第453話 その後

 第二次ベトゥミア戦争を大勝で終え、冬を挟んだ王暦二二七年の初春。


 ロードベルク王国の王都リヒトハーゲンにある王城で、オスカー・ロードベルク三世はベトゥミア共和国暫定政府の全権大使と顔を合わせていた。


「――それでは陛下。第一回目の賠償金は、六月までには確実にお支払いをさせていただきます」


「くれぐれも頼むぞ。ウッドメル首相にもよろしくと伝えてくれ」


「かしこまりました、確かに伝えさせていただきます」


 全権大使が届けに来たのは、臨時首相からの新年の挨拶。そのついでに、講和の条件であるベトゥミア側からの賠償金の支払いについても軽く確認がなされていた。


 莫大な額になる賠償金は五か年をかけて支払われる予定で、支払いの実務では、各年の支払額がさらに二分割されて届けられ、全十回での支払いとなる。


 大使が退室していくのを見届けたオスカーは、気を抜いて椅子にもたれかかる。


「……ようやくまとまった金が入ってくるな」


 同席していた軍務大臣ラグナル・ブルクハルト伯爵と外務大臣エリーシュカ・ノヴァチェク伯爵が、オスカーの態度を見て苦笑する。


 第二次ベトゥミア戦争はロードベルク王国側が大勝を収めた戦いではあったが、それでも数万の軍勢を動かし、王都とオストライヒを結ぶ街道沿いの村や都市を戦略的に見捨てたために、かなりの経済的損失を出した。


 七年前の大戦から国を建て直すために、国庫から相当の出費をしてきた上での今回の戦争。その後の復興費用の捻出。王家の懐事情は相当に厳しい状況となっていた。


 そこにあと数か月で、数十億レブロの大金が入ってくる。これでやっと一安心できる。


「今のところ、国の周辺にはさして大きな懸念事項もない。戦いの日々も終わりか……」


「賠償金を内政のために用いることができるとなれば、ロードベルク王国は陛下の治世のもとにさらなる発展を遂げていくことでしょう」


「二度の侵略から王国を守りきり、全面的に有利な講和を果たし、さらに国内発展を成したとなれば、陛下は王国中興の祖として歴史に御名前を刻まれるでしょうな」


 二人の大臣が語る調子のいい話に、オスカーは小さく笑いながら横を――歴代国王の肖像画が並ぶ、謁見の間の壁を見る。


「中興の祖か……もしそう呼ばれるのであれば悪くない」


 まだ十年は自分の治世が続くであろうし、終わっていない仕事も多い。しかし、少なくとも激動の日々は乗り越えた。全て上手くやったとは冗談でも言えないが、ベトゥミアという大国から国を守ることはできた。


 願わくばこれからは、国の現状維持ではなく発展を成す君主になりたい。


・・・・・


「父上、なかなかお疲れのご様子ですね」


「まったくだ。戦後のあれやこれやで王都は慌ただしいこと極まりないからな。私も王国北西部や周辺国に伝手を持ち、なおかつ暇な貴族として、宮廷貴族どもと連日会う羽目になっている。何のために王都に越したのか、これでは分からん」


 久々に自領の屋敷に帰ったアルノルド・ケーニッツ伯爵は、領主代行を務める嫡男フレデリックにそう語った。王都での楽隠居を中断して領地に一時戻ったのは、宮廷貴族たちからの接触があまりにも煩わしかったからという理由もある。


「ほぼ無傷で戦いを終えた北西部は、これからの王国復興とさらなる発展に向けて大きな役割を果たします。アールクヴィスト大公国と強力なつながりを持つケーニッツ伯爵家ともなれば尚更に。宮廷貴族たちが父上との伝手を繋ぎたがるのも無理のない話でしょう。半分隠居したとはいえ、父上は未だ我が家の当主ですから」


「……そのことだがな。お前、来年か再来年あたりにも正式に家督を継がないか?」


 アルノルドはそう切り出した。今回帰ってきたのは、この話をするためだった。


「もう当面は平和が続くであろうし、北西部の他の貴族家も代替わりを進めている。シュヴァロフ卿はとっくに隠居し、ベヒトルスハイム閣下も、マルツェル卿でさえも隠居を決めた。私も当主の座を退くには丁度いい頃合いだ」


 ジークフリートの嫡女であるエデルガルトも、エドムント・マルツェル伯爵の嫡男も、フレデリックとは交流があり、全員が穏健派寄りということで比較的仲も良い。北西部閥が足並みを揃えるためにも、派閥の若返りを果たす頃合いだった。


 若返りによる当主の経験不足もさほど心配はいらない。代が替わるとはいえ、アルノルドたち先代の多くはまだ当面は生きている。生きていれば助言もできる。


「……分かりました。そのつもりで、今から心構えをしておきます」


「ああ、頼んだぞ……色々あったが、私たちの時代もようやく終わりだ」


 やりがいはあった。楽しいことも数多くあった。が、疲れた。


 表沙汰になる大失敗はせずに済み、それどころか新たな隣国との強力な伝手を築き、伯爵への陞爵まで果たした。自分の才覚で成した成果としては十分すぎる。


 自分がケーニッツ家の当主として過ごしてきた日々に、アルノルドは満足していた。


・・・・・


「……皆、ベトゥミア共和国で奴隷として扱われていた割には、思っていたよりも元気なようだね」


「ベトゥミア側の官僚の話では、帰国の道中はしっかりと食事をとらせていたそうです。この数週間で体力を回復させたのでしょう」


 領都ラーデンの港で、ベトゥミア共和国から帰国を果たしたロードベルク王国民の第一陣を眺めながら言うジュリアン・キヴィレフトに、側近のエルンスト・アレッサンドリ士爵が答える。


「それは何よりだ。彼らがすぐに王国社会に復帰できるとなれば、陛下もお喜びになるだろう……彼らの一時受け入れ場の稼働も問題ないかな?」


「今のところは。ただ、帰国の第一陣は人数が少なかったので良かったものの、第二陣以降は倍以上の人数になるため、そうすると受け入れ場の人手が不足しそうだと報告が上がっております」


「そうか……第二陣が来るのは二か月後だったね。それまでに増員しておこう」


「かしこまりました。そのように手配しましょう」


「ああ、頼んだ……これからが本番だな」


 捕虜の返還と王国民の帰還において、ラーデンは重要な役割を果たす。キヴィレフト伯爵領の領主であるジュリアンに求められる仕事も多い。


 責任の重い大領の領主の務めに、しかしジュリアンは随分と慣れた。


 この成長を、きっと両親も喜んでくれている。そう思いながら、ジュリアンは屋敷に戻る。帰ってからも仕事はまだまだある。


・・・・・


「まったく、魔法使いというものは……」


 ヴィオウルフ・ロズブローク男爵が自領へと帰還する目処が立ったのは、冬明けだった。土魔法使いとしての稀代の才を買われ、王命で復興作業や捕虜の収容所建設作業にこき使われていたためだ。


 もちろんその才を惜しみなく発揮するにふさわしい報酬はもらい、戦争と戦後処理での格別の働きに対してヴィオウルフ個人に名誉子爵位が与えられるという利益もあったが、気の休まる領地に帰る日はこうして遠くなった。


 便利な力を持つが、だからこそ便利に頼られる魔法使いの運命を、ヴィオウルフは今だけは少し呪っていた。


「今の閣下があるのは魔法の才のおかげでしょうに、なんとも贅沢な愚痴ですな」


「愚痴くらい好きに言わせてくれ、セルジャン。私はそれだけの働きはしたぞ」


 馬に揺られながら、老齢の従士長とそんな雑談を交わすヴィオウルフを見て、徒弟のパウロが苦笑する。ヴィオウルフに拾われた当初はまだ子供だったパウロも、今ではすっかり青年らしくなった。


「……ああ、そうだ。パウロ」


「何でしょうか、閣下」


「お前、今年の秋から王都の高等学校に通わないか?」


「……私がですか?」


 突然の話に、パウロは目を丸くする。


「ああ、私の息子をこの秋に留学させる話はしただろう? だが、やはり従者を一人は付けておきたいからな。平民のお前を入学させるための寄付金についても、今回の働きで目処が付いた……お前も間もなくロズブローク男爵家の正式な従士で、年齢的にも息子の側近格になるだろう。この機に多くを学び、見識を広めてくるといい」


「……かしこまりました。心して学ばせていただきます」


 元は傭兵の息子で、一度は身寄りのない孤児となった自分が、貴族家嫡男の従者として王都の高等学校に通う。


 夢のような待遇に、パウロは表情を引き締めた。


・・・・・


 ランセル王国の王都サンフレールで、女王であるアンリエッタ・ランセルは今日も執務に追われていた。


「――では女王陛下、街道整備の件については以上のように進めてまいります」


「お願いね。ベゼル街道の整備維持は我が国にとって極めて重要よ。進捗は定期的に報告して頂戴」


「御意に」


 午前中から官僚との立て続けの打ち合わせを終えたアンリエッタは、ようやく一息つく。そこへ、扉を軽く叩く音が聞こえた。


「入っていいわよ」


 また何か急ぎの報告でも入るのか。そう思ってため息をつきながらアンリエッタが入室を許可すると、


「おかあさま!」


 扉が開くなり飛び込んできたのは、最近ようやく歩くことと話すことを覚えた幼い娘だった。


「あらあら、執務室まで来てしまったの?」


「おかあさまにあいたかったの!」


 とてとてと歩いてきた愛娘に続いて、ロードベルク王家から婿に来た夫クラウスが苦笑しながら入室する。


「仕事中にすまない。君に会いたいと言って聞かなくて」


「大丈夫よ。ちょうど一段落したところだったから」


 アンリエッタも夫に苦笑で返しながら、愛娘を抱き上げた。


「ねえおかあさま! えほんをよんで?」


「……そうね、少し早いけど、一緒にお昼休みにしましょうか」


 その言葉に目を輝かせる娘を抱いたまま、アンリエッタはクラウスと共に部屋を出る。


 女王としても、母親としても、アンリエッタの日々は極めて順調だった。


・・・・・


 レーヴラント王国の王都クルタヴェスキ。その王城で、旅装のヘルガは国王である父ガブリエルに見送られていた。


 ロードベルク王国での戦いを終え、冬を前に帰国を果たしたヘルガは、春になったこれからまたロードベルク王国に赴く。オスカー・ロードベルク三世に新年の挨拶をし、ロードベルク王国から見聞を広めるために大陸北部を訪れる官僚や留学生の使節団を自ら迎えに行くために。


「それではお父様、行ってまいりますわ」


「ああ、気をつけてな」


 ヘルガに言いながら、ガブリエルの表情は少し寂しげだった。


「お父様? どうなさったのです?」


「……お前が我が国の将来のため、積極的に動いているのは良いことだ。着実に成果を上げていることも国王として喜ばしい。だが……お前が家を空けることが多くなったのは、やはり寂しくてな」


 すなわち、ガブリエルはどこにでもいる、なかなか子離れできない一人の父親だった。


「ふふふ、相変わらずですね。大丈夫です。今回はただの親善訪問で、二か月もすれば帰って来ますわ」


 ヘルガがそう言いながら父の頭を撫でると、娘に慰められたガブリエルもさすがに苦笑した。


「五年も前まではまだまだ子供だと思っていたが、いつの間にか私より大人になってしまったようだな……我が娘よ。王女としての務めをしっかりと果たして来るといい」


「ええ、お任せください」


・・・・・


 ベトゥミア共和国軍本部。最高指揮官の執務室で、アイリーンは疲れきった表情のスティーブ・バーレルと顔を合わせていた。


「大きな刑事罰には問われずに済んでよかったな、スティーブ・バーレル大軍団長」


「……どうせあんたが裏で根回しをした結果だろう、アイリーン・フォスター将軍閣下」


 二度将軍に上りつめ、二度大軍団長に降格される。そんな、共和国軍の歴史を見てもおそらく初めての経歴を持つスティーブは、ため息交じりに答える。


「それで、俺はこれからどうなる? 不名誉除隊にもならなかったということは、またあんたの手駒として働くのか?」


「その通りだ。パターソン将軍たちが異国の地で消えてくれたのは暫定政府としてはありがたかったが、その結果として今の我が軍には将軍格が私を含めて三人しかいない。おまけに他の二人は大軍団長から昇格したばかりの、将軍としては新米だ。将軍の経験があり、性格はともかく軍人としては優秀なお前は貴重な人材だ。今まで以上に、それこそ馬車馬のように働いてもらうぞ」


 アイリーンが不敵な笑みを浮かべて言うと、スティーブは呆れた様子で、しかし笑みを返してくる。


「……もう、どうとでも好きなようにしてくれ。いくらでも言われた通りに、ぶっ倒れて死ぬまで働いてやるよ。それで弟への償いになるのならな」


「その意気だ、大軍団長。だがそう簡単に死んで楽にはさせないぞ。最低でもハミルトン将軍やパターソン将軍よりは長生きして、その全人生を国のために使ってもらうからな……では、具体的な任務は負って伝える。まずは自分の指揮する部隊と顔を合わせてくるといい、大軍団長」


「……かしこまりました。将軍閣下」


 スティーブは諦念混じりの顔で敬礼し、退室していった。

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