第6話


 主から許可をもらったスルシャナは、玉座の間を去ると、その足でサロンへ向かった。

 眷属には巡回強化の命令を出しているので問題はない。サロンでエリックのことを聞いてから、執務室に籠もるつもりだ。

 サロンでは、すでに茶会が始まっていた。

 先客が優雅にティーカップを傾けている。

 抜け目のない悪魔。それが〈影斬士〉――メフィ・ザ・マジシャンに対するスルシャナの印象だった。

 仕立屋(テイラー)ごときに頭を下げるのは癪だが、忠誠を捧げる主の情報を得るためならば仕方がない。

 憤る激情の炎を鎮めると、スルシャナは椅子に腰かけた。

 遅れてライカ・フウカの同体姉妹があらわれ、スゥが続いた。

 端から見れば女子会のようなあつまりだが、女子たちの顔に笑みはない。誰もが真剣な眼差しをメフィに送っている。

 最初に口を開いたのは、スルシャナだった。

「それで〈影斬士〉。あなたの印象はどうだった?」

「非常に優秀な方だと。忠誠を捧げるにふさわしい御方です。むしろあの方を除いて、仕えるべき方はいないでしょう」

「焦らさないでくれる。エリック様はどれほど優秀なのか? 私たちが聞きたいのはそれだけ」

 二口女の姉妹――姉のライカがテーブルを叩きかねない勢いで、身を乗り出す。

 キョンシーゆえか、スゥはじっと太股に手を置いたままだ。

「気を悪くしたのなら謝ります。すみません。ですが、私ごときでは底の知れない御方なのは間違いありません」

 スルシャナは抗議するように、音を立てて紅茶を啜った。

「なぜこんな結論に至ったのか、それを知りたいのですね」

〈影斬士〉は、自身の経験したことを過不足なく同僚に伝えた。

「外敵が取るに足らぬ弱兵だと知ってなお、力を誇示することなく、事を進めようとなされる御方。あくまでも歴史の影に徹しようとしている理由はわかりませんが、なにか考えがあってのことだと思います」

「貴女をしても理解できない……と」

「ええ、稀少であること以外にこれといった意味のない種族――天狼族を保護したり、弱国に手を貸すような行動に出たり、わけがわかりません」

「なんらかの布石では?」

「おそらくは。ですが深謀遠慮どころの話ではありません。国家的な戦略を上回る、世界規模の戦略です。まさに稀代の策謀家」

「ベルーガ軍国に力を貸すとなればリンガイア帝国と一戦交える可能性が出てくるわね。だったら警備と平行して出兵の準備も進めないと」

 悪魔と今後の相談をしていると、唐突にスゥが口を開いた。

「…………本当にそうなるの?」

「どういう意味?」

「…………エリック様は兵のことなんて言ってない」

 そうなのだ。ウンエイ、カイハツ、それらの頂点に君臨する偉大なる御方が、その可能性に触れていないことにスルシャナは疑問を抱いていた。

「では、どのようにして帝国を退けると? たしかに兵士一人ひとりの強さに脅威は感じられないけれど、軍勢を率いてくるとなると話はちがうわ。エリック様は魔法職、魔力の枯渇は必至。私たちが加勢しても難しいでしょうね」

「…………小官にも不明。エリック様のあの落ち着きぶり、策があるはず」

「どのような?」

「…………そこまではわからない」

 女性陣はあれこれ持論を展開するが、エリックの真意は解明されることはなく、ただただ無駄に時間を過ごすだけ。

 そうこうしている間に、スルシャナの眷属が姿を見せる。緑のローブを着た女性――妖魔グラシュティグ。不健康な灰色の肌をした眷属が、恭しく頭を垂れる。

「スルシャナ様、準備が整いましてございます」

「すぐに行くから、貴女たちは先に待ってなさい」

「畏まりました」

 主からの新たな命令を受けると、眷属は静かに去っていった。

「そういうわけだから、失礼するわね」

 茶会の席から外れ、単身、執務室へ向かう。

 道すがらスルシャナは考える。

 あの悪魔をして、底が知れぬと評される主。一体どれほどの知謀をその身に宿しているのか……。ウンエイとカイハツの頂点に君臨する、神をも越えた存在。三煌にさえ及ばぬスルシャナが、その力の全容を知ろうとすること自体が愚かな行為だ。

 しかし、だからこそ主のことを知りたい。

――身命を賭して尽くすに値するのか――

「しかし、エリック様を前にしたときにだけ感じる、不思議な感覚はなんなのでしょう?」

 そっと胸に手をあてがう。

 主のことを考える度に、胸の鼓動が高鳴り、感情の炎が胸中で渦巻く。

 不快ではない。むしろ快楽とも呼べる感覚は親しみさえ覚える。

「……仕えるべき主である証拠なのかしら。でも厄介な感情ね。エリック様のお姿を見ていると、そわそわしてしまうわ。それにしても――」

〈影斬士〉が、主のことを語っていたときの様子を思い返す。

――あれじゃあ小娘ね。エリック様のことを話す度に夢見る乙女のような顔をして、まったくもって悪魔らしくない――

「もしかして、――」

 脳裏をよぎった、ある可能性。スルシャナは頭を振って、その可能性を打ち消す。

「ありえないわ。仕えるべき主に恋慕するなんて。ああ、こんな馬鹿げたことを考えるなんて、今日の私、どうかしてるわ」

 スルシャナは馬鹿げた妄想を振り払うように、歩幅を広げて早足で進んだ。


       @


 ベルーガ軍国。

 総人口千万ほどの小国だ。

 国土自体は狭くはないものの、人が住むに適した平地が少ない。にもかかわらず、いままで帝国の侵攻を凌げたのは、豊富な鉱山資源があったからこそだ。

 しかし、恒例行事のように侵攻が続くと、人口差による国力のちがいが如実にあらわれてきた。

 働き盛りの若者が戦争に駆り出されるのだ。国の生産性は落ち、比例して税収も下がる。国民の間にも厭戦ムードが漂いはじめ、治安の悪化が目立つようになってきている。

 端的に表現するならば、斜陽。

 ベルーガ軍国は傾きつつあり、その行き着く先は滅亡。

 そんな昏い先行きがうかがえる国になりつつある。

 女王イリステアは、危機感を抱きつつも国の立て直しに尽力しているが、如何せん貴族政治が足枷となり難航している。

 希望の兆しともいえる悪魔アモルファスが健在な限り、軍国の滅亡は確定ではない。

 しかし、その悪魔をついこの間、失いかけたばかりだ。

 ベルーガ滅亡は、未来の話ではなくなってきている。

「そこで我々の介入だ」

 エリックは小枝を折った。

 連れてきた部下――メフィとライカ・フウカが地面に描かれた勢力図から顔を上げる。

「どのようにして我々を売り込むのですか?」

 疑問を口にする女悪魔とちがい、二口女の同体姉妹は腰にさした刀の柄に手を乗せ、次なる指示を待っている。

 単純な戦闘職と攻撃方法を組み立てなければならない魔法職とのちがいだろうか?

 これを個性と受け取り、エリックは深く詮索しなかった。正直なところ、それどころではなく、どのようにして帝国を退けるかで頭が一杯だ。

 ともあれ、まずは情報をあつめなければならない。

 相手が同じ人間であるならば、つけいる隙があるはず。完璧な存在などない。必ずどこかにミスは潜んでいる。

 バグを出さないプログラマーはいない、が持論の一馬ならではの考え方だ。くぐり抜けてきた数多のデスマーチは伊達ではない。多少のことではへこたれない社畜精神がある。

 しかし油断は禁物。納期間近での仕様変更は死に直結する。だからこそ、可能な限り情報をあつめなければならない。いざという時の逃げ道をつくっておくために。

「しかし意外だな。弱国とは聞いていたが、首都はなかなか立派じゃないか」

 エリックは遠くに広がる城壁都市を眺める。

――上手くいけばまた恩を売れるぞ。褒美に三煌を復活させる食料をねだってもバチはあたらないだろう――

 前向きに考えつつ、王都へ向かう。

 城壁都市アルヘナ、王都だけあって巨大だ。高く堅牢な石壁がそびえ立ち、その端は見えないほど遠い。これで小国なのだから、リンガイア帝国の帝都となると想像もつかない。

 道なりに進み、門前で行われている検問所へ立ち寄る。

 幸いなことに、女王の恩人としてエリックの情報は一兵卒まで行き渡っている。城門で通行証の提示を求められたが、名前を出すだけですんなりと城壁都市に入れた。

 それだけではない。なんと送迎用の馬車まで用意されていたのだ。

 この待遇にはエリックも大喜びだ。心の中で小躍りする。

――幸運の風は俺に向かって吹いている――

 そう思えるほどの厚遇っぷり。二口女の姉妹も、「おお」と感嘆を隠しきれないようだ。

 しかし一人だけ、怪訝な表情をする者がいた。

〈影斬士〉――メフィだ。

 事がうまく進みすぎだと言わんばかりに、眉間に皺を寄せている。

「メフィ・ザ・マジシャン。せっかくの美貌が台無しだぞ」

「これは失礼を」

 と、すぐさま笑みを浮かべる。

 男装こそしているものの、これだけの美人だ、町行く男どもの視線は釘付けだろう。

 馬車での移動になったせいで、そのへんの検証ができないのは残念だったものの、誇れる部下を粗野な男たちの視線に晒さずにすんだことにエリックは安心した。

 馬車に揺られること小一時間。

 馬車から降りると、そこには別世界が広がっていた。

 緑豊かな広大な敷地に、白亜の宮殿がそびえ立っている。そこへと伸びる通路の両脇には透き通るような透明な水が満たされており、きゃらきゃらと澄んだ音色を奏でている。自然の恵みである湧水を引いているのだ。贅を尽くした、女王にふさわしい住まい。

 サウザントノアも負けてはいないが、圧勝とまではいかない。

 ライバル意識を燃やしているのか、部下二人は露骨に不機嫌な顔をしているが、エリックには心の余裕があった。そもそも宮殿などには興味はなく、現在進行形でホームシックにかかっている状態。そう、彼は慎ましくも機能的なワンルームアパートが恋しくてたまらないのだ。

 部下との温度差を感じることなく、宮殿を見つめる。

 そこへ、あの老悪魔がやってきた。

 身体を二つに折って丁寧なお辞儀をする。

「エリック様と、お連れのメフィ様ですね。……そちらの方は? 辺境伯の居城では見かけませんでしたが」

「同じく連れの――」

 同体姉妹をちらりと見やる。

 長い髪を折りたたんだような髪型で、右目を前髪で隠している。いま身体をコントロールしているのは妹のフウカだ。

「――フウカと言います。もうひとり姉のライカがいますが、事情がありまして」

「さようでございますか、ではライカ様には遣いの者を――」

「それにはおよびません。いまいる三名だけで、女王陛下に謁見の許可をいただきたく」

「畏まりました。ではこちらへ」

 案内されたのは、広く豪華な謁見の間。

 女王の座る椅子は豪華で、そこだけ床が三段ほど高くなっている。

「エリック殿、よくぞ我が城へ」

 イリステアは為政者によくある威厳を振りかざすことなく、両手を広げて歓迎してくれた。

「女王陛下、過大な歓迎、身に余る光栄です」

 エリックが片膝をつく、部下の二人もそれに続いた。

「膝をつくとは水くさい。エリック殿は命の恩人だ。そちらのメフィ殿も、お連れの方も」

 女王自ら手を差し伸べて、立つように促す。

 身分にかかわらず接する公平性。自ら手を差し伸べる積極性。温和な人格。器の大きさがわかる。

「恐縮です」

「恐縮です」

「恐縮にございます」

 主に倣い、部下たちも社交辞令を述べる。

 それからイリステアはメイドを呼びつけ、先の礼も兼ねて金品を下賜した。

「ほんの気持ちだ。少ないが受け取ってくれ」

 そう言うが、メイドから手渡されたのは呪符に包まれた金塊。

 重くないのは、呪符の影響か?

 ともあれ、エリックはイデアでの金品のやり取りの仕方を覚えた。すこしづつではあるが、この世界に馴染みつつある。

「心遣い、ありがとうございます」

「わざわざ来てくれたのはうれしいが、ここもいずれ帝国が攻めてくる。面倒事が降りかからぬうちに、旅立たれるが良い」

 微かだがイリステアの表情に哀しみが滲んだ。

「戦況は悪いのですか?」

「ああ、すでに幾つもの城が抜かれた。これ以上の侵攻を許してはベルーガに未来はない。近々、決戦を挑むつもりだ」

「では、王都も戦火に見舞われると?」

「そうなる公算は高い。余は命の恩人をそのような争いに巻き込みたくないのだ」

 国家の機密をこう簡単に口にするとは……。一国の女王にあってはならぬ失言だ。

 呆れ半分、驚き半分。しかし、エリックを信用していることに間違いない。これ以上の信頼の証はないだろう。そう思うと、エリックは胸が締め付けられるような気持ちになった。

 二十歳にもなっていない女王。国と運命をともにするには若すぎる。

「私ごときでよろしければ、手助けさせていただきたいのですが」

 思いもしない申し出だったらしい。イリステアは大きく目を見開いている。老悪魔はというと、訝しむように眼を細めている。

――警戒されているのか?――

「さようでございますな。恩人殿はかなりの魔法の遣い手。喉から手が出る逸材であることに間違いありません。ですが貴族たちが黙っているとは思えません」

――なるほど、それを危惧していたのか――

 老悪魔は続ける。

「素性も知れぬ仮面の御仁となれば、なおさら反感を買うでしょう。どこの馬の骨が女王をたぶらかしたのか、と」

 悪魔だけあって鋭い。筋は通っているし、エリックが貴族の立場だったらきっと同じ事を考えるだろう。

「でしたら問題はないかと。私をアモルファス老の弟子ということにすればいいのでは」

「なるほど、仮面の御仁は魔法だけではなく頭も切れますな」

「であれば、どれほどの力量か推し量らねばなりませぬな」

 老悪魔は、再度、眼を細めた。

「アモルファス!」

 イリステアの声に、老悪魔は「これは失礼。少々過ぎました」と身体を折った。

――俺としたことが見誤っていた。この悪魔、最初から俺のことを疑っていたらしい。とはいえ、本当のことを喋るつもりはないけどな――

 サウザントノア、ミストニアのことを洩らすことだけは絶対に避けねば。しかし、もしこの老悪魔が精神操作系の魔法がつかえるとしたら話は別だ。

「いちおう隠者なので、魔法は習得しています。錬金術も嗜む程度には」

「軍略は?」

「歴史書を少々」

 まったく自信が無いわけではない。学生の頃、歴史SLGに嵌まっていた。廃人クラスとまではいかないが、上級者並の自信はある。しかし、それが実戦で通用するかいうと疑問だ。

「陛下の御前でここまで言うのですから、才能はおありなのでしょう。それに、敵ならば私が石になっている間にどうとでもできたはず。登用してもよろしいのでは?」

 老悪魔が主人を見やる。

 イリステアは、ほっとなで下ろす。

 辺境での一件で、どうやらエリックの評価はうなぎ登りらしい。ベルーガ軍国の置かれている状況もあって、エリックは即採用。さすがに貴族や騎士といった要職にはつけなかったが、宮廷魔導士として、すんなり採用された。

 ちなみにメフィも宮廷魔導士で、剣士職であるライカ・フウカはその護衛に落ち着いた。

 うまく行き過ぎな感はあるが、その疑問はすぐに払拭される。

 登用されたその足で、エリックたちはすぐさま軍議に参加させられた。

――てっきり要職にある貴族や将軍たちに、邪険にされる洗礼を受けるものだと思っていたんだけどな――

 案内され会議室へ通される。

「リンガイア帝国との兵力差は五倍。リンガイアが5:我らが1。それに侮れない存在」

「魔獣騎兵ですな。あれをどうにかせねば勝ち目はありませんな」

「乗り手に脅威を感じませんが、魔獣が厄介ですな。畏怖の咆哮をつかわれた日には、こちらの軍馬が恐慌状態に陥りますからな」

「バジリスクの馬のほうが厄介では? あれは騎馬であろうと、重歩兵であろうと見境無しに石にされますぞ。そうなってしまえば案山子も同然」

「さよう。グリフォン槍騎士などただ空を飛ぶだけ。可愛いもの」

「領土割譲でなんとかならんのか? 辺境伯から接収した領地もある。不満は出るだろうが、そちらへ貴族を送れば問題なかろう」

 老若の貴族や武官があれこれ話し合っている。これといって明確な案に触れず、情報交換だけ。軍議というよりも井戸端会議に近い。

 国王のお膝元だけはある、入ってくる情報は多い。

 しかし考え物だ。国を護るべき者たちがこの有様では先行きは暗いだろう。厭戦ムードが漂っている。これでは前線の兵士の士気も期待できそうにない。

 辺境では四対一と聞いていたが、実情はちがうらしい。

――しかし気になるな。ここでも石化の話を耳にするなんて……。もしかして三煌やミストニアの民を石に変えたのは帝国の仕業なのか? いや、この世界では石化という戦法が確立されているだけかもしれない――

 石化の件は保留にして、現状に意識を傾ける。

――この国を頼れる同盟国にするのは骨だぞ。付くべき相手を誤ったか?――

 そう考えたエリックだが、貴族たちの愚痴に、自身の考えが正解だったことを知る。

「帝国の暴虐はどの国もが知る事実。他国に援軍を求めるのも手だ」

「帝国には彩色の賢者がいるのだぞ。あれに戦いを挑む、気骨ある王がいるだろうか」

「そうだな。彩色の賢者――紅の魔女さえいなければ、手の打ちようはあっただろうに」

「そうじゃのう。あの魔女さえ亡き者にすれば、魔獣騎兵も……可能性の話じゃがな」

 話の流れから察するに、問題の魔獣騎兵は紅の魔女が用意したものらしい。だとしたら、サウザントノアに攻撃を仕掛けてきたのは紅の魔女もしくは帝国になる。もしかすると、紅の魔女が真の黒幕かも知れない。だとすれば、その魔女をどうにかすれば解決する話だ。

『エリック様よろしいですか?』

 メフィが念話を飛ばしてきた。

 聡明な部下だ。主と同じ結論に至ったのだろう。

『続けろ』 

『はっ、我々を攻撃してきたのは紅の魔女かもしれません。ですが解せません』

『なにが解せないのだ」

『辺境のクズは隻翼の男からアイテムを購入したと言っていました。そして、ここでは石化能力を持つ魔獣は紅の魔女が用意したような口ぶりです。隻翼の男、紅の魔女、果たしてどちらが我々の敵なのでしょうか?』

 エリックは、自分よりも優秀な部下に恥ずかしくなった。

 優秀すぎる部下というのも考えものだな。危うくボロを出すところだった。今後はべらべら喋らないようにしよう。

『黒幕がいると?』

『その可能性は高いと思われます。ですが帝国が絡んでいることは明白』

『ならば、なおさら打ち破らねばならないな』

『……危険では? サウザントノアから援軍を呼ぶべきかと』

『援軍は呼ぶな』

『なぜです!?』

『大所帯になると、敵に発見される恐れがある。ミストニアの存在を知られるのはマズい。まずは紅の魔女の居場所を特定し、動くのはそれからにしよう』

『御意』

 聞き分けのいい部下でよかった。

 紅の魔女をどうやって探すかを思案していると、イリステアがやってきた。

「皆の者に紹介しよう。縁あって、余に仕えることになった宮廷魔導士のエリック殿だ」

 女王の紹介だというのに、貴族や将軍の反応は薄い。

 呆けた顔を一瞬向けるだけで、誰もエリックに挨拶しようとしない。

 そんな状況に違和感を抱いていると、今度は壮年の男が部屋に入ってきた。

 華美な衣装を身に纏っていて、この場に詰めた貴族たちとは一線を画している。それに漂わせている雰囲気も、女王のそれを凌駕している。まさの王の貫禄。

 それに女王の前だというのに、畏まるどころか薄笑いすら浮かべている。

 喰えない男だ。

「陛下、この者は?」

「おお、フランクリン卿。珍しいな卿が軍議に顔を出すとは。まあ良い。紹介しよう、新しく宮廷魔導士になったエリック殿とメフィ殿だ」

「エリック・フォン・フレデリック・リヒターと申します。以後、お見知りおきを」

「エリック殿。…………ああ、これが噂の陛下の恩人ですか」

 フランクリンと呼ばれた男は、女王の前だというのに露骨に不満をあらわした。これが王に対する態度なのだろうか。不遜と受け取られかねない傲慢なやりとり。これではどちらが支配者かわからない。

 メフィとライカ・フウカ姉妹にしばし厭らしい目を向けていたものの、話しかけてくることはなく。それどころか無視に近い扱いだ。

 所詮は雑兵と変わらぬ魔導士と剣士、とでも思っているのだろうか? それとも貴族からすれば、取るに足らぬ存在と見下しているのか。真意はわからないが、つまらぬ輩、と思っているのが丸わかりだ。

 目立たないほうが良い。自重しなければならないのだが、さすがにこの扱いはカチンとくる。エリックは、この高慢な貴族を消し去りたい衝動に駆られたが、我慢した。

 いま目立つことに、なんのメリットもない。もし騒動を起こせば、今後の活動に支障をきたすだけ。

 エリックは、負の感情を表に出さぬよう、薄い笑みを顔に張りつける。

「さようでございますか。それよりも、喜ばしい報告が」

「喜ばしい? リンガイアが使者を送ってきたのか?」

「いえ、そうではなく、周辺国に打診していた援軍要請の件です。カムラン連邦の評議会から了承を取り付けました」

「それは誠か!」

「これがその書面です」

「どれ、ふむふむ」

 フランクリンから書簡を受け取ると、イリステアは食い入るようにそれを読む。待望の援軍だというのに彼女の表情は冴えない。それどころかみるみる曇っていく。

「没収した辺境伯の領地を割譲せよと!?」

「悪い条件ではないでしょう。そもそもあそこは亜人の跋扈する蛮族の地。手放しても損はないかと」

 もっともらしい口ぶりだが、そのような僻地なら誰も見向きしないはず。

――辺境伯といい、この男といい、一体なにを企んでいる? 陰謀の匂いがプンプンしやがる。裏がありそうだな――

『メフィ、のちほどジョドーに連絡を入れろ。天狼族を含め、辺境の動きに注意しろと』

『御意』

 優秀な部下のことだ。これで意味は通じるだろう。

 それから、さして進展のない軍議が進んだ。リンガイア帝国の侵攻軍に対しては、いままで同様静観という結論に至った。

 ちなみにエリック一行は、敵情を監視する先遣隊に組み込まれた。本格的な侵攻はもう少し先と読んだ、イリステアの配慮だ。

 こうしてエリック一行は、最前線に向かう羽目になった。

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