第4話


「ふあぁー、よく寝た」

 疲れは癒やせたが、身体の節々が痛い。ベッドが硬かったせいだ。

 エリックは凝り固まった筋肉をほぐすように、大きく伸びをした。


――もし野宿をしていたらと思うと、ぞっとするな――


 そう考えると、クロエたちを助けて正解だった。

 それに、この世界の兵士がそれほど強くないことを知ることができた。僥倖だといえよう。


 しかし懸念は残る。

 辺境伯をどうにかしなければならない。

 撃退するにせよ、逃げるにせよ、国王に会ってからだ。幸いなことに、国王が辺境伯に会いに来る。メフィの言っていた視察だ、この期を逃す手はない。


 ベッドから起き上がり身支度を整える。隣の部屋にメフィが寝ているはずだ。さっさと起こしに行こう。

 ドアを開けて隣室を覗くが、メフィの姿はない。


「どこへ行ったんだ?」

 部屋に入ってあちこち探していると、食欲をそそる匂いがしてきた。

 キッチンだ。


 そういえばメフィのやつ、料理の手際がよかったな。きっと朝食を用意しているのだろう。

 ノックをして食堂に入る。


 するとそこには、下着エプロンの女悪魔がいた。

 その暴力的なまでのエロスにエリックは前屈みになった。萌えアニメにあるような裸エプロンではなかったが、なかなかの破壊力だ。

 ただ一言、エロい。


「おはようございます。もうすこしで朝食の準備が終わりますので、しばしお待ちを」


 エリックに背を向けたまま、テーブルに朝食を並べている。艶めかしい背中のラインに、エリックは思わず眼を背けた。


 テーブルへ目をやる。

 目玉焼きに、パンとスープ、サラダ。コーヒー党のエリックからすれば、目覚めのコーヒーがないのが悔やまれる。この世界にコーヒーがあるかどうかたしかめたわけではない。


――最悪、コーヒー栽培をはじめなければならないな。ああ、苦い黒水が恋しい――


「朝食をとったら出立するぞ」

「かしこまりました」

 従順な部下とともに朝食をとると、クロエに出立を告げ、村をあとにした。


長距離転移ロング・テレポーテーション〉で移動した先は、林の中だった。

「まずは現在地を確認しよう。〈位置探査ロケーション〉」

 眼前に地図が浮かび、現在地が赤い点が示される。赤い点のそばには、建物を示す白丸があった。一度、行ったことのある建物なら名前が表示されるが、未知の場所だと表示されない。


 クロエから聞いた方角、位置と合致する。おそらくここが辺境伯の根城だろう。

「かなり遠いな」

「クロエの話していた辺境伯の居城ですね。近くなのですか?」

 メフィには、エリックの見ているウィンドが見えないらしい。きっと魔法なりスキルなりと使用しているように映っているのだろう。


「その居城の近くに転移したらしい。それらしい建物は見えるか?」

「はい、ですが城と呼べる代物かどうか」

 言い淀むメフィ。今度はエリックが確認する。

「城というか、塀に囲まれた豪邸だろ」

「そうですね」

「敷地も狭いし、忍び込むには不向きな建物だな」

「私が脅しつけてきましょうか?」

〈影渡り〉を持つメフィに頼めば楽なのだが、エリックは自身の力で解決したかった。

 混沌の隠者の身体に慣れる意味合いもあり、同時に戦闘経験を積むためだ。


――スニークスキルも鍛えないとな――


「いや俺がやる」

 しばらく居城の様子を窺う。いざ侵入という段階になって、居城にいる人々の動きが慌ただしくなった。

 野太い男の声がこだまする。

「陛下が来るぞ、各自持ち場につけ」


 国王の接待役にしては、雄々しい声だった。声の主を探す。接待役のお供ではないらしい。警備の責任者か? 堂々たる体躯だが無骨なイメージはない。手入れの行き届いた髭、華美な服装。武人というよりも宮廷人のような優美さを感じられる壮年の男だ。


 武装した兵士たちが慌ただしく走っている。

「どうも様子がおかしいな。違和感がある」

 エリックの問いかけに、メフィが即答する。

「言葉遣いでしょうか? どこかちぐはぐな気がします。軍閥上がりの貴族でもそれ相応の教養はあると思うのですが」

「それだ。『陛下が来るぞ』というのはどうもおかしい。下っ端の兵士ならまだしも、それ相応の立場の者ならば、もっと自国の王に敬意を示すはず。それをぞんざいに『来るぞ』と言うだろうか? ただ単に教育が行き届いていないからか?」


「たしかに敬意を感じられませんでしたね。まるで戦場にいるかのようです」

「そうだな。言葉遣いよりも、言葉に込められた感情が問題だ」

「仕える主がちがうからでしょうか?」

「いや、このようなみすぼらしい城に住んでいる辺境伯だ。どう考えても国王のほうが富も権力も上だろう。にもかかわらず、兵に畏怖や敬意を抱いている様子がない。考えられるのは」


「叛乱、を企てているのでしょうか」

「天狼族の老人の話しが事実であれば、その可能性は高いな。私利私欲に走るような領主だ。主である国王に刃を向けてもおかしくはあるまい。しかし確証がない。叛乱と断定するのは危険だな」


 口にしたものの、エリックは確信にまで至っていない。辺境伯が国王を狙っている証拠はない。現時点ではただの推論だ。


――確信がほしいところだな。兵士たちの会話を盗み聞くとしようか――


 エリックは意識を集中し、読唇術リップリーディングのスキルを発動させる。

「ついに国王様が来るらしいぜ。税を巻き上げることしか頭にないクソ王がな」

「いままで散々俺たちから搾り取っておいて、まだ搾り足りないらしい」

「今回は直に徴収しに来るんだと、娘を売って税を払ったばかりなのに……」

「俺は二人だ。可愛い娘を二人も売りに出した。絶対にぶっ殺してやる」

 兵士たちの会話によると、国王が諸悪の根源らしい。


 天狼族の村で聞いた話とちがう。

「メフィ、兵士たちの会話を聞いたか」

「はい。しかし、おかしな愚民たちですね。飼い主に噛みつくとは駄犬もいいところです」


――そっちかよ――


「妙だと思わないか」

「なにがですか?」

「天狼族の村では国王の統治はすばらしいと聞いたが、ここでは真逆だ。どこかで情報が歪められている」

「些末なことではありませんか。辺境伯が悪にせよ、国王が悪にせよ、王が無能であることにちがいはありません」

 女悪魔にとっては、どちらが悪であろうと、どうでもいいことらしい。


「しかしだな、メフィよ。どちらが悪かによって、今後の行動が変わるのを忘れていないか?」

「失念しておりました。ですがこの世界の兵士がみなこの程度ならばサウザントノアの手勢を率いる必要もありません。ミストニアのモンスターで十分に事足りるかと」

「…………俺たちがここに来た目的を覚えてるよな」

「はい、辺境伯を懲らしめる、でございますね」

「そうだ。だからこそ見極めなくてはならない。辺境伯が悪であるかを」


「仮に王が悪だったらいかがなされるのですか?」

「その時は撤退だ。いまは事を荒立てる時期ではない」

「辺境伯が悪であった場合は?」

「そのときは当初の目的通りにするまで。王に貸しをつくる」

「なるほど。どちらに転んでも我々が不利になることはない。妙案ですね」

「世辞はいらん。それよりも王が来るのだ、護衛は手練れを選りすぐっているはず。監視に向かわせる影は高位の者を選抜せよ」

「御意」


 メフィは一礼すると、自身の影に命じた。

影暗殺者シャドーアサシン、存分にその技を振るえ」

 高位のモンスターだけあって気配をうまく消している。意識を集中しないと見失いそうだ。

 これならば感づかれることはないだろう。

「さて、どうなるか。我々は高みの見物をするとしよう」


       @


 ベルーガ軍国は現在、女王を玉座に戴いている。

 齢二〇にも届かぬ、うら若き女王だ。


 王家の慣わしで不釣り合いな鎧に身を包んでいるものの、威厳は無いに等しい。

 本来ならば、まだ壮年のランドルフが玉座に座っているはずであった。しかし、隣接するリンガイア帝国との戦いにより、意志を継ぐ予定だったシュナイダー王太子とともにこの世を去った。


 本来であれば、王太子の弟たちが王位を継ぐはずなのだが、ランドルフ王は世継ぎに恵まれなかった。そんな理由で長女のイリステアが王位に就くことになったのだ。

 当初は、王兄であるラザロが王位を継ぐ話も出ていたが、あまりにも無能で強欲なことから玉座に座る一歩手前で引きずり落とされた。

 誰の目から見ても、国を統治する器でなかったからだ。


 こうして、貴族たちから推戴される形で王位についたイリステアだったが、彼女は自身が王の器でないことを自覚していた。無論、貴族たちもだ。

 事実、王家に伝わる武具を満足に扱えず、軍を率いた経験もない。また政治の世界にも疎く、侍従長の存在は必要不可欠。これだけ聞けばイリステアが無能のように思えるが、彼女には意外な才能があった。


 魔力だ。

 その潜在能力はすさまじく、彩色の賢者に匹敵するとも言われている。

 そう、貴族たちは魔法のつかえる女王として彼女を推戴した。そして、裏で富の再分配をしようと企んでいたのだが、予想だにしない存在の出現に鳴りを潜めざるをえなくなってしまった。


 イリステアが契約した悪魔の存在によって。

 皮肉なことに、悪魔の存在によってベルーガ軍国は国として成り立っている。

 この悪魔さえいなければ、いつ国が崩壊してもおかしくない。ベルーガという国はそんな危うい状況なのだ。


 そんな母国の行く末を現国王――イリステア・エルフォーン・リブラスル・ベルーガ――は憂いていた。


 もしも玉座に座らなければ、そんな憂いもなかったであろう。しかし、知ってしまった以上、それに抗わなければならない。愛国心と王族としての責務、そして民を慈しむ心。

 イリステアは純粋だった。純粋すぎたとい言うべきだろう。そんな性格が災いして、不慣れな統治者として日夜身を粉にして働いている。


「陛下、バラクロフ・キャルバル辺境伯の陳情がかなりの数にのぼっております。如何しましょう」

 一心不乱に政務に取り組んでいるイリステアに声をかけたのは、小柄な老人だった。顔が隠れそうになるほどまでに積まれた書簡の山を抱えている。執事然とした服装だが、その眼光は鋭く、幾ばくか生え際の後退した白髪を後ろになでつけている。


 この老人こそが、イリステアが契約した悪魔。名をアモルファス・スペンサーといい、並の魔導士を寄せ付けぬ力を持つ。巷では英雄クラスの実力であるとまことしやかに囁かれている。


「辺境伯には、天狼族の弾圧と税の軽減を何度も打診してはいるのだが。曾祖父の代からの忠臣だから強くは言えない。それに、私も亡き兄もお世話になった方だ」

 イリステアは複雑な心境で、亡き兄との過去を懐かしむ。

 辺境伯が代々の忠臣であることは事実だ。知恵者として、幾度も隣国からの侵攻を撥ね除けてきた功績は、どのような武功にも勝る。

 老境にさしかかってからは国政の顧問に収まっていた。このときにイリステアは政務や謀略についてかの老人に手ほどきを受けたのだ。

 功績に奢ることなく、高齢を口実に辺境へ隠居した。いわば忠臣の鑑だった。


――父王が亡くなったからといって、あからさまに私利私欲に走るだろうか?――


 イリステアには信じられなかった。

 彼女は、辺境伯の子どもたちの仕業だと睨んでいる。だから更生の機会を与えるつもりで放置していた。それもここまでのようだ。

「忠臣が陛下の命に背くでしょうか?」

「ではどうしろと? 辺境は亜人や野盗に脅かされているのだぞ。その問題を解決するための兵を出し渋っているのも事実。この程度は目をつぶるべきでは?」

「そうは申しましても、いささか度が過ぎているように見受けられます。密偵からの報告では、討伐すべき野盗と結託しているとも」


 アモルファスの進言にあるように、辺境伯は中央からの監視が緩いことを逆手にとって、野盗紛いの略奪を行っている。陳情の多くは、辺境伯の封領に隣接する領地を持つ貴族ばかり。稀に市井の者たちからの陳情も混じっているが、認めたくない現実にイリステアは目を背けている。


「困ったな。帝国と睨み合いが続いている現状。兵を割くわけにはいかないし」

 イリステアが眉根をひそめた。美貌が微かに曇る。

 いくら恩があるからといって、これ以上かばい立てできない。


――辺境伯の横暴に目をつぶるのも、そろそろ限界か――


 厳格な処罰を下すべきだが、辺境伯の封領が不毛の地であり国境くにざかいという要所でもある。

 難題を押しつけている以上、多少のことは目を瞑るべだと、いままで大事にしなかったのだが、近頃は数少ない協力者である天狼族の迫害をしている報告があがっている。


「よろしいのですか。あまり手を拱いていると天狼族まで敵に回しかねません。かの種族は満月になると凄まじい力を発揮すると聞きます」

「そうだな。頼もしい味方だが、敵に回すと厄介だ」

「せめて兵権を取り上げるくらいはしてもよろしいのでは?」

「辺境で自衛の手段を奪うというのは酷くないか?」


「もし後方で叛乱が起こったならば、リンガイアはチャンスとばかりに侵攻してくるでしょう。そうなってしまえば、我が国は挟撃を受けているのと変わらぬ状況になりますぞ」

「どうすれば?」

「迷いがあるのであれば、辺境伯の真意を問いただしてみては? それから処断してもよろしいかと」


 アモルファスは苦い表情で具申する。その表情が意味することをイリステアは痛いほど理解していた。

 忠臣である悪魔が口にできなかった言葉。王ならば国政に私心を挟むな、と。


「口実は?」

「ご高齢を理由に隠居されたのでございますな。であれば、見舞いでよろしいかと」

「見舞いか……少し強引ではないか?」

「護衛の数を減らせば、警戒されることはないでしょう」

「そうだな。辺境伯がご健在であれば、意図に気づいてくれるはず」

「では、そのように手配します。出立の日時はいかがいたしましょう」

「明後日には」


 方針が定まれば、あとは行動するのみ。

 良い結果で終わることを祈りつつ、イリステアは決断を下した。


 アモルファスと相談した翌日、イリステアは少数の手勢を引き連れ辺境へと旅だった。


      @


 辺境伯の城のそば、エリックたちは林の中で潜んでいた。

 遠方より砂煙がのぼる。

 それを合図にするかのように城内の敵は鳴りを潜めた。


「やっと王のお出ましか。待ちくたびれたぞ」

 砂煙だけで、王一行の姿が見えない。


 唐突に、メフィが声をあげる。

「エリック様、どうやらその王という者は悪魔を従えている様子」

「俺たちの存在がバレたのか! 城内に忍び込ませた影が発見される可能性は?」

「高位の者を選りすぐっているので、大丈夫だとは思いますが。……先に仕掛けますか?」

「ここは様子を見よう。しかし意外だな。王族が悪魔を使役するとは……。悪魔を引き連れているのは予想外だったが、これで護衛の兵がすくない理由がわかった。どうやら王のほうに問題があるようだな」

「では、撤収を?」

「いや、あくまで推測の域を出ない。真実を見極めよう」


 疑り深い性格ではないが、エリックは目にしたことしか信じない。エンジニアらしいというべきか、非常に徹底した現実主義者なのだ。

 その点が、本来の設定である混沌の隠者の性格とちがうため、メフィは訝しげな目を向けている。


「不服か?」

「いえ、このような些事に慎重すぎるのではと」

「誰にでもミスはある。俺とてすべてを見通しているわけではない。ましてやここはミストニアの外。慎重に事を進めて然るべきだろう」

「はっ」


 そんなやり取りをしているうちに、王一行が城に到着する。

 護衛の兵が取り囲む豪華な馬車から、執事服を着た小柄な老人が降りてきた。

 老人は鋭い眼光で周囲を見渡す。

 エリックはそっと老人の情報ウィンドを開いた。

 編集条件の一段階をクリアしているので、大雑把な情報が見える。

 Lv50の悪魔だ。


 会話をしていないので、ステータスが覗けない。しかしLv50ならば恐れる相手ではない。

 エリックは、次に降りた人物――女に視線を向ける。

 女の情報を覗き、驚きの声をあげる。

「女王だと!」

 この世界に来て初めて見る国王が、女だと知りショックを受けていた。


――学校で習った歴史にも女権国家はあったけど、まさかファーストコンタクトがこれとはなぁ……。この世界は女尊男卑なのか? だとすると辺境伯も女の可能性があるな。苦手なんだよなぁ、お局さま相手のプレゼンって――


 観察を続ける。

 結局、馬車から降りてきたのは悪魔と女王の二人だけ。

 女王は悪魔を従え、城へと入っていく。


「メフィ・ザ・マジシャン。中の様子を報告しろ」

「畏まりました」


 メフィは指を鳴らして、自身の影から等身大の鑑を出現させる。

 そこには女王と悪魔、そして傲慢そうな男が映っていた。さすがに音声までは再生されず、三者三様の身振り手振りから会話を推測するほか手段はない。

 男の情報を覗こうとしたが、ウィンドは出現しなかった。

 どうやら直接、視界に収めなければ編集のスキルは発動しないらしい。


「あの脂ぎったおっさんが辺境伯か?」

「そのようですね。しかしあの顔、貧相下劣な下衆にしか見えませんね。とてもこの地を治める器とは思えません」

「だから天狼族を襲ったんだろう。そういう卑怯なことが好きそうな顔をしている」

「エリック様、外が騒がしくなってきました」


 部下の言葉に、エリックは顔を動かす。

 辺境伯の居城を眺めれば、城の裏手が慌ただしい。剣を抜いた兵士たちが、ぞろぞろと裏口から入っていく。


「辺境伯が悪で決まりだな」

「さっそくやつらを皆殺しに」

 影に身を沈めようとするメフィを、エリックは制した。

「まだだ。恩を売りつける千載一遇の機会、利用させてもらおう」

「と、言われますと」

「危険が及んでから助ける。そのほうが有り難みが出るだろう」

「ですが、あの悪魔がいてはそういった展開は望めないでしょう」


 エリックは首を傾げた。

 メフィの言葉にも一理ある。しかし、城に詰めている兵士が恐れの色を浮かばせていないことを考えると……。

「それはどうかな? 国王を待ち伏せしているんだ。悪魔対策は抜かりないはず」

「このような辺境の貴族に、そんなアイテムを用意できるでしょうか?」

「その点については観察を続けていればはっきりするだろう」

 エリックは再び、鑑に目を向けた。

 部下の前で断言したものの、エリックには自身がなかった。


――どうしよう、もし辺境伯がそこまで考えていなかったら。もし、ただの脳筋だったら――


 主としての沽券に関わる。

 うら若き女王に対して悪いが、最悪の事態が起きることを祈った。

 それからしばし、鏡越しの無声映像を眺め続けた。

 鑑の中で、女王と男がなにやら話し合っている。最初はテーブルについた穏やかな流れだったが、次第に険悪なそれへと移り変わっていく。

 そろそろ動き出す頃合いだ。


 変化は突然だった。

 不意に男が立ち上がると、テーブルの上の物を払い除けた。

 ティーカップやポットの割れる音までは伝わらなかったものの、女王の青ざめた顔を見れば一目瞭然だ。

 どこからとりだしたのか、男は水晶玉を掲げた。

 鏡に映る光景が白一色に塗りつぶされたと思うと、次の瞬間、石化した悪魔が姿をあらわした。男の手にあった水晶も消えている。


「これはッ! エリック様、三煌のお方たちと同じです」

「落ち着け。忍び込ませた影たちが石化しないところを見るに、攻撃は単体のみ。そして、いまので打ち止めと考えていいだろう」

 興奮気味に言うメフィを制しながら、エリックは確信した。男の背後に、サウザントノアを、ミストニアを、攻撃した黒幕がいると。


「ここは私が」

 憤る部下の肩に手を置く。

「俺が出る」

「ですが、エリック様の身になにかあれば」

「狼狽えるな。闇雲に打って出るつもりはない。悪魔が石化する前、男はなにをしていた」

「水晶玉のようなものを掲げていました」

「それがいまは無い。この意味がわかるな」

「はい、ですがアレがひとつだけだと考えるのは早計かと」


「怯えていてはなにも解決しないぞ。目の前に真実に至るヒントがあらわれたのだ。これを好機と言わずしてなんと言う」

「でしたら、私も同行します」

「ならん。メフィには外を見張っておいてもらう。もし怪しい者が逃げ出すようであれば後を追え。決して近づくな、あの水晶を持っているかもしれなんからな」

「御意」

 メフィは渋々といった様子で承諾した。

「では参ろうか。女王に恩を売りに」

 エリックは静かに行動を開始した。

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