第450話 矜持

 オストライヒに立て籠もるベトゥミア共和国軍の侵攻部隊と、それを睨むロードベルク王国側の軍勢。両者の陣のちょうど中間に位置する平原の只中に、話し合いを行うための天幕が置かれた。


 両軍の護衛が天幕を囲み、立ち並ぶ中で、両軍の大将格は顔を合わせた。


 会議机を挟んだロードベルク王国側。その中央に立つのは、総大将オスカー・ロードベルク三世。オスカーの左右には、軍務大臣ラグナル・ブルクハルト伯爵や、派閥盟主の侯爵たち、さらにアンリエッタ・ランセル女王やノエイン・アールクヴィスト大公、ヘルガ・レーヴラント王女が並ぶ。


 対するベトゥミア共和国側には、ドナルド・パターソン将軍やスティーブ・バーレル将軍をはじめ将軍格や大軍団長格の者が並ぶ。その数はロードベルク王国側よりも少ない。


 東部防衛部隊を指揮した将軍は重傷を負って動ける状態になく、その他にも死傷した将官は多い。スティーブ・バーレル将軍も顔と腕には布が巻かれ、痛々しい血の染みが滲んでおり、なんとかこの場に同席している状態だった。


「ロードベルク王国の国王、オスカー・ロードベルク三世だ」


「ベトゥミア共和国軍、ロードベルク王国侵攻部隊の司令官、ドナルド・パターソン将軍です」


 格で言えば、一国の王であるオスカーが一軍人であるドナルドよりも上になる。オスカーは尊大に名乗り、ドナルドは儀礼に則って丁寧な挨拶をする。


 他の者も名前と立場を名乗り、一同は席につく。


「それで、話があるということだが?」


 切り出したのはオスカーだった。対話のペースを握るための、そして「ベトゥミア共和国軍の要望をロードベルク王国が聞いてやる」という構図を作るための発言だ。


「はい。畏れながら、単刀直入に申し上げます。現在オストライヒに籠城するベトゥミア共和国軍の侵攻部隊は、ロードベルク王国に降伏したく存じます」


「……ほう」


 ドナルドの一切飾らない潔い言葉に、オスカーは片眉を上げた。


「陛下も既にご存知かもしれませんが、我が国では政変が発生し、新たな政府が発足しました。我々はもはや亡国の軍も同然。もはやベトゥミアの正規軍とは呼べない存在になりました」


 ベトゥミア共和国は名を変えてはいないが、今の共和国を治める暫定政府は、数週間前と地続きではなくなった。侵攻部隊が仕えていた政府――富国派による政府は消滅した。


「だからこそ、我々は降伏を望みます。貴国に降伏した侵攻部隊の一同が、ベトゥミア共和国民としてどのように扱われるかは、貴国と共和国暫定政府の決めることです」


 侵攻部隊には富国派と繋がっていた正規軍人もいるが、その多くは大きな不正に直接関わっていたわけではない。既得権益層の最下層にいた数万人まで切り捨てれば、その親類や知人友人である数十万人の共和国民の強い反感を買うことになるため、暫定政府もそんな強硬な選択はとれない。


 また、志願兵たちは一般国民であり、彼らを丸ごと見捨てればそれこそ大問題になる。なので、侵攻部隊がロードベルク王国に降伏した後も、暫定政府は彼らの帰国のために王国と適切な交渉をする。


 暫定政府の使者からそう確約があったからこそ、ドナルドもこうして王国への降伏を願い出ている。


「そうか。良いだろう、卿らの降伏を受け入れよう。その後の卿らの処遇についてもあまり心配するな。我々も数万の異国の捕虜など抱えていても困るからな。その暫定政府と交渉して、然るべき対価と引き換えに共和国へと送り返してやる」


 オスカーはあっさりと承諾した。これは予定されていた返答だった。彼ら捕虜を、七年前にベトゥミア共和国へと連れ去られたロードベルク王国民と引き換えに返還することは開戦前から決まっている。


「感謝申し上げます、陛下」


 ドナルドは慇懃に礼を述べた。


 それから、両軍の将官や同席している文官も交えて、具体的な降伏の流れが話し合われ、決められていく。数万人の軍隊の降伏ともなれば、計画立てて進めなければ大混乱に陥るためだ。


 概要がまとまり、話し合いもそろそろ終わりかという段になって、ドナルドが口を開いた。


「陛下。最後にひとつ、私をはじめとしたこの侵攻部隊の古参将官や士官より、お願いがございます」


 ドナルドの言葉に、共和国側の将官たちが背筋を正す。


「承諾できるかは分からんが、とりあえず聞こう」


「感謝いたします……我が軍の古参の将官や士官、おそらく多くとも百人ほどになるでしょうが、一同揃って玉砕したく存じます。畏れながら陛下の軍には、最後に我々にお付き合い願えますと幸いにございます。他の兵士たちにつきましては、若い将官や士官に命じ、我々の玉砕後に即降伏するよう命じておきます」


「……ほう。卿らは富国派に殉じて死にたいというわけか」


「仰る通りです」


 オスカーは半ば皮肉のつもりで言ったが、ドナルドは真剣そのものの表情で答えた。


「……富国派政府がどうして打倒されたかは、我々にも分かっているつもりです。ベトゥミア共和国は、民による民のための国家を目指して建国されました。しかし、どれほど崇高な理想を掲げた国家も、それが人間による国家である以上はいつか腐ります。富国派による従来のベトゥミア共和国政府は、既に寿命を迎えていたのでしょう」


 ドナルドはそこで言葉を切り、僅かに、自嘲気味な笑顔を見せた。


「富国派の抱えていた問題点は、その傘下にいた我々こそがよく分かっています。今までの祖国を、我々は誇ることはできません。それでも我々は祖国を愛しています。どれほど腐ろうと、我々にとってはかけがえのない祖国です。なればこそ、我々はこの地での戦死をもって、富国派政府とともに消えるべきです」


「……生きて国に帰り、祖国の誇りを取り戻すという考えはないのか」


「我々があと十年か十五年も遅く生まれていれば、そうしたかもしれません。しかし、我々はあまりにも長く富国派の仲間として生き過ぎました。今さら祖国に帰ったところで、我々の居場所はもはや存在しません。我々が下手に生きて帰れば、余計な不和の火種になりかねない。我々がここで消えてこそ、共和国は邪魔を受けずに次の一歩を踏み出せます……そこからは、フォスター将軍をはじめとした次世代の軍人たちが国を守ってくれることでしょう」


 ドナルドたちは富国派の犬であると同時に、軍人だった。成功の見込みも薄いまま、政治的な都合のみで計画され、実行され、若者たちの命を磨り潰していくこの戦争の只中に居続けたことで、軍人として共和国の現状に嫌気がさしていた。


 ここで消える。富国派と共に終わる。それがドナルドたちにとって、古い軍人として祖国を守るためにとれる唯一の選択であり、矜持だった。


 ドナルドの話を聞いたオスカーは、一度小さく笑い、ドナルドを見据える。


「よかろう。卿らの玉砕に付き合ってやる。ただし、少しばかり準備の時間をもらうぞ……向かってくる敵を全力で迎え撃つとなれば、すぐには動けんからな」


「ありがとうございます、陛下」


 ドナルドたち共和国軍人が頭を下げる中で、オスカーは立ち上がった。話し合いはこれで終わった。


 ロードベルク王国側の他の将たちも、オスカーに続いて立ち上がる。話し合いの場である天幕を去ろうとする。


「あ、アールクヴィスト大公!」


 そこへ、声がかけられた。呼ばれたのはノエインだった。

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