第2話 ユナの小さな変化
〇
「ねぇ、なんかユナさ、最近良い事でもあった?」
マスクの上にあるカリンの切れ長の目が、ユナをまじまじと見つめていた。
「え?どうして?」
ユナは首を傾げた。
「なんてゆーかさ、前より穏やかになったってゆーか、優しくない?」
「そーかな」
「もしかして・・・・・・彼氏でも出来た?!」
カリンの明るい声と共に、彼女の長細い目は更に細くなった。
「はぁー?! んな訳ないじゃん」
ユナはそう言いつつも、なんとなく自覚はあった。
ここのところ、不思議と心が暖かい感じがする。
何かしらの打算があって、親切に振舞っている訳ではなかった。
なんの前触れもなく、自分に起こった小さな変化だった。
なぜだか分からないけれど、それはきっといい事だ。
ユナはそう思って、それ以上深く考えなかった。
○
ユナが会社から家に帰ると、テレビの音が玄関まで響いていた。
リビングのドアを開けると、母親がテレビ前の床暖の上で、猫のように丸くなり寝転んでいた。
「お母さんったら、、」
ユナはキッチンに目を向けると、シンクの中に少なくとも3日分と思われる汚れた食器が積み重なっていた。
ユナの母親は、シングルマザーだった。
家事も仕事も1人で熟す母に、ユナは感謝していた。
しかし学生時代は部活、社会人になってからは毎日目の前の仕事に追われて、家の事はいつも母に任せっきりだった。
母としても、ユナに苦労はかけまいとしていた。だから手伝いを頼んだり、愚痴を零す事もなかった。
あまり態度には出さなかったが、ユナは母の事が大好きだった。
ユナは溜め息をつくと、溜まった皿を1枚ずつ丁寧に洗っていった。
カチャカチャと食器の鳴る音で目覚めたのか、母親が体を起こした。
「あら、ユナ何してるの?」
「お母さん、起きたの」
「いいわよ、洗い物なんかしなくて」
「でもなんかいっぱい溜まってたし」
「そうだけど・・・・・・だって仕事帰りで疲れてるでしょ」
「へーきへーき」
ユナは母親の不思議そうな顔を見て、ハッとした。
「そっか! 私、今までお手伝いとか、ちっともしてこなかったもんね」
「いいのよ。責めてるとかじゃなくて、、なんか疲れてるのにやらせちゃってごめんね」
「てゆーかお母さん、こっちこそごめんねだよ。私いつも甘えっぱなしでさ。
ほんと、いつもありがとうね。これから時間ある時は、ちゃんと手伝うようにするから!」
母は目を丸く見開いた後で、大きく笑った。
「いやーだぁ、もう!! 今日母の日?! 私の誕生日?!」
「どっちも違うってば!」
ユナは照れくさそうに、泡だらけのスポンジをすすいだ。
ーーなんでだろう。私、人の為に何かをしてあげるって、今まであんまなかったな。
誰かに何かして、喜んで貰えるのは気持ちのいい事なんだなぁ。
ユナは、そんな当たり前に気がついた。
それからユナは洗濯、ゴミ出し、食器洗い、料理。思いつく限りの事は、出来る範囲で手伝いをした。
母親は初め、少し心配そうだった。
ユナの変化に慣れなかったからだ。
「ありがとうね、ユナ」
それでもいつまで続くか分からない娘の思いやりに、いつも笑顔でお礼した。
ユナは、母親のふわりと笑う顔を見る度に、心がじんわり暖かくなった。
ーー私、お母さんのこんな顔がもっと見たいな。
職場でのユナは、扱いにくい人間とされていた。
一点集中型で、一つの作業に集中すると周りに気を配れない。
名前を呼ばれても気が付かないし、内線が鳴っても一切取らない。
一つの作業が終わらないと、他も手をつけられない。
おまけにプライドが高く、素直に謝れないので、同期でも仲の良い人間はカリンしか居なかった。
そんなユナが、職場での人間関係が少しずつ上手くいくようになった。
いい気分、優しくしたい気持ちが、仕事中にも芽生えたのだ。
「ありがとう」 や「ごめんなさい」が言えるようになり、ちょっとした心配りも出来るようになった。
すると、周りの評価も徐々に変わっていった。
ユナはその変化が嬉しかった。
「おっつー! 最近仕事調子良さそうじゃん」
カリンが、弁当箱から摘んだプチトマトを頬張りながら言った。
「うん、ありがと」
ユナは照れくさそうに笑った。
「ねえ、今日の夜、久々に飲みに行かない? 外が嫌だったら、またzoom飲みでもいいけど」
「あーごめん、今日先約あるんだよねぇ」
「彼氏?」
「あたり」
「ちぇっ」
ユナは唐揚げに八つ当たりするように、箸でぶっ刺した。
「ユナに足りないのは彼氏だなー。そしたらあたしんとことダブルデートも出来るのにさ」
カリンがニヤニヤした。
「うっさいなー」
「だって、もう2年も彼氏いないんでしょ?」
「まーね」
「泣けるわ」
「私さ、男の人苦手なんだよね。
女子高だったてのもあるし、この職場も女の人多いし」
「大奥みたいに女ばっかだよね。」
「合コン行っても緊張しちゃうし、面白い事なんか言えないし。男の子のノリにもついてけないってゆーか」
「この職場は出会いないもんなー。私も今度いい人いたら紹介するよ!」
「・・・・・・期待しとく」
ユナは素っ気なく言うと、カップに入った暖かいお味噌汁を啜った。
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