第451話 終戦

 呼ばれたのはノエインだった。ノエインが後ろを振り返ると、ベトゥミア共和国軍側の将の一人――スティーブ・バーレル将軍が立ち上がり、ノエインの方を見ていた。


 その顔に浮かんでいるのは、悔しさ。あるいはやるせなさ。少なくともノエインに対して好意的な感情ではない。


「お、俺は弟の仇を……七年前に貴殿に殺された弟の仇を討つためにこの地へ再び来た。それなのに、それなのに貴殿と直接戦うことさえ叶わず、富国派は敗れ……俺は、俺は一体なんのために。俺と貴殿の、一体何がそれほど違って……」


 スティーブの言動はこの場で語るには唐突で、内容もまとまっておらず、彼が感情的に動揺しているのは明らかだった。


「やめろ、バーレル将軍……アールクヴィスト大公閣下。申し訳ございません。彼はひどく混乱しているようで。将の一人とはいえ、このような状態でここへ連れてくるべきではありませんでした」


「いえ、構いません」


 ノエインはドナルドに答え、スティーブの方を向いて彼に数歩近づく。


 護衛として同席していたユーリがノエインを庇うような位置に立とうとするが、ノエインはそれを手で制した。


 スティーブは重傷を負っており、どう見てもノエインに急に襲いかかれる状態ではない。仮にスティーブがノエインに襲いかかろうとしても、ユーリならば後ろから余裕で止められる。


「スティーブ・バーレル将軍。御名前に聞き覚えがあります。確かあなたは、七年前の戦争では王都侵攻部隊の指揮を務めていたのでしたね。七年前、あなたの弟君は私の戦った西部戦線に?」


「……そうだ。そこで死んだ。貴殿のゴーレム部隊に殴り殺されたと、弟の戦友から聞いた」


「なるほど、そうでしたか」


 オスカーやドナルド、両軍の将たちが見守る中で、ノエインはスティーブと言葉を交わす。スティーブの話を聞き――自身の左胸に右手を当て、スティーブに頭を下げた。


「一軍人として勇敢に戦い、異国の地で亡くなったあなたの弟君に心から敬意を表します。当時、私はあなたと弟君の敵でしたが、戦場に散った者を敬うのに敵味方は関係ありません。それが戦う者の掟です」


 ノエインの行動に、スティーブは虚を突かれた表情になる。


「我々と貴国の戦いは終わりました。間もなく講和が結ばれます。すなわち、我々と貴国はもはや友邦です。友邦の今は亡き戦士が、悠久の安らぎを得られるよう、心から祈っています。七年前の戦いで、私の民も二十四人が死にました。私は今も毎週、教会で彼らの冥福を祈っています。次に彼らを思って祈るとき、あなたの弟君の冥福もまた祈りましょう……」


 ノエインはスティーブに歩み寄り、彼の肩に手を置いた。


「あなたの弟君の犠牲が、貴国の再生と発展の礎となることを心より願っています。スティーブ・バーレル殿」


 スティーブは呆然として、その場に膝をついた。ノエインは彼に一礼し、踵を返す。


 誰が見ても、ノエインの勝ちで、スティーブの負けだった。これまで積み上げてきた実績と経験、それに裏打ちされた器の大きさを以て、ノエインはスティーブの卑小な復讐心を霧散させ、ねじ伏せてみせた。


 天幕を出たノエインの横に、オスカーが並んで歩きながら声をかける。


「アールクヴィスト大公。お前、あの将軍にこのまま恨まれるのが面倒で、適当に優しく聞こえる言葉をかけただろう?」


 問われたノエインは、前を向いたまま意味深な笑みを浮かべる。


「さて、どうでしょうか」


・・・・・


 その数時間後。オストライヒの門に、ドナルドの率いる百余騎の騎兵が集まっていた。


 彼らはその全員が、富国派と深く結びついてきた古参の将官や士官。若いものでも四十代半ばを超え、ドナルドと同じように齢六十に届く者もいる。


 富国派と共に手を汚してきた過去を抱えながら人生をやり直すには、今さら遅すぎる。自分たちが生きていても祖国の害になるだけ。そう考えてここに運命の終結を決めた者たちだった。


 静かに出発のときを待つドナルドの傍に、スティーブが歩み寄る。ロードベルク王国側との話し合いの場では取り乱したスティーブも、今は落ち着いていた。


「……司令官閣下。わ、私も閣下にお供させていただくことは、本当にできないのですか?」


 まだ齢四十にも届いていないスティーブに、ドナルドは玉砕を許さなかった。同じ将軍職でありながら、自分だけが生き永らえることに負い目を感じているらしい彼の様子に、ドナルドは微苦笑する。


「私たちと比べれば、お前はまだ若い。富国派との結びつきも弱かった。お前ならばまだやり直せる」


「ですが、それでも私は……俺は、富国派でした。このまま国に帰って、大きな罪には問われなかったとしても、一体どんな顔をして生きていけば……死んだ弟にも、顔向けできません」


「だからこそだ。バーレル将軍」


 途方に暮れた顔のスティーブに、ドナルドは言った。


「富国派政府とその一派は……共和国を築いた当初は違ったかもしれないが、少なくとも晩年は腐り果てていた。私たちはそんな一派の象徴として死ぬ。だからお前は生きろ。生きて贖罪を成し、変革を遂げた共和国の行く末を見届けてくれ」


 語りながら、ドナルドは少しの罪悪感を覚える。


 富国派の時代と共に消え去る。それは自分たちに残された、矜持を守る唯一の方法だ。それでもやはり、自分たちと同じ一派として今までを生き、その過去を背負ってこれからも生き、自分たちの代わりに未来を見届ける者がいてほしい。そう思ってしまう。


 だからドナルドは、スティーブのようにまだ歳を食っていない人間にその役目を押しつけようとしている。命に縋りつき、今生にしがみつくことを強いている。


「どれほどの恥を感じながらでもいい。富国派として生きながら国民派に鞍替えした人間として、後ろ指をさされながらでもいい。それでもお前は生きてくれ。お前の弟のために未来を見るのだ」


 弟のことを出されたスティーブは、ようやく表情を変えた。


 決意、などという簡単なものではない。屈辱も悔しさも、諦念も迷いも恐れも、複雑に絡まり合った感情を内包した表情だった。


「……」


 無言で敬礼するスティーブに、ドナルドも馬上から答礼する。


「司令官閣下。全員の出発準備が整いました」


「そうか……では諸君、行くぞ」


 将官の一人から言われたドナルドは、共に玉砕する者たちに呼びかけ、オストライヒの門を出る。


 一同はしばらく進み、平原に並ぶ。その前方には、ロードベルク王国軍が――ドナルドたちの玉砕に付き合ってくれる、オスカー率いるおよそ三万の軍勢が対峙していた。


 この戦力差だ。敵のもとに届くことさえ叶わない、まさに玉砕のための玉砕となる。


「……政治参与殿。本当にあなたも来るのですか?」


 騎乗して整列する皆の中に混じっているディケンズ議員に、ドナルドは尋ねる。


「逆に何故、私が来ないと思うのです? このまま国に帰れば私の運命など分かりきっています。ならば、私はここで富国派として死ぬ。それが富国派議員にふさわしい最期でしょう」


 相変わらず据わった目で答えるディケンズ議員に、ドナルドは苦笑した。


「では、お好きに」


「ええ、好きにさせてもらいますとも」


 ドナルドはディケンズ議員から視線を外し、自身と共にこれから玉砕する全員を見回す。将軍、大軍団長、軍団長、あるいはそれらの側近格。皆、清々しい表情をしていた。


 富国派の腐敗を間近で見ながらも、保身のために、あるいは文民統制の原則に思考停止して従い、今まで何もせずにここへ来た。そんな日々ももう終わる。だからこそ、皆が何かから解放されたような顔をしていた。


「諸君、我々の時代は終わった。この時代と共に、皆で世を去ろう……突撃」


 それは、突撃命令にしては静かな声だった。最後の命令に従って、軍部における富国派の手足となってきた高級軍人たちが前進する。


 一塊になった百余騎は、死へと繋がる平原を駆ける。


 それを、ロードベルク王国とその友邦の軍勢が迎え撃つ。


「全軍、攻撃用意!」


 敵は僅かに百余騎。それでも、オスカーは迎え撃つ三万による、全力での迎撃を命じる。敗戦の責を取り、死ぬことを選んだ敵将たちへの礼儀として。


 ロードベルク王国の、アールクヴィスト大公国の、ランセル王国の、レーヴラント王国の、バリスタ隊が、弓兵が、クロスボウ兵が、魔法使いが、向かってくる敵を狙う。


「放て!」


 オスカーの命令は士官たちを伝って広がり、数百のバリスタ、数千の弓とクロスボウ、数十の魔法陣から攻撃が放たれる。その巨大な破壊の波は、百余騎を瞬く間に飲み込んだ。


 それから間もなく、スティーブ・バーレル将軍の指揮のもと、オストライヒに籠城していた侵攻部隊の残存兵力はロードベルク王国へと降伏した。




★★★★★★★


執筆ペースの関係で、次回更新は12月25日になります。申し訳ございません……

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