第65話

フィルッツ隷従国 政院


フィルッツの政治中枢の政院は大騒ぎになっていた。


「どう言うことだ!?勇者があの悪魔付きの国家に亡命するなど、天地がひっくり返ってもあり得ない!」


「勇者は召喚してからまだ数週間程度しかたっていない。いずれかの魔術を使って眠らせるなりしたのでは?」


「勇者だぞ!?たかが潜入が専門の奴らが使う小手先の魔術でやられるのか!?」


政院の政員たちの怒号が撒き散らされる。フィルッツという国家自体は弱いわけではない。むしろ、その気になればフェルドル諸島の征服ぐらいは容易いし、多少の外征能力もある。


しかし、新世界秩序という巨大な野望を達成し、維持するにはあまりにも小さい。


だからこそ、古代から名を馳せた戦略兵器、勇者を召喚し、それを主軸にして野望を実行に移した。


「それよりも、勇者を取り戻さねばなるまい。このままでは新世界秩序の形成が瓦解しかねない」


「しかしどうやって取り返す?奴らの本土は相当に遠いようだぞ」


「我々海軍ではすこしキツイ距離だな・・・」


フィルッツは防衛的なドクトリンであり、対外進出への意欲も近年になるまでは低かったため、沿岸海軍が主体であり、また技術的にも遅れている。


「ケールに助力を求めるのはどうだろう」


「ケールに?なぜだ?」


「以前にケールは非文明圏に出兵し、地球圏と戦った事があるらしい。結果がどうなったかはよくわかっていないが、どうも何らかの理由で撤退したらしくてな」


「なるほど、いくらかの工作をすればケールとともに出兵できるかもしれんな」


海軍は貧弱だが、フィルッツの陸軍はそれなりに強力だ。


多数の魔術師による持続的かつ強力な火力投射と、多数の奴隷による人海戦術は過去戦国の時代、幾多もの敵を打ち破っている。


フィルッツは勇者奪還のため、動きを加速させる。



神聖ケール王国 世界統制府


「フィルッツの奴らが釣れたらしい」


「本当か?あんな見え見えの外交工作で釣れたのか」


「フィルッツは相当焦ってるんだよ。きっと」


「まぁ、勇者が拐われるってのは俺たちにとっても予想外だったな」


ケールの世界統制府のフィルッツ対応室の面々はほくそ笑んでいた。


積極的に勇者が倒すべき「悪魔」についての"情報"を流し、さらに新世界秩序に対しても好意的な立ち振舞いをしたことで、ケールに対するフィルッツの印象は非常によくなっていた。


元々は悪魔討伐を宣言させ、それで地球圏へ矛先を向けたときに協力するという話を持ちかけ、討伐中かその後に勇者に働きかけてケールに"招待"する予定であったが、勇者が拐われたという予想外の事態を受け、勇者の奪還に協力するという建前で地球圏にフィルッツとともに出兵し、勇者を"ケール"が奪還するという計画へと修正している。


「前回は軍の連中が先走って非文明圏にいっちまったが、今回はフィルッツの新世界秩序に下った国家を進攻路にして行く」


「フィルッツの陸上戦力も今回はいる。前に受けた屈辱を返してやる」


ケールは前回の出兵で大損害を出し、さらにワシントン勧告は彼らの自尊心に大きな傷をつけた。


ケールは技術だけでなく、生産力もきちんと列強として相応しいだけの能力を持っている。ひとたび産業が軍事のために動き始めれば、この世界ではまれに見る物量を揃えることができるだろう。


平時であっても、非文明圏進攻で負った損害を短期間で回復するだけの力はある。が、長年放置されてきた陸軍はいかんともしがたかった。


長年放置されたかつて持っていた物を現代基準に持ってくるというのは莫大なコストと努力を必要とすることだ。


世界最強と言われるアメリカ陸軍がその典型例だろう。アメリカ陸軍は戦間期、すなわち軍縮の最盛期、最低限を乗り越えた縮小が行われ、装備は第一次世界大戦期のままであり、当時の陸軍の最重要の装備である戦車に至っては100両前後かつ、菱形戦車が混ざっている有り様だった。


アメリカ陸軍は満州事変やイタリアのエチオピア侵攻など、1930年代に入ってから徐々に拡張が行われたが、それでもかの有名なM4シャーマン戦車等が揃い始めるのは1940年代以降である。


しかも、第二次世界大戦での初陣となる北アフリカでは戦力的に優越していたにも関わらず、幾度かの敗北を喫している。数年間にもわたる戦争の経験のブランクは大きかった。


そんなアメリカ陸軍は、戦中から戦後に至るまで、ドクトリンと装備、訓練内容、様々なものを前線からのフィードバックをもとに改良を重ね、数年にわたるブランクを打ち破り、現代ではむしろ世界的にリードする立場にいる。


現在大増強が進んでいるケール陸軍はまさにアメリカ陸軍が北アフリカで味わったブランクという壁にぶち当たっていた。


指揮統制の構造、兵士に施す訓練の内容、1つの部隊の何人にどの装備を持たせるか、そもそも1つの部隊単位をどうするのか。


実戦を長らく経験せず、予算の都合でドクトリン研究なども行われなかった。


そのツケで、予算と数字上の兵力は一気に増えても、軍隊としての訓練と戦力化が遅々として進んでおらず、地球圏への侵攻計画は当分凍結を余儀なくされていた。


浮遊艦隊は長らく大規模運用を続けていた為に再建と拡張は上手くいっているが、陸軍は散々。そんなタイミングでのこの事件の発生である。


フィルッツ陸軍は散々なケール陸軍と比べれば遥かに有力な戦力を有している。


また、フィルッツにとって勇者は現在の国家戦略の遂行に必要不可欠な存在だ。全力をかけての奪還に動くだろうし、動員される兵力も莫大なものになる筈である。


ケール軍だってただ既存の物を増産したわけではない。浮遊艦隊に納入された新型は従来型に対して構造の強化と結界の強化によって防御力を大幅に強化し、さらに武装は多少数を減らしてでも格納式に改めることで防御力を向上させた。



リトアニア ヴィリニュス


『19ヶ国によるヴィリニュス会議の結果、フィルッツに対する賠償の請求や、誘拐に使用した技術の放棄を要求するヴィリニュス宣言が採択されました』


『フィルッツへは数日以内に合同外交団によって通達される予定であり、もしこれらが受諾されない場合は、最終的には軍事行動を含むあらゆる手段をもってフィルッツにヴィリニュス宣言を遂行させるとしています』


リトアニアの首都、歴史ある都市のヴィリニュスで開かれた国際会議にて発せられたヴィリニュス宣言は、多くの地球圏市民と、外周国家群の市民にとって予想できていたものであった。


未だ封建的な外周国家群ではたかが平民の小僧が、という反応も当初あったが、その方法が明らかになると、反応は一本にまとまった。


いつ、どんな場所にいても誘拐される可能性がある。社会の最底辺から王族まで激震が走った。


各国は上から下まで地球圏を支持し、地球圏をよく思わない国家も多い第3魔術文明圏や、元々フィルッツをよく思っていない機械文明圏もフィルッツへと非難的態度をとり、「新世界秩序」からも脱退する国家も現れ始めた。


「勇者の召喚と称した一方的な転移魔術に騙されるな!」


「卑劣な詐称行為をフィルッツはやめるべきだ!」


各地でフィルッツへの批判が溢れ、商船は戦乱を予期して軒並みフィルッツへの取引予定を延期するかキャンセルし、フィルッツ周辺の緊張は頂点へと上っていった。



ロシア連邦 国防省


「ヴィリニュス会議ではもし彼らが要求を蹴った場合、経済制裁ののちに我々が最初に動くことになっているが、どう奴らにダメージを与える?」


「我々の軍事作戦で目標となるのはフィルッツの軍事力とそれを維持する機構の破壊です。よって、軍需工場と逸れに資源を供給する存在を破壊することが求められます」


「具体的には?」


「ケルトランのちょうど南方に位置するコフス島は偵察と情報収集によって多量の鉄を中心とする鉱産資源を産出していると判明しています」


「ケルトランの東に位置するバルブドスと呼ばれている都市からは多数の工業施設が認められており、極めて特殊な構造をしているフィルッツの都市システムを見るに、ここが一大生産拠点であることはあきらかです」


スチームーに拠点を持っていることから、軍事作戦の一番槍を勤めることとなったロシア軍は計画を練り始めていた。


フィルッツの産業を破壊するための爆撃目標に選ばれた2つの地点には、数十機しか存在しない極めて貴重な大型高速爆撃機Tu-160が充てられることとなった。


マッハ2に達する最高速度と大型機相応のペイロードは、フィルッツに対する奇襲的攻撃には最適であると結論付けられたからだ。


ロシア軍による最初の爆撃ののち、フィルッツが屈服しなければ、正式にフィルッツを「テロ組織」認定し、米海軍を中心として洋上からのさらなる攻撃を予定している。


賠償ができなくとも、フィルッツの召喚魔術だけは焼き払わなければならない。二度と同じことができないようにするためだ。

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