第413話 総力戦

「ブガアアアアアッ!」


 まず最初に森から飛び出してきた大柄なオークが、陣に向けて凄まじい咆哮を放った。


 さらに、続々と森から姿を現したオークたちもそれぞれ咆哮を上げた。どの声にも、壮絶な怒りの感情が込められていると誰が聞いても分かった。


「まあ、怒るよね。同じ立場なら僕でも激怒するよ」


 迎え撃つ討伐部隊の中に緊張した空気が広がる中で、ノエインは他人事のように呟く。その声にも、表情にも、オークの怒りを買った張本人であることに対する恐れや罪悪感は皆無だった。


 絶え間なく森から出てくるオークたちと共に、彼らの頭であるオークカイザーも姿を現す。


「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 それは想像を絶する、受けた者の背筋を凍らせる雄叫びだった。兵士たちの多くが思わずといった様子で半歩ほど後ずさり、下がらなかった者も顔を青くし、あるいは表情を強張らせる。ノエインもさすがに硬い笑みを浮かべ、その額に一筋の汗が流れる。


「ガアッ! ゴガアッ!」


「ブゴオオッ」


「キュウウウ……プギュウ……」


 森から出てきたオークの一部は、拘束されて痛めつけられた仲間を助けようとするような行動を見せる。その一方で、大半の個体はそのまま討伐部隊の方へと迫ってくる。


「総員、攻撃用意!」


 エデルガルトが声を張る。それに合わせてクロスボウ兵が、攻撃魔法の魔道具を手にした大公国軍兵士たちが、各領から派遣されている魔法使いたちが、バリスタを操作する兵士たちが、いつでも攻撃を放てるよう身構える。


「放てえっ!」


 総指揮官の命令に従い、矢が、攻撃魔法が、迫りくるオークの群れを襲った。


「ゴブウウッ」


「ブギャアアアッ!」


「グウッ!」


 水魔法『氷弾』の直撃を受けたオークの顎から上が千切れ飛び、風魔法『風刃』に斬り裂かれたオークの首元から鮮血が吹き出し、土魔法『土槍』に腹を抉られたオークの傷口から臓腑が零れ落ちる。


 バリスタの太い矢に毛皮も筋肉も突き破られて胸を貫かれたオークが倒れ伏し、クロスボウの矢の雨を浴びたオークたちが怯み、そこに塗られていた『天使の蜜』の原液の効果で動きを鈍らせる。


 配下と比べて一際大きなオークカイザーも、数発の魔法とクロスボウの矢の雨を受け、その場に倒れ伏した。


 オークたちの突撃の勢いを完全に殺し、一瞬で大打撃を与えて怯ませた好機を逃さず、エデルガルトが叫ぶ。


「アールクヴィスト閣下、お願いします!」


「分かりました……クレイモア、前進を!」


 ノエインの命令がユーリとグスタフ、アレインを介して傀儡魔法使いたちに伝達され、一斉射の邪魔にならないよう伏せていたゴーレムたちが立ち上がり、前に出る。


 それから始まったのは、凄絶な戦いだった。


 個々の戦闘力に勝るとはいえ、所詮はオーク。おそらくは群れの全戦力を以て襲ってきてはいるが、その総数は百匹強といったところ。


 手にしているのも枝を払っただけの木の棍棒や、占領した加工所や村から持ち出したらしい鉄の棒、あるいは拾った石程度で、接近戦以外ではせいぜいそれらの武器を投げつける程度の抵抗しかできない。


 対する人間側は総勢二千人で、工業力の結晶であるクロスボウやバリスタ、ゴーレムを用い、失われた技術の産物である攻撃魔法の魔道具まで用いている。怒り狂って前進するオークたちは、その怒りを人間にぶつける前に命を奪われていく。


 クロスボウの矢に塗られた『天使の蜜』の原液で動きを鈍らせたオークが、ゴーレムによって一方的に殴り殺される。


 攻撃魔法を横腹に受けて腸を零れさせながらも最後の生命力を振り絞って走り続けていたオークが、頭にバリスタの矢を貫かれて絶命する。


 正面ではなく斜め横のバリスタ陣地を襲おうとしたオークが、バリスタと攻撃魔法の魔道具による十字砲火を受ける。真横から腰に魔法を食らい、上半身と下半身が泣き別れになって頽れる。


 オークたちが次々に死んでいく中で、しかし人間側の飛び道具による猛攻を潜り抜けて陣の目の前まで辿り着く個体もいる。


 そうなると、今度は力でも俊敏さでも劣る人間の側が多少苦労することになる。


「陣形を崩すな! 盾を下げるな!」


 士官の怒号が響く中で、盾兵たちが勇気を奮い立たせ、手にした盾を並べる。仲間と支え合い、オークの振るう棍棒を全身で受け止める。


 その後ろからはクロスボウ兵がオークを撃とうとするが、仲間への誤射に気をつけつつ目の前で暴れまわるオークを狙うのはなかなか難しい。角度を上に向け過ぎた矢は外れるものも多く、たとえ当たってもオークの分厚い毛皮に阻まれてなかなか奥深くまでは刺さらず、『天使の蜜』の原液もすぐには効果が表れない。


 なかには、オークの猛攻に耐えられず盾の列を崩し、棍棒の一撃で弾き飛ばされたり、棒の一突きで身体を貫かれたり、その巨躯に踏み潰されたりする者もちらほら出る。


 それでも全体的には、数や組織力で勝る人間の側に有利に戦いが推移する。


 通路と定められた陣の正面では、ラドレー率いる大公国軍部隊が迫りくるオークと戦っていた。


「くそがあああっ!」


 ラドレーは雄叫びを上げながら槍を突き出す。漆黒鋼製の穂先は対峙するオークの肩をとらえ、肉を抉る。


「ブゴオッ!」


 小さくはないが致命傷には至らないその負傷はむしろオークの闘争本能を刺激したようで、ラドレーが槍を引き抜いた際の僅かな隙を狙って、オークは左手に持った石を投げつける。


 人間の頭よりも大きなその石は、オークの筋力によって凄まじい速さで飛び、しかしラドレーは身をよじってそれを間一髪で躱した。ラドレーの真後ろ、ノエインとクレイモアがいる方へと飛んだその石は、ノエインを守るペンスたち親衛隊の作る盾の壁にぶつかって止まる。


「死ねっ!!」


 オークは飛び道具を失って木の棍棒を振り上げるが、頭に血の上ったその大雑把な攻撃の隙をラドレーは見逃さなかった。


 ラドレーが一気に数歩踏み込んで真横から突き出した槍の穂先はオークの脇の下に突き刺さり、太い血管を貫く。槍が引き抜かれると、その傷口から鮮血が吹き出し、オークはゆっくりと倒れた。


「ノルドハイム閣下!」


 目の前の獲物の死を確認したラドレーは、部下の声にはっとして陣の正面を向く。飛び道具の猛攻を潜り抜け、早くも新手が迫ってきていた。


 体高は二メートル台半ば。ただのオークとしては最大級の体躯を誇るその個体は、巨体に似合わないほど素早く接近してきて、手にしていた斧――本来は木の伐採用のものだろう――を横薙ぎに振るう。


 ラドレーは咄嗟にその間合いから飛び退こうとしたが、地面に広がるオークのおびただしい血に足をとられた。さすがに滑って転ぶような無様は晒さなかったが、動きがわずかに遅れた。


 その遅れが決定的なものとなり、オークの振るった斧の一撃がラドレーの胸を打つ。


「ぐっ!」


 ラドレーは振るわれる斧と同じ方向に飛ぶことで受ける威力を減衰させ、さらに漆黒鎧を身につけていた。いかにオークが力任せに振るったものとはいえ単なる鉄の斧では鎧を割るには至らず、鎧は表面が凹んだのみだった。


 しかし、刃による怪我は防げても受ける衝撃までは殺しきれない。一撃を受けた瞬間、ラドレーは呼吸しづらさを覚えながら数メートル後方に吹っ飛ぶ。


「閣下!」


「牽制だ! 槍を並べろ!」


 大公国軍の兵士たち数人がラドレーを受け止め、その他の者はオークのさらなる進撃を防ぐために剣や槍を構えて正面を塞ぐ。


「ラドレー、無事か」


「げほっ、ぶほっ、こんくらいで死にゃあしねえです」


「そうか。下がっていろ、穴は俺が埋める」


 咳き込みながらも言ったラドレーに頷き、ユーリが正面の中央に立つ。一方のラドレーは、自身を受け止めた兵士たちにそのまま担がれ、医者のいる後方へと運ばれていった。


「敵は残り僅かだ! このまま勝つぞ!」


「「「おうっ!」」」


 漆黒鋼製の剣を抜いたユーリが声を張ると、それに応えて大公国軍兵士たちが吠える。


 二千対百強。この圧倒的な数の差と文明力の差を埋めるには至らず、オークたちは既に半数が倒れていた。


 討伐部隊の損害は小さく、陣形が大きく崩れる様子は見られない。


 もう一押しで誰もが勝てる。そう思ったとき。


「……っ!」


 ノエインは目を見開いた。戦場の中央、人間側の最初の攻撃を受けて倒れ伏していたオークカイザーがむくりと起き上がった。


「おのれ、死んでいなかったのか!」


「今まで起き上がらなかったということは、攻撃を食らった衝撃で気絶していただけか……いずれにせよ、見たところそう大きな傷は負っていないようだな」


 驚愕するエデルガルトの横で、マルツェル伯爵が語る。


 もともとオークは非常に打たれ強い魔物で、オークカイザーの頑強さはそれ以上。


 戦闘の開幕時、何発かの攻撃魔法とクロスボウの矢を受けたオークカイザーだったが、腕に掠った風魔法『風刃』と頭に当たった水魔法『氷弾』ではとても致命傷には至らなかった。クロスボウの矢は硬く厚い毛皮という天然の鎧に阻まれ、針で刺した程度のダメージしか与えられていない。必然的に、『天使の蜜』の原液の効果も十分とは言い難かった。


 また、バリスタの矢は周囲にいたオークたちに当たり、群れの中央にいたオークカイザーには達していなかった。


 そのため、『氷弾』に脳を揺らされて意識を奪われていただけのオークカイザーは、気絶から目覚めれば行動に何の支障もない。


 立ち上がったオークカイザーは辺りに広がる惨状を、群れの仲間たちの死体を見て、全身に殺気を纏う。


「ブゴオオオオオオオオオッ! グオオオオオオオオオオオッ!」


 絶叫を上げたオークカイザーが見据えたのは――陣の正面、障害物にも堀にも阻まれていない通路部分だった。


「っ! まずい!」


 来る。そう思ったノエインは、現在操っていた二体のゴーレムへの魔力供給を切り、真後ろに用意しておいた自身専用の巨大ゴーレムへと新たに魔力を送る。


 間もなく、三メートルを超える巨躯が立ち上がり、ノエインと周囲の護衛たちの横を通り過ぎて正面へと歩き出す。


「下がれ! 道を空けろ!」


 正面を守っていた兵士たちを退避させたユーリが、自身も急いで真横に退く。そうして空いた正面通路を助走路として、巨大ゴーレムは突進の勢いをつけ始める。先ほどまでユーリたちと戦っていたオークを蹴散らして突き進む。


「ブオオオオッ!」


 目の前に現れた、自身に匹敵する体格の敵を見て、オークカイザーは吠える。巨大ゴーレムを自身の倒すべき敵と認識し、勢いよく前進する。


 筋肉と毛皮を身に纏ったオークカイザーと、硬いセミラウッドの身体を持つ巨大ゴーレムが、真正面から激突する。




★★★★★★★


書籍版『ひねくれ領主の幸福譚』2巻、各サイトで電子書籍も予約受付が始まっています。


発売日まであと10日、何卒よろしくお願いいたします。

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