第7話


 遮る物のない広大な草原。

 草花の香りを乗せた風が吹き抜ける。大地に芽吹く草花を撫でる様は、まるで波打ち際に打ち寄せる漣のように穏やかで、ここが前線とは思えない静けさがあった。

「のどかだな。最前線と聞いていたので睨み合いの続く緊迫した場所かと思っていたのだが、思っていたよりも静かだ」

 長時間、狭い馬車に揺られていたエリックは、大きく背伸びをした。メフィとライカ・フウカ姉妹もそれに倣う。

 清々しい空気を味わいながら、エリックは先遣隊の基地に向けて歩きだした。二人もそれに続く。

「エリック様、馬車で同席した男。戦の折、殺してもいいですか」

 馬車を降りて、早々、女悪魔は耳打ちした。

「いきなりなにを言い出す」

「馬車の中で終始卑猥な眼を向けられ続けたので、つい」

「それは――」

 メフィの装いを上から下へと見る。

 いつもと同じ男装だ。白のシャツと黒のベストとスラックス。

 野暮ったい丸眼鏡が邪魔で、それほど気にならなかったのだが、メフィはなかなかの美人だ。こちらの世界ではあまり見かけない、理知的なOL――仕事のできる女感がある。男物の服装から覗く素肌は、染み一つ無い新雪のような美しさがあって、赤い瞳には力強さがある。か弱い女性の中に垣間見える凜とした気品、物珍しさ、美しさ、男であれば興味が惹かれて当然だ。そもそも、そういうキャラに設定してあるのだから。

 しかし、こうして見ると、いまさらながら美人であることに気づかされる。

「駄目……でしょうか?」

 悲しげに睫毛を伏せる。悪魔的な美しさにエリックはドギマギした。

「捨ておけ。おまえの手が汚い血で穢れる。それに大切な部下に色目をつかうような輩は、俺の手で始末する」

「勿体ないお言葉。このメフィ・ザ・マジシャン、恐悦至極にございます」

 周囲の目があるので、大仰なアクションはなかったが、メフィの顔には驚きと喜びの感情が入り交じっている。

「それよりもリンガイアの魔獣騎兵が気になる。眷属にしらべさせろ」

「そちらはすでに手の者を出しています。明後日には報告できるかと」

「さすがは〈影斬士〉頼もしいな」

「恐縮です」

 長い睫毛を伏せ、それをもって礼としているのだろう。間が空いたので、メフィはそれを会話の終了と受け取ったようだ。歩調を弱め、後ろに下がる。

 今度はライカ・フウカがその場に立つ。

 髪型はよく見かける二つ折り、いまは妹のフウカが身体をコントロールしている。相変わらず真面目だ。着物の前もきっちりと合わせている。

「ここから馬車で半日ほどのところに、帝国軍が駐屯しているようです。如何なさいますか?」

「蹴散らしたい気持ちはわかるが、ここは静観しよう。情報が不足しているいま、下手に手を出して戦の口火を切るのはまずい」

「しかし、こちらに兵を進める可能性が高いと報告が来ております」

「すでに眷属を放っていたのか……仕事がはやいな」

「ありがとうございます。ですが懸念がひとつ」

「話せ」

「ベルーガの先遣隊は質が低いように思われます。あれらが攻めてくれば問題が発生するかと」

「そのときは魔法をつかう。魔獣騎兵の強さがどれくらいかわからんが、しれてるだろう。ミストニアに来た、自称勇者でもLv50はなかった。そこから推論するに帝国も俺の敵ではない。問題があるとすれば数だ。〈疾風迅雷〉に命じる。ただちに敵の兵力をしらべよ」

「はっ」

 ライカ・フウカの二つ名を出すと、同体姉妹はすぐさま行動を起こした。胸元から呪符を取りだし、式神を召喚する。烏のそれを空に放った。

 当面の指示を出し終えたところで、先遣隊の駐屯地に足を踏み入れる。

 木杭で造った簡易陣地。いちおう、内外二重の造りになっている。外側の陣地は物見櫓が建てられており、その下で兵が訓練している。内側の陣地にはテントが所狭しと設営されている。その中央に指揮所らしき建物が見えた。

 まだ建築中のそれは朽ち果てたような体を成しており、つかえるのは半分にも満たない。

 それでも中から聞こえる切羽詰まった声から、エリックは目指す場所だとわかった。

 ノックしてからドアを開ける。

 中に入ると先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり、部屋に詰めていた指揮官たちがエリックを見ていた。

「王都から派遣された宮廷魔道士のエリックと申します。後ろにいるのが、同僚のメフィと護衛のフウカです」

「お待ちしておりましたぞ、エリック殿!」

「陛下は貴重な魔導士を派遣してくださったのか!」

 王都の貴族たちとちがって、指揮官たちは好意的にもてなしてくれた。

 味の無い色だけの紅茶を出してくれ、皆、熱い視線をエリックたちに注いでいる。

 いくら女王陛下の命とはいえ、たった三人の増援を迎えるには大袈裟すぎる。

「ええーっと、こちらの責任者はどなたで……」

「司令官のミルマンだ。平時は国境守備隊の隊長をやっている」

 ミルマンは三〇代前半くらいの男性だ。小麦色の肌をして、無駄の無い引き締まった身体をしている。いかにも現場の人間といった感じだ。

 ミルマンが、人懐っこい笑みで右手を差しだしてきた。

「よろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 宮廷魔導士とはいえ、新人なので下手に出る。

 握り返しつつ、ウィンドを開く。

 国境警備隊隊長、Lv33と出てきた。戦士職で魔法は習得していない。一応、スキルとして〈連撃〉と〈重防御〉があった。詳細を見る前に手を離したので、どのような効果があるのかわからなかった。レベルからして脅威ではないだろう、と捨て置く。

「着任早々で悪いが、偵察に同行してもらえないか」

「それはかまいませんけど。突然ですね」

「先遣隊と呼び名こそ立派だが、寄せ集め同然の部隊なんだよ。だから魔法をつかえる者がすくなて困っていたところだ。それにしても、エリック殿はなかなか優秀な御方のようだ」

「か、買い被りですよ」

「いやいや、宮廷魔導士になるには、かのアモルファス老の試験を合格せねばならないからな。ベルーガは他国とちがってハードルが高いのさ。そういう理由で宮廷魔導士は極端に少ない。ま、裏を返せば他国よりも優秀な魔導士が多い、とも言えるがな」

「そうなんですか」

 どうりで盛大な歓迎を受けるはずだ。貴族連中の冷ややかな態度とえらいちがいだ。

 貴族たちからすれば、魔導士だろうと騎士だろうと、性能の良い庶民程度にしか映らないのだろう。

「それで、こちらの状況は? 帝国の偵察隊を発見したのですか?」

「接敵はまだだ。しかし、そう遠くないところに敵は潜んでいるはず。おそらく侵攻に備えての前線基地を築いている最中だろう。見つけ出して早急に叩かねばならん。そのためにもエリック殿に魔法で探査の手伝いをしてもらいたい」

「護衛の者も連れて行ってもよろしいですか」

「かまわないが、剣士殿の護衛に人員は割けんぞ」

「それでいいです」

「では部屋への案内もあるので、まずはそちらを。それが終わってから偵察に同行してもらおう」

 ミルマン隊長は、エリックが思っていたよりもまともな人物だった。叩き上げの軍人であることは体格から容易に想像がつくが、穏やかな人となりは、戦を生業とする軍人に思えない。

――どこかの貴族の子弟なのか?――

 気になるものの、初対面でそこまで聞いて良いものか、エリックは逡巡した。会話が途切れるのも変なので、話を続ける。

「ところで偵察隊の規模は?」

「隠密行動なので十名ほどだ。おっと魔導士殿は別枠だ、安心してくれ」

「それで、敵の先遣隊はどのくらいの規模だと? 予想でいいので教えてください」

「知らないほうが精神衛生上にいいと思うがね、宮廷魔導士殿」

「まあそう言わずに、ある程度の覚悟はしていますから教えてください。お願いします」

「……かまわないが、偵察隊の連中には言わないでくれよ。金で雇った冒険者が大部分を占めるもんで、ブルって逃げ出すかもしれんからな」

――付く陣営をまちがえたか?――

「それで、ミルマン隊長は敵の数はどれくらいだと予想しているんですか?」

「最低でも三千。多ければ万単位と読んでいる」

「……万単位では先遣隊とは言えないでしょう」

「普通ならばそうだろうが、帝国の軍事力は周辺諸国でも郡を抜いている。魔獣騎兵も恐ろしいが、真に警戒すべきはその数」

「数? そこまで国力差が開いているのですか?」

「国力の差はしれている。問題は国の政策がほぼ軍事一色なんだ。我が国よりも軍国という名が似合うくらいだ」

「軍国主義だと? それだけでは国は成り立たないでしょう。産業は? 経済は?」

「普通はそうだが、帝国はちがうんだよ。あの国がやっているのはイナゴの真似事だ。立ちはだかる国をすべて食らい尽くす」

「だとしたら、いずれ終わりが来るでしょう。戦争で成り立つ国ならば、たった一度の敗北も許されないはず。その一度の敗北が、リンガイアにとって致命的な一撃になるでしょうね」

「最初はどの国もそう思っていたが、いまでは総兵力百万だ、百万だぞ。リンガイアが大国だからできることだが、それにしてもイカれてる。平時でも百万だ。それに予備兵が加わるんだからな。考えるだけでもぞっとするよ」

「軍国がその侵攻を阻む、第一の国となるのですか」

「なれなければ滅びるまでだ」

 ミルマンは皮肉っぽく笑った。

 それほどまでの軍事力をどのようにして維持しているのか、甚だ疑問だ。それも紅の魔女が一枚噛んでいるのだろうか?

 可能性は高い。

 ともあれ、問題の魔獣騎兵を確認するのが先決だ。

 貧乏くじを引いたか、引かされたか、とんでもないところに来たのは確かだ。しかし、こういう場所に限ってチャンスが転がっているもの。

 頼りになる部下も連れてきている。多少のアクシデントがあっても大丈夫だろう。

 エリックは前向きに考えることにした。


      @


 リンガイア帝国――ウォドスカール。

 荒廃した王都は、廃墟のように静まりかえっていた。

 王城だけが煌びやかに彩られ、それ以外は色褪せたかのように幽寂としている。

 狂帝と呼ばれるリンガイア七世――キリル・オクセラン・ヴィ・ボルディック・リンガイアが帝位に就くまでは、この都も活気に溢れていたのだが、それももう過去の話だ。

 大通りを行く人の数は少ない。人々の顔に生気は無く、痩せこけた屍人のような身体をしている。働き盛りの若者は軍に取られ、街には老人と子どもしかいな。

 軍服を着た兵士もいるが、居住区を忌避するかのように避けて通っている。

 そう、この国に未来は無い。

 国民は、いずれ行き着く滅びの未来から目を背けるように生きている。

 それは皇帝――リンガイア七世にも当てはまる。

 その狂帝は殺風景な王宮の奥にいた。

 豪奢な玉座に身を沈め物憂げに片肘をつき、

「さて次はどこを滅ぼそうか?」

 このように戦のことしか頭にない。

 国の主が主ならば、その臣下も臣下だ。

 軍国を追放された狂人――ペストラン宰相もまた主同様に戦のことしか頭にない。

「ンフフッ! 近隣の勢力は粗方、平らげました。そろそろ国を攻めましょう。田畑を焼き、森を焼き、村を焼き、都を焼きましょう。ンヒッ! 川を赤く染め、大地を紅に、城壁を朱に染めるというのもよろしいですな。そのためにも魔獣を揃え、武器を揃え、兵を揃えましょう」

 戦による惨状を想像しているのか、ペストランは気味の悪い声を洩らし、しきりにああでもないこうでもない、と呟いている。

 そんな狂人をつまらなそうに見下ろして、リンガイア七世は考える。世界を血で染めるのも一興だと。しかし、それよりもやるべきことがある。かつて一度、帝国の侵攻を防いだ勢力について、

「まだシルバーメイル連合が健在ではないか」

「あれを相手にするのはまだ先ですな。かの国は魔獣との戦いに慣れています。いましばらくは魔獣騎兵を増やすことに力を注ぐべきかと。それに紅の魔女も先の戦いで魔力をつかいすぎたと申しておりましたので、当面は大きな軍事行動は起こせないと。ま、これは方便でしょう。しかし、こちらには人質がいますので、駄々をこねるのももうしばらくかと。ンフフッ」

 頭のネジが飛んでいるように見えるが、ペストランは有能だ。軍国で大将軍を務めただけあって、大局を見る眼を持っている。しかしながら人格は破綻しており、戦にしか興味がない。そのような歪んだ性癖を抱えているがゆえ、秀でた能力にもかかわらず大将軍の地位を失い、国を追われた。

 まともな人間ならば同じ轍を踏むまい、と改善に努めるものだが、ペストランはちがった。志を供にする王を探したのだ。

 そうした経緯から、狂帝リンガイア七世に仕えることになる。

「であれば、どこを攻めるのだ。大食らいの魔獣どもが備蓄を喰らい尽くす前に、生き餌を確保しなければならん。さもなければ、我が兵が目減りしてしまう」

「大事の前の小事、兵の一万や二万、よろしいではありませんか。糧秣の消費を抑えられますぞ」

「ふん、魔獣が増えても乗り手がいなくては意味がない。兵の損失は最小にとどめよ」

「さすれば……軍国が妥当かと」

「ほう、仕込みに失敗したと聞いているが」

「それは阿呆の貴族が暴走しただけ。切り札は何枚もあります」

「肝心の勝算は?」

「負ける理由はございません。最悪でも国土割譲は固いでしょう」

「ならば軍を興すか」

「急ぐ必要はありません。軍国は時間が経てば経つほど弱体化します。少しずつ、少しずつ、要人を切り崩しておりますので、侵攻は緩やかに進めれば良いかと」

「それではつまらん。盛大に血を流そう!」

「ンフッ! それでこそ我が主、流しましょう、流しましょう、屍山血河などといったしみったれたものではなく、記憶に鮮明で、歴史に残るような光景を創りましょう。そうですな、屍の城というのは如何でしょう?」

「それは名案だ。幾人か建築家を同行させよう」

「医者も同行させましょう。それも大勢の医者を」

「軍医は足りているのではなかったか?」

「そうではありません。医者は屍を加工するのにうってつけの人材ですからな。城を築くのであればそれなりに数が必要です」

「加工する必要性を感じないが……」

「あります。大いにあります。運搬するにおいて、屍を加工するとしないとでは雲泥の差があります。ただの屍の山では陛下の威を示せません。文字通り城を築くのです。そのためには、木材のように大きさを揃えなければなりません。不要な部位は捨て、飾りも吟味しなければなりません。そうなると、男の屍よりも女の屍のほうが見栄えがいいかと、できれば傷の少ない部位をふんだんに」

「なるほど、この世に二つと無い屍の城を築けと言うのだな」

「御意」

「余も同じ事を考えていたところだ。ただちに医者を手配させよう」

「ンフッ、有り難きお言葉」

「ペストラン、おまえのことだ。それ以外にも意味があるのだろう」

「さすがは陛下、お気づきになりましたか。左様、築城のほかにも利点はあります。第一に魔獣は種族によって好む部位ばあります。第二に種族で部隊をわけているので、運ぶ部位も分けねばなりません。第三に運ぶ手間が減ります」

「屍ならばどの部位でも良いのではないか?」

「力尽くで従えられるのであれば、それでよろしいのですが。獣ゆえ、そういった融通が利かぬのですよ」

「ふむ、まあ良い。存分に食わせ、存分に繁殖させよ。屍は調達が楽だからな。敵からも味方からも……」

「さようでございますな」

 狂帝と狂人は顔を見合わせほくそ笑んだ。


      @


 エリックが同行した偵察隊は、魔導士が加わったこともあってかなりの距離を踏破していた。

 砦が水平線の彼方に消え、平原だった風景に木々が追加される。

「あの丘陵のてっぺんにのぼって、偵察の終了としよう」

 偵察隊の隊長――カルノーが指示を出す。腹回りに肉のついた、中年の軍人だ。ミルマンの推薦なので腕はたしかだが、すこしばかり慎重すぎるきらいがある。

 ともあれ、つかえる人材であるのは間違いない。癖の強い傭兵たちをよくまとめている。

「なにがあるかわからんからな、いったん小休止だ。火は熾すなよ」

 カルノーの決定に、隊員たちは安堵の息を漏らした。

「これで砦に帰れる」

「足が痛ぇ」

「緊張しっぱなしで肩が凝ったぜ」

 ここまで敵の姿を見なかったせいもあって、隊員たちは取り越し苦労と愚痴っている。

 まだ偵察は終わっていない。丘陵の上からの確認が残っている。気を抜くべきではない。

――弛んでいるな、小学生にも劣るぞ。家に帰るまでが遠足、その鉄則が欠けている――

 エリックは心の中で愚痴りながら、同体姉妹の部下――〈疾風迅雷〉を見やる。今回は、ミルマンの要望があってメフィを貸し出している。よってエリックの護衛はライカ・フウカだけだ。

 いま出ているメインの人格は妹のフウカだ。姉、ライカは大雑把で面倒くさがり屋で、こういった場に出てこない。

 弛んだ隊員とちがって、フウカは警戒を解いていない。むしろ、いままで以上に緊張が張り詰めている。

 真面目な妹に囁く。

「気になるか?」

「はい。低レベルですが、モンスターの気配を感じます」

「数は?」

「数えきれません」

「おおよそでいい」

「……千を越えるかと」

 かなりの規模だ。いくら低レベルとはいえ、逃がさず殲滅できるだろうか?

 一抹の不安が、エリックの胸に去来する。

「エリック様であれば問題はないかと」

 言葉の意味がわからない。

――千を越える軍隊だぞ! 広範囲魔法に収まってくれるのか? そもそも広範囲魔法で、千を越える軍隊を殲滅するまでどれだけ時間がかかると思ってるんだよ!――

 苛立ちと不安に駆られながら、エリックはウィンドを開く。対応できる魔法を探す。

 脳裏で描いたカーソルを魔法に重ねると、信じられないコメントが浮かび上がった。

 

  〈鏖殺の流星群〉Lv9時空系魔法 対象:グループ(グループだと認識した一団)

 

――認識した集団? となると軍隊も1グループになるのか? だとしたら広範囲魔法よりも強力になるじゃないか。バランス崩れてね? つーかバグ?――

 開発者として思うところはあったものの、エリックは目を瞑ることにした。広範囲よりもグループ指定のほうが威力は強い。最悪の場合、エクストラマジックという手もある。とりあえずグループ指定の魔法で行こう。

 手順が確立されると、エリックの心に余裕が生まれた。王者としてフウカに接する余裕ではない。悪知恵を働かせる余裕だ。

 そして閃いた。

 エリックは宙からアミュレットをとりだす。

「フウカ、幻覚と睡眠の耐性の護符だ。装備しろ」

「はっ」

 準備が整うと、エリックは簡単な幻術を使った。偵察隊の連中になにもない光景を見せつつ、リンガイアの先遣隊からは姿を隠す。どちらも上位の魔法なので看破されることはない。

「さてはじめるか〈空中歩行ウォーク・オン・エア〉」

 燐光がエリックを包み込むと、水に浮くような感覚に襲われた。一歩踏み出すと、なにも無い中空に足場の感触が生まれる。

 同体姉妹にも魔法をかける。

 ゆったりとした歩みで、リンガイア軍へ近づく。

 空からの接近を想定していなかったのか、リンガイア軍の兵が気づいた頃には、すでに先遣隊の真上に到達していた。

「敵だ! 矢を射ろ」

 数千からなる放たれた矢が、天へと走る。

「名乗り合いもなしに攻撃か……。躾がなってないな。〈返し矢(カウンター・アロー)〉」

 エリックへ迫りつつある矢が、突然、反転した。放たれたときよりも勢いを増した矢が、射手の元に戻る。

「ぐぉっ」

「ギャッ」

「ぐわぁ」

 射手たちは短く呻くと、そのまま地に伏した。

「ま、魔導士隊、前へ! 魔力の消費を考えるな、全力で撃ち落とせ」

「……愚かな」

 放たれたのはどれも下位の魔法ばかり。それではいくら命中させても、エリックに手傷を負わせることなどできない。

 しかしフウカはちがう。戦士系の職業なので、魔法耐性は完全ではない。この程度の下位魔法で倒れはしないだろうが、念のため保険をかける。

「煩わしいな」

 呟くと、エリックは対魔法結界を張った。ごくごく初歩の結界だ。多少ダメージが通るかも知れないが、フウカならば大丈夫だろう。

 結果は、エリックの予測以上だった。

 結界は破られなかった。リンガイア側の魔法をことごとく無効化し、いまだ効力を発揮し続けている。

――まさか、ここまで弱いとはなぁ――

 強そうな連中を探し、片っ端からウィンドを開く。

 職業軍人はほんの一握りで、ほかはすべて平民ばかり。なかには農民や道具屋まで混じっている始末。おまけにレベルのばらつきがひどい。典型的な烏合の衆だ。

 笑いがこみ上げる。

「クックックックッ」

 その様子を見ていたリンガイアの指揮官は、顔を引きつらせていた。攻撃手段が尽きたのだろう。頼みの魔獣騎兵も空への攻撃はできないらしく、唸り声を上げて威嚇しているだけ。

 圧倒的なまでの力の差。

 エリックは確信した。『ミストニア』のラスボスとしての力は、この世界でも通じると。

「はじめましてリンガイアの方々。そしてさようなら」

 エリックはゆるやかに手をあげ、そして厳かに詠唱する。

「せめてもの情けだ。苦しむ暇を与えず殺してやろう。〈千刃の暴風雨(ブレード・テンペスト)〉」

 辺りに強風が吹き乱れる。やがてそれは血煙となり、大地を赤く染めた。

 阿鼻叫喚の声さえもかき消すそれに、抗える者はいない。

 風が吹き止むと、リンガイアの先遣隊は消えていた。泥のようになった血肉に、申し訳程度の骨が覗いている。

――グループ系の攻撃魔法だったけど、全滅じゃないか! 魔法、超すげぇ――

「フウカ、スライムを召喚しろ。死肉を食わせ痕跡を消させる。まだ我々の存在を公にする時期ではないからな」

「はっ、死体は消せますが、装備品はいかがいたしましょう。いくらスライムでも消化しきれないかと」

「もっと頭をつかえ。武器や防具の装備品は回収。サウザントノアに持ち帰り〈奈落の武器商人〉に渡せ。ミストニアの民が石になった現状、あれしかアイテムを換金できる存在はいないからな」

「さすがはエリック様、リンガイアの犬どもを始末するだけではなく、資金も得るとは」

「要らぬ手間をかけたのだからな、それぐらいの旨味がないと釣り合わん。それに石化を解くのに膨大な穀物が必要になる、それの購入費に充てよう」

「承知。それで、偵察隊の者たちは如何いたしましょう。こちらも消しますか?」

「待て、この世界での足がかりは必要。計算外のことは多いが、当初の予定通り軍国に属する。ただし、軍国に仕えるのは俺だけだ」

「質問してもよろしいですか?」

「かまわん」

「なぜエリック様が、あのような弱国に属さなければならないのでしょうか? 不思議でなりません」

「ふむ、たしかに疑問を抱くところだな。しかしフウカよ。同盟を結ぶのであれば、親密な関係が必要だと思わないか。それも、第三者が介入することのできないような強固な関係を築く必要性を」

「だからこのような弱国に肩を入れるのですね」

「そうだ。極力ミストニアの存在を表に出さず世界を裏から支配する。それが理想だが、実際には難しいだろう。いずれミストニアの存在を出さねばなるまい。そのときのための同盟国なのだ」

「そこまでお考えなのですか」

 フウカがパチパチと目を瞬かせている。

 本当に驚いているらしい。しかし、フウカは戦士職。頭脳労働は苦手なはず。話の意味をりかいしているのだろうか?

「それではさっそく痕跡を……」

「待て、もうひとつ頼みたいことがある。軍の資料らしきものを探せ。情報がほしい」

「承知しました。ご期待に添えるよう尽力いたします」

「急げ、人目に付く前に片付けろ。人手が必要であればスルシャナに連絡しろ。『最優先事項』だ伝えればわかるだろう」

「はっ、ただちにかかります」

 一礼して踵を返すと、フウカはスライムの召喚をはじめた。

 これでエリックが暴れた証拠は残らない。

 先遣隊は闇に葬れたが、帝国がどう動くかは不明だ。これを口実に開戦するかもしれないし、原因追及に時間を割くかもしれない。

 メフィの影たちを監視につけたかったが、あれには帝国の内情を探るよう密偵を出させている。無駄に力をつかわせるのは避けたい。今後、どのような事態になるかわからないので、いざという時の戦力として温存しておくべきだ。

 そう判断したエリックは、精霊を召喚した。草原の精霊グラスランナーと風の妖精シルフだ。どちらも逃げ足に特化した精霊だ。地の利も得ているし、しくじる可能性は少ない。

 とりあえずの対策をすませると、今度は眠らせた偵察隊のことに考えを巡らせた。

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