第452話 帰還

 第二次ベトゥミア戦争。貴族や軍人たちからは便宜上そう呼ばれ、おそらく歴史上にもそのように名を残すであろう大戦。その戦闘自体は、王暦二二六年の秋にロードベルク王国の勝利で幕を閉じた。


 しかし、万単位の軍勢が激突し、さらにその後に大国同士が講和を結ぶ戦争ともなれば、戦後処理も長引く。敵の捕虜はオストライヒで降伏した者と国内各地で捕縛された逃亡兵を合わせると五万近くに及び、その当面の扱いを決めるだけでも一苦労となる。


 五万人を一時収容する場所を作ることでさえも、容易な仕事ではない。彼らの仮住まいの設置には多くの土魔法使いや労働者が動員されることになる。稀代の土魔法使いであるヴィオウルフ・ロズブローク男爵などは、毎日ひたすら土製の長屋を作る羽目になっている。


 捕虜を管理しつつ、ベトゥミアの暫定政府とは戦後の交渉が行われる。ベトゥミアの捕虜と、奴隷化されたロードベルク王国民の交換交渉。ベトゥミア共和国からの賠償金の支払い交渉。正式な講和条約の締結に向けた交渉。両国の文官たちが日夜顔を合わせ、具体的な話が少しずつ進んでいく。


 何せ、捕虜と王国民の交換だけでも、両国合わせて七万から八万人もの人間が大海を行き来することになる。どのような日程で交換するか。優先的に帰すべき者はどれだけいるか。確認し、スケジュールを組むだけでも膨大な手間がかかる。


 こうした戦後処理が行われる一方で、戦後復興に向けた作業も開始される。


 いかに一方的な勝利を収めた戦いとはいえ、ロードベルク王国にも被害が出ている。民の人的被害はほとんどないが、敵の進路上にあったために捨て置かれた村や都市などは荒らされ、その復興にはそれなりの費用と人手を要する。


 これら復興にかかる費用や、必要な人手を雇う費用は、ひとまず王家の財布から出される。王家の出費は後にベトゥミア共和国から支払われる賠償金によって補填されることとなる。


 諸々の作業が進む中で、総勢七万にも及んだロードベルク王国の軍勢は各部隊が随時解散し、規模を縮小。参戦した貴族や近隣諸国の王族は、代表者の一行を残して兵を帰還させていく。


 アールクヴィスト大公国軍も、ノエインとその警護要員たる正規軍、そしてクレイモアの一部を残し、その他の兵は全て本国へと帰還させた。人口の一割近い人間をあまり長く出征させていては、本国の社会維持に影響が出るためだ。


 ノエインが長くロードベルク王国に留まったのは、ベトゥミアより得られる賠償金の分配にノエイン自身が意見を述べ、妥当な額の分配を引き出すためだった。


 その話し合いもようやく一段落したのが、十一月の中旬。季節は既に冬に入ろうとしていた。この段になってようやく、ノエインは当面の仕事を終え、自身の帰国を決めた。


「時間がかかってすまなかったな、アールクヴィスト大公」


 帰路に発とうとするノエインを国王自ら見送りに来たオスカーが、微苦笑交じりに言う。


「いえ。むしろ今年中の帰国が叶うのは、私としては予想外の幸いです。陛下のご配慮に感謝いたします」


 それに、ノエインは笑顔で答えた。


「……そうか。そう言ってもらえるとこちらとしても助かる。しばらくは我が国もごたつくだろうが、来年の半ばには王都で戦勝の宴を開けるだろう」


「ありがとうございます。どうかご心配なく」


 ノエインはそう返し、オスカーの見送りを受けて出発する。


 馬車の隊列は、空気が随分と冷えたロードベルク王国南部の道を着実に進む。


 オストライヒ近郊から王都へ。そこから北西方向へ。予定では三週間ほどでアールクヴィスト大公国へと到着する予定。移動の実務は全て臣下たちに任せ、ノエインはただ、馬車の中で揺られるのみだった。


「――やっぱり、エレオスを留学させるとしたら来年かな? ロードベルク王国の復興も、この調子なら思っていた以上に早く進みそうだし。来年の秋頃なら、王都リヒトハーゲンも落ち着いてるだろうし」


「問題ないかと思います。エレオス様は来年には十歳になられますし、ノエイン様のご才覚を受け継いだ聡明なお方です。リヒトハーゲンの高等学校でも、多くを学び、たくさんのご学友を作られることと思います」


 ノエインが雑談がてらにマチルダに相談していたのは、継嗣であるエレオスの今後の教育について。


 大公立ノエイナ高等学校もずいぶんと発展したが、それでもやはり大国たるロードベルク王国の王都高等学校には叶わない。また、大陸南部でも有数の巨大都市たるリヒトハーゲンでは、大公国にいては受けられない多くの刺激を体感することができる。


 ノエインとしてはエレオスの教育のため、そして彼に広い世界を見てもらうために、彼をリヒトハーゲンへと留学させることを考えていた。


 戦争は終わった。平和を勝ち取った。ノエインは未来を見ていた。


・・・・・


 十二月の半ばには、アールクヴィスト大公国軍の一行は故郷へとたどり着いた。


 季節は既に冬に入っているが、久々に見た故郷は暖かい。皆が熱気をもって出迎えてくれるなら尚更に。


 およそ半年に及ぶ出征からの帰還は、ノエインに深い感慨を覚えさせた。


 公都ノエイナの住民たちが手を振って出迎えてくれる中で、馬車の列はアールクヴィスト大公家の屋敷へ。公妃クラーラと、臣下や使用人の皆が出迎えてくれる中で、ノエインはマチルダと共に馬車を降り立つ。


 共に出征したユーリたち武門の臣下も、下馬し、あるいは馬車を降りる。


「ノエイン・アールクヴィスト大公閣下。ご無事でのお戻りを心より嬉しく思います。おかえりなさいませ」


「ありがとう。皆も出迎えご苦労さま」


 臣下や使用人が一斉に礼をする中で、まずは大公とその妃として、ノエインとクラーラは言葉を交わす。


 そして次に、夫と妻として微笑み合う。


「……ただいま、クラーラ」


「おかえりなさい、あなた」


 まずは一歩、歩み寄る。さらに数歩近づき、クラーラは我慢できずにノエインへと駆け寄り、自身より背の低いノエインを両腕で包むように抱き締めた。


「……ご無事で本当によかったです。会いたかったです。愛しています」


「僕も会いたかった。クラーラ、愛してる」


 ノエインもクラーラの背に手を回し、彼女としっかり抱き締め合う。しばらくの間そうして、身体を離すと今度は軽く口づけを交わす。


「マチルダさんも、おかえりなさい」


「ただいま帰りました、クラーラ様」


 クラーラは今度はマチルダと言葉を交わす。ノエインを愛する同志として二人は抱擁する。


「……父上。お帰りなさいませ」


「おかえりなさいませ!」


「ただいま、エレオス、フィリア」


 妹の手を引くエレオスと、兄に手を引かれたフィリアとも、ノエインは言葉を交わす。


 駆け寄って胸に飛び込んできたフィリアをしっかり抱き締め、落ち着いた足取りで、しかし嬉しそうな表情で歩み寄ってきたエレオスの頭を撫でる。


 ノエインたちがこうして再会を喜ぶ一方で、臣下たちもそれぞれ再会を喜ぶ。


 予備役兵を連れて先に帰っていたダントやリック、グスタフが戦友に労いの言葉をかけ、彼らと言葉を交わした帰還組は、それぞれの家族のもとに歩み寄る。


 ユーリはマイと子供たちのもとへ。ペンスはロゼッタと子供たちのもとへ。ラドレーはジーナと子供たちのもとへ。アレインはメアリーと子供のもとへ。コンラートも、自身の妻と子供のもとへ。


 兵士たちも、それぞれの家族と再会して、無事での帰還を喜び合う。


 今回は誰一人欠けることなく、故郷への帰還が叶った。これまで培った全てを、備えた全てを、積み上げた全てをもって、ノエインは全員を生きて帰らせた。


「あなた、外は冷えますわ。ひとまず中に入って、ゆっくりなさってください。長い出征でお疲れでしょう」


「そうだね。凄く疲れたよ……懐かしいね、久々の我が家だ」


 七年前の長い出征から帰ってきた時のように、しかし七年前よりもずっと清々しく明るい気持ちで、ノエインは屋敷の、愛しい我が家の扉を潜る。


 帰ってきた。未来を、平和を勝ち取り、生きて帰ってきた。


 溢れるほどの幸福に包まれながら、ノエインは家族と共に我が家に入った。



★★★★★★★


次回更新は12月30日になります。

次々回、1月3日の更新で本編は一旦完結となります。最後までどうぞよろしくお願いいたします。

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