第437話 ユーシーとココ

「あーあ、ココったらまんまと釣られちゃって……」


 おそらくは決死の覚悟で地竜を囲み、逃げ回り、仲間が撤退する時間を稼ごうとする敵騎兵たちの様を遠くに眺めながら、使役魔法使いのユーシー・ラムは呟いた。


 彼女が操る雌の地竜ココは、人間が使役する魔物としてはおそらく世界随一の強さを誇るが、いかんせん頭が悪い。


 今回も、ユーシーの指示を受けて数百の敵騎兵を蹴散らしにいったまではよかったものの、ユーシーたちがようやく追いついたと思ったら、ココは自分を囲む騎兵たちを追いかけてその場をぐるぐると周り、一人ずつ虫のように潰すのに夢中になっている。


 本来であれば、あんなあからさまな囮は無視して前進し、敵騎兵を一人でも多く殺しながら東進し続けるのが正解だが、ココは所詮は巨大なトカゲだ。そんな判断をする知能はない。


 かといって、この距離ではユーシーの声など聞こえないので、指示を出しようもない。


「ユーシー。あれはどうにかならないのか? こうしている間にも敵騎兵の大半が逃げ去っていくぞ」


「無理ですよ。私にもどうしようもないです」


 自分の護衛部隊の隊長であり、ココの運用方法を決める指揮官でもある男の言葉に、ユーシーはぶっきらぼうに返す。


 およそ十分もその場に留まって囮の騎兵を追い回していたココは、ようやく最後の一騎を尾で叩き潰すと、周囲をきょろきょろと見回した。しかし、騎兵に逃げる時間を十分も与えては今さらもう遅い。敵騎兵の生き残りは全員、遥か彼方に逃げ去っている。広く散開してしまっているので、今から追ってもろくな戦果を挙げられない。


 それに、時刻は間もなく夜になる。地竜であるココは暖かい陽光のある昼間はいいが、冷える夜には元気をなくす。敵騎兵を追って、敵の本隊を奇襲することも今からでは叶わない。


「……仕方ない。呼び戻せ」


「はいはい」


 顔をしかめながら命令してきた隊長に雑な返事をしながら、ユーシーは懐から笛を取り出す。


 この笛の音を聴いたら、何を置いても戻って来るようにココには教えてある。きょろきょろと次の獲物を探していたココは、ユーシーの吹いた笛の音を聴くと、こちらに気づいて一目散に駆け寄ってきた。


 味方とはいえ、全速力で迫ってくる地竜に護衛部隊の面々が少し慄いているのをよそに、ユーシーは可愛い相棒を迎える。徐々に速度を落としてユーシーたちの前で止まったココが頭をもたれてきたので、その鼻先を撫でてやる。


「よしよし、お疲れさま。まったくおっちょこちょいなんだから」


 ユーシーの言葉に応えるように、ココは低い唸り声を上げた。騎兵を踏み潰すだけでなく何人かは食べてもいたようで、ココの巨大な口から血と臓腑の生臭い臭いが広がる。


 護衛部隊の面々は顔をしかめたが、ユーシーは表情をまったく変えない。ココと五年以上も一緒にいれば、これくらいは慣れたものだ。


 今は天涯孤独の身であるユーシーにとって、ココは単なる使い魔ではなく唯一の家族。


 母はユーシーを産むときに死に、父は貧困層を脱却するために、七年前のロードベルク王国侵攻に志願兵として従軍した。新天地で土地持ちの富農となることを夢見て。敵は弱く、必勝の戦争だという話を信じて。


 そして、父は死んだ。共に従軍した父の友人の話によると、父は西部侵攻部隊に配置され、アールクヴィストという名の貴族が率いるゴーレムの群れに襲われ、死んだのだという。死体の原型さえ留めない死に方だったという。


 父の死によって、ユーシーの人生はどん底に陥った。人頭税を払えず奴隷に落ち、年齢が二桁に届くと同時に性奴隷にされる予定となった。


 しかし、九歳で神の声を聞く儀式を受けた際に、人生は再び変わった。自分には使役魔法の才が、それも歴史に名を残せるほど巨大な才が秘められていることを知った。


 その事実を以て、ベトゥミア共和国軍に恐ろしいほどの高待遇で迎えられ、国内辺境で地竜の暴走が発生した際にはそこへ赴いて、地竜を――ココを魔力でねじ伏せて使役。


 そして、ロードベルク王国への再侵攻が決まり、大好きだった父の仇をとる機会を得た。


 アールクヴィストという貴族がいるであろう西部ではなく、東部の部隊に配置されたのは不満だったが、軍属である以上は命令されたら仕方ない。アールクヴィストという貴族を生け捕りにしたら自分の手で殺させてもらう、という確約だけは司令官から直々に得たので、それでひとまずよしとしている。


「……ユーシー、俺は一旦本隊と合流して、明日以降の行軍の話し合いをしてくる。本隊が前進してくるまで、お前はココと一緒に大人しく待っていろ」


「言われなくてもそうしますよ。行ってらっしゃい」


「……ああ」


 振り向きもしないユーシーに背を向け、護衛隊長は数騎を引き連れて西に進み出す。


 そして、ユーシーから十分に距離をとったところで、舌打ちをした。


「ちっ、奴隷上がりのクソガキが」


 ユーシーは神から与えられた才能があるのをいいことに、自身の護衛部隊に横柄な態度をとっている。やれ甘いものが食べたいだの、冷たいものが飲みたいだの、汗をかいたから湯浴みをしたいだのと、言いたい放題だ。


 護衛部隊は全員が騎兵で構成されているだけあって、皆それなりに伝統ある軍人家系の出身者だ。それが奴隷上がりの小娘の言いなりになっている現状は腹立たしい。


 それでも、異国の戦場で万が一ユーシーとココが反乱でも起こせば大事なので、彼女の機嫌を取り続けている。


「……」


 彼女を恨めしく思うと同時に、憐れだとも、隊長は考える。


 軍にとって、ユーシーたちは道具だ。破壊力はあるが、使いどころが極めて限られる道具。


 地竜には人間の敵味方の区別などつかないので、会戦を想定した中央主力には組み込めなかった。また、敵の西部軍にいるであろうアールクヴィスト大公のゴーレム部隊は地竜と互角に戦い得るため、結果的にユーシーたちはこの東部防衛部隊に配置された。


 そこでも、友軍から距離を置いてココを単騎で突っ込ませ、敵を蹴散らせるだけ蹴散らすような使い方しかできない。


 そんな使い方では、いかな地竜とはいえどこまで持つか分からない。ユーシーは他の魔物を使役させればこれからも役に立つ道具となるが、ココは最悪使い捨てることも想定されている。


 ユーシーはそんなことも知らず、無邪気にわがままを言い続けている。それが憐れだった。


・・・・・


 威力偵察の騎兵五百のうち、夜までに東部軍の本隊へと生きて合流できたのは七割強。地竜と遭遇したことを考えると、生還率は高い。


 しかし、その代償に主要貴族の一人であるリングホルム子爵を失った。彼の勇敢な最期は、彼の配下たちによって伝えられている。


「……リングホルム卿の死を無駄にしないためにも、地竜を仕留め、こちらと対峙する敵軍を打ち破る。それは確定だ」


 深夜、緊急の軍議の場で、ビッテンフェルト侯爵は重い声で語る。


「キューエル子爵。全体に向けて、詳細な報告を頼む」


「はっ」


 敬礼して一歩進み出たのは、ノエインと因縁深いキューエル子爵。遊撃戦ばかり得意としてきたために夜間の移動にも慣れている彼は、少数の手勢を率い、生還した偵察部隊と入れ替わるように西進。地竜を擁する敵部隊の様子を見た上で、無事にここへ帰還している。


「まず、地竜の位置はここから西へ十五キロメートルほど。東部におけるベトゥミア共和国軍の本隊はそのさらに後方で野営をしていたようです。やはり、本隊とは離れて運用されているようでした」


「そうか……予想通りだな」


「ええ。こちらとしては好都合です」


 ビッテンフェルト侯爵の呟きに、ノエインが答える。


 地竜は極めて強力な魔物だが、魔物に戦場で敵味方の兵を区別するような器用な真似はできない。おそらくは本隊と離れて単騎で敵軍に突っ込ませ、力のままに暴れまわらせるような運用しかかなわないはず。


 すなわち、ひとまずは先行してきた地竜一頭と戦うことを考えればいい。


「この状況ですと、アールクヴィスト大公閣下ご自慢のゴーレム部隊が力を発揮してくれそうですな」


「……そうですね。お任せください」


 嫌味というほどではないのに、キューエル子爵に言われると何となく皮肉が込められているような気がする。そう思いながら、ノエインは笑みを作る。


 クレイモアはその性質上、単体で強力な魔物との戦いに人間の兵よりも向いている。敵もおそらくはアールクヴィスト大公国軍との対峙を避けて地竜を東に配置したのだろうが、こちらがその裏をかいたかたちとなった。好都合だ。


「地竜の全長は……さすがに暗くて見えづらかったので正確には分かりませんが、二十メートルまではいかないでしょう。生還した騎士たちの証言は、やはり恐怖心のせいで誇張されていたようですな」


「まあ、そうでしょうね。五十メートルを超える地竜なんて、いくらなんでも船で運べるわけがないですから」


 ため息を吐きながら言ったのは、ビアンカ・ランプレヒト女爵。


 当初、生還した騎士たちからの地竜の報告は滅茶苦茶だった。三十メートル、五十メートル、なかにはそれ以上に大きかったと語る者もいた。比較的冷静な者の証言では、二十メートル台前半という話だった。


 危険な魔物の目撃者が、恐怖心によって実際以上にその魔物を巨大だったと語る傾向があるのは知られている。ノエインはワイバーンを討伐した際にそれを直に体験している。キューエル子爵が偵察に出たのは、地竜の実際の大きさを確認する意味もあった。


「さて諸卿。キューエル子爵のおかげで、地竜の位置と大きさは分かった。あとは討伐方法だが……アールクヴィスト大公閣下より先にご提案いただいた戦術でよいのではないかと私は思う。諸卿はどうだ?」


 地竜はその扱いづらさから、おそらく単騎で運用される。大きさはおそらくゴーレムで対応できる範囲内。敵はアールクヴィスト大公国軍が東部に配置されていることをまだ知らない。


 それらの予想を立てたノエインは、偶発的に遭遇したように見せかけて少数の囮が地竜から逃げ、そのまま適当な農村の方へ誘導し、そこでバリスタとクレイモアをもって迎え撃つ……という策を皆へ提案していた。


 キューエル子爵の偵察行のおかげで、ノエインの策を実行可能なことが証明された。ビッテンフェルト侯爵の問いかけに、貴族たちは異論がないことを答える。


「よし、それではアールクヴィスト大公閣下。ここより南西方向に、全住民が退避済みの小さな農村があります。夜も遅くお疲れのところ申し訳ないが、敵に見つからぬよう、この深夜のうちに部隊の移動をお願いしたい」


「ええ、お任せください。戦場では一晩や二晩の不眠は覚悟の上です」


 本心では多少の疲れを覚えながらも、ノエインは笑顔で頷く。今夜はおそらく徹夜になる。

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