金欠

弱力粉

金欠

暖かく、柔らかい布団に包み込まれ、スゥ―ッと意識が遠のいていく。まるで頭だけが切り離され、どんどんどんどん遠くの世界に持ち運ばれるような、そんな感覚。でもそれが気持ちいい、もっともっと遠くに運んで、ゆらゆらと揺れるゆりかごのような布団の中で私を運んでほしい。私の意識を使って瞬きをしてしまうと現実に引き戻される、頭が体にくっついてしまう、それは嫌だ。私は何もせずに静かな子守唄を背に、もっと、もっと、深く眠っていたい。




人の三大欲求をご存じだろう。睡眠欲、性欲、そして食欲だ。どれか一つでも欠ければ人間の遺伝子は後世に残されることを拒むだろう、人間が生きていくために必要な本能だ。さて、私の体は今その人間が生きていくために必要不可欠な欲求が足りていない。


ギュルルルルルルルル…


自分の腹の音のせいで起こされた。そう自分に言い訳をしながら永遠不滅の砦である布団を出て、憎くき敵兵から身を守ってくれるカーテンをシュバッと開けた。寒すぎる、早くストーブを点けなくては…ニュース何やってるかな?


「先日生まれたパンダの赤ちゃん…」


パンダか…今度見に行こうかな、お金があればだけど。バイト代が入ったら漫画買って、たらふく飯食った後にやさぐれた心を癒すためにパンダを見に行こう。


耐えがたい空腹を凌ぐためにひとまず冷蔵庫から先日もらった肉を出す、おとといぶりのステーキである、もらいものといえども大切に食べなければ。


にんにくに弱火でじっくり火を通し、油に風味をつけ、焼き終わったにんにくを皿に移す。そこで相棒と一緒に食してやろう。さあメインのお出ましだ、火を中火にし、ステーキをフライパンにそっと乗せる。ジュワっと音を立て、真っ赤な肉が茶色に代わっていくのがうかがえる。ステーキといえばレア、ナイフを入れた瞬間に血があふれ出てくるほどのレアが理想だ、あまりじっくり焼きすぎてはいけない、ちょうどいい頃に皿に移さなくては。


焼き終わった茶色の肉に塩、胡椒をふりかけ、銀色のナイフとフォークを手に取る。ナイフで柔らかい肉を切り、その一片をカリッカリのにんにくと一緒に口に運ぶ。肉を噛みしめると同時に肉汁と血が舌を包み込み、私を天へと突きつける、にんにくと胡椒が舌を刺激し、肉をもっと口に運べと脳が強要する。犯罪級に美味い。


実にいい肉だ、私のすっからかんの腹を素早く満たしてくれる、三大欲求を満たすことは人間の本能なのだからもっと大切にしなくては。


最高の朝食を済ませた後に、いつも通りニュースをバックに今日の予定を考える。何分、金がないものだからやることに制限がある、今日の飯すらまともなものが残っていない。このままではバイト代が入るまで生きていられるかどうか怪しいな…しょうがない、電話するか。


ピリリリリリ…


着信音が六回繰り返された後に、父親が出た。いつも通り遅い。


「親父、今晩そっちで飯いい?」




カラッと揚げられたサクサクの衣と柔らかい肉を噛みしめる度に肉汁がジュワッと口の中を満たした。白飯にあう醤油とにんにくの香りはそばにある野菜を遠ざけ、もっと私を食べてくださいと私に懇願している様でもあった。そうかそうか、胃もたれ覚悟で君を食べてやろう、高温で揚げられたばかりのから揚げなんてコンビニでは味わえないからな。儲けを第一に考え安く大量生産されたから揚げと、おふくろの作ってくれた温かいから揚げでは天と地の差がある。


「お前、明日バイトがあるのは分かっているが夜道には気をつけろよ、最近出るらしいからな」


「なにが?」


「ほら、通り魔だよ」


そういえば今日ニュースでやっていたな。夜一人で歩いている男が襲われたという話だ。計3人の男が襲われ、いずれも体の一部を失われていたらしい。いつも通っている道だがそんな注意をされたら怖くなるじゃあないか父よ。親心から注意をしたのは分かるが、その後にビールを飲みながらから揚げを頬張る姿に少しムカついてしまう。


程よく膨れた腹を抱えて実家を出る。野菜を食べなかったことをまたお袋に怒られたが、私はもう子供ではない、自分に関する決断は自分でできる。辺りはもう真っ暗になっているがこんな住宅街でタクシーを拾えるだろうか?…そもそも金がなかった、親に借りればよかったな。


少し油が口に残ってしまったし何か口直しに食べようかな。薄暗い夜道は気味が悪い、くだらないことに金を使っている暇があるのならもっと実用的な物になんで政府は金を使わないのだろうか。電灯の明かりが届かない所を歩かなければ遠回りになってしまう。


コン、コン、コン、コン…


一人の男が向こう側から歩いてきた、あまり清潔とはいえないがホームレスだろうか?


コン、コン、コン、コン…


徐々に大きくなる彼の足音に私の鳥肌がたつのを感じる


コン、コン、コン、コン…


男は何かを持っていた、黒くて、小さい、あれは何だろうか?


コン、コン、コン、コン…


もう、数メートルしか彼との距離はない、男のツンとした匂いが鼻を軽く刺激する。はっきりと見える、グレーのコートに青いジーパン、手に持っているものが見えない、ボロボロの靴を履いているが一定のリズムで徐々に、徐々に近づいてくる。


コン、コン、コン、コン…


そして男は私とすれ違い、そのまま歩いていった。彼が手に持っているものは見えなかったが、考え過ぎるのは良くない、ストレスを感じては鶏肉の消化に手間取ってしまう、食というのは人間の三大欲求の一つなのだから大切にしなくては。


...ドキドキしたら何だか小腹が空いてしまったな。私は後ろを振り向き、男を後ろから押し倒し、口直しも兼ね、小腹を満たした。

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金欠 弱力粉 @jakurikiko

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