第72話

ロシア連邦 大統領府


「大統領、例の・・・我々と異世界の境界が急速に拡大する段階に入ったことを観測しました」


「遂に潮時か、各所に通達して迅速に撤退を開始させろ」


「はっ」


異世界との距離が広がっているのを確認したのはスチームー戦役前だが、その時点では大きな影響のない範囲であった。


しかし、その拡大スピードは指数関数的に上昇している事が判明しており、いつか潮時が来ることがわかった。地球圏は友好国等への根回しと周知を進め、異世界に展開する各種機材・人員の撤退準備を終わらせておいていた。


そして遂にその時が来てしまった。拡大スピードは指数関数グラフの点対称の中心となる点に到達し、しばらくすれば凄まじい速度で距離は広がっていくだろう。


航空機と艦船に財産と人々を乗せ、地球圏はそそくさと異世界から撤退していった。


これからは19ヵ国だけのアウタルキーによって歴史は進んでいく・・・はずだった。


【逃げることなんて許さない!】


突如として響き渡る声。


「なんだ今のは!?」


「7、8歳ぐらいの子供の声ですかな?そこらの子供ではないでしょうがな」


ロシア大統領の警護を担うFSO職員はすぐさま拳銃を取り出し、警戒に移る。


「一体どこの誰がこんなマネをしてるんだ?」


「きっとろくな理由ではないでしょうな」


【ようやく持ってきたのに、なにも残さず帰るつもりかっ!】


「どこにスピーカーがあるか探せ、近くに仕掛けられているはずだ」


『了解』


FSO職員はトランシーバーを取り出し、仲間を呼び出して建物全体の調査をさせる。


「時期に見つかるでしょう。犯人はCIAですかな?」


「よせやい、CIAならヤンキー精神に従ってもっと面白い事をやってくれる筈だぞ」


【お前らは・・・お前らはぼくの世界を何百年と進める為にいるんだぞ!】


ここで大統領府の人々はこれがスピーカーから発されているいたずらではないと気づいた。言葉の内容に加え、何か、目的を達成できず、非常に悔しく、憎い感情、それを感じた。


【そのまま帰るつもりならっ!いっそ消してやる!】


その言葉を最後に、しばらく沈黙が流れる。


「各地に連絡、何か変なことが起きていないか確認しろ。何が起きていてもおかしくない」


「了解しました」



ミストラル王国 ベニプール港


「さっきのは一体何だったんだろうな」


「ろくでもないことなのは明らかだろ」


アメリカ人とその財産の本土への輸送を担う多数の輸送船が停泊しているベニプール港でも、あの声は聞こえていた。


警備員達は何か変なことが起こらないか警戒を強めていた。


「・・・うん?あっちから来てるのはどこの奴らだ?」


「鎧・・・ミストラルの騎士団か?」


港に犯罪者が紛れ込んだの、異世界製の違法物品が検出されたりなどの事がなければ、ミストラルの騎士団が呼ばれることも、来ることもない。


「用件は?」


「先日、地下牢から罪人が逃げたのだが、どこの逃げたかわかっていない。万が一ここへ逃げた可能性を考慮し、捜査に来た」


「そんな連絡は受けていないが・・・事務所に確認してもらう」


彼ら警備員の居る向こう側はアメリカの租借地であり、本来異世界人は立ち入り禁止である。


「隊長、港湾事務所に問い合わせましたが、そのような連絡は受けていないとのことです」


「きな臭いな。全員警戒しろ」


港湾事務所に確認をとった警備隊は騎士団のもとに向かい、連絡が来ていない旨と、そのために立ち入れないことを伝える。


「港湾事務所に連絡が来ていない。そちらで申請を行ってからもう一度来てくれ」


「罪人を捕まえるには時間が肝心だ」


「残念だが、俺たちにはそういう権限がない」


「そうか・・・ならば仕方ない」


そう騎士団の代表が言ったことで、警備員はトラブルを避けられたとほっとする。


しかし、彼らはすぐに肩にかけているMP5に手をかけることとなった。なぜなら、



ガシャ、キャラン!



騎士団は剣を抜いて警備隊へ襲いかかったからだ。


すぐに警備隊はグリップに手をつけ、トリガーを引いて射撃を開始する。至近距離で発射された9mmパラベラム弾は鎧を貫通し、一瞬で騎士団員は倒れる。


「シット!港湾事務所に連絡!警戒体制を最大に引き上げさせろ!」



ベニプール港湾事務所


「1、4番ゲートでミストラル騎士団による襲撃事件が発生したとのこと」


「どういうことだ?ミストラル騎士団の意図はなんだ?」


「不明です」


「警戒レベルを最大に引き上げろ、車両と人員は全てだせ、荷物の積み込みを急がせろ」


「ハッ!」


港の人員は慌ただしく動き始め、それまで余裕のあるスケジュールのお陰で比較的のんびりと作業が進んでいた港は、作業員と現場監督の大声が響き続ける激動の場となる。


「2日後の積込の予定だったが、これは重いやつだから今日積み込んで送り出す。あっちは積み込み中止だ」


「3時間後に新しい貨物船が来る。積み込み位置まで動かす時間が惜しい、2番埠頭の船を3時間後まで出港可能にしてくれ」


「ゲート付近にバリケードを構築しろ、何がやって来るかわからん」


「ミストラル政府と連絡がつきません」


作業は徹夜で行われ、凄まじい速度でコンテナと民間人が船に乗せられ、本土へと送りだされていく。


「所長、朗報です。撤退中の軍にフリゲート1隻と海兵隊2個小隊の派遣を取り付けれました」


「よくやった。これで襲撃があっても多少は安心だ」


各地の租借地や撤退拠点の危険な状況を憂慮したアメリカ大統領は撤退中の軍に対し、一部部隊を引き返して護衛につくよう命じていた。


先程までは緊迫し、包囲下にあるような雰囲気であったベニプールも、軍がやって来るとなり多少の落ち着きを見せる。


しかし、依然として不穏であることに違いはなく、不眠不休の急ピッチで作業が進行される。既に作業員以外の民間人は全員送り出されており、輸送船も当初の予定よりも速く到着、出港している。


「残りは!?」


「1隻分だけだ!俺たちもそれに乗って帰る予定だぞ!」


「ラストスパートだ野郎共!」


海兵隊2個小隊も到着し、沖合いには1隻のコンステレーション級フリゲートが鎮座していた。


あと少し、少しすれば全員が何事もなく帰れる。



ヒュゥゥゥ・・・



「・・・頭を下げろ!」



バガァン!!



「全員無事か!?」


「ピンピンしてます!」


海兵隊員の呼び声に警備員は大きな声で答える。どうやら105mm砲弾はでたらめな位置に落ちてくれたようだ。


「砲撃後に来るのは何か・・・全員わかってるな」


その言葉に従い、警備員と海兵隊員はバリケードや車両の影に隠れる。


緊迫しているが、静かな時間が流れる。その時間に終わりを告げたのは、1番ゲートに繋がる道を華やかな音楽と共に現れた戦列歩兵隊だ。


「敵歩兵確認!」


「装備は?」


「マスケットの模様!」


「射撃開始、近づかれる前に全員殺せ!」



ダダダ!!ダダダ!!ダダダ!!



MP5やM4、M249から鉛弾が吐き出され、綺麗に並んだ戦列歩兵へと吸い込まれていく。


しばらくして、戦列歩兵は全滅した。



ニューヨーク 国連総会


いつもなら各国代表が言葉をのべているのを他の全員が見守っている場は、騒がしい会議場となっていた。


やれどこが襲撃されただの、そこは輸送力がキャパオーバーしてるだの、あっちに民間人を動かすだの。


大量の職員と各国の代表者たちが書類と電話をひっきりなしに振り回し、必死に事態の収拾を図っていた。


本国と連絡を取り、どこならばできるだけ素早く、そして大量の物資・人員を異世界側から持ってこれるか。


余裕のない所から余裕のある場所に輸送物を動かすため、国連総会に各地から情報が集められ、分配されていく。


国を越えた緊急事態に、現代では本来見られないような紙の束による情報確認が行われる。


この騒乱は全ての民間人、軍人、そして海外財産の回収が完了するまで続き、各国の行政機関は混迷を極めた。



国連安保理


騒動が収まると、この状況の審議のため、国連安保理へと話が持ち込まれる。


「一体なぜ異世界国家からの連絡が途絶えた上、攻撃してきたんだ?」


議題はこの言葉に尽きる。例の不可解な【声】が聞こえたのち、静寂のうちに終わるはずであった撤退計画は全てが狂った。


「どこも直接的な原因は全くわかっていないか」


「最大の問題は我々に向かって異世界人は全力でやって来ていることだ」


「もはや一刻の猶予もない。すぐに防衛体制を整えなければ」


各国は現在の状況の原因よりも、接近している危機に対応することを優先。


再び国連軍が結成されたが、その規模は異世界全てから加盟国を守るために、これまでとは比べ物にならないものとなった。全加盟国の全ての軍隊の指揮権が委譲され、各地へと再配置されていった。


地球圏は全体が要塞と化した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る