第447話 政変

「帰還予定日から二週間が経った現在も、前回の輸送隊は未帰還。侵攻部隊の状況を報せる連絡船も未到着。軍内の富国派閥の間には大きな動揺が広がっております」


「……そうか」


 ベトゥミア共和国の首都。共和国軍本部の最高指揮官執務室で、アイリーンは副官の報告を受けて呟いた。


「これはロードベルク王国海軍が上手くやったと見て間違いないな……王国に待ち受けられた上に、補給が滞った状況だ。あちらの戦いがどう転んでも、侵攻部隊は当面戻って来られないだろう。実行するぞ」


「はっ。計画通り、まずは情報操作からで?」


 アイリーンに尋ねた副官は、記録上死亡して現在はロードベルク王国に密使として滞在する叔父ジョージの息子。アイリーンにとっては従兄にあたる。


「ああ、それで頼む。詳細については国民派筆頭のボラン・ウッドメル議員の指示に従ってくれ。こういう政治劇は、軍よりあちらの方が得意だろうからな」


「了解いたしました」


 副官は敬礼し、退室していく。


 一人になった室内で、アイリーンは天井を仰いだ。


「さて、まずは首都を制圧できるか……」


・・・・・


 ブランシュ・フィルドラック首相をはじめとした富国派議員。彼らは共和国の既得権益層たる豪商たちと代々繋がりを持ち、富と権力を独占してきた。


 彼らは法の目を潜り抜けることもなく、堂々と法を破り、不正をはたらいていた。軍上層部や、国内の治安維持を担う憲兵隊にも協力者を持ち、あるいはそうした組織の人間を権力で脅した上で金を無理やり握らせ、受けるべき罰を受けずに歴史を積み重ねてきた。


 汚い金の流れが表に出ないようにするため、財務官僚にまで協力者を作ってきた。あるいは、身内を財務官僚にして不正を隠させてきた。


 とはいえ、それらはあくまで証拠が表に出ていないだけの罪。証拠がないわけではない。彼ら富国派議員やその後ろ盾たる豪商たちも、互いを信頼しきっているわけではない以上、密約書を交わす。そこには彼らの直筆で署名がなされ、魔法塗料で捺印が押される。


 そうした証拠を、特にはフィルドラック首相のような大物の不正の証拠を、アイリーンは数年かけて多数集めた。


 そして同時に、量の不足を補うために嘘の証拠も作った。真実の証拠と嘘の証拠を混ぜてしまえば、もはやどこまでが真実でどこからが嘘なのかなど庶民には分からない。要は、彼らの怒りを爆発させる起爆剤に、一時だけでもなればいい。


 これらの証拠の情報は、国民派議員の中でも絶対に信用のおける者たちを通じて市井に流され始めた。フィルドラック首相の筆跡が明らかな密約書など、明確な証拠の原本もいくつか流出された。


 庶民の中にも、著名な活動家や中小商人のギルドの長、零細の職人ギルドの長、庶民寄りの学者など、ある程度の発信力を持つ者はいる。証拠の断片を、あるいは証拠そのものを掴まされた彼らは、意気込んでその情報を庶民たちに広めた。


 そんな情報操作と並行して、アイリーンは一部の富国派議員や豪商にはたらきかけた。


 富国派の中にも、穏健な者たちはいる。フィルドラック首相の急進的な政策をやり過ぎだと考え、現在の富国派の行き詰まりをフィルドラック首相たち急進的な一派のせいだと考え、自分たちの利益や権力を維持するためにも庶民にある程度の富の還元を成すべきだと考える者たちが。


 アイリーンは彼らに目をつけた。もともと不正にもさほど手を染めておらず、国民派や庶民層との融和の余地もある彼らに接触し、取引を持ちかけた。


 彼らの不正の証拠はそのまま闇に葬り、彼らは富国派の中でも数少ない、真の良識の持ち主だったということにする。そうすることで、彼らの富と地位を保障する。


 その上で、彼らには表に出て言葉を語らせる。富国派を内部から見ていた立場から、富国派がいかに悪しき集団だったかを証言させる。


 アイリーンがこの取引を持ちかけたときには、富国派の軍人の多くが国を空けているこの状況で、庶民による不満の炎が再燃し始めていた。その状況にもう後がないと考えたのか、接触した数人はアイリーンの目論み通りに取引を受け入れた。


 さらに、彼らの紹介によって、他にも穏健な富国派議員や商人をこちら側に引き入れることが叶った。


 この富国派の裏切り者たちは、以前まで敵だった国民派議員の助力を受けて、庶民たちに富国派の悪行を暴露する広報の役割を担った。


 庶民の不満の炎は、やがて爆炎となった。第一回目のロードベルク王国侵攻後のように、大通りで日常的に激しい抗議運動がくり広げられるようになった。


 そろそろ暴動と呼んでも差し支えない状況に陥ったところで、アイリーンは「事態を鎮静化させる秘策がある」とフィルドラック首相に伝えた。首相は大喜びでアイリーンを行政府の執務室に招いた。


「おお、フォスター将軍! いやあよく来てくれた。さあ、座ってくれ」


 フィルドラック首相は額に汗を浮かべながらも笑顔でアイリーンを迎え、ソファに座らせる。アイリーンも笑顔で応じ、大人しくソファに座る。


「まったく、とんでもないことになったな。富国派からの裏切り者とは……嘆かわしい。この国が築き上げてきた秩序を何だと思っているのか、あいつらは」


 フィルドラック首相が「あいつら」と呼んだ、富国派の裏切り者たち。富国派の中では、自分たちの不正の証拠を流出させてこの事態を引き起こしたのは彼らだという理解になっている。


「国軍を率いる身として、国内の治安の乱れを抑えられずにいること、誠に申し訳なく思う所存です。首相閣下」


 アイリーンが生真面目な表情で言うと、フィルドラック首相は首を横に振った。


「何のなんの、富国派の中から裏切り者を出したのは政治の側の失敗だ。君が謝ることではない……だが、事態の鎮圧には軍の力が必要不可欠だ。ロードベルク王国再侵攻という、国家の存続のかかった作戦の最中だからな。本国であるこちらが庶民どもの暴動などで混乱している暇はない」


「仰る通りです。そこで今回は、庶民層の不満を解消し、暴動を一気に鎮める策をご提案しにまいりました」


 アイリーンの言葉に、フィルドラック首相は安堵と喜色の表情を浮かべる。


「その話を待っていたんだ。さあ、どのような策が聞かせてくれ」


「かしこまりました。それでは……」


 アイリーンは微笑を浮かべて――剣を抜いた。


 フィルドラック首相は呆けた表情で固まる。そのとき、首相執務室の外の廊下で言い争いの声が、そして剣をぶつけ合う戦いの音が響いた。


 音は間もなく止み、扉が開けられ、数人の兵士が入ってくる。彼らはフォスター家の近親者で構成された、アイリーン直轄の兵士。いわばアイリーンの私兵だ。


 彼らの通過した廊下には、行政府内の警備についていた富国派軍人たちの死体が転がっていた。


「……我々にご同行願います。首相閣下」


 ここまで来れば、フィルドラック首相も事態を察する。


「フォスター将軍! 貴様か! 貴様がこの事態を!」


「その通りです。ブランシュ・フィルドラック首相閣下。民はあなた方の退陣を求めています。あなた方富国派には、民の前で然るべき裁きを受けていただかなければならない。どうかご同行を」


 剣を向けられ、兵士に囲まれ、どうしようもない状況で、首相の顔が怒りに染まる。


「お、おのれ、誰のおかげで最高指揮官の地位につけたと思っている! この恩知らずが!」


「畏れながら閣下。御しやすいと考えて私をこの地位につけたのは、富国派の都合と理解しております。私が最初から富国派にうわべだけの忠誠を誓っていたことを見抜けなかったのは、閣下の落ち度です……あまり時間がありません。閣下、御免」


「なっ、待て――」


 フィルドラック首相は抵抗する暇もなく、アイリーンに殴りつけられて意識を失った。


・・・・・


 アイリーン・フォスター将軍とその一派、およそ五百人ほどが行政府と首相公邸、裁判所を武力制圧したことで、本格的な政変が始まった。


 政府の機能が麻痺すると同時に、大量の武器が庶民の間に流出。もちろん、これもアイリーンが手を回したことだ。アイリーンが同志たちに命じ、再侵攻部隊への輸送物資からくすねさせた武器を、このタイミングで庶民層に流出させた。


 これは無秩序に武器を流したわけではない。第一回目の侵攻で片腕や片足に麻痺を負った元正規軍人たち。富国派に恨みがあり、身体的にも頭脳的にも民兵の現場指揮程度はこなすことができる者たち。彼らに武器を渡し、ある程度はコントロールできるかたちでの暴動激化を成させた。


 首都の軍本部、憲兵隊本部、議事堂、裁判所まで、庶民の集団が押しかけ、富国派の手先である警備の兵士たちと衝突。アイリーンと国民派の一派は、政界や軍における自分たちの数の不足を、民の力を借りて補った。


 首都防衛を担う富国派軍人たちの即応軍団およそ千人。そして憲兵隊が同じく千人ほど。彼らだけでは、数十万に及ぶ民の暴動を抑えることなどできなかった。優れた練度をもって一時は攻勢に耐えられても、補給もなく多勢に無勢ではどうしようもなかった。


 首都周辺はさながら内戦状態となり、政変の開始から一週間足らずで主だった政府施設や軍施設は陥落した。


 また、富国派の議員や彼らと結びついた豪商たちの屋敷がある高級住宅街にも、民の群れは押し寄せた。


 既得権益層のうち、早いうちに先の展開を予想していた者たちは持てるだけの富を持って国外に逃亡し、事態を楽観視していた多くの者は捕らえられた。富国派の中でも特に重要な者たちは、事前にアイリーンの一派によって捕らえられていた。


 アイリーンは国民派の指導者であるウッドメル議員とともに現政権の打倒を宣言し、彼を臨時首相とする暫定政府を設置。それを受けて民による暴動は一段落し、民兵たちも再編され、従軍経験者などを中心に、ある程度は秩序だった数万人規模の部隊が組織された。


 フィルドラック前首相が逮捕され、この段階までわずか数週間。アイリーンの将軍としての統率力が存分に活かされた結果だった。


 残る懸念は、再侵攻作戦には加わらず国内に残留していた共和国軍。


 そのうち国境警備などについていた部隊は、多くが出世コースから外れた国民派や無党派の軍人を指揮官としていたため、ほぼ無抵抗で暫定政府のもとに下った。彼らも、その部下である兵士たちも、民と真正面から戦うことは拒んだ。


 重要地点の防衛を担っていた富国派と繋がる軍人たちの部隊も、暫定政府から寛大な扱いを約束されて多くは抵抗を諦めた。


 彼らは富国派の犬ではあるが、富国派そのものではない。今までの罪を強くは問われないことが決まれば、身を破滅させるまで富国派に殉じようとする者は少なかった。そうした少数派の中には未だに抵抗する者もいるが、政変の大勢には影響ない。


 こうして、ベトゥミア共和国の旧体制はいとも簡単に崩壊した。富国派が世論を動かす力を失い、富国派の息のかかった部隊の大半がロードベルク王国という遠い異国に出ていたからこそだった。


 暫定政府は再侵攻部隊の家族に、ロードベルク王国との交渉によって兵士たちを返還してもらうことを確約し、その感情を抑えさせた。


 富国派が力を失った今、ロードベルク王国に上陸した再侵攻部隊は、本国からの補給などの支援を失って完全に孤立することとなる。

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