第448話 消化試合

 ロードベルク王国東部軍と西部軍は、それぞれ対峙するベトゥミア共和国軍の防衛部隊をオストライヒ近郊まで押し込んだ。


 また、オストライヒと王都リヒトハーゲン方面を繋ぐ補給線や連絡線も、ロードベルク王国やレーヴラント王国の遊撃隊によって断たれた。


 そして、ベトゥミア共和国本国からの補給網は、王国海軍とキヴィレフト伯爵領軍がほぼ完全に潰した。ある時期からは、補給船団そのものがやって来なくなった。


 こうなると、戦いは一方的だった。


「それでは閣下。本日も始めましょう」


「ええ、そうしましょう……ユーリ」


「はっ」


 朝。ノエインは東部軍大将たるビッテンフェルト侯爵と並んで言葉を交わし、ユーリに目配せする。ユーリはノエインの合図を受けて、バリスタ隊の指揮を務めるダントへと指示を出す。ロードベルク王国東部軍の方も、ビッテンフェルト侯爵の命令を士官が伝達し、バリスタ隊が動く。


 王国東部軍のバリスタ隊は、荷馬車の荷台に固定されて迅速に移動が可能なバリスタを使用。アールクヴィスト大公国軍のバリスタ隊はクレイモアと連携し、ゴーレムがバリスタを牽くことで素早く臨機応変な移動を実現する。


 両軍のバリスタ隊は、発射準備を済ませた上で前進。敵の防衛線を射程圏内に収める。そして矢を――射程距離を重視して今回は通常の矢を装填する。


「放てぇっ!」


 ダントが声を張り、大公国軍のバリスタから一斉に矢が飛ぶ。ロードベルク王国東部軍の側からも、指揮を担う貴族の命令に従って矢が放たれる。


 放たれた極太の矢の雨は、そのまま敵陣に降り注ぐ。数は限られるが、その威力は絶大。盾も天幕も、簡易の防壁さえ突き抜けて敵兵を襲う。


 ベトゥミア共和国軍からの即座の反撃はない。バリスタの長射程に対抗するには同系統の兵器を用いるしかないが、時刻も位置もランダムに、荷馬車やゴーレムを使って素早く展開するバリスタ隊へとすぐに弩砲の狙いを定めることはできない。


 ベトゥミア側が弩砲の狙いを調整してくる前に、一斉射を終えたバリスタ隊は敵の射程圏外まで退避する。


「急げ! 方向転換を!」


「のろのろしてたら反撃が来るぞ! おら、早く動け!」


 グスタフとアレインが急かす中でクレイモアは大公国軍のバリスタを牽き、移動を開始。その間に敵陣からは追撃のために歩兵部隊が出てくるが、バリスタ隊に随伴していたクロスボウ隊が、リックの指揮のもとでそれを迎撃する。ロードベルク王国東部軍のバリスタ隊も、同じようにクロスボウ兵に守られる。


 敵の追撃を牽制しながら退却したバリスタ隊は、やがて安全圏にたどり着く。自軍本隊の近くまで退いてしまえば、敵も追撃できない。


「……今回も、何の問題もありませんでしたな」


「ええ。次は午後、また適当な時間に決行しましょう」


 ノエインは気楽な口調でビッテンフェルト侯爵と話す。


 こうして定期的にバリスタによる攻撃を行うことで、食料さえ乏しく困窮している敵軍を、さらに消耗させる。たとえ一度の攻撃による被害が小さくとも、防ぎようのない攻撃が定期的に飛んでくるとなれば、敵は士気を維持できない。


 七年前、前回のベトゥミア戦争でもノエインが体験した、戦争終盤の消化試合のような戦いだ。


「閣下、ラドレーが戻ってきたようです」


 ユーリに言われ、ノエインは彼が指差した方を見る。そこには確かに、自身の部隊を率いて本隊へと合流するラドレーの姿があった。


 ノエインがそちらへ歩み寄ると、ラドレーは敬礼を示す。


「ただいま戻りました、閣下」


「ご苦労さま、ラドレー……今回も大漁だったみたいだね」


 ラドレーの隊は、縄で拘束されたベトゥミア兵を数珠つなぎにして十数人ほど連れていた。


 戦いもこの段階になると、敵兵と真正面からぶつかり合う機会はほぼない。そのため白兵戦を得意とするラドレーの隊は、敵の逃亡兵を狩る役割を担っていた。


 敵陣からは少なくない逃亡兵が発生しており、その兵士たちを放置していては将来的に盗賊などになる可能性がある。それを防ぐために、今のうちに捕縛するのがラドレーたちの役目だ。


「こいつら、大して追いかけもしねえうちに諦めて降伏しやがります。こっちとしちゃあ楽な狩りですけど、面白味はねえです」


 普段はベゼル大森林の中で魔物を狩っているラドレーたちにとって、疲弊した人間の兵士を捕らえることなど造作もない。彼らは毎回、こうして大きな戦果を挙げて帰ってくる。


 ロードベルク王国側からも、ランプレヒト女爵やキューエル子爵をはじめ、いくつかの小部隊が敵逃亡兵の捕縛に従事している。


「あはは、君たちからすればそうだろうね……こっちの本隊も楽なものだよ」


 ノエインは笑って答えた。


 現在までアールクヴィスト大公国軍に死者はなし。重傷者すら出ていない。ベトゥミア共和国との再戦は、驚くほど楽に進んでいる。


 しかし、これはただ幸運で掴んだものではない。


 軍備の増強と、その前提にある国の強靭化。ロードベルク王国やランセル王国、レーヴラント王国など周囲の国家との関係強化。そしてベトゥミア共和国内に植え付けた混乱の種。これまで、ノエインがアールクヴィスト士爵領を得てからの全ての時間をかけて築いてきたものがあるからこその結果だ。


 ノエインは、この国は、このアドレオン大陸南部は、長い時間をかけてこれほどの戦果を得るのに必要なものを手に入れてきた。ベトゥミア共和国の、政治的な理由による破れかぶれの侵攻に勝てないはずがない。


 思い知ればいい。平和を守り、幸福を望む自分たちの力を。ノエインはそう考えながら、穏やかな微笑みを浮かべる。


・・・・・


「……」


 司令部の天幕で、ドナルド・パターソン将軍は無表情で戦地図を見下ろしていた。


 王都リヒトハーゲン近郊――よりも、いくらか南に後退した地点。ベトゥミア共和国軍侵攻部隊の中央主力は、完全に行き詰っていた。


 当初五万二千いた兵力は、今では四万まで減っている。それ以外は戦死するか、重傷を負うか、敵の捕虜となった。


 最初の攻勢の失敗後、ベトゥミア共和国軍主力は二度、攻勢を仕掛けた。いずれも敵の強固な野戦陣地を前にこちらは多大な犠牲を出した。


 負傷者をまともに後送することも叶わず、結局力尽きて死ぬ者が続出。現在まだ生きている負傷者も、医薬品や治癒魔法使いの不足でろくな治療も受けさせてやれない。


 医薬品以前に、もはや食料もろくに残っていない。先を見越して食事量は制限していたが、それでも持たせるには限界がある。手の空いている兵士を略奪や狩りに出しているが、周囲の村落や小都市からは人も物資も運び出されてもぬけの殻に近い状態であり、森での狩りで数万の兵を満足に食わせるだけの食料も得られず、状況は改善していない。


 兵士たちは腹を空かせている。空腹の軍では士気は保てない。脱走者も続出しており、一夜明けたら数百人が消えていたこともある。


 このままでは、兵士たちは仲間の死体を食らい出しかねない。そこまで追い詰められた状況だ。


「……閣下」


 副官が硬い声色で尋ねてくる。彼の言いたいことはドナルドにも分かる。


 これ以上ここに留まっていても状況が改善する余地はない。減ったとはいえこちらも四万の兵がいるのでロードベルク王国の中央軍も安易な攻勢を仕掛けてはこないが、あちらは後方に王都という補給拠点を構え、周囲の土地からも協力を得られるのだ。敵地の真ん中で孤立しているこちらとはわけが違う。


 兵士たちが弱り切ったこの状況で撤退戦を始めれば、敵の激しい追撃を受けて大きな損害を受けるだろう。しかし、もはや時間が経てば経つほど兵士たちはさらに弱り、撤退時に受ける損害もひどくなるだけだ。


 諦めろ。ここが潮時だ。ドナルドは自分にそう言い聞かせ、口を開いた。


「……オストライヒまで撤退する。後方の部隊と合流してオストライヒを死守し、輸送船を待って本国へと帰還する」


 オストライヒとの補給線と共に『遠話』通信網さえ寸断されている現在、本国が今どのような状況かは不明だが、ここは賭けだ。裏切り者による政変が失敗し、補給や兵員輸送が継続されていることを願うしかない。


 大敗を喫して本国に帰ればどのような未来が待っているか分かったものではない。おそらく富国派の政治家とその後ろ盾の豪商たち、そして自分たち軍上層部は、たとえ政変が失敗に終わっていたとしても結局は社会的に破滅する。


 それでも、兵士の多くは生きて本国に帰れる。自分は司令官だ。もはや勝てる見込みがないとなれば、一人でも多くの兵士を生き永らえさせるのが義務となる。


 ドナルドの決定に、副官も、その場にいた将官士官たちも安堵の表情を見せる。富国派に近しい彼らも、精神的に限界に近かった。


「負傷者を荷馬車へ載せろ。装備のうち不要なものは置いていく。最低限の武器と野営道具、それと残りの食料のみ持って移動準備を――」


「将軍、あなたは何を言っているのですか?」


 そこへ口を挟んだのは、政治参与のディケンズ議員だった。


「最初に言ったでしょう。我々には前進以外の道はないと。それが撤退? 気でも狂いましたか?」


 彼の言葉に、軍人たちは唖然とした表情を見せる。狂っているのはお前の方だと、彼らの表情が物語る。


「……政治参与殿。我々にもはや勝機はありません。どう足掻いても勝利は掴めません。それはあなたも理解されているはずです」


 ディケンズ議員は腐っても政治家だ。馬鹿ではないはずだ。そう思いながらドナルドは答える。


「勝機のあるなしは関係ありません。前進しかないと私は言っているのです。我々の後ろに道はない」


「……」


 ディケンズ議員の目は据わっていた。彼はドナルドたちとは違う。ただ富国派と結びついている軍人ではない。富国派そのものだ。彼の執念はドナルドたちのものとは桁が違うのだろう。


 しかし。


「政治参与殿。もはや無駄です。あなたが何を言おうと、私たちへの脅しにはなりません。私がこの侵攻作戦の司令官です。どうするかは私が決める」


 毅然と、ドナルドは答えた。軍人として、初めて明確に、政治に逆らった。


 他の者たちも堂々とした態度で、鋭い表情で、ディケンズ議員を睨みつける。


「……富国派に逆らうつもりですか?」


「今さら国内の派閥に何の意味がありましょう。第一、本国に富国派がまだ存在しているかも分からないこの状況で、あなたの言葉に何の力があると?」


 この状況が本国の裏切り者とロードベルク王国によって仕組まれた罠で、おそらく本国では政変か何かが起こっているという推測は、既にドナルドから他の者たちに語られている。


 そもそもディケンズ議員はドナルドが語るまでもなく、一人同じ推測をしていた。自身の言葉が無意味であると、ディケンズ議員自身も知っているはずだった。


 しかし、ディケンズ議員は受け入れない。


「っ、おのれ、ふざけ――」


 護身用の短剣を抜いたディケンズ議員だったが、近くにいた一人の士官が彼の後頭部を殴った。脳を揺さぶられたディケンズ議員は意識を失い、頭から地面に倒れそうになる彼を別の士官が受け止める。


 ディケンズ議員の暴走に付き合っている時間も、精神的な余裕も、ドナルドたちにはもはやなかった。


「……ひとまず拘束しておけ。他の者は撤退の準備を急ぎ始めろ。明日にはここを発つ」


 ドナルドの命令に従って、皆が動き出す。

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