第5話


 辺境伯の居城の一室、イリステアは落胆していた。

「辺境伯は既に亡くなっていただと?」


 師であり、数少ない理解者である辺境伯の死は、イリステアにとってショックだった。

 それと同時に、辺境伯という知恵者を失った痛手は計り知れない。女王としての地盤が固まりきっていない現状、ひとりでも味方がほしいところ。


 イリステアを出迎えた鼻持ちならない小太りの男が言う。

「さよう。であるから嫡子であるこのバリー・キャルバルが、爵位を引き継いだ。正当な嫡子だ、教会のお墨付きもある」

「そうであったとしても、爵位を継いだ報告を余は聞いていないぞ」

「まだ報告しておりません。父が亡くなったのはついこの間です」

「この間とは、いつだ?」

「一月ほど前でしょうか? はっきりとは覚えておりません。なんせ気が動転していたもので」


 イリステアは違和感を覚えた。

 辺境伯を名乗る男は、実父を亡くしたばかりだというのに、故人を偲ぶ様子がまったくない。それどころか薄笑いまで浮かべている。

 イリステアの心に疑惑が芽吹く。


――女王として問いただすべきか――


 躊躇いがあった。故人である辺境伯への遠慮もあって、問いただすことができない。

 そんな主に代わって、部下の悪魔が口を開く。

「あなたが殺したのですね」


「ご自慢の遣い魔か。ふん、仮にそうだとして証拠は? 俺が父を殺したという証拠はどこにある」

「ございません」

「言いがかりも甚だしいな。一国の王たるお方が悪魔を重用するとは、よほど人材にお困りとみえる。いや、陛下の場合は人望か……嘆かわしいことですな」

「バリー殿、口が過ぎますぞ」

「あらぬ疑いをかけておいて、口が過ぎるのはどちらでしょうな」

「よろしいのですかな? 爵位継承の手続きはまだ済んでおりませんぞ。陛下の心象を悪くして、爵位が継げぬという可能性もありますが」

 仕返しとばかりに悪魔――アモルファス老は言う。

 しかし、バリーはどこ吹く風。爵位継承が水の泡になろうかというのに、顔色ひとつ変えない。


 さすがにイリステアもおかしいと気づいた。

「余を亡き者にするつもりだな。しかしアモルファスがいる以上、簡単にはゆくまい」

 アモルファスは優秀な悪魔で、失われた伝説の魔法を含み全一二位階とされる魔法のうち、六位階まで行使可能だ。これは名だたる大魔導士に匹敵する。

「配下の悪魔についてはしらべております。その上で申し上げているのですよ、陛下」


 バリーは懐に手を入れると、おもむろに水晶をとりだした。

「いかな悪魔といえども、これには勝てますまい」

「なんだそれは?」

 水晶から強い魔力を感じる。どんな力があるのだろう? イリステアは警戒の色が顔に出ないよう注意した。そばに控える悪魔に意見を求めようと視線を送る。老悪魔の額に汗が浮いていた。


「陛下、あの水晶から得体の知れぬ力を感じますぞ」

「わかっている。しかしあのアイテムなんだ。見たことがないぞ」

「さすがの陛下も知りませんか。ならお教えいたしましょう。これは『静謐なる嘆き』という稀少なアイテムなのですよ。父の蓄えた富と、辺境での税をかきあつめてやっと手に入れた代物です。すべては陛下を亡き者にし、国政の中枢に返り咲くため」


「叛乱ではないか……」

「いえ、叛乱ではありません。国盗りございまです」

「気でも触れたかバリー・キャルバル」

「至って正気です。その証拠に」

 バリーは水晶を掲げた。


「待てっ、やめよっ!」

 女王が制止するよりも先に、水晶が輝きだす。

 目も眩む閃光が部屋に満ちる。

 数瞬のことだった。光が消えたかと思うと、悪魔の姿は石像に変わっていた。


「アモルファスッ!」

 主の問いかけに、石像になった悪魔はぴくりとも反応しない。

「さて、次は陛下の番ですな。少々手荒いに歓迎になりますが、命の保証はしますのでご容赦のほどを……やれっ!」

 合図とともに扉が開かれた。そこから兵士が雪崩れ込んでくる。


「くっ、このようなことをしてただでは済まされぬぞ。余を除こうものなら、国政の場に返り咲くどころか国賊として討たれるだけだ」

「軍国であればそうでしょう。いくら腐りきったとはいえ、貴族どもが指を咥えて黙っていませんからな。しかし、隣国――リンガイア帝国ならば、どうでしょうな?」

「余を売るつもりか!」

「ご名答」


「貴様、家名を穢すつもりか! 裏切り者の烙印を押されてまで富と権力がほしいのか!」

「はい、金で名誉は買えますが、名誉は金に換えられません。これも時の流れ、潔く武器を捨てられよ」

「見くびるなッ、余にも誇りがある。たとえこの命尽きようとも、裏切り者に屈するものか」


 イリステアは一気に剣を引き抜いた。銀光が閃く。彼女を取り囲む刃の壁の輝きに比べれば、ささやかなものだ。それでも王の威厳を示すべく、切っ先でバリー・キャルバルを指した。


「者ども生け捕りにしろ」

「「「おおーーっ」」」


 ジリジリと包囲の輪を縮めていく兵士たち。外では異変に気づいた女王の近衛が、バリーの兵と剣を交えている。


 たとえこの場を切り抜けても、王都へ帰還するのは不可能だろう。仮に、帰還できたとしても、右腕ともいえる悪魔を失っては玉座を守ることは難しい。

 目先の欲に目がくらんだ貴族たちが、すべての責任をイリステアにかぶせるだろう。遅かれ速かれ傀儡の王を立てるに決まっている。


――私のしてきたことはなんだったのだ――


 亡き父と兄のためにも、リンガイアを倒すと心に誓って生きてきた。それがいま水の泡になろうとしている。

 イリステアは、生きる希望を失いかけた。

 そのとき、この場にそぐわぬ声が響き渡った。


「ふふふっ、はははっ、あーはっは」

 どこに隠れていたのか、薄汚れたローブに身を包んだ、怪しげな仮面の男がいた。

「貴様、何者だ!」

 バリーが狼狽する。


――新手ではないのか。だとすると一体何者なのだ?――


「これは失礼。あまりにもおかしくて、つい笑ってしまった」

「なにがおかしい!」

「なにが? わかりませんかな。天狼族を襲うようなチンケな輩が、一国の王を手にかけようとしているのですから、これを滑稽と言わずなんと言えましょう」

「さては王女派の差し金だな。こうなることを見越して、貴様のような得体の知れぬ冒険者を送り込んできたのだろう」

「初対面の相手に貴様はないだろう。いくらなんでも失礼だぞ」

「では、なぜ仮面を被っている。素性を明かせぬ理由があるのであろう」

「鬱陶しいやつだ」

 仮面の男は、心底鬱陶しそうにローブの裾を払った。たったそれだけの動作で、周囲を取り囲んでいた兵士が吹き飛ぶ。

「貴様なにをした!」


――バリー・キャルバルは気づいていないのだろうか? 膨大な魔力が吹き乱れたことを――


 一瞬で兵士たちを蹴散らした男の魔法も凄まじいが、真に驚くべきは、その術理。

 無詠唱の魔法。失われたと言われる、魔導の奥義だ。

 それを突如あらわれた仮面の男は、いとも簡単に行った。


「こちらの手の内は見せた。それを踏まえて交渉だ。天狼族への手出しを今後一切やめていただきたい」

「貴様、俺が誰か知っての発言か!」

「知っているから、交渉を持ちかけている。答えは?」

「こんな怪しい男に命令される筋合いはない。者ども斬り捨てろ!」


 怒号混じりにの声で命令するが、兵士たちは動かない。目に見えぬ攻撃で仲間が吹き飛ばされたのだ、戦意を喪失して当然だろう。それに兵士といえども、まともな訓練を受けていない予備役同然の掛け持ち兵だ。手間賃ほどの給金で強敵に立ち向かう馬鹿はいない。


「金貨百枚だ。あの男を殺した者にくれてやる」

 兵士たちの目つきが変わった。獲物を見つけた肉食獣のように犬歯を剥いて、仮面の男ににじり寄る。

 いかな高位の魔導士といえども、このような逃げ場のない密室で距離を詰められてはどうにもならない。


――敵か味方かわからぬ男だが、ここは加勢するしかない――


 イリステアは敵意がないことを示すべく、男を守るように前に出た。

「これはありがたい。一国の女王に庇われるとは思ってもいなかった。では女王陛下の恩に報いるべく、逆賊どもを懲らしめてやりましょう。〈魔風〉」

 今度は無詠唱ではなく、呪文を唱えた。普通の魔法行使だ。それもイリステアの知らない魔法だ。


 部屋に詰めていた兵士たちがバタバタと倒れていく。誰も死んではいないが、げっそりと痩せこけている。

 生命力を奪ったようなダメージ。おそらく暗黒系の魔法だろう。

 男の意図が読めない。

 無詠唱で魔法を行使したかと思えば、今度は普通に魔法を行使する。

 しかも、すさまじい威力の魔法を、だ。


「五月蠅い犬どもも静かになったことだし、これで交渉に本腰を入れられる。改めて問おう。辺境伯よ、天狼族には手を出すな」

「く、ぬぅ……」

「返答は!」

 仮面の男が一歩踏み出す。同時にバリーは一歩下がった。


「さあ返答はッ!」

「……くそう…………くそっ、くそっ、くそうっ!」

 バリーは、またしても懐に手を入れた。

 刹那、バリーの足の甲から黒い槍が天に向かって伸びる。

「ぎやぁぁぁーーーー」

 耳を聾するほどの絶叫。小太りの身体からは想像もつかない大声に、イリステアは思わず耳を塞いだ。


 男が腕を横に振ると、黒い槍は霞のように掻き消えた。

 そのとき、「メフィ」と囁くのが聞こえたが、あれは魔法詠唱の一部だろうか?

 未知の魔法に触れる機会を棒に振ってしまった。イリステアは耳を塞いだことを後悔した。


「石化の一部始終を見ていた。おかしな真似はするな、次は首が飛ぶぞ」

「ぐうぅぅぅ、ぎいぃぃ……」

「己の置かれた立場を理解してくれたところで、三度目の質問だ。返答は?」

「……ぐぎ、いぃぃぃ…………」

「返事はなしか、では承諾と受け取っても良いのだな」

「…………」

「異論はないよだな。では、女王陛下との交渉といこうか」


 バリーは目を剥いたが、仮面の男がまたローブの裾を払おうとすると、とたんに身を縮めた。

 ビクビクと震えるバリーよりも、私のほうが驚きだ。

 まさか突然あらわれた、名も知らぬ男に助けてもらうだけでなく、臣下のように発言を進められるとは……。


「どうぞ女王陛下」

「……う、うむ。バリー・キャルバル、封領周辺の貴族より陳情書が届いている。行いを悔い改めるならば良し、そうでなければそれ相応の罰を受けてもらう。それと、こちらの仮面の御仁が言うように、天狼族への迫害、交戦は一切行ってはならぬ。よいな」

 バリーは血走った目をイリステアに向けたが、男が空咳をすると即座に俯いた。

「…………か、かしこまりました」

 悔しさと恐れの入り交じった、絞り出すような声。


――この男も運がないな。じいを石に変えたまではよかったのに――


 イリステアは、敵ながらバリーを不憫に思った。あの仮面の御仁は強すぎる。もし立場が逆であれば、彼女がそうなっていたであろう。

 へなへなと床に座り込むバリーに、仮面の男は続ける。


「最後に、もうひとつ質問がある。あの老悪魔を戻す方法を教えてはくれないか。いや、この場合は身体に聞いたほうが効率は良さそうだな。それともいっそのこと殺してから魂に聞くか。どちらにせよ、しゃべるまで平穏は訪れないがな」


――この御仁、善人なのか、悪人なのか、判断に困るな。まあ、嫌いなタイプではないが――


 どちらにせよイリステアの恩人であるのはたしかだ。それに、アモルファスの石化を解くのは彼女にとっても重要なこと。

 バリーは諦めたようで、男の質問にペラペラとしゃべった。


 石化の魔法が込められたアイテムを隻翼の男から購入したこと。それを解呪するのに石化された者の強さに応じた大地の実りを捧げなければならないこと。そして、帝国がベルーガへ侵攻をはじめようとしていることも。


 最後のひとつに、イリステアは眩暈を覚えた。

「大丈夫ですか、女王陛下」

 男が抱き留めてくれなければ、イリステアは倒れていただろう。それほどまでにショックの大きい悲報だ。

「アモルファスを復活させる方法がわかったのはよいが、帝国が攻めてくるとは……」

「陛下の立たされている状況はそれほど深刻なのですか?」


 出会ったばかりで、名も知らぬ男に言うべきことではないが、不思議と警戒心はなかった。

 イリステアは自身と国の置かれている状況を、包み隠さず男に話した。

 国力差が四倍以上もある帝国と切り捨てることのできぬ因縁を。


      @


 軍国の女王――イリステアと別れたエリックは、メフィを伴いサウザントノアに帰還した。

 寝室に戻って旅の疲れを癒やしたいところだが、メフィが玉座の間へ先導するので、仕方なく後に続く。


「メフィ・ザ・マジシャン。二、三日休暇を与える。旅の疲れを癒やせ」

 道すがら命令するも、忠義に厚い幹部は頑として首を縦に振らず、それどころか、

「労いの言葉をいただき恐悦至極にございます。ですが、我が安息はエリック様に仕えること。次のご命令を」

 と言い出す始末。

 これにはさすがのエリックも引いた。


――筋金入りの社畜じゃねーか!――


 怠け者ではないものの、それなりに休みがほしい現代人の赤城一馬にとって、信じられない発言だ。価値観の相違というレベルではなく、忠実なる女悪魔は現代人とまったくの逆ベクトルに生きている。

 エリックがなにも言わないでいると、メフィは間隙を突くように質問を投げかけてきた。

「ところで、下界の王についてですが」


「ああ、イリステア女王か。そうだな。案外まともな王らしいな。私利私欲に走り、国を傾けるタイプじゃないのは好印象だ。この世界の足がかりとして、ぜひとも友好関係を築きたい」

「傀儡にはなさらないのですか?」

「なぜそういう結論になる」

「おそらくではありますが、かの女王はまだ群臣を掌握していないと」


「根拠は?」

「辺境伯があのような暴挙に出たのが、その証拠。王たる覇気も威厳も感じませんでした。治世の統治者としてならば及第点ですが、隣国と険悪な関係ですと臣下も民も不安でしょう。女王との話題にのぼったリンガイア帝国のほうが同盟国としては意味があるように思えます。そもそも、弱国と友好関係を築く必要性を感じません」


 エリックの見落としていた点を、メフィはすらすら説明する。

 サウザントノアの幹部に使用しているAIは高性能のものだが、それはあくまでも戦闘用。それがこの世界に来てから急速に成長している。


――こいつ、俺より賢いんじゃないか?――


 ちょっとした嫉妬の炎がエリックの中で燻る。

 ほんの一拍にも満たない、微妙な間が空いた。

 メフィは、はっとなにかに気づいた動きをみせると、すぐさま身体を折った。


「私としたことが、とんでもない失礼を。エリック様のこと、私ごときが思いもつかぬ策を考えておられるのですね」

「なぜそう思う」

「私ごときの頭脳では、弱小国と友好関係を築くという発想はありませんでした。ですが、それこそが肝なのですね」


――え、なにこの展開。そこまで深く考えてないんですけど。っていうか、なんで熱のこもった視線を向けてくるの!――


「私にだけ、お教えくださりませんか?」

 メフィの尊敬の眼差しが、エリックの心に突き刺さる。眼力で期待のほどがわかるだけに、プレッシャーがすさまじい。


――パワハラよりも効くな。っていうか、新手のいじめか?――


「俺にも間違いはある。今回はメフィの――」

「そうやってはぐらかすのですね。私は騙されません」

 エリックは、部下の忠誠心を爆上げしたエロ作家を呪った。

 ノープランだと白状でもしようものなら、この優秀な部下に見限られるのでは、と不安でならない。


「そうか見抜いていたか。ここで教えても良いが、色々とまとめておきたいこともあるのでな。すべてが終わってから話そう。それまで少し待ってくれないか」

「わかりました。そのときを楽しみにしています」

 なんとか追求を切り抜けられた。部下の納得できるシナリオを考える時間を稼げた。


 そうこうしている間に、玉座の間が見えてきた。

 重厚な扉を軋ませて中に入ると、幹部の面々がいた。玉座へと続く赤絨毯の脇に控えている。

 あえて主へ顔を向けないあたり、躾のレベルの高さがうかがえる。


――うっわ、きっつ。なにこれ、まるでビジネスマナーのおさらいみたいじゃん。俺こういうの苦手なんだよな――


 エンジニア特有の性格というか、一馬は極端に無駄を嫌う。事実、『ミストニア』の開発主任だったころ、意味のない朝礼や親睦会をことごとく無くしていった。そんなリアリストな彼からすれば、わざわざサウザントノアに帰還しただけなのに、仰々しく出迎えられること自体が不快でしかない。

 とはいえ、いまの一馬はサウザントノアの主。王としての振る舞いを覚えなければならない。


 いっそのことサウザントノアを捨てて、異世界を満喫するか?

 そういう考えも頭によぎった。しかし、〈裏切り〉を編集し、絶対的な忠誠心を植えつけてしまった手前。無責任な行動に踏みきれない。


 沈黙を守る部下の前を進み、玉座に腰かける。

 それを合図にするかのように、幹部たちがエリックの前に一列に並ぶ。

 体育系じみた一糸乱れぬ動きに、エリックは軽いめまいを覚えた。


 そんなことを微塵も知らぬ幹部たちは、

「混沌皇帝陛下、万歳!」

 禁止にしたワードを唱和する。

「それはやめろと言ったはずだが?」

「これは失礼しました。つい習慣で」

 幹部を代表してスルシャナが頭を下げる。ほかの幹部もそれに続いた。


「良い。今後は注意するように」

「「「はっ」」」

 まるで事前に練習したかのように、幹部たちの声が重なる。

「各々に命じた仕事の進捗状況だが、どうなっている?」

 スルシャナが一歩前に出る。

「サウザントノアの備蓄確認の件ですが、目録をつくりましたので叡覧ください」

 続いて、ガルシャープス、グスタフと結果報告をする。

 どれも非の打ち所のない仕事っぷりだ。優れた部下に恵まれるのは喜ぶべきことなのだろうが、エリックの心境は複雑だ。


――俺、こいつらうまくつかいこなせるかな――


 不安をよそに、報告は続く。

「勇者一行ですが、懐柔に成功しました」

 カボチャ頭――ジョドーが抑揚のない声で言う。

「たしか勇者の名はキャッサバと言ったな。で、それは洗脳という意味か、それとも買収という意味か」

「交渉で、でございます」

「手荒なことはしていないだろうな」

「そのようなことはまったく。ですが少々、精神への負担が強かったようです」


――……どんな交渉だよ――


「恐怖による支配はいかんぞ。あれはいずれ災いになる。禍根を残さぬように納得させるように」

「さようでございますか。では次からそういたしましょう」

 最悪の事態を想定した、当てずっぽうだったが、それが真実だと知りエリックの背に冷たいものが流れた。


――釘を刺しておかないと大量虐殺もやりかねん連中だな。ここはひとつ――


「いい機会だ。皆に通達しておこう。今後は力や恐怖による支配を禁じる」

 一部の幹部が訝しげな顔をした。

 やはりAIが自我を獲得している。命令には服従だが、思うところがあるのだろう。


――上司ならば、部下の愚痴くらいは聞いてやらないとな――


「異論があるようだな、聞こう」

「「「…………」」」

 口をつぐむ幹部たち。

「許すと言っているのだ。俺の命令に不服があるのであろう。顔を見ればわかる」

「……恐れながら申し上げます」

 一番手はスルシャナだった。


――〈編集〉で忠誠度を最初にいじったNPCが、まさか一番に反抗するとは――


「申してみよ」

「力や恐怖が必要な事態が起こったとしても、そのご命令は絶対なのですか」

「暫定的な命令だ。実力行使は俺の許可をとってからにしてほしい。しかし問題が無いとは断言できん。おまえたちの身に危険が迫った場合は無効とする」

「私たちのことをそこまで……。感動のあまり、スルシャナ、感謝の言葉が見当たりません」

「あと名前持ちの連中もだ」


 一瞬、スルシャナの双眸に、すさまじい感情の炎が灯った。ゆらゆらと髪を逆立たせている。執念というか、怨念というか、鬼気迫るものがある光景。

 エリックは数ミリばかり引いた。


「そ、そう怖い顔をするな。おまえたちだけが特別だと、ほかの者に嫌われてしまう。俺はサウザントノアの、ミストニアのみんなを幸せにしたい。ほかには?」

 今度はジョドーが一歩前に進み出て、

「エリック様の心の広さ、臣下として誇りに思うのですが、幾つか問題があります」

「問題? 気になるな、言ってみろ」

「お言葉に甘えて。世界には力や恐怖でしか従わぬ者もいますし、そういった解決方法が正解である場合もあります。もし、前者のような者たちと直面した場合はいかがいたしましょう」


「正論だな。しかし必ずしもそうだと言い切れないぞ。要は見極めが肝心なのだ。誤った選択をした場合、ペナルティが多すぎる。力や恐怖の行使については指示に従ってもらおう。必ず、俺の許可をとれ」

「かしこまりました」

 一礼し、一歩下がる。どうも納得している感じではない。


――念のため、もう一度釘を刺しておくか――


「心許せる幹部たちに足枷をするようで心苦しいが、今後のことを見据えての下準備だと考えてもらいたい」

「と、申されると、恒久的にではないのですね」

 ジョドーの声に、かすかだが喜悦の色が感じられた。


「うむ、まずこの世界についての情報をあつめるのが先決だからな。無闇矢鱈に敵をつくるのはよろしくない。敵を知り己を知れば百戦危うからず、ということわざもある。ここは慎重に事を進めるとしよう」

「なるほど、まずはこの世界の勢力情報をあつめよと仰るのですね」

「平たく言うとそうなる。三煌やミストニアの民を復活させるのにかなりのコストがかかるようなのでな。費用のかさむ、戦いは避けたい。そういう理由なので恐怖政治や圧政を敷きたくはない。トータル面で考えるとコストがかかる。後々に禍根を残さぬよう、融和政策を進める」

「でしたら、エリック様の呼び方も変えなければなりません。以前のように混沌皇帝――」

「ならん!」


「なぜでございますか?」

「幸いなことと言うべきか、一部例外はあるが、外界の連中はミストニアの存在を知らない。これは大きなアドバンテージだ。なんせ存在しない国なのだからな、秘密主義の一部の勢力を除いて攻められる心配はない。おまけに裏でやりたい放題だ。この利点は大きい。当面は未知の勢力であることに徹しよう」

「そのようなお考えがあったのですか。さすがはエリック様」

「理解してもらったところでおさらいだ。当面の目的は情報収集。最優先事項として三煌以下の復活。異論は?」

「ありません」

「ございません」

 忠誠心が高すぎるせいか、幹部たちは誰も異論を唱えない。


 せっかくの高性能AIが勿体ない。

 メフィでさえ、かなり頭の回転がはやいのだ。スルシャナあたりは超絶優秀なのだろう。


――俺の代わりに全部やってくれないかな? マクロみたいに、この世界の攻略に必要な単純作業を全部肩代わりしてくれないかなぁ――


 エンジニアらしい、効率重視の考えが脳裏をよぎる。

 しかし、同時に危険を感じていた。

 そう、優秀すぎるNPCだからこそ怖いのだ。本来の趣旨から外れ――レールから外れた行動をとって取り返しのつかない結果にならないかと。


 メフィがいい例だ。

 機械のように冷徹な本性。隙さえあれば、命を刈り取ろうとする。それが悪い結果を招きかねない不安要素に思えて仕方がない。


「言い忘れたが、しばらくの間、サウザントノアを離れることにする」

「それは本当ですか」

「サウザントノアはどうなされるのですか」

「今度のお供は誰に?」

 十人十色の意見が口にのぼる。幹部たちの驚きと同時に、個性が見れた。


「すこし外の世界でやることがあってな。情報収集とともに、仮の拠点をつくろうと思う」

「仮の拠点? サウザントノアやミストニアではなく……」

 スルシャナは気難しい顔をしている。


 ジョドーは、カボチャのかぶり物が邪魔で、なにを考えているのかわからない。ガルシャープスは黒子のような黒布で顔を隠しているので、表情が読めない。

 好感度が上がっているのか、メフィは笑みを浮かべて佇んでいる。

 それ以外の面々は話しについて来られないのか、ぼうっと立ち尽くしている。グスタフ、スゥ、ライカ・フウカ、どれも戦闘に特化したNPCばかりだ。


「ミストニアの外に拠点をつくる理由としては、サウザントノアへの侵入を防ぐという目的が大きいかと思われますが、そこまでする必要性はあるのでしょうか?」

「ある。幸いなことに、天狼族と軍国に恩を売れたからな。天狼族はあれだ、保護対象だ。軍国――イリステア女王からの招待を受けている」

「女王から招待?」

 スルシャナの声のトーンが下がった。気のせいか、眉間に皺があるような……。


――なんだ、一体なにがスルシャナの機嫌を損ねた? もしかして、メフィと同じようなことを考えているのか?――


「なかなか誠実な女王なようだ。国の地盤は固まっていないが、手助けをするつもりだ」

「その行為にどのような意味があるのですかッ」

 スルシャナの追求が厳しい。

「信頼できる同盟国がほしいと考えていたところだったのでな」

「ならば将来のことを見据え、遠方に同盟国を求めればよろしかったのでは?」

「近くだからこそ意味がある。あまり遠すぎると、いざという時に援軍を頼んでも意味を成さない。敵は遠くに味方は近くに、兵法の鉄則だぞ」

 揚げ足をとる形で、スルシャナの意見を突っぱねた。

 とたんに彼女の表情が曇った。申し訳なさそうに睫毛を伏せる。


「……浅はかな発言をお許しください」

「いや、将来的に見れば、スルシャナの意見が正しい、と思う。しかし、それは思惑通りに事が進めばの話。現状を鑑みるに不確定要素が多すぎて将来の展望が難しい。よって、安全策を採択したまで。それに三煌の石化を解くのに穀物が必要なのでな。早急に同盟国が必要になったわけだ」

「石化を解く方法を見つけになられたのですかッ!」

「さすがはエリック様」

 幹部たちの称賛が、くすぐったい。


 強気だったスルシャナが、急に萎縮した。しょんぼりと肩を落としている。

「わ、私は必要なのでしょうか?」

「どうした急に? 体調でも悪いのか?」

「いえ、ただ……知恵者として、それなりの自負はありました。ですが、此度の一件で自信をなくしてしました。ここは潔く、後人に道を譲ろうかと……」

 恐ろしいまでの責任感。

 言い出しっぺのエリックも、さすがに引いた。さすがに自刃しないだろうと思う反面、やりかねない性格にも思える。


 早急に事態を収拾せねば。

「き、気にするな。それよりも驚いたぞ。そこまでの決意を胸に諫言してくれるとはな。俺がいない間に成長してくれたようで、嬉しいぞ。それでこそ俺の片腕だ」


 片腕という言葉に嘘はない。

 混沌の隠者に次ぐ実力者――三煌が不在のいま、スルシャナとジョドーが頼みの綱だ。

 いつの日か訪れるであろう非常時に、と取っておいた褒め言葉を惜しみなくつかう。

 効果は覿面。スルシャナの陰っていた表情が、みるみる晴れてゆく。


「お褒めの言葉を賜り、光栄の至りにございます」

 目に見えて上機嫌になるスルシャナとは正反対に、ジョドーは陰鬱としたオーラを発している。


――これはアフターケアが必要だな……管理職って楽なイメージがあったけど、意外と難しいな。俺、この仕事あってないのか? いかん、弱気になっちゃ駄目だ。サウザントノアの主らしく振るわないと――


 もし、支配者の器にあらずと認識されたらどうなるか……考えるだけでも恐ろしい。


 ステータスはエリックのほうが上だが、戦闘経験が段違いだ。

 スルシャナたちは高度なAIを搭載している上に、『ミストニア』のベータプレイヤーから戦闘技術を学習している。戦闘における魔法やスキルの組み立ては、廃人プレイヤーとも互角に戦えるほどだ。

 ガチの戦闘になったら負けることは請け合い。気晴らしに『ミストニア』にログインしていたエリックとは年季がちがう。


「今後の方針をは伝えた。次は各々の役割を説明しよう」

 たった七人の幹部だが、いざ仕事を割り振るとなると、これがなかなか難しい。

 機嫌を良くしたスルシャナには、引き続きサウザントノアに残ってもらい、幻術による外部からの侵入阻害と警備を一任した。それとスルシャナ一人ではなにかと大変だろうと思い、混沌皇帝を撃破した特典に解放(アンロック)される、隠匿されし秘奥の間(ゲーム開発室)から、未実装のNPCを何体か召喚するように命じる。


 可愛い子には旅をさせろ、ということわざがある。せっかくの高性能NPCたちに、なにもさせないのは勿体ない。AIに経験を積ませるためにも外の世界に出さねば。

 ガルシャープスとグスタフにはネームドのNPCを副官に据えて、外界の調査。ジョドーには天狼族の監視および護衛を任せた。スゥには亜人たちの巣くう辺境に、新たな拠点の構築を命じた。残ったメフィとライカ・フウカは、軍国へ行くエリックの護衛。


 ちなみにエリックがしなければならないことは山ほどある。

 部下たちに丸投げしたいところだが、この世界での適性をまだ確認していない。そういったこともあって複雑な任務を割り振るのは避けている。その結果、負担が偏ったのだ。


「スルシャナ、忘れる前に伝えておく。召喚するシモベだが、氷の魔人、を含む数名は単独で召喚するな」

「なぜでございますか?」

「あれらは質が悪い。強さは折り紙付きだが、手に余る。俺が戻るまで召喚はするな」

「肝に銘じておきます」


 それから細部にいたるまで綿密な打ち合わせをした。最後に異論がないことを確認すると、エリックは玉座から重い腰をあげた。

 腰に違和感を覚える。


――やっべ、なんかビリッときたぁ。背筋を伸ばせないぞ! ギックリか、ぎっくり腰なのかッ!――


 部下の手前、醜態を晒すのが躊躇われる。とっさに錫杖を手元に召喚し、床を突いた。

 ジャリンと玉座の間に音が響く。

 幹部たちに緊張が走った。


「これをもって会議は終了とする。各自、二日の休息をとってから任にあたれ」

「いまからではないのですか?」

 異論を唱えることを仕事と捉えたのか、スルシャナが疑問を投げかけてくる。

「急ぐ必要はない。休養をしっかりととって、任務にあたれ」

「私が担当する警備も……ですか?」

「そうだ。帰還の際、ミストニア全土に攻性結界を展開しておいた。もし侵入する者がいれば手痛い歓迎を受けることになるだろう」

「さすがはエリック様、ですが万が一、結界をすり抜ける者がいたら?」


「さしたる問題はない。仮にミストニアに潜り込んだとしても、この天空城塞――サウザントノアにまでは侵入できないだろう。わざわざミストニアに侵入しておいて、すぐに引き上げるだろうか? おそらくしないだろう。調査に来ているのだから、何日かミストニアに留まるはず。であれば、スルシャナが自ら警備を担当せずとも問題はない。シモベに巡回を強化させれば事は足りる」

「御心に感謝します。ですが、ミストニアの警備は最重要事項。休息はいただきますが、執務室に詰めております。なにとぞ許可を」

「許可する。あまり根を詰めるなよ」

「はっ」

「会議は以上、解散」

 煙のように消えゆく部下たち。

 その鮮やかな退出を眺めながら、エリックは思う。


――この玉座、改善の余地があるな――

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