第445話 西部の戦い

 ロードベルク王国南西部における戦闘を任務とする、ベトゥミア共和国軍の西部防衛部隊。その指揮官を務めるのは、スティーブ・バーレル将軍だった。


 七年前の最初のロードベルク王国侵攻で、スティーブは王都攻略部隊の指揮官という大役を担い、しかし無様に失敗した。さらに、作戦中の勝手な行動の責を負い、将軍から大軍団長へと降格された。


 しかし、スティーブにとって最大の悲劇はこの降格ではなかった。


 新米の一士官としてこの侵攻に従軍していた、歳の離れた弟が死んだ。まだ十八歳だった。軍人の家系で父は早くに死に、母も病で死に、自分が親代わりとなって育てた大切な弟だった。


 当時、弟がいたのは西部侵攻部隊。弟は敵の西部軍を指揮していたノエイン・アールクヴィスト子爵――現アールクヴィスト大公の指揮するゴーレム部隊に殺された。戦後に最高指揮官となったアイリーン・フォスター将軍からそう聞かされた。


 それ以来、スティーブは復讐を誓った。いつか必ずアールクヴィスト大公を殺す。そんな憎しみを抱えて生きた。


 復讐を成すには力が、地位が必要。そう考えて軍務に邁進した。かつての軽薄さや自分への甘さを捨て、ベトゥミアの周辺国との紛争や、国内各地で内戦の一歩手前と化した暴動鎮圧において功績を積み重ねた。歳の近い上官アイリーンの手足となって、泥臭い戦いをこなした。


 そして、再び将軍へと返り咲いた。アイリーンにとって御しやすい手駒という位置づけでの再出世ということは分かっている。それでも構わなかった。


 そのまま待つこと数年。ついに復讐の機会は訪れた。ロードベルク王国への再侵攻。政治的な理由から決定した、成功確率の低い妥協的な作戦ということはスティーブにも分かっている。しかしやはり、それでも構わなかった。ロードベルク王国に攻め込めるならそれでよかった。


 スティーブはアールクヴィスト大公のいるであろう王国西部での戦いを希望し、アイリーンにその願いは聞き入れられた。そして今、スティーブはロードベルク王国の地にいる。


 もちろん、これが逆恨みだということは分かっている。戦場では殺し殺されるのが日常だ。弟は成人し、自分の後を追って職業軍人になった。であれば、戦死は仕方のないことだ。


 しかし、スティーブは感情的に割りきれなかった。


 弟は自分とは違う。富国派の議員とズブズブの関係になり、共和国軍の上層部によくいる汚い軍人に成り果てた自分とは違う。弟は純粋な青年だった。富国派の利益だけを求めた侵攻作戦で、ゴーレムに叩き潰されて戦死していい人間ではなかった。


 本来恨むべきは富国派なのだろう。しかし、あれほど強大な集団を、議員と富豪が一体になった既得権益層を倒せるわけがない。


 だから、スティーブは現実から目を逸らし、アールクヴィスト大公への憎悪を燃やしている。汚い軍人として生きてきた自分の成れの果てが、こんな無様な姿だと理解した上で、自分にも手が届きそうな復讐だけを見据えている。


 そんな、歪みきった感情を抱えて軍を指揮していたスティーブは――


「……こんなことになるなんて、聞いてねえぞ」


 進軍した先に現れた敵を前に、絶望に包まれながら呟いた。


・・・・・


 王国南西部の貴族と、一部の北西部貴族から成るロードベルク王国西部軍。援軍としてランセル王国軍を加えたおよそ二万四千の大軍団は、王国南西部を東進した。


 そして、ベトゥミア共和国軍の西部防衛部隊一万と会敵した。数の上では王国側が二倍以上。断然に有利な戦いだ。


 西部軍の名目上の大将であるルボミール・ガルドウィン侯爵と、それを囲む参謀役の貴族たちは西部軍の本陣から敵を見渡す。


「大国ベトゥミアを相手にこれほどの戦力差で戦いに臨める日が来るとは。夢のようですな」


「左様。ここまで有利な状況だ。勝利は揺るぎないだろう」


 そう語る王国南西部の大貴族たちも、油断しているわけではない。この発言は、まだ若き大将であるガルドウィン侯爵を安心させる意図もある。


「……それでは、戦いを始め……ていいのか?」


「はっ。まずは両軍ともに前進し、距離を詰めて弓やクロスボウ、バリスタで撃ち合うことになります。その後、機を見て歩兵が突撃します。状況によっては騎兵も動かすことになるでしょう」


「兵を動かす機については我々が進言いたしますので、どうかご安心を」


「閣下、これまでに軍事を学ばれた通りになされれば何も心配はございません」


 これが実質的な初陣ということもあって不安げな表情のガルドウィン侯爵に、参謀役の貴族や、侯爵家の補佐役が声をかける。彼らは目の前にいる若き派閥盟主を、この戦いを通して一人前へと育て上げなければならない。


「ガルドウィン卿。初陣は私も同じですわ。共に頑張りましょう」


 さらに、援軍であるランセル王国軍を率いるアンリエッタ・ランセル女王も励ましの言葉をかけた。彼女は今回、初めて自ら戦場に出ている。


「……では、前進」


 皆に励まされたガルドウィン侯爵の命令で、西部軍は動き出す。二万を超える大軍がゆっくりと前進する。


 それに対して、ベトゥミア共和国軍の西部防衛部隊も動く。敵側は防衛が主任務とはいえ、ロードベルク王国側の進撃を抑えるためには攻勢に出ないわけにもいかない。


 互いに前衛が射程距離に収まると、弓兵による矢の応酬が始まる。ロードベルク王国西部軍はおよそ三千。ベトゥミア共和国軍の西部防衛部隊は千。この差ではほとんど一方的な結果になる。ベトゥミア側の弓兵隊は瞬く間に数を削られ、矢の密度が薄まる。


 しかし、そんな状況でだらだらと矢の撃ち合いを続けるほど、ベトゥミア側の将も馬鹿ではなかった。歩兵や弓兵にやや遅れて弩砲部隊が前進を終えると、炸裂する壺の投射を始める。


 こればかりは、ロードベルク王国側にも一定の損害をもたらす。もともとアールクヴィスト大公国軍のゴーレム部隊を撃滅するために、弩砲は百を超える数が揃えられていた。そこからくり出される攻撃は熾烈だった。


「……ガルドウィン閣下。今が好機かと。バリスタ隊の前進を」


 進言したのは、フレデリック・ケーニッツ伯爵家嫡男。現時点では伯爵領の実質的な責任者である彼は、王国北西部貴族から西部軍に合流した一隊の代表を務めている。


「分かった……バリスタ隊は敵を射程圏内に収めるまで前進」


 ガルドウィン侯爵の命令が士官たちを通じて伝達され、西部軍のバリスタ隊が動き出す。


 当時はまだ一貴族領だったアールクヴィスト大公国で開発され、ロードベルク王国全土に広まったバリスタは、王国においてはここ数年で独自の進化を遂げた。荷馬車の荷台にバリスタを据え付け、ある程度の可動域を設けた移動式バリスタの誕生だった。


 国土が狭く、要所である都市部を守ればいいアールクヴィスト大公国とは違い、ロードベルク王国は広大な領土を守らなければならない。強力な兵器であるバリスタを有効活用するため、この方式が編み出された。


 西部軍に配備された移動式バリスタは、各貴族領の保有分を合計して二百。海の向こうから大型の弩砲を輸送しなければならないベトゥミア側の実に二倍に及ぶ。


 それだけのバリスタが、馬車によって迅速に前進し、展開される。据え付け式で可動域が確保されていることで、素早くベトゥミア側の弩砲に狙いを定める。


 一方でベトゥミア側の弩砲部隊は、弩砲それ自体に車輪が付いているため、狙いを再調整するには時間がかかる。


 結果として、バリスタ隊の最初の一斉射でベトゥミア側の弩砲部隊は半壊。続く一斉射はベトゥミア側の弓兵隊や歩兵部隊を襲った。


 大火力を前に敵が大きく怯んだところで、西部軍の歩兵部隊が前進を開始する。数百人から千人ほどの各部隊の指揮には、子爵から男爵級の貴族が立つ。南西部貴族だけでなく、北西部貴族もいる。


「敵は弱兵で、こちらのバリスタ隊の攻撃を受けて態勢を崩している! 恐れることはない! 進め!」


 自らは騎乗して剣を掲げ、配下の兵士たちにそう叫んだのは、ノア・ヴィキャンデル男爵。今や王国北西部において新進気鋭の実力派貴族として知られている。アールクヴィスト大公の義兄という立場でもある。


「南西部貴族に遅れをとるな! 侵略者どもを打ちのめすのだ!」


 同じく北西部において、アールクヴィスト大公の親友として一目置かれるトビアス・オッゴレン男爵も、大振りの剣を掲げて馬を前進させる。


 ついに敵の最前列をぶつかると、馬上から巧みに剣を振るい、敵を屠っていく。


 オッゴレン男爵領は豊かな牧草地を持ち、牛の放牧を主産業のひとつとしているが、家畜の守護は外敵との戦いと同義。牛を狙う魔物や狼などと自ら戦ってきたオッゴレン男爵は、戦場では普段の温厚さを隠して果敢に戦う。


 彼ら最前線の指揮官による鼓舞と奮闘、そして歩兵たちの奮戦によって、ロードベルク王国西部軍は近接戦でも優勢をとる。


 大勢が決しようとしていたそのとき、ベトゥミア側の騎兵部隊が動いた。およそ千の騎兵の集団が、敵右翼側から高速で迫る。


「閣下、ここはランセル王国軍の力を借りましょう」


 進言したのは、南西部貴族の中心格の一人アハッツ伯爵だった。それに頷いたガルドウィン侯爵は、アンリエッタの方を向く。


「アンリエッタ陛下。お願いいたします」


「ええ、お任せください……パラディール侯爵。頼みますわね」


「はっ」


 アンリエッタの参謀としてついていた、ランセル王国の軍部トップであるオーギュスト・パラディール侯爵が実務的な指示を飛ばす。


 女王であるアンリエッタへの敬意も込めて、騎兵部隊の指揮権はランセル王国軍に預けられている。ランセル王国軍とロードベルク王国西部軍の騎兵の合計で二千が、敵の騎兵部隊に対抗するために打って出る。


 しかし、騎兵同士の戦いにおいては先に動き出した方が有利となる。ベトゥミア側の騎兵部隊――指揮官であるスティーブが自ら指揮するこの精鋭部隊は、数が多い分小回りの利かない二千の騎兵部隊による追撃を潜り抜けて西部軍の本陣を直接襲おうとする。


 スティーブにとって予想外だったのは、敵騎兵部隊の中に、歴史に名を刻むであろう稀代の魔法使い――クロエ・タジネット子爵がいたこと。


「――っ!」


 二千の騎兵部隊の先頭に立っていたクロエは、すれ違いざまにベトゥミアの騎兵部隊に攻撃魔法をくり出した。大量のこぶし大の雹を、敵の隊列前方に向けて飛び散らせた。


 騎乗中にそんなものを喰らってはただでは済まない。スティーブたち最前方の集団は落馬し、あるいは馬ごと転び、そこまではいかずとも足を止めてよろける者が続出する。


 先頭集団がそうして動きを停滞させれば、後続の騎兵たちも当然動けない。その場で立ち往生し、大混乱に陥る。


 そこを、数で勝るロードベルク王国西部軍とランセル王国軍の騎兵部隊が襲う。こうなれば、ベトゥミア側の騎兵たちは多勢に無勢で次々に撃破されていく。


・・・・・


「くそっ! 何がどうなってやがる!」


 そこら中でベトゥミア騎兵狩りがくり広げられる混乱の渦中で、スティーブは落馬の衝撃で脳をふらつかせながら叫ぶ。


 何もかもが上手くいかなかった。事前の情報とは何もかもが違い過ぎた。これだけの戦力差で、何をどうしろと言うのか。


 頼みの綱が、この騎兵部隊による側面急襲。何の面白味もないありふれた策だが、これくらいしか打つ手がなかった。


 自身の指揮官としての能力を発揮し、ようやく上手くいく兆しが見えたかと思った途端にこれだ。悪態を吐かずにはいられない。


「バーレル閣下! ここは危険です! ひとまず移動を!」


 そこへ、未だ健在だった側近の一人が声をかけ、スティーブを引っ張るようにして空いている馬の上に押し乗せる。


「閣下! 本隊の方も隊列が崩れきっています! ここはもう持ちません! 逃げましょう!」


 言われてスティーブが見ると、歩兵や弓兵、弩砲部隊からなる本隊も、数で二倍に及ぶ敵軍に飲まれようとしていた。


「……くそおおおっ!」


 この様か。復讐を誓い、憎悪の炎を燃やしてロードベルク王国に舞い戻ったのに、アールクヴィスト大公と戦うことさえ叶わずに大敗北か。


 この再侵攻が政治的な戦いに過ぎず、自分は最高指揮官であるアイリーンの政治的な手駒のひとつと分かった上でここへ来たスティーブだが、それでもこの散々な有り様には悔しさを感じずにいられなかった。


 スティーブは側近とともに周囲の騎兵を集め、百余騎をもって逃走。本隊が敵軍に飲み込まれた今、もはや本陣に戻ることさえ叶わなかった。


 騎兵部隊が壊滅状態に陥った一方で、歩兵や弓兵、弩砲を捨て置いた弩砲部隊の兵士たちも各々の独断で逃走を開始し、ベトゥミアの西部防衛部隊は総崩れに。オストライヒ近郊の最終防衛線まで、一気に押し込まれる羽目になった。

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