第436話 南東部貴族の誇り

「閣下、敵を追撃しますか?」


「いや、いい。それよりこの拠点を徹底的に潰す。物見台を破壊し、食料は運べるだけ運べ。運べない分は火を放て」


 オストライヒから数十キロメートル東にある、ベトゥミア共和国軍の手に落ちていた小さな農村。そこを騎兵五百をもって奪還したリングホルム子爵は、敵がここを再び拠点として使うことがないよう、兵士たちに無力化を命じていた。


 こうした拠点を破壊すれば、敵が行軍する際の補給や偵察に負担をかけることができる。威力偵察に五百もの騎兵を動員している以上、潰せる敵拠点を潰すのは重要な任務だ。


「東部に向いた敵の大部隊は、ここよりさらに十キロメートルは西に布陣……敵側から東進してくる予兆はなしか。ふんっ、つまらんな」


 今回の再侵攻において、敵はあくまで王都リヒトハーゲンを落とすことに注力している。ロードベルク王国の南東部も、おそらくは南西部も、まだ本格的に攻勢をかけて落とすつもりはないらしい。


 すなわち、王国東部軍の方から攻勢を仕掛けない限り、敵が動くことはない。なんとも弱腰の侵略者だ。


 しかし、弱腰ならそれはそれでいい。この後は王国東部軍と合流し、大将であるビッテンフェルト侯爵の号令のもと、敵を上回る軍勢をもって大攻勢を仕掛ける。敵側面の防衛部隊をどちらが速く打ち破れるか、王国西部軍との楽しい競争。憎きベトゥミアへの復讐としては悪くない。


 リングホルム子爵がそのようなことを考えていた、その時。


「閣下! リングホルム閣下!」


 さらに西進させていた斥候の騎兵が、血相を変えて駆けてきた。


「一体何なのだ。騒々しい」


「敵の東部防衛部隊より、巨大な魔物が進撃してきました! おそらくは魔法によって使役されている、竜のような魔物です! 間もなくここへ到達します!」


 斥候の叫びを聞いて、リングホルム子爵の周囲にいた兵士たちが顔を強張らせる。


「おい、物見台はまだ壊すな! 上って様子を見る! 皆、出発準備をしろ! 二分で発てるようにしておけ!」


 鋭く指示を飛ばしたリングホルム子爵は、今まさに解体が始められようとしていた物見台の梯子を駆け上がる。


 そして、西の方角を見た。


「……あれか」


 リングホルム子爵が睨んだ先には、土煙を上げながら迫ってくるごく小さな影がある。影は見る間に迫ってきて、その姿が明らかになった。


 ワイバーンと並び、ドラゴンの下位種族として知られる強大な魔物。地を這う竜。その名も地竜。リングホルム子爵は地竜を直に見た経験などないが、記憶の中にある文献や言い伝えの知識を照らし合わせても、あれが地竜であることは明らかだった。


 大きさは遠すぎてよく分からないが、周囲の木々などと比べても、十メートルは超えていることが明らか。どこからどう見ても脅威だ。


「地竜が来るぞ! 準備ができた者から発て! まとまって移動はするな! 散開し、各自独力で本隊への合流を目指せ!」


 物見台からほとんど飛び降りるようにしながら、リングホルム子爵は叫んだ。


 騎乗戦闘をこなせるだけあって、騎兵はその全員が精鋭の職業軍人。彼らは迷うことなく、指揮官の指示の通りに動き始める。リングホルム子爵が物見台を降りて自身の馬に飛び乗ったときには、既に相当数の騎兵が駆け始めていた。


 リングホルム子爵が馬を出発させながら西を見ると、既に土煙は地上からでも見える。


「ちっ……私たちも行くぞ。地竜に接近されたらお前たちも散開しろ。いいな」


 子爵はそれを見て小さく舌打ちをし、子爵家の領軍騎兵や寄子の下級貴族など、直轄の騎兵たちを連れて村を発つ。


 それから始まったのは、巨大な地竜からの壮絶な逃走劇だった。


 トカゲに鎧のような鱗を纏わせてそのまま巨大化させたような地竜は、鈍重そうな見た目に反して恐るべき速さで地を這い、迫ってくる。


「くそっ、追いつかれる!」


「あああっ! もう駄目だ! 母さ――」


 いかに騎兵と言えど、土をしっかりと踏み固めた街道を逸れて平原や丘に足を踏み入れれば、必ずしも全速力は出せない。街道を逸れて速度を落とした数騎が、叫び声を上げながら踏み潰される。


「おい! 固まりすぎだ!」


「仕方ねえだろ! 全速力で走り続けねえと!」


「だが、このままではどちらにしろ追いつかれ――」


 速度を落とすことを嫌い、街道から外れずに走り続けている騎兵たち。その最後尾に密集してしまっていた集団が、あっけなく追いつかれて薙ぎ倒される。


 それらはリングホルム子爵のいる一団よりは遥か後方だが、あと五分も走り続けた頃には、子爵たちが潰される番がくるのは明らかだった。


「閣下! このままでは!」


「分かっている……ちっ、止むを得んか」


 今のままでは、本隊と合流するまでにおそらく半数以上が失われる。おまけに、本隊が地竜を迎え撃つ準備をする間もなく、地竜を一直線に誘導することになってしまう。


 そう判断したリングホルム子爵は、数瞬で覚悟を固める。


「一旦停止だ。止まれ」


 自身を囲む二十騎ほどの直衛にそう命じたリングホルム子爵は、傍らにいる騎兵――子爵家に仕える若い従士の方を向いた。


「おい、お前は従士と領軍兵士のうち若い者を連れ、本隊に合流しろ。地竜の情報を確実に伝えろ」


「はっ?」


 唐突な指示を受けて虚を突かれた表情になる従士の反応を無視し、リングホルム子爵は周囲を見回した。


「私が囮を務め、地竜を引き寄せ、進撃の方向を逸らす。ついて来たい者は私に続け。ただし三十歳未満の者は同行を許さん……若者が死ぬ必要はない」


「し、しかし閣下! 何も閣下ご自身が……」


「馬鹿、兵に決死の囮を命じて、自分は逃げ帰るような無様を晒せるか」


 そう言って、リングホルム子爵はニヤリと笑った。


「リングホルム子爵領軍の若き兵たち。そして寄子の若き貴族たち。我が息子をよく補佐してやり、私の死後も子爵家を支えてくれ」


「閣下……」


「……本当によろしいのですか?」


「ああ、よい。これは命令だ」


 戸惑いを隠せない若い騎兵たちに告げるリングホルム子爵の周りに、中年以上の騎兵が集まる。


「最後までお供いたします」


「私もです、閣下」


 子爵家の老従士や、領軍の古参兵。なかには寄子の貴族さえいた。


「そうか、よく言ってくれた。感謝する……では、お前たちは早く行け。我々が稼ぐ時間を無駄にするな」


「……はっ!」


 目を赤くした若い従士が敬礼し、他の若い兵士たちもそれに倣う。そして、東へと急ぎ走っていく。


 それを満足げに見送り、子爵は後方を振り向いた。最後尾を逃げ惑う騎兵を次々に襲いながら、地竜は今も前進してくる。


「行くぞ」


 短く言って、リングホルム子爵は街道から北西方向に逸れる。それに十騎ほどが続く。


 地竜の左側面に回り込むような進路を取り、馬を走らせる。


「り、リングホルム閣下!?」


「逃げろ! 走り続けろ!」


 その途中で、散開しながら逃走を続ける他の騎兵たちとすれ違う。地竜の方へと進んで行く指揮官の姿に驚きを見せる騎兵たちに、リングホルム子爵はそう怒鳴る。


 なかには子爵たちの意図を察し、共に逃げていた数騎から離れて合流してくる者もいた。


「閣下! 私もお供させていただきます!」


「……馬鹿が。私に続け」


 そして、リングホルム子爵は苦笑しながらそれを受け入れる。


 多くの騎兵を逃がし、合流を望む騎兵のうち若い者以外は受け入れ、最終的には二十数騎を少し超える規模の軍勢となった一行は地竜に迫る。


「……悪くない」


 地竜を目の前にして、リングホルム子爵は一人呟いた。


 家のことは心配ない。嫡子はもう成人している。


 東部軍についても、地竜出現の報告さえ届けば問題はないだろう。東部軍にはアールクヴィスト大公国軍がいる。


 リングホルム子爵は典型的な保守派の貴族で、貴族らしからぬ発想や言動、価値観を見せるノエイン・アールクヴィスト大公のことは気に食わない。が、彼の率いるゴーレム部隊が精強であることは理解している。


 オークカイザーやワイバーンさえ殺したというゴーレムの群れだ。たとえ地竜であっても仕留めてくれるだろう。迎え撃つ時間さえ、自分たちが稼げば。


 もともと、自分は七年前のベトゥミア戦争のときに死にぞこなったようなもの。王国南東部の同胞として見知った貴族の多くが、あのとき死んだ。今日、自分の順番が来ただけの話だ。


 率いた部下たちを、属する軍を、延いては国と領地と民を守るために散る。実に貴族らしい、誇り高い最期だ。自分の名はリングホルム子爵家において長く語り継がれることだろう。領都の広場か通りに自分の名が付けられ、もしかしたら像が建つかもしれない。


 そんな楽しい想像をしながら、リングホルム子爵は剣を掲げる。


「散開しろ! 地竜を引きつけ、翻弄するのだ! 一秒でも長く時間を稼げ!」


「「「おおっ!」」」


 こちらに狙いを定め、おそるべき速さで迫りくる地竜と、リングホルム子爵たちは対峙する。

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