第3話


 空を飛んでミストニアの外に出る手段もあったが、ミストニアを囲う霧は健在。目立たぬよう、移動には舟を使用することにした。

「俺が漕ごう」

 エリックがオールを手にすると、とたんにメフィは狼狽した。

「お任せを、影に漕がせます」

 言うなり〈影斬士〉は指を鳴らす。

 すると、舟は音もなく進み出した。


――メフィを選んで正解だな。便利なスキルだ――


 冒険者一行の言ったとおり、ミストニアを囲んでいる霧の壁に、ところどころ隙間があった。


 そこを通って外へ出る。

 舟に揺られること二〇分。

 霧を抜けるとそこは広大な世界だった。

 内海だと聞いているが、大海原だ。

 陸地はかなり遠い。


「これで内海というのだから驚きだ。なんとも広大な世界ではないか」

「神域は国ひとつほどの大きさらしくて、イデア大陸の面積はミストニアの一〇〇倍はあるらしいですね」

「! そ、その程度か! 思っていたよりも狭いな」


 エリックは内心で激しく動揺していたが、部下の手前、醜態を晒せない。わざとらしいが知ったかぶりをした。


 結局、陸地に着くまで丸一日の時間を要した。

 人目を避けるべく、内海に面した山裾に舟をつけた。

 陸地にあがり、野宿する場所を探す。

 かなりの時間歩いて、やっとキャンプに適した場所を見つけた。


 都会育ちの赤城一馬からすればサバイバルは苦手な分野だ。最新のキャンプ道具がなければなにもできない。


「エリック様、しばしお待ちを」

 メフィは影からキャンプ道具を一式出し、てきぱきと今夜の寝床を組み立てていく。それが終わると今度はたき火に夕食の用意と、実に多芸だ。

 頼もしい部下に、エリックはほっとした。無様な姿を晒さずにすむと。


 それからコック顔負けの食事を摂った。疲れを癒やそうとしたところで、エリックの耳に声が届いた。

「やめろッ、放せッ」

 子供の声だ。それもかなり遠い。


 隣にいるメフィへ顔を向けると、険しい表情でエリックの指示を待っている。

「気取られない場所まで近づけ」

「御意。……失礼します」

 と、メフィが手を握る。

 とたんにエリックの視界が闇に包まれ、次の瞬間、森の中に場所が移る。


 少し離れたところに松明の灯が見える。子供の声はそこからだ。

「どういう状況だ」

「何人もの兵士が、村人らしき一団を取り囲んでいます。子供は後者です」

 メフィが兵士だと断言した。

 しかし、肝心の魔法の存在がわからない。この世界に魔法は存在するのだろうか? もし存在しないのならば、迂闊に行使できない。


「メフィ、おまえならどうする?」

「大事の前の小事、見捨てます」

「本当にそうするのか?」

「はい、助ける意味はないかと」

「俺にはそうは思えん。現状、弱者を助けるメリットは多い」

「なぜですか? どう見てもあれらを取り囲んでいるのは国の兵士。敵対するとなると言われたではありませんか。将来、国同士の関係が悪化するのでは?」


「そういう意味ではなく、情報を得られるという点においてだ。一般人を襲う兵士を普通に思うか?」

「そう言われてみればそうですね。違和感を覚えます」

「国軍の統制がとれていないか、国がまとまっていないか、はたまた封建制度を採択しているか。色々と推測できるが決め手に欠ける。手を結んでもいいが、苦労の少ない国ではないことはたしかだ」

「ならば先を急ぎましょう」

「いや、まずは情報を得たい。悪事を働いている連中を見つけることができたのだ。恩を売る絶好のチャンスだ。僥倖と受け取ろう」

「なるほど。では助けてまいります」


 先走ろうとするメフィの腕をつかみ引きとめる。

「なにをなされるのですが?」

「俺がやろう。子供を襲う輩だ、たいした規律もない弱兵だろう」

「…………」

「わかっている、俺の身になにかあると大変なのだろう。危険だと思ったら出てくれば良い」

「……はあ」

「では行ってくるぞ」

「…………」


〈影斬士〉は不服なようだったが、エリックにはどうしても戦う理由があった。GM権限で特別なアバターを使用していたので、戦闘経験が浅い。この世界に来た以上、いずれ戦う日がやって来るだろう。その日に備えて訓練しなければならない。


 そういう意味で、目の前の兵士たちに目をつけたのだ。

 わざと地面に落ちた枝を踏み折ってから、子供たちを取り囲む兵士たちに近づく。

 十歩ほどの距離まで近づき、兵士はやっとエリックの存在に気がついた。


「怪しいやつ何者だ!」

――どんだけヘッポコなんだここの兵士――

 拍子抜けするほど弛んだ相手だが、練習にはちょうどいい。

「通りすがりの旅人です。この仮面には意味がありま……」

 自己紹介が終わるよりも先に、兵士たちはこちらに刃を向けた。


 兵士たちの後ろには、子供を守るように輪になった一般人がいた。どれも怪我をしており、ただならぬ状況であることはたしかだ。

「やれやれ、話し合いをしている相手に剣を向けるとは……上司の程度が知れるな」

「我らが主、キャルバル家――辺境伯への冒涜と受け取った。者ども、この怪しい仮面の男から先に片付けろ」

「初対面の人間に対して怪しいはないだろう」

 振り下ろされる剣を躱し、アカシックダガーを抜きざま斬りつける。


 まずは一人。

 ラスボスの桁外れのステータスのおかげで、攻撃を楽に回避できた。何気ない一撃ですんなり無力化。

 十人を越える兵士をダメージを受けることなく倒し、指揮官らしき兵士へ詰め寄る。

「あれだけいた部下もあの様だ。残ったのはおまえだけ、どうする?」

「ば、化物……」

「おいおい、化物はないだろう。そっちのほうこそ、なんで一般人を襲っているんだ」

「一般人だと、ふふっ、これはお笑いだ。貴様が助けた連中は亜人だよ。それも質の悪い、天狼族さ」

「天狼族?」


「なんだ天狼族も知らないのか? さてはよその国から来た旅人だな」

「そうだが、問題でもあるのか?」

「帝国のスパイじゃないだろうな」

「スパイ? 馬鹿らしい。仮にスパイだとして、なんでこんな目立つ仮面をしているんだ。どこから見ても目立つだろう」

「……ぐっ、う、うるさい。いまに見てろ、辺境伯が兵を引き連れてやってくるぞ」

 剣を投げ捨て、捨て台詞を吐きながら指揮官らしき兵士は走り去っていった。手負いの兵士たちもノロノロと続く。


「口ほどにもない」

 気合いを入れて臨んだのにこの結果。物足りなさのあまり、捨てていった剣を蹴る。


「ありがとうございます」

 傷ついた大人たちを代表して子供が感謝の礼を述べる。粗末な服装を見る限りだと、下流国民といったろころだ。しかし、躾は行き届いている。なかなか礼儀正しい子供だ。さぞかし教養のある親なのだろう。

「たまたま通りがかっただけだ。気にするな」

「とんでもない! おかげで助かりました。旅の方が通りかからなかったらどうなっていたことか。よろしければ村にお越しを、お礼をしたいのですが」


 しばし考える。

 この世界のこはもとより、天狼族についても知りたい。

「そうだな。初めて来る土地というのも不便だし、このあたりのことを教えてもらえるのなら」

「それならばお安いご用です」

 子供に案内される形で、村を目指す。


 途中、影にひそんでいるメフィに指示を飛ばす。短距離専用のコミュニケーション―スキル《ツール》、念話だ。

『野営地を撤収してから来い』

『はっ』


 気取られぬように声をひそめたつもりだが、

「なにか言われましたか?」

「いや、ただの独り言だ。あとから連れの女性が来る。村に入れてやってくれ」

「でしたらお連れの方を呼びにいきましょう。村への道は険しいですから」

「それにはおよばない。道すがら目印を残してきた」

「そうですか。もしかしてお連れのかたは魔導士ですか?」

「そ、そうだ。よくわかったな。はははっ」


 こんな村人でも知っているほど、魔法はポピュラーな存在なようだ。メフィのことをどう説明しようか困っていたのでこの展開は助かった。

 道すがら、子供にあれこれこの世界のことを聞く。

 王制や封建制が普通にあり、また現代社会に似通った投票形式の選王制や共和国もある。数多くの勢力がいて群雄割拠の時代。なかなかに複雑だが、興味をそそる世界観だ。魔法も存在し、こちらは幅広く使用されていて、魔法を用いた職種もあるらしい。


「ところで旅の方はどこから来たのですか? 西の端、それとも東の端?」

 どうやら子供はエリックを遥か遠方から来たものと考えているらしい。

「ええっと、海の向こうから来た」

「ということは東ですね」

「そ、そうなるな」

「やっぱりそうだったんですね。だとしたら納得です。海を越えた島国に龍の血を引く民族がいると聞いたことがあります。いとも簡単に兵士たちを蹴散らせたのは、旅の方も龍の血を引いているからなんでしょう」


「残念だがちがうな。俺……私はしがない魔導士でね。未知の物を求めて世界を旅しているのさ」

「なるほど。でも良かった。旅の方が善い人で」

「その旅の方というのはやめてもらえないかな。どうも他人行儀でむず痒い。私の名前はエリック。君は?」

「自分としたことが! 自己紹介がまだでしたね。自分の名前はクロエといいます。天狼族の族長をしています」

「族長! 若いのに?」


「ほかの部族はどうか知りませんが、自分たち天狼族は世襲制で族長を決めています。もし族長に部族を率いる能力がないと判断され場合は、決闘によって次期族長を決定します」

「ということは、それなりに強いわけだ」

「どうでしょう? 自分の場合は魔力が高いくらいで実戦はご覧の通りです」

 クロエは怪我をした腕を見せた。


「なるほど。で、なぜ兵士に襲われていたんだ」

「話すと長くなります。それでもかまいませんか?」

「いいよ別に、時間は余るほどあるから」

「では――」

 語られたの衝撃の事実だった。


 この国――軍国の王は優れた人物だが、その家臣である辺境伯は傲慢な人物で、天狼族を密猟していると言うのだ。なんでも天狼の眼は非常に価値のあるもので、かなりの高値で売買されているらしい。

 要は、王様に隠れて辺境伯は私腹を肥やしているわけだ。

 たまりかねたクロエが、王に訴えようとしたところを兵士に襲われた。そこへエリックがあらわれたというわけだ。


「それにしてもなぜ夜に?」

「昼は辺境伯の私兵がうろついていて、王都へ行けそうになくて」

「でも夜だったら力が出るんじゃないのか?」

「それが天狼に変身するには月が出ていないと駄目なんです」

「だから辺境伯の裏をかいて、新月の夜を選んだのか」

「はい、ですがそれが裏目に出てしまって」

 クロエはいまにも泣きだしそうな顔をした。


――さすがにこれ以上、話を聞くのは気が引けるな――


 エリックは話題を変えることにした。

「村まで、あとどのくらいかかるんだ」

「すぐ近くまで来ています。ちょうどあの灯のある所が……はっ!」

 クロエが驚きの声をあげる。

「村が、村が燃えている」

「なんだって」

 走り出すクロエ。エリックもそれに続く。


 うっすらと焦げ臭い匂いが鼻をついた。意識しないと気づかないほどのかすかな匂い。クロエはそれを走る前に気づいていた。


――かなりの嗅覚だな。天狼族、あなどれない種族だ――


 エリックはもともと収集癖のあるゲーマーだ。SLGをプレイしたときには必ず全キャラコンプリートを目指す。コンプリートフェチと呼んでもいいほどのこだわりをもっている。この収集癖はアイテムにも及んでおり、入手可能な数が決まっているアイテムはイベントで消費しない限り使用しない。吝嗇家じみた収集家だ。


 そんな彼が稀少種とされる天狼族と交友を持つことができた。それも友好的な。となれば考えることはひとつ。

 仲間に加えたい。それも忠誠度を爆上げした裏切る可能性の無い仲間に。


 うまい手はないかと算段しているうちに、遠くに見えていた灯が大きくなっていった。それにつれて、匂いが強くなる。

 近づいているのは間違いない。しかし、火の手はちいさく、村まではの道のりは遠い。


「クソッ、あいつら村を襲ってる」

「走っていては時間がかかる。転移するぞ!」

「えっ」

 ことわってから、エリックはクロエの腕を掴んだ。


 魔法の存在を確認したこともあって、行使に躊躇いがない。

「〈中距離転移ミドル・テレポート〉」

 景色が水滴を落とした水面のように揺らめくと、燃え盛る村に移り変わる。

 エリックの目の前に残虐な光景が広がっていた。

 家畜の餌やり用のフォークや鍬を手に戦う村人たちを蹴散らす兵士たち。女たちは殴り倒され、辱めを受けている。


 そのすぐ側では小屋の扉が打ち壊され、避難させていたであろう子供たちが引きずり出されている。

 女の子は衣服を切り裂かれ、いままさに辱めを受けようとしているところだ。男の子に至っては、まるで度胸試しのように新兵らしき若者たちが槍で突き殺している。

 そこには一変の慈悲もなく、ただ一方的な殺戮が繰り広げられていた。


「ぴーぴー泣き喚くしか能がないのか! この雑種どもは」

「やめて、お願い助けて、イヤァーーーー」

 阿鼻叫喚がこだまし、屍山血河が築かれる。

 地獄だ。

「お願いです、助けてください。なんでもします」

「ご慈悲を、せめて子供たちだけでもお助けください」


 村人たちの必死の命乞いを、兵士たちはまるで蚊の羽音のように思っているようだ。泣きわめく声すら、不快に思っているらしく、目障りな虫を踏み潰すように名で殺しにしている。その顔は悪鬼そのもの。理性ある生き物がとる行動とは到底思えない。


「やめろぉ」

 クロエは近くに落ちていた鎌を拾うと、いままさに少年の命を刈り取ろうとしている兵士に飛びかかった。


 不意に、足下から声が湧く。メフィだ。

「エリック様、いかがしましょうか?」

「不快極まる光景だ」

「村ごと焼き払いますか?」

「兵士たちを皆殺しにしろ……いや、待て。指揮官らしき者を何人か生け捕りにしろ。それ以外の兵士は皆殺しだ」

「御意」

 命令を受けると、メフィは即座に行動を開始した。


 兵士たちの足下――影から漆黒の刃が生まれる。それは寸分違わず喉笛を斬り裂いた。同じ現象が村人を襲う兵士たちに、次々と訪れる。

「……コヒュッ!」

「……グフッ…………」

 喉笛を斬り裂かれ、呼吸も声も出せない。それでも兵士たちは助けを呼ぼうと足掻く。血の泡を吐きながら、涙目で味方に手を伸ばしている。


 すぐには殺さない。

 悪魔らしい惨い殺し方だ。しかし、村人たちを襲うような連中だ。このような目に遭っても文句は言えまい。

 悲鳴をあげる暇を与えず、粛々と処刑が執行されていく。兵士たちが異変に気づいた頃には、すでに半数以上の兵士が血の海に沈んでいた。


「てっ、敵襲だ!」

「周囲を警戒しろ」

「注意しろ、敵がひそんでいる」

「見ろっ、怪しい仮面を被ったやつがいるぞ」

「魔導士だ。あいつが仲間を殺したんだ」

 仲間を殺された兵士たちが、狂気の宿った瞳をエリックに向ける。


 現在進行形で続く〈影斬士〉からの攻撃をエリックの仕業だと勘違いしているらしい。兵士たちは刃を振り上げ、エリックに殺到する。

 しかし相手は、サウザントノアが誇る〈影斬士〉。刃はエリックに届くことはなく、すべて振り下ろす前に打ち払われている。

「もうしわけありませんエリック様、このような下郎に近寄らせるとは、この〈影斬士〉一生の不覚です」

「気にするな。天才でも失敗はする。ことさら長命の悪魔ともなれば、思い通りに進まぬことは多々あって然るべきだ」


 エリックの側に横たわる死体の影から、メフィが姿をあらわれる。

「ご厚恩に感謝いたします」

 イケメン執事よろしく、恭しく優雅な礼をすると、くいっと人さし指を持ち上げた。


 どこかでカエルのような鳴き声がしたかと思うと、メフィのあらわれた影から兵士たちとはちがった服装の男があらわれた。その数二人。

 一人は宮廷人風の衣装で着飾った髭おやじ、もう一人は兵士たちよりも上等な装備の騎士らしき男。


「捕縛した者たちです。吟味ください」

「うむ。さて諸君に質問だ。君たちに、誰がどういう命令を下したのか教えてくれないか」

「ふ、ふざけるな! 貴様、なにをしているのかわかっているのか」

「辺境伯様のご命令だぞ。辺境伯に――軍国に楯突くつもりか!」

 闇の触手に絡め取られているのに、減らず口を叩く。


 肝が据わっているのか、馬鹿なのか。現状を理解していない二人に、エリックは質問を続けた。

「聞こえていなかったみたいだな。おまえたちはどういう命令を受けてきたんだ」

「誰かこの者を斬り捨てろ。褒美に金貨百枚だ」

 髭おやじは口汚く唾を飛ばしながら命令する。


「この者たちは、誰に命令しているのでしょう?」

 兵士たちを悉く無力化した当人――メフィは真剣にそう思っているようだ。

「さあ、チャンスは二度与えた。これからは尋問だ。メフィ、埒を明けよ」

「御意」

 薄く笑う悪魔の美女。


「間違っても殺すなよ。それと精神崩壊もさせるな。後始末が面倒だからな」

「心得ております。拷問官には劣りますが、この程度の輩ならば私でも問題ありません」

「俺――私は村人と話があるので席を外す。あとは任せた」

「はっ、必ずやご期待に添う成果をご覧にいれましょう」

 心配は残るものの、村人の様子も気になる。エリックは生き残った村人を手当てすべく動いた。


 魔法適正があるとは言っていたが、クロエはちゃんとした手ほどきを受けていないようだ。この戦いでも魔法らしきものをつかった形跡もないし、治癒の魔法もつかっていない。

 しかし、できることをやろうと必死なのは伝わる。包帯や水薬を手に、傷ついた村人たちを介抱している。


 そっとクロエに声をかける。

「治癒の魔法はつかえないのか?」

「教会に寄進をするほど村に余裕がないので、残念ながら教わっておりません」


――この世界では回復系魔法は教会で教わるシステムなのか――


「私が手当てしよう」

 致命傷を負っている者に歩み寄り、呪文を唱える。

「傷が深いな。手厚い治療をしたいところが数が多いので完治とまでは無理だ。〈小治癒ライト・ヒール〉」


 嘘だ。消費の最も多い〈完全回復〉でも、こんなちいさな村ならば住民全員にかけてもMP枯渇の恐れはない。スキルを併用すれば、この一〇倍くらいは余裕だ。とはいえ、全力で取り組もうものなら、あとでどんな噂を広げられるやら……。

 それに先のメフィの件もある。あれはオーバーキルもいいところだ。あんなやり方では、自分たちで悪評を広げているようなもの。

 能力を誇示して良いことはない。人より秀でた才能ならば特にだ。会社でも優秀であることを示したがために、無駄に多くの仕事を押しつけられる。そんなのはごめんだ。


 みみっちい気もしたが、初歩の回復魔法でとりあえずの応急処置をする。

「すごい、嘘みたいに出血がとまった! ありがとうございます。ありがとうございます」

「ありがとうございます。おかげで助かりました」

 手当をした村人たちは、誰もが感謝の意を示し、神を拝むように手を合わせる。

「もうすこし速く駆けつけていれば被害を抑えられたのにな。すまないことをした」

「なにをおっしゃいます。旅の方が駆けつけてくれなければ、我々は殺されていました。女たちはもっと惨い目にあったでしょう。村の者たちにかわってお礼をもうしあげます」

 代表らしき老人は感謝の礼を述べると、深々と頭を下げた。


 恩義を感じてか、天狼族の者たちは誰もエリックの仮面について触れない。しかしながら、興味を惹くらしく、仮面に向けられる視線をエリックは感じていた。

「本来ならば仮面を外して挨拶するべきなのですが、コレの下は呪いのせいで酷い有様なのですよ」

「……それはお気の毒に。解呪は試みたのですかな?」

「一通りは、ですがどれも成功には至らずこの有様です」

「でしたら一度、リンガイア帝国を尋ねてみては? あそこには彩色の賢者がひとり、紅の魔女がいると噂で聞いたことがあります。いかんせん昔の噂なので、いまもいるかどうかはわかりませんが。かの御仁ならば解呪が可能かもしれませんぞ」


「それほどすごいのか、その紅の魔女というのは?」

「旅の方は、彩色の賢者をご存じでないと?」

「遠く離れた地から来たので、この辺りの事情には疎いのです」

 老人は驚いた顔をしている。露骨というより、隠しきれないといった感じだ。どうやら彩色の賢者はかなりの有名人らしい。だとすると勇者や英雄に匹敵する人物なのだろうか?

 敵対するつもりはないが、用心に越したことはない。今後のことも考えて、色々情報をあつめることにした。


 老人に尋ねる。

 それなりに収穫はあったが、注意すべき人物や国家については収穫はすくなかった。それにどの情報も古く、噂話の域を出ない。信憑性に欠ける。

 信用できる情報といえば、生活様式と地理だけ。


――収穫があるだけマシか――


 老人との話が終わると、今度の相手はクロエだった。

「本当にありがとうございました。おかげで村が救われました」

「それはいいとして、これからどうするんだ。一度は退けたが、辺境伯がこれで諦めるとは思えない。次があるぞ、それも今回よりも規模の大きな襲撃だろう」

「そう、ですね。それも含めて博識な魔導士様のお知恵をお借りしたいと……あっ、失礼なのは承知しています。できる限りのお礼はしますので、なにとぞお知恵を」

「それはかまわないが、私もこの辺りには来たばかりなので力になれるかどうかわかりません。それでよければ」

「お願いします」


 エリックとメフィがいれば、あの程度の兵士であれば一〇〇人いようが、千人いようが物の数ではない。しかし、それで辺境伯とやらは諦めるだろうか? 後ろにいる国王が、もし出てくるようであれば大事だ。


 下手をすれば、とんでもない事態に発展しかねない。

 どうするべきか。

 最悪の場合、ミストニアに連れて行くという選択肢もあるが、安易に招くのもどうだろう? 天狼族が裏切る可能性はゼロではない。その点も考慮しなければ。


「村を捨てて、新天地を探すというのは?」

「難しいです。この場所も流浪の末、やっと見つけたのです」

「未開の地はないと?」

「そうではありません。国などの勢力が支配していない地域は、どこも凶暴な魔物や亜人が住んでいて」

「そうか。しかし、村を捨てる以外にやつらから逃げる手はないぞ」

「…………」


「負ける気はしないが、辺境伯を倒したら今度は国が動くぞ。さすがに国王が出てくるような事態になるのはマズい。取り返しがつかないことになる。それともその覚悟があるのか」

「……やはり村を捨てるしかないのでしょうか?」

「そうだな……だが、死者を出さずに辺境伯を退ければ可能かもな」

「できるのですか!」

「辺境伯を懲らしめてやろう。これで諦めれば良し、諦めないようであれば、残念だが村を捨てるしかない」

 打開策を提示したところで、クロエは俄然やる気をみせた。


「村の者を呼んできます」

「いや、それには及ばない。辺境伯は私たちが懲らしめよう」

「でしたら先にこれを、お礼に用意した金貨です」

 クロエはちいさな皮袋を差しだしてきた。

 ひょいと指で摘まむ。それなりに重みはあるが、革袋はちいさい。

 こんな寒村だ。中身はさほど当てにならない。かといって断るのも気の毒だ。彼らなりに精一杯の誠意を締めてくれているのだから。


「ありがたくいただこう。では、明日にでも懲らしめに行こう」

「ありがとうございます」

 話しが終わると、エリックたちに今夜の寝床が提供された。その頃になるとメフィの尋問も終了したようでエリックの元にあらわれた。

 すました顔をしていることから、それなりに成果が出たのがわかる。


 あてがわれた家に入るなり報告を受けた。

「尋問の結果を報告します。首謀者は辺境伯で間違いありません。以前から、国王に釘を刺されていたようです」

「どういう意味だ?」

「近隣の貴族や領民からの苦情が出ていたようで、近々、王自ら視察に来るとか」

「となると、天狼族の力が弱まる新月を狙ったのではないと?」

「そうなります。そもそも連中は、天狼族の弱点が新月だと知らなかったようです」


「では、なぜ村を襲った?」

「先ほどの続きになりますが、軍国の国王から天狼族に手を出さぬよう催促を受けていたようです。おそらく国王が視察に来る前に、片をつけるつもりだったのでしょう」

「それで急いだのか、ならば方針変更だな。その国王とやらに会って話してみよう」

「危険があるのでは?」

「報告を聞いて確信した。どうやら王は賢明な御仁らしい」

「賢明ならば、辺境伯の暴走を許さなかったでしょう」

 メフィには人間を見下す癖があるらしい。人間を褒めたことに苛ついているようだ。


「人間は嫌いか?」

「あのような連中を褒める理由がわかりません。短命で自分勝手で愚かで欲に塗れた下等種! 欲望のためならば同胞も手にかけるクズではありませんか。褒めるに値しません」

「肝心なことを忘れてないか、俺も元人間だぞ」

「これは失言を、エリック様は例外です。あの下等種たちが唯一役に立った実例と言えましょう」


――ひでぇ言い方だなぁ――


「そうは言うが、仮面の下は人間よりもおぞましいぞ」

 抵抗はあったが、これもかわいい部下の躾。心を鬼にして仮面を外す。

 混沌の隠者の固有スキル〈恐怖〉が発動する。

 とたんにメフィは目を瞠り、唇をへの字に結んだ。

「…………」

 相当恐ろしい顔らしい、あれほど饒舌だったメフィが口を閉ざす。


「人間とはこういう生き物だ。目的のためならば手段を選ばない。覚悟を決めた人間は強いぞ」

「……人間を侮るな、と」

「そういう意味ではない。見下していると、いつか足下をすくわれるぞ」

「き、肝に銘じておきます」

 反省したようなので仮面を被る。


 緊張の糸が切れたかのように、メフィは姿勢を崩した。吐き気を堪えるように口もとを手で覆うと、

「…………フゥフゥ、さすがはサウザントノアを統べる御方。私ごときでが敵う相手では……」

 様子がおかしいので、メフィのウィンドを覗く。

 状態異常バッドステータスを起こしている、恐慌寸前の状態だ。どう考えても素顔を見せたせいだろう。お仕置きが過ぎたようだ。


「頼りの護衛がこの様ではな。困ったやつだ、〈鎮静〉」

 魔法で状態異常を取り除くと、メフィは床に膝をついた。

「失礼をお許しください」

「立て。俺も悪ふざけが過ぎた。大切な部下にこのような仕打ちをしてしまった。愚かな主を許せ」

「め、滅相もございません。エリック様に大切だとの言葉を賜り、光栄の至り。今後は人間を見下したりはしません。誓います!」

「すこし過ぎたようだな。悪いことをしたメフィ。おまえの忠誠は嬉しいが、いますぐ人間に対する考えを改めろということではない。ただ、見境なく見下すのはやめるように」


「考えが及ばずもうしわけありません」

「それよりも今後の方針だ。メフィ、指示を出すまで人を殺すな」

「それ以外の種族ならば良いのですね」

「それも却下だ。無力化するにとどめよ。おまえならば可能だろう」

「はっ、しかし強敵があらわれた場合は?」

「逃げろ。しかし、逃亡が困難であり、かつ命の危険がある場合に限ってだけ殺傷を許す。おまえを失うわけにはいかないからな」


「ご配慮、痛み入ります」

「いや、不憫を強いる不甲斐ない主を許せ」

「そ、そのようなことはありません。エリック様以上の主はおりません。胸を張って断言できます」

 と、シャツとベストに窮屈に収まっている胸を張る。衣類で押さえつけられているのにもかかわらず存在感を誇示する胸の膨らみ。目のやり場に困る。


「そう言ってもらえるとありがたい。話しが逸れてしまったが、くれぐれも注意しろ。兵士に替えはあるが、おまえの替えはない。命を大切にしろ。これは命令だ」

「はい、エリック様の御心、胸に刻んでおきます」

「では睡眠をとるとしようか。明日は忙しくなりそうだからな」

 疲労が蓄積していたのであろう。ベッドに横たわるなりエリックは深い眠りに落ちた。

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