第415話 帰還と安堵

 王国の歴史に残るほど大規模なオークの群れとの戦いは、その後片づけでも苦労を極めると見られていた。


 何せ、成体一匹の死体を運ぶだけでもゴーレム二体か、人間二十人と馬車一台を要するのだ。戦闘直後は傀儡魔法使いたちも兵士たちも疲労困憊でとても片づけを始められる状態ではなく、その日は死者の回収と負傷者の手当てだけで終わりそうだった。


 オークの死体の処理。堀や障害物、バリスタ陣地の撤去。オークたちに荒らされた森の中の加工所や村の安全確保。それらには一週間を要する見込みで、この討伐の日程そのものも予定より一週間ほど延びると見られている。


 自身専用の巨大ゴーレムを激しく戦わせたノエインも、魔力と精神力を大きく損耗して疲れ果て、野営地のテントの中でマチルダに寄り添われながら休んでいた。


「アールクヴィスト閣下、失礼します」


 そこへ、テントの外からペンスの声がかかる。ノエインは身体が重いと感じながらも簡易ベッドから起き上がり、マチルダを伴ってテントの外に顔を出した。


「討伐部隊全体の被害がまとまったそうで、さっき侯爵領軍の兵士が報告に来ました。今日の戦いでの死者は二十六人。重傷者は四十八人だそうです」


「そうか……まあ、相手が百匹以上のオークだったことを考えたら仕方ないね」


「でしょうね。寄せ集めの討伐部隊を最後まで崩さずに運用したんですから、あの次期侯爵様の立場はひとまず安泰ですか」


 戦乱が起きたとき、北西部閥の軍勢をまとめ上げる統率力が、派閥盟主に最も求められる能力のひとつ。この点において、討伐部隊の総指揮官の役割を果たしたエデルガルトは一定の才覚を示したと言える。


「うちの負傷者たちは?」


「医者の診断では、まずラドレーが打撲。肋骨の骨折まではいってませんが、もしかしたらひびくらいは入ってるかもしれないので、一か月くらいは戦闘も訓練もせずに休め、とのことでした。それと、親衛隊兵士は一人が打撲でもう一人は片腕の骨折です……この程度で済んだのも、漆黒鎧のおかげでさぁ」


 今回の戦闘で、アールクヴィスト大公国軍の負傷者は三人。オークの攻撃を受けて弾き飛ばされたラドレーと、オークカイザーが投げたゴーレムに巻き込まれた親衛隊兵士の二人。どちらも派手に負傷したかに見えたが、実際の怪我は比較的軽かった。


「ラドレーの奴なんて、もう歩き回ったり飯を食ったり、好きに過ごしてますよ」


「あはは、さすがラドレーだね……まあ、今回も死者が出なくてよかったよ」


 今日は傀儡魔法使いも兵士たちもゆっくり休むように、というあらためての指示をペンスに預け、ノエインはひと眠りするためにテントの中に戻った。


・・・・・


「諸卿、此度の戦いご苦労だった。そしてアールクヴィスト大公閣下、大公国よりの援軍、そして君主であらせられる閣下ご自身のご参戦、あらためて総指揮官として感謝申し上げます」


 戦場の片付けも大方終わって、いよいよ討伐部隊も解散が近づくある日。司令部の天幕に集められた指揮官格の者たちに、エデルガルトが言った。それに各自が軽く頭を下げ、個別で礼を言われたノエインも笑顔で彼女に会釈する。


「では……戦果の山分けといこう」


「ようやく一番の楽しみの時間ですなぁ」


 エデルガルトがにやりと笑って言うと、オッゴレン男爵が陽気な声で返した。それに小さな笑いが起こる。


 仕留めたオークは緒戦の分も合わせると百匹程度。これがもし狩猟であったとしたら、空前の大戦果だ。


 既に一週間以上が経ってしまった肉はともかく、毛皮や魔石の利益だけでも一財産。肥料や装飾品、魔法塗料の原料になる骨や牙などの利益も、百匹分ともなれば馬鹿にならない。


 それを、今回討伐に参加した貴族領で、参戦した戦力に応じて山分けすることになる。「オークカイザーの率いるオークの大群に勝利した」という名声を除けば唯一の実益だ。皆の気分は否が応でも高揚する。


 得られた成果物の分配についてはエデルガルトが事前に妥当な割合を考えており、それをそのまま提案する。


 上級貴族家の代表者たちはそこまで金にがめついこともなく、下級貴族家の者たちは派閥の重鎮たちを前にそこまでの我儘を言えるはずもなく、分配はスムーズに進んだ。


「それで、アールクヴィスト大公閣下。閣下の取り分に関してですが……オークカイザーの魔石と死体。本当にそれだけでよろしいのですか?」


「ええ。オークカイザーを仕留めたという栄誉。その証となるものがあれば十分です。それに、皆さんからいただく謝礼もありますから」


 異国から軍を動員したノエインには、討伐に参加した各上級貴族家から謝礼が支払われることになっている。


 気持ち程度のものとはいえ、特に侯爵家や伯爵家などの重鎮クラス、そして領地を救われたリュドー子爵家からはある程度まとまった額が支払われる予定で、積み重なれば出征の実費を賄った上で参加者に特別報酬を渡せる程度の額にはなる。


 加えてオークカイザーの魔石と死体を丸ごとだ。魔石は討伐の記念になり、いざというときの資産にもなる。毛皮と骨、特に頭蓋骨は飾り物にでもして屋敷に置けば、オークカイザーを仕留めたことを客人に誇示することができる。


 新たな利益を得るためではなく、セミラウッドの産出されるリムネーの森という北西部の共通利益を守るために討伐に参加したのだから、欲張っても良いことはない。これで十分以上だ。ノエインはそう考えていた。


「……感謝します、閣下」


 エデルガルトは神妙な表情でノエインに頭を下げ、他の者もそれに倣った。


 話し合いはあっさりと終わり、その数日後。片づけを終えてリュドー子爵領の領都ペールヴで二泊ほど休み、体力を回復させた討伐部隊は解散することになる。


 客将の立場で参戦していたノエインの帰還に際しては、主だった顔ぶれが見送りに集まってくれた。


「アールクヴィスト大公閣下。あらためて、此度のご助力に感謝申し上げます」


「元々は私も北西部閥の一員なのですから、当然のことをしたまでです。あなたの指揮は素晴らしかった。次期派閥盟主としての才覚を存分に見せてもらいました。これからも末永く、アールクヴィスト大公国と仲良くしてもらえたら幸いに思います」


「もちろんです。今後ともどうぞよろしく」


 エデルガルトと握手を交わしたノエインは、次にマルツェル伯爵と握手を交わす。


「また共に戦えて光栄でした、マルツェル卿。次に会える時までどうかお元気で」


「……はっ」


 マルツェル伯爵は短く答えて会釈したのみだった。


「オッゴレン卿、お疲れさまでした。また会いましょう。いつでも遊びに来てください」


「もちろんです閣下。閣下もいつでも我が領地にお越しください。近くを通った際も是非お立ち寄りを。歓迎いたしますぞ」


 オッゴレン男爵とは笑顔で抱き合い、背中を軽く叩き合う。個人的な友人だからこその、親しみを込めた挨拶だ。


 その後は、他の貴族たちと握手を交わして挨拶を済ませ、自身の馬に乗る。


 そこへ歩み寄ってきたのは、挨拶を済ませたはずのマルツェル伯爵だった。


「マルツェル卿? どうかされましたか?」


「いえ……ひとつ気になったことが。閣下の軍の兵士たちが身につけている鎧ですが……」


 そう切り出されたノエインは表情を強張らせそうになり、寸前でこらえて微笑を維持した。


「我が軍の装備ですか? 特に普通と違うところはないかと思いますが……」


 ノエインは自軍の兵士たちを見回した。彼らの着ている漆黒鎧は、その艶のなさや着用者たちの軽快な動きも相まって、一見すると黒塗りの革鎧に見える。漆黒鋼の特性か、金属鎧特有の擦れ合う音もほとんどない。


 盾などは金属製であることを隠しようもないほど凹みが出来ているが、行軍中は馬車に積んで布をかけてあるので今は見えない。


 マルツェル伯爵は腑に落ちない表情をしながらも、さすがに兵士に近寄って間近で鎧をじろじろと見るような無礼な真似はしなかった。


「オークの攻撃を受けても、大公国軍の兵士たちは比較的損害が少なかったようなので……何か……いえ、きっと練度の高さあってのことでしょう。失礼、妙なことを申しました。帰路どうかお気をつけて」


 やはり腑に落ちない顔のまま、マルツェル伯爵は離れていった。


「…………バレたかな」


「どうだろうな。違和感は持たれたようだが……マルツェル伯爵もまさか、古の大国の技術を使った魔法金属の鎧なんて結論に至ることはないだろう」


 ノエインの呟きに、馬を並べるユーリが答えた。


「まあ、そうだよね……バレてもそのときはそのときか。永遠に隠し通せるものでもないし」


 アールクヴィスト大公国軍の装備は漆黒鋼製に更新されつつある。更新が完了すれば、製法を開示して材料を輸出し、友好国へと漆黒鋼を広めるのもやぶさかではない。


 ノエインはあまり気にしないことにして、出発を命じた。


・・・・・


「ぶええええんっ!」


「うわあ~! 父上、すごおぉいです!」


 公都ノエイナの屋敷へと帰還したノエインが家族にオークカイザーの死体を見せてやると、子供たちからは以前ワイバーンの頭を見せたときと同じような反応が得られた。すなわち、フィリアは恐ろしげな魔物を前に泣き出し、エレオスは目を輝かせて見入った。


 ノエインは苦笑しながらエレオスの頭をわしわしと撫でてやり、泣きじゃくるフィリアを抱いたクラーラに歩み寄る。マチルダもその後ろに続く。


「ただいま、クラーラ」


「ただいま帰りました、クラーラ様」


「お帰りなさいませ、あなた、マチルダさん……今回も大変なご活躍だったみたいですね。噂ですが、戦いぶりを聞きましたよ」


「もう噂になってるの?」


 ノエインが小さく目を見開くと、クラーラは笑いながら頷く。


「討伐終了後、すぐにケーニッツ伯爵領に帰された領軍の負傷兵たちが噂を広めて、それがアールクヴィスト大公国にも流れてきました。何でも、頭二つ分も大きなオークカイザーをあなたの専用ゴーレムで無理やり押さえつけて、その頭を力任せに引き抜いて絶命させたそうですね?」


「あははっ! 好き勝手に語られてるねぇ……」


 ノエインは思わず吹き出した。やはり武勇伝とは大きく誇張されて広まるものらしかった。


「救国の英雄にワイバーン殺しに、今度はオークカイザー殺し……あなたの異名がどんどん増えていきますね」


「だね……できることならあんまり悪目立ちせずに穏やかに過ごしたいんだけど、言っても今更かな」


 これまでの自身の戦果を考えると、目立たずに辺境で静かにひっそり暮らしたいと望むのも無理がある。そう考えながら、ノエインは呟いた。


「とりあえず、疲れたよ。しばらく家族みんなでゆっくり休もう」


 ノエインはエレオスの手を引き、マチルダに寄り添われ、フィリアを抱いたクラーラと並んで屋敷に入る。


 季節はもう冬の入り口。少なくとも春が来るまでは、ノエインの望む穏やかな日々が待っている。




★★★★★★★


書籍版『ひねくれ領主の幸福譚』2巻、いよいよ本日発売です。

大幅加筆と、高嶋しょあ先生による美麗なイラストで、Web版をお読みくださった皆様にもお楽しみいただける内容となっているかと思います。

手に取っていただけると嬉しいです。何卒よろしくお願いいたします。


また、2巻の帯で情報が解禁されましたが、本作のコミカライズ企画も進行中です。続報をお楽しみにお待ちください。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る