウン西方の谷。切り立った崖に挟まれる谷底に出没したオーガたちは、近場に住み着いた悪魔の影響ですさまじく強化されていた。瘴気で硬質化した皮膚は剣もゴーレムの拳も通さず、大樹のように盛り上がった腕はひと振りで岩を砕く。一流であるはずのツヤンとイブでも歯が立たないほどに強かった。


 イブはツヤンの判断を信じて回避行動を続け、その間にツヤンはどうにか必勝の作戦を思い立つ。谷底の立地を利用する作戦だ。


 ツヤンは土属性の魔法使いである。谷底を形成している切り立った崖に魔力を通し、崩落させてオーガを圧死させるのだ。魔力の浸透にかかる時間はきっとイブが稼いでくれる。


『──というわけで、時間稼いで!』

『ま、任せて!』


 ツヤンはイブの実力を信頼していた。イブはツヤンの頭脳を信頼していた。その頭脳が余計な意地で鈍ってしまい、無理のある作戦を立てたことなんて、二人は考えもしなかった。


 その代償は重かった。


『イブ?』


 必死で回避を続けていたイブの体が、横っ飛びに吹っ飛んだ。オーガの巨腕に轢き潰されたその体は、無残に歪んでいた。


 同時にツヤンの魔力が浸透し、崖が崩落する。オーガたちはまとめて大質量の下敷きになり、依頼は達成された。


『イブ、起きてよ、ねえ。ねえったら』


 イブの体はひどい有様だった。骨が突き出し、血にまみれ、四肢は千切れたり折れ曲がったり。幸運にも損傷の少ない頭部にはめ込まれた眼球は、光を失ってうつろにツヤンを見返していた。


 即死。


 その事実を認識した瞬間からしばらくの間、何があったのかツヤンは覚えていない。


 次に意識を取り戻したのは、谷底のさらに奥地。薄暗がりに湧き出た泉の前に、亡骸を抱えて棒立ちしているときだった。


『ああ、かわいそうなお嬢さん。あなたはきっとこう願うつもりだろう。「イブを生き返らせてくれ」と』


 モンスターの生息地には似つかわしくない礼服と、シルクハットを身に着けた老人。泉の水面に佇む彼は、ひどく芝居がかった風に喋り続けた。


『しかしそれはできない。君の持つすべてを代償にささげても、彼女は生き返らない。なぜか? 死神がすでに彼女の魂を運んでしまったからだ。彼らから魂を取り返すのはとても骨が折れる』


 彼は悪魔だった。代償に応じて願い事を叶えてくれる。


 けれど不幸なことに、ツヤンの差し出せる代償は乏しかった。命、魔力、寿命、体、何を捧げてもイブを助けられない。


 悪魔がさも残念そうにそう告げたとき、ツヤンは頭の中で何かが割れる音がした。腕から力が抜け、イブの亡骸が無造作に投げ出されてしまう。それにすら目もくれず、ツヤンは新たな願いを告げた。


『力が、欲しい』

『と、いうと?』

『最強の、土属性の魔法使い。その力を』

『ふうむ、それなら……君の貧相な寿命すべてで、どうにか賄えるだろうねぇ』


 悪魔は願いを叶え、ツヤンは最強の土属性魔法使いの力を手に入れた。杖のひと振りで地形を変え、大地を揺らし火山さえ湧き立たせ、山のように大きなゴーレムを創造することもできる、圧倒的な力。


 が、それだけの力をもってしてもツヤンの企みは実現困難だった。


 企みとはイブの生き写し──すなわち『イブ・フォルスラ』という名の生きたゴーレムを創造することである。




ーーー




 イブはツヤンの言っていることが理解できなかった。たっぷり数分間の沈黙の末どうにか理解が及んでも信じられないし、信じたくもなかった。今こうして考えている自分が偽りの命であるなどと、ありえるはずがない。


「信じられないなら、過去を考えてみるといい。私と君が出会った三年前……違うね、四年前よりも昔のことを、君は思い出せるかい?」

「……っ!」


 ツヤンの言うとおり、イブの記憶には空白ができていた。孤児院を出てから冒険者になった知識はあっても、具体的にどうしてそうなったのか分からない。孤児院で過ごしていたころの記憶がない。あるものといえば、ツヤンと出会ってからの思い出──ツヤンと共有した時間だけだ。


「創造主たる私の知り得ないことは君も知らない。あの日死んだことも。そんな風に『設定』したから──っぐ……!」

「ツヤン!?」


 唐突にツヤンが胸を抑えて膝をつく。イブが駆け寄ると、ツヤンは苦しげに顔を歪め呼吸を荒くしている。


「は、はは……もう、時間切れみたいだね」

「時間切れ……?」


 ツヤンはイブのような何かとは目を合わせず、どこか遠くを見たまま苦笑を漏らす。


「悪魔からもらった力は本物だった。でもイブとそっくりのゴーレムを創るとなると一筋縄じゃいかなくてね。一年もかかってしまったんだ。分かるかい? 寿命をすべて捧げてから一年も、だ」


 ゴーレムはハッとして息を呑む。ツヤンのみずみずしい顔から生気が失われていく。手足の末端から燃え尽きた灰のようにポロポロと崩れ始めた。


「大丈夫、創造主が死んでも君は生きられる。なんたって最強無敵のゴーレムだ、レイドボスだって一撃だし、耐久性も不死身に等しく設定してあるから……」

「どうでもいいよ! どうなってるの、ツヤン、体が……!」


 ゴーレムの指の間をさらさらとした灰がすり抜けていく。その様を見ながらツヤンは自嘲の笑みを浮かべる。


「あの薬は延命薬さ。ただの死体にさえ擬似的な命を与える魔法の薬だよ。副作用は見ての通り肉体の崩壊と──魂の消滅」

「そんなっ、や、やだよ、やだっ!」


 魂は循環する。死と共に死神が然るべき場所へと運び、新たな生命に宿る。しかし悪魔の力を利用すれば、循環から外れ消えてしまう。創造主と知識の一部を共有するゴーレムにはそのことが理解でき、ツヤンの体にすがりつく。


「なんで、なんでそこまでするの! そんなことしたらっ」

「うん、生まれ変わったイブに会えない。でもイブは死んだんだ。生まれ変わった彼女はもう、私の知ってる彼女じゃない」


 ツヤンの体はみるみる崩れ去っていく。手足はとうに灰と化し、続いて胴体が崩れ始める。


 ツヤンはゆっくりと視線を上げた。ゴーレムはやっと目を合わせてくれたことに安堵するが、しかしツヤンはゴーレムの中にいる別の誰かを見ているようだった。


「私って意地っ張りだからさ」


 くしゃり、と泣き笑いを浮かべるツヤン。


「ありがとうもごめんなさいも全然言えないんだ。いつもそう思ってるのに、口に出そうとすると別の言葉になっちゃう。だから──」


 君を創ったんだ、と。


 あふれた涙が、ツヤンの頬に添えられたゴーレムの手を濡らす。


「ありがとう。意地っ張りな私に付き合ってくれて、たくさん助けてくれてありがとう。いつもいつも本当に感謝してる。迷惑かけてごめんなさい。素直に思いを伝えながら、君と生きたかった。赦してもらいたかった」


 ツヤンの首元から頭にかけてが灰になっていく。ツヤンの存在が世界から消えていく。肉体と共に魂ごと消滅していく間際、ツヤンは怯えたように最期の言葉を口にする。


「ごめんなさい。私を赦してくれる?」


 ゴーレムは刹那、返答を迷った。ゴーレム自身はツヤンに罪があるとは考えてもいないし、そもそもツヤンが求めているのはイブの言葉であってゴーレムのものではない。


 それでも創られたゴーレムは刻まれた使命の通り、機械的に口を動かした。


「うん、赦す。気にしてないよ」


 ツヤンはやっぱり泣き笑いのまま、完全に灰と化した。




ーーー




「彼女は望みを叶えました」


 呆然として動かないゴーレムの背後から、シスターが歩み寄る。ゴーレムのすぐ横にかがみこんだ彼女は、ツヤンの灰を小さな壺へ丁寧に回収していく。


「もっとも、果たしてそれが救いになったのかは誰にも分かりませんが」

「……分からないんだ」

「ええ。それこそ悪魔にも死神にも、ね」


 分厚い雲が空いっぱいに立ち込め、今にも雨が降り出しそうだ。暗鬱とした墓場にシスターが何かの作業をする音だけが、淡々と響いている。


 ゴーレムは虚ろな少女の目をイブの墓標に固定しながら、口を開いた。


「知ってたの?」

「全部、と答えたはずですよ。イブが死んだ次の日、ツヤンさんはみんな教えてくれました」

「だったらなんで……!?」


 シスターを睨みつけたゴーレムは、絶句した。


 ツヤンの来ていた衣服と、灰をおさめた壺。シスターはその二つを繊細な手付きでまとめ、墓穴に収める。爪が剥がれ、指先は傷だらけなのに、構わず土をかぶせて最後に上から優しく叩く。


 穴の前、イブの墓標の隣にあたるそこにはもちろん墓標。『ツヤン・デレール』の名が刻まれている。


「ことの次第に加え、ここにこうして弔うようにもお願いされましてね。ではどうして、ツヤンさんを止めてくれなかったのか。真相を教えてくれなかったのか、とお考えでしょう」


 ゴーレムは何も言えない。ツヤンが死んだ事実を目前に突きつけられた。しかもシスターの言うことはすべて図星だったから。


 はたしてシスターは、「止められるわけないでしょう」と絞り出した。


「イブは言わずもがな、願いを叶えたツヤンさんもすでに死体同然でした。どんな言葉も届きません。ささやかな望みを叶える、そのお手伝いをして差し上げるほか、何が出来るというのです」


 悪魔と契約した時点でツヤンはすべての寿命をなげうっていた。魂を売り、次の生という希望さえ捨てて、イブのゴーレムを望んだ。もう取り返しがつかなかった。


 そうだ、取り返しがつかない。ツヤンが死んでしまったけれど、それよりもっと前、ゴーレムが生まれる前に救いのない未来は確定していた。そう考えたとたんゴーレムはゆっくりと立ち上がり、ふらふらと墓地の出口へと足を向ける。


「死ぬつもりですか」

「当たり前でしょ」

「せっかくツヤンさんが命を与えてくれたのに」

「……誰がっ」


 弾かれたように振り返ったゴーレムの目には涙がたまり、絶叫と共にこぼれ落ちる。


「誰が創れって頼んだのよ! ふざけないでよ、勝手に創ってイブの代役するために命与えられてさ、残された方はどうすりゃいいのよ! ツヤンのありがとうもごめんなさいも、結局私じゃなくてイブに言ってるじゃない! ツヤンが望んだ日常なんてどこにもない……全部まやかしだよ……使命を終えた私も、全部、全部……っ!」


 ゴーレムはゴーレムだ。与えられた使命に沿って行動する。それは究極の土魔法によって創造されたこの個体も例外ではなく、『ツヤンの望みを叶える』使命のために活動しているので、ツヤンがいなくなった以上残された道は自決しかない。


 不幸なことに、ゴーレムは魔力供給がなくとも半永久的な自律行動のできるよう設定されている。ほぼ不死身の体を殺す手段を探さねばならない。


 ツヤンがまやかしの望みを叶えたように、ゴーレムもまた自身に与えられたまやかしの命を、偽物のイブの自決によって完結させる。それこそが新しい使命だった。


「な、なに……?」


 悲しいのか怒っているのかも分からないまま泣きじゃくるゴーレムの前に、シスターが立っていた。涙で歪む視界の中で、優しい微笑を浮かべているようだ。


 と、ゴーレムが気づいた次の瞬間。


「たとえまやかしであろうとも」


 シスターはゴーレムを抱きしめた。


「ツヤンさんの望みも、あなたの使命も、みんなまやかしであったとしても。あなたはここにいます。自分で考えて、真実にたどり着き、心が壊れそうになってるのに必死で生きています」

「ち、がう……ただの、設定だから……」

「いいえ。だってあなたは泣いている。生きながらに死んでいる子は、泣くことができないんですよ」


 ゴーレムの脳裏にここ一ヶ月のツヤンの顔が浮かんだ。ツヤンは今まできちんと泣けていただろうか。


 シスターは抱擁の力を強め、「ですから」と続ける。


「ですから、死ぬなんて許しません。あなたは生きている。使命だの生きる意味だの、そんなものは路傍のどこにでも転がっているもんです。それを見つけるのもまた、命の意味なのですよ」


 ゴーレムの眼窩から壊れたようにとめどない涙が溢れ出し、たくさんの感情が心中で破裂していく。シスターはそれ以上何も言わずゴーレムを抱き続け、しばし墓地には産声めいた泣き声が響いた。


 ようやく落ち着いたころ空を見上げると、どんよりした雨雲に無数の裂け目ができている。天上から差し込む幾重もの陽光は、デイドリームタウンに架けられた光の階梯のようで、泣き腫らしたゴーレムの瞳に、いつまでも焼き付いて離れなかった。




ーーー




 辺境の街、デイドリームタウンには最強の冒険者がいる。


 名をイブ・フォルスラ。その剣技は幼体のドラゴンを一刀両断するとされ、実際に複数のレイドボスを斬り捨てる様が目撃されている。自由人気質のため、都のS級冒険者や近衛騎士団の勧誘を断って様々な地方を旅して回っており、その道中で北方の魔法貴族デレーン家と親交を深めたらしい。


 数年の旅の末、彼女は悪魔と呼ばれるレイドボスを単騎で討ち取ることに成功する。しかしその直後「ちょっと死神に喧嘩売ってくる」と言い残したのを最後に消息不明となった。


 これを受けた多くの冒険者や騎士団、山賊など、彼女と交流のあった人々は安否を案じて右往左往。時が経ち生存は絶望的との見方が広まった。


 イブの故郷である孤児院の子どもたちも例にもれず、暗い面持ちでシスターに尋ねる。


「お母さん。イブ姉さんはどこに行ったの? ツヤンさんも消えちゃったし……」


 シスターは二つのお墓を手入れしながら、その子どもに向き直った。彼女はまだ字を教わっていない。


「生きる意味を果たしに行ったのですよ」

「生きる意味? なあにそれ?」

「そうですね、たちの悪いペテン師や、見えない運び屋に八つ当たりしたり……まあ、中身はどうでもいいのです」

「どうでもいいの?」


 そう、きっとどうでもいいのだろう。


 生きる意味も生まれた意味も、大した問題ではない。重要なのは命尽きるとき、心の底からやりきったと思えるかどうか。その是非こそが生と死を分ける唯一の区分であり、内実はなんでもいいのだ。その果てに何一つ得られずとも、失うだけであったとしても──


「たとえまやかしであろうとも、ね」


 シスターはにっこり笑って空を見上げた。


 抜けるような青空が、どこまでも広がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

たとえまやかしであろうとも @nnamminn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ