第3話 優しさの迷惑

 各国の医療機関が数々の実験を試みたが、

 多量のオキシトシンは、感染者の身体に害を及ばす事はなかった。


 テレビのニュースでは、繰り返しWHOの会見が流された。


「この新たな感染症は、軽い風邪症状を引き起こすが、優しさや愛情をばら撒く作用がある」


 その後世間では、新感染症が「優しさウイルス」と呼ばれるようになり、2025年の流行語にもなった。

 次第に、人々は顔からマスクを外すようになった。


 優しさは病じゃない。

 優しさは害にならない。

 優しさが広まれば、世界は平和になるはずだ。

 人々は、そう信じた。


 ウイルスは人を殺すものだったのに、愛へと変えた。

 どの宗教団体も、それをやってみせたのは我々の神だと奉った。

 神社にお礼参り、教会に感謝の祈りを捧げた。

 無神論者の日本人も、それなりに何かには感謝した。



「私も優しさウイルスだったのかなぁ」

 ぼんやりとユナは呟いた。

 ウイルスに感染していると思うと怖いけど、優しくなった今の自分は嫌いじゃない。

 ユナには、ほとんど風邪の症状が出なかったから、気が付かなかっただけかもしれない。

 複雑な気分だった。


「まぁ、今更検査とかいらなくない? だって死なないんだし。ただ優しくなるんだとしたら、むしろ私も移して欲しいくらいだわ!」

 カリンがそう言うと、二人は笑いあった。


 優しさウイルスで変化したのは、ユナだけじゃなかった。


「大変申し訳ございません。今後は同じミスのないよう、より一層身を引き締め・・・・・・」

「いいんだよ、間違えは誰にでもあるものだ」

 涙ぐみながら謝る新入社員を、暖かい笑顔で許す部長。


 意地汚く人の悪さで有名だった部長が、まるで別人になっていた。


「どうしたの部長?! 仏でも乗り移った?」

「凄いね。あんな性格最悪だったのに、、優しさウイルスにかかったかな」

「それなら一生感染してて欲しいよね」


 社内では、口々に噂が飛び交った。


 ユナを毛嫌いしていた直属の上司も、突然ユナに挨拶をしてくれるようになった。

 ユナはすぐさま感染したに違いないと思った。


 ある時、上司はユナの代わりに、客にお茶を入れてくれた。


「すみません、私の仕事なのに」

 その上司は、ユナにとって話しかけるだけで冷や汗をかいてしまうような存在だった。


「いいのよ。いつも頑張ってくれてありがとうね、ユナさん」

 彼女から微笑まれたのは、初めての事だった。


 ユナは笑顔で感謝してみせたが、心に一滴の黒い雫が落ちるのを感じた。


 ーー私の仕事なのに、私がお客様の笑顔を見たかったのに、横取りしないでよ。



 上司の親切は、加速していった。

 カリンが帰宅する時の事だった。

 彼女のバックを、家まで運んであげないと気が済まないと言って、上司は荷物持ちをしたそうだ。


 カリンは、酷く気持ち悪がった。

「親切超えて、ストーカーだよね。断っても遠慮しないでよ! って言って引かなくてさ、マジで困ったわ」

「さすがにそれはやばいね」


「だけど、優しさウイルスを利用するのもアリよ」

 振り向くと、ミカサ先輩が立っていた。


「あ、お疲れ様です!!」

 慌てて、ユナとカリンは立ち上がった。


「私ね、ここのところ部長に毎日ランチ奢ってもらってるの」

「え、そうなんですか?」

 ユナとカリンは、顔を見合わせた。

 2人がランチに行くような間柄には、とても見えなかった。


「あいつニコニコしながら、お会計してくれるよ。でね、この前ふざけ半分で『10万円降ってこないかなー』って言ったの。そしたら10万円ぽーんって、くれたのよ」

「は?!」

「多分、今のあいつ、頼んだらなんでもしてくれるよ。ガチで重症」


 先輩はケラケラ笑っていた。

 ユナはゾッとした。気味が悪かった。


「それは、便利ですねぇ」

 カリンが感心したように言った。

 ユナも、引きつった笑顔で頷いた。


 〇

 仕事の休憩中、母親から電話が来た。

「もしもし、ユナ? なんか男の人がいっぱい家の前にいるんだけど・・・・・・」


 嫌な予感がして、ユナは慌てて帰宅した。

 家の前に、行列が出来ていた。


 ユナは、一瞬見間違えかと思った。

 しかし間違いなく、そこは自分の住むアパートだった。

 1階にある郵便受けから、ユナの住む203号室にかけて、階段から廊下に1列になって男ばかりが並んでいた。


 203号室のドアは閉まっている。

 ユナは列を押しのけ、家に入った。


「なによこれ、、誰あの人達!!!」

「ユナ、おかえり。ねぇどうなってるの?」


 母は、すがりつくようにユナを抱きしめた。

 ユナの腕の中で、母は震えていた。


「それはこっちが聞きたいよ」

 ユナは、心の底から困った。


「列の人達、皆あんたに会いにきたって言ってたわよ」

「はぁ?!」

 ユナは耳を疑った。


 その時、インターホンが鳴った。

 扉の覗き穴から目を凝らすと、部長の顔があった。


 ユナは慌てて扉を開けた。

「よかった! ユナさん、おかえりなさい!」

 部長が、満面の笑みで立っていた。


「ぶ、部長?! なんでここに?!」

「驚かせちゃいましたかね。彼らとは、もうお話しましたか?」

「彼ら? もしかして、部長がこの人達呼んだんですか?」


 部長は、少し改まった様子で言った。

「いやー、ユナさんが彼氏いないって、噂話聞いちゃったもんでさ。

 それで君の彼氏候補を連れてきたんだよ。

 20代から40代までいる。36人しかまだ集まってないけど、良かったら早速お見合い始めて!

 全員気に入らなかったら、僕がまた探しにいくから、遠慮なく言ってくれ!」


「ちょ、ちょっと待ってください。私そんな事お願いしてないですよね?!」


「もちろん! だけど、ユナさんを思って」


「私こんなの全然望んでません!」


「そんなぁ。でも恋人欲しいんでしょ?」


「欲しいですけど・・・・・・こんなのおかしいでしょ?」


「あー、もしかして出会い方? 君ってシチュエーションこだわる子だった? すまない。たしかにこれは、ロマンチックじゃない。仕切り直し! 今からでも仕切り直そう!!」


「いや、もういいです・・・・・・。とにかく帰って! 帰って下さい!!!」


 ユナの母が警察を呼び、部長も行列もアパートから連行された。


「あんたの部長、あんな人だったの?」

「まさか。前はすごく厳しい人で、私もめちゃくちゃ叱られたりして、とにかく今とは真逆だった。多分、部長がおかしくなったのって、優しさウイルスのせいだと思う」

「なるほどね・・・・・・。これがあの人にとっての優しさなのね」

 母は吐き捨てるように言った。


 ーー優しさって、厄介なもんだな。


 ユナの心に影が差した。

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