第435話 集結

 キヴィレフト伯爵領を出発したアールクヴィスト大公国軍は、そのやや北西の位置にて他の東部軍部隊と合流を進めていた。


 基幹となるのは、ビッテンフェルト侯爵領軍と領民からの徴募兵。そこへキヴィレフト伯爵領軍をはじめとした他の貴族領の軍勢も集い、敵侵攻部隊の上陸が確認された日から一週間が経った頃には、およそ七千まで膨れ上がっていた。当初の予定を上回る速さだ。


 大抵の軍は騎兵と歩兵、弓兵やクロスボウ兵、そしてバリスタなどを装備した編成。その中には、ノエインが見知った顔もいくつかある。


「やあやあやあ、これはアールクヴィスト大公閣下ではないですか! お元気そうで何より!」


「キューエル子爵! いやあ懐かしい顔に会えて嬉しいですねぇ!」


 集結地点となっている野営地で、ノエインを見るなり半笑いで声をかけてきたのは、南東部の名物貴族たるキューエル子爵。社交界では皮肉屋な言動に眉を顰められ、私生活では妻と仮面夫婦を演じながら浮気に勤しむ姿に陰口を叩かれ、しかし遊撃戦においては王国随一の実力を誇る、毀誉褒貶の激しい男。


 相手の心の嫌なところを突く戦法を得意とすることから、ロードベルク王国の貴族社会ではノエインと並べて語られることも多かったが、ノエインもキューエル子爵も「自分は単に優れた戦術家で、嫌らしい戦術を用いるあいつとは違う」と思っているので、互いに互いを憎らしく思う関係となっている。


 そんな内心はおくびにも出さず、ノエインとキューエル子爵はにこやかに握手を交わして分かれる。


 また別のときには、新たに合流してきた貴族領軍を見てノエインは驚く。総勢三十人ほどのその軍勢の中に、金属鎧を纏ったオークがいたためだ。


「……直に見ると凄いね。あれが噂の」


 北東部閥に属する貴族家当主で、使役魔法によって雄の成体のオークを従える者がいるというのは有名な話。アールクヴィスト大公国軍のクレイモアと相性が良さそうな能力を持つその貴族の軍は、今回はこうして東部軍に合流して戦うと、ノエインも話は聞いていた。


 オークを引き連れた軍勢の先頭、件の使役魔法使いと思われる女性貴族が、ノエインに気づいて歩み寄ってくる。


 そして、にこやかに手を差し出してくる。


「直接ご挨拶させていただくのは初めてかと存じます、アールクヴィスト大公閣下。ロードベルク王国貴族、ビアンカ・ランプレヒト女爵です」


「……初めまして、ノエイン・アールクヴィストです。あなたのこれまでの活躍は聞いています」


 ノエインも穏やかな微笑を作って握手に応えた。


「光栄です。名高きアールクヴィスト閣下と肩を並べて戦えること、王国貴族として大きな喜びです……あれは私の使役する魔物で、名前をダグルと言います」


 そう言いながらビアンカが手招きをすると、ダグルはのっしのっしと歩み寄ってくる。


「ほら、この方はとても偉い方よ。ご挨拶しなさい」


 主人の言葉に素直に従い、ダグルはノエインに向かって頭を下げた。


「……ははは。どうぞよろしく」


 オークから挨拶をされるというかつてない経験に、ノエインの微笑みが強張る。これほどの距離でオークを見るのは初めてだった。怖くないと言えば嘘になる。


「ブゴッ、ブウウゥ」


「もう、そんなことを言ったら閣下に失礼でしょう。まったく」


 オークが鳴き声を発し、ビアンカはそれを苦笑交じりに叱る。使役魔法使いは従える動物や魔物の言葉が分かると知識としては知っているノエインも、オークとコミュニケーションをとる人間を見て衝撃を受けずにはいられない。


「ランプレヒト卿、彼はなんと?」


「申し訳ございません、閣下。この子ったら、未だに人間社会の上下関係の仕組みを理解できないんです。肉体的に強い個体がより偉い、という考えが抜けていなくて」


「……なるほど」


 ノエインもおおよそ察した。


 ノエインを見て、こんな子供のような男がどうして「とても偉い方」なのか、とでも主人に尋ねたのだろう。このオークは。美味そうだから食べていいか、などと言われたわけではないと知って安堵する。


「今回は我々もアールクヴィスト大公国軍と共に行動することになるかと存じます。大公国軍のような強大な戦力とはなり得ませんが、微力を尽くします」


「我が軍のゴーレムとそちらの彼は、共に行動することで効果を発揮すると思います。彼は我々のゴーレムにはできないことができる心強い仲間です。協力して奮闘しましょう」


 ビアンカの従えるオークはダグル一匹だけだが、術者の近くで術者が操作した通りにしか動かないゴーレムと違い、ダグルは自身で考えて動くことができる。クレイモアの隙を埋めるような活躍に期待ができる。


 大公国軍とランプレヒト女爵領軍はおそらく、別部隊が敵を引きつけた上で隘路や村落、都市部で奇襲するような戦術に充てられる。ノエインたちにとって、ビアンカたちは最適な味方と言える。


「ありがとうございます、閣下……では、我々は野営の用意があるのでまた後ほど。この子にご飯もあげなければならないので」


 そう言って、ビアンカはダグルを連れて自身の軍勢のもとに戻っていく。よく見ると、そのランプレヒト女爵領軍は生きた山羊を何頭か引き連れていた。


「あれって」


「あのオークの食料でしょうな」


 何とも言えない表情のユーリがノエインに答える。オークは生きた獲物を好むというのは有名な話だ。


「……すごいね」


 山羊たちの運命を察しながら、ノエインはまた苦笑した。


・・・・・


 さらに一週間後。東部軍の集結は概ね完了した。


 この頃にはベトゥミア共和国軍も全部隊の上陸が完了したようで、主力と思われる部隊が続々と北進し、一方で侵攻路の防衛にあたるらしい東西の部隊も展開されている。


 東部軍の方を向く敵軍の規模はおよそ一万。ロードベルク王国の感覚からすれば十分に強大だが、対する東部軍の兵力は一万三千を超えている。ノエインにとっては待望の、味方側が多勢となる有利な戦いだ。


「現在、リングホルム子爵率いる騎兵およそ五百が威力偵察に出ている。敵の配置や兵種の構成を確認し、可能であれば敵が村などを占領して作った前線拠点を襲撃して破壊し、数日以内に帰ってくる予定だ」


 王国南東部のとある山の麓にある砦に置かれた、東部軍の司令部。その一室に集った主要貴族を前に、東部軍大将であるブロニスラフ・ビッテンフェルト侯爵が語る。


「『遠話』通信網による報告では、王都リヒトハーゲンを拠点とする中央軍が、敵の主力と会敵するのは一週間以内と思われる。我々は中央軍の会敵と同時に西進を開始し、こちらを向いている敵の軍勢一万を釘付けにする。逆の方向では西部軍も同じように動くだろう……それと並行して、小部隊が敵の補給路に傷をつける。敵主力を孤立させ、真綿で首を締めるように敵の各部隊を無力化させるのだ」


 王都へと迫る五万の敵を孤立させて壊滅させるのが、ロードベルク王国側の作戦。


 補給路を締め上げれば、五万もの軍勢は瞬く間に飢えて崩壊する。敵が食料を現地調達しようとも、周辺の人里の避難や食料運搬は既に完了している。


 いくら数が多くとも、腹を空かせた兵は脆弱だ。むしろこの場合においては敵の数の多さが重い足枷となる。最低でも四万が集まり、おまけに王都という最強の要塞かつ補給拠点を背にした中央軍ならば、まず間違いなく勝利できる。


「敵を釘付けにするのが役目とはいえ……別に打ち破ってしまっても構わないのでしょう?」


 そのとき、王国南東部の上級貴族の一人が発言した。それにビッテンフェルト侯爵は首肯する。


「もちろんだ。我が軍が敵の東部防衛の部隊を撃破すれば、直接的にオストライヒや補給路を圧迫できる。敵主力の無力化がより早まるだろう……おそらく西部軍も同じように考える。あちらはランセル王国からの援軍もあって数が多いが、こちらには前回の戦いで最大級の活躍をなされたアールクヴィスト大公閣下がおられる。西部軍よりも先に敵の防衛部隊を打ち破り、さらに西進し――神の名のもと、憎きベトゥミアに天誅を下してやれ」


 普段は冷めた表情のビッテンフェルト侯爵が珍しく不敵に笑い、この場に集った貴族のうち、南東部に領地を持つ者たちも獰猛な笑みを浮かべた。先の戦争で直接的に領地を踏み荒らされた彼らのベトゥミア共和国への恨みは、ノエインたちのものよりも一層深い。


「とはいえ、今の我々の役目は待機だ。リングホルム子爵の威力偵察部隊が帰還してから――」


「ほ、報告! 緊急の報告です!」


 そのとき、軍議が行われていた一室に兵士が飛び込んでくる。


 戦場での伝令兵は、届ける報告が緊急と判断すればたとえ大将の寝室にでも入ることができる。兵士の行動を、誰も咎めることはない。


「どうした。何があった」


「お伝えします! 敵の東部防衛部隊より、本隊から先行するかたちで魔物を使役する部隊が前進してきました! ……て、敵は巨大な地竜を操り、リングホルム子爵閣下の威力偵察部隊と会敵! 偵察部隊は散り散りとなっています!」


 その衝撃的な報せを受けて、貴族たちがざわめく。ノエインも、あまりにも予想外な話に唖然とする。


「……待機は取り消しだ。まず状況の確認。敵の位置と進路を探れ。それと、偵察部隊から生還した者、特に地竜を直接見た者の話が聞きたい。そして諸卿、戦闘準備を頼む……特にアールクヴィスト閣下。早速ですがお力をお借りすることになるかと」


「ええ、お任せください……遺憾ながら、大きな魔物との戦いには慣れています」


 ノエインは苦笑を浮かべながら、ビッテンフェルト侯爵に答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る