第405話 結果的に

「まったく、とんだ騒動だったな」


「ええ、本当に」


 オスカーが椅子にどかりと腰を下ろしてため息とともに呟くと、テーブルを挟んだ向かい側に座ったノエインは苦笑しながら頷いた。


 場所は主賓であるオスカーとイングリットにあてがわれた、宿泊用の小さな館のバルコニー。時刻は真夜中だ。


 アンリエッタとクラウスの結婚披露宴が「とんだ騒動」に見回れ、怪我人を出すことなくどうにか事態を収拾したアンリエッタが出席者たちに謝罪をして回り、一方の出席者たちは目の前でくり広げられた劇的な一幕について語り合って盛り上がり、それらがようやく一段落して各々が客室に戻ったのがつい先ほど。


 ノエインもさすがに疲れていたが、一方で今日の一件については語り足りなくもあった。そんなとき、オスカーから少し話し相手になってくれと言われたので、エレオスを寝かしつけるのを使用人たちに任せて出向いたところだ。


「息子の様子はどうだ? 目の前で刃物沙汰を見たわけだが」


「あれは我が子ながら、なかなかの大物ですよ。特に怯えるでもなく、オートゥイユ伯爵たちはどうしてあんなことをしたのかとか、アンリエッタ陛下の言葉に皆が拍手をしたのは何故かとか、質問攻めでした」


「ははは、それは確かに大した器だ。とはいえ、いくら賢くても六歳の息子に事態を説明するのは骨が折れたことだろう」


「はい。国の伝統や王侯貴族の誇りの機微など、まだ詳しくは理解できない歳ですから」


 エレオスの様子を聞いたオスカーは可笑しそうに笑うと、またため息をつく。


「王侯貴族の誇りの機微、か……まさかアンリエッタ女王があのような手で騒動を収めるとは思わなかったな。真似られた方としては、どこか気恥ずかしくもあるが」


「あの日のオスカー陛下の御言葉は名言として広く知られていますから。アンリエッタ陛下が参考にされたのも理解できる話です」


 自分では王の座に不足だというのなら、自分を殺して成り代わって見せろ。それはベトゥミア戦争の際にオスカーがロードベルク王国貴族たちに向かって言い放ち、自身の覚悟を示した言葉だ。


 その言葉は場に居合わせた貴族たちからその他の貴族たちへ、そして市井へと広まり、今では吟遊詩人たちによって詠い語られている。貴族を結束させて国を救った王の名演説として、国外にまで広まっている。


 アンリエッタはそれを真似たのだ。そしてオスカーと同じく、見事に事態を収拾して見せたのだ。真似られた側のオスカーとしては彼女を責めることはできない。


「だが、結果としてはあれでよかった。一部のランセル王国貴族の暴走で、両王家の繋がりを台無しにされてはたまらんからな。あの場の責任云々よりも、両国が太い繋がりを保つことの方がよほど重要だ」


 そう語るオスカーの気持ちはノエインにも理解できた。


 多くの要人が集う宴で貴族が武器を抜くなど、その貴族の主君であり宴の主催者であるアンリエッタとしては顔を青くせずにはいられない事態だ。しかし、犯人が武器を抜いた理由は誰かを傷つけることではなく、結果的に誰も傷つかなかった以上、実害はなかった。


 この程度の事態のせいで、王族同士の婚姻という、せっかく築かれた大国同士の繋がりがふいになるのでは割に合わない。


 この一件を大きな責任問題にせず、ランセル王国との友好関係を引き続き維持したいオスカーとしては、自身の過去の行動を参考にして騒動を収めて見せた隣国の若い女王の勇気に免じ、今回の一件を寛大な心で許す……という尤もらしい理由を得たのは幸いだったと言える。


「ですね。他の出席者たちも全員が納得してくれたのは本当に良かった」


「一人くらい文句を言う者もいるかと思ったが……どいつもこいつも英雄譚を描いた演劇の見すぎか、詩歌の聴きすぎだな。結果的にはそれに救われた」


 笑いながら言ったオスカーに、ノエインも小さく吹き出した。


 一応は刃物沙汰に巻き込まれた披露宴出席者たち、特に異国から来訪した代表たちは、その気になれば「危険な目に遭わされたから謝罪や賠償を求める」とアンリエッタの責を問うこともできた。


 しかし、十以上に及ぶ国々の代表の誰もアンリエッタを責めず、逆に彼女が言葉のみでオートゥイユ伯爵たちの暴走を止め、厳しい罰と慈悲深い救いを同時に与えてみせたことを称賛した。これぞ君主の理想的な姿だと、自分たちは素晴らしい歴史の一幕を見たと口々にアンリエッタを褒め称えた。


 背景にあるのは彼らの気質だ。今回賓客として招かれているのはロードベルク王国を除けば小国の君主、あるいはその近親者であり、彼らは繊細な政治力よりも個人の能力や資質に頼って国を治め、守っている。


 そんな彼らから見れば、物語の英雄もかくやというカリスマを発揮して見せたアンリエッタは、同じ為政者としてとても魅力的だった。


 まだ十代の、少女と呼んでも差し支えない小柄な女性が、刃をも恐れず、言葉と佇まいのみで武人をねじ伏せた。その好印象が、その他の全ての要素に勝ったのだ。


 もちろん、小国ではランセル王国に披露宴での不手際を抗議したところで太刀打ちできないという事情や、今後富んでいくであろうランセル王国には文句を言わずに仲良く付き合う方が得だという打算も考えられていたであろうが、それらを含めても一切の苦情が上がらなかったのは間違いなくアンリエッタの行動の成果だ。


「ヘルガ王女殿下もアンリエッタ陛下の堂々たる姿に敬服しきっていた一人ですし……さすがは今回の主役と言うべきか、アンリエッタ陛下の一人勝ちですね。正直、話が出来過ぎていて何か裏があるのかと少しだけ疑いましたが」


「私とアンリエッタ女王の仕込んだ茶番だとでも? 貴族を暴走させて刃物沙汰を起こさせ、その上であれほど都合の良い展開に意図的に運ぶことなどできるものか」


「あはは、それもそうですね。そんな博打に臨まなくても、オートゥイユ伯爵たちの暴走の予兆を掴んだ時点で事前に説得した方が安寧を得られるでしょうから」


「当たり前だ。それに、そんな茶番ひとつを起こすために、今のランセル王家にとっては貴重な武門の貴族家を何家も取り潰すような真似ができるものか。勿体ない……指揮官格を一度に複数人失ったのだ。ランセル王国の軍事を司るパラディール侯爵は、これから国軍の指揮編成の再編に難儀するだろうな」


 そう語るオスカーの様子を観察して、彼は嘘を言っていないとノエインは内心で結論づける。


「となると、アンリエッタ陛下についての評価は全面的に修正しなければなりませんね。あのような騒動を前に、己の意思であれほどの立ち回りをして見せたのですから」


「そうだな。頭は良いし向上心もあるが、正直言ってまだ当面は血筋だけの小娘でいるだろうと思っていた。だが、あれを見せられた今となっては考えを改めねばならん」


 アンリエッタは周辺国の王族を魅了しただけでなく、あの場に居合わせたランセル王国貴族社会の重鎮たちにも君主としての器を見せつけた。これからランセル王国は、彼女のもとでさらに強い国になっていくだろう。


 オスカーとしては、そしてノエインとしても、アンリエッタは最早舐めてかかれる隣人ではない。共存共栄を目指しつつも、力関係が崩れないよう気を引き締めて向き合うべき存在となった。


「良き隣人で居続けるために、こちらも気を抜いてはいられませんね」


 そう言ってノエインは笑い、オスカーも微笑で応える。


 少なくともノエインの次の代までは、三国の君主家は近しい親戚同士だ。血を流すような対立に陥る可能性は低い。


 だからこそオスカーとノエインは、アンリエッタの成長を個人的には喜んでいた。


「……私たちも、他の出席者を笑えない馬鹿かもしれんな」


 そんな自分のことをお人好しだと思ったのか、オスカーは自嘲気味に呟く。


「これも歳を取ったせいでしょう」


「お前は歳を取ったと言うほどの歳ではないだろう」


「お言葉ですが陛下、私は同年代の他の者とは経験が違いますよ。何せ、南西部大戦にベゼルの戦いにベトゥミア戦争に、最近ではヴィルゴア王国との戦いにと、数十年分の動乱をここ十年ほどで経験した身ですから」


 そう言って笑うノエインは、容姿こそ相変わらず十代でも通じる童顔だが、今では不自然に老成した雰囲気も纏っている。非友好的な貴族の間では「アールクヴィスト大公は実は二百年生きている吸血鬼だ」などという悪意ある冗談まで語られている。


 その老成も全て、平穏を欲する本人の望みとは裏腹に数多くの戦場に立ってきた経験によるものだ。


「はははっ、確かにそうかもしれんな」


 二人とも疲れてはいたが、ノエインとオスカーはその後もしばし酒を手に談笑を楽しんだ。


・・・・・


 披露宴の場での騒動を片づけ、オートゥイユ伯爵たちをそれぞれの自宅に軟禁して厳重な監視網を敷き、さらには賓客たちの宿泊先についてもより一層の警備を衛兵に命じた後。


 ランセル王国の軍務の責任者であるパラディール侯爵が諸々の根回しを終えたのは、深夜だった。


「タジネット子爵。卿は女王陛下があのように語られてオートゥイユ伯爵たちを止めるつもりであることを聞いていたのか?」


 パラディール侯爵は、アンリエッタの警護を他の武官と交代したクロエ・タジネット子爵を呼び出してそう尋ねた。その問いかけに対し、タジネット子爵は無表情のまま首を横に振る。


「いえ、存じておりませんでした」


「……では、場合によっては陛下の身に危険が及ぶ可能性も理解していたわけだな。陛下の御命令の上での行動とはいえ、見ているこちらとしてはぞっとしない時間だった」


 パラディール侯爵がそう呟いても、タジネット子爵は微塵も表情を変えない。眉のひとつも動かさない。その無反応に侯爵はため息をついた。


 タジネット子爵は君主の護衛や一指揮官としては優秀な武人だが、政治的な柔軟性は皆無。その人柄は頑ななまでに主の意思を重視する堅物だ。カドネの追放後、アンリエッタ派に寝返らせてからは、その気質はより極端になっている。


「だが、今回については卿が正しかったと認めよう。私もまた、陛下のことを庇護し、陛下を正しく導くことが、先々代陛下の遺臣である自分たちの役目だと無意識に思っている節があった。陛下が己の力で事態解決に臨もうとしたにもかかわらず、私は要らぬ世話を焼こうとした。あの場において、それは臣下として正しい姿勢ではなかった」


 ときには主君に諫言を行うのも臣下の役目。しかし、諫言とは主君が為政者としての道を、そして人としての道を踏み外さないよう行うべきものだ。


 アンリエッタも女王である以上は、危険に足を踏み入れてでも決断や覚悟を示すべき場面がある。どこがその場面であるかを決めるのはアンリエッタ自身だ。彼女が君主にしかできない決断をした上で動いた以上、臣下にできるのは彼女の道を開くことだけだ。


 いくらまだ若い、守るべき女王であるとはいえ、その女王自身の行動を制限してまで臣下の皆で囲み、まるで壊れ物か何かのように後生大事にしていては本末転倒。良かれと思っての行動でも、その本質はオートゥイユ伯爵の愚行と変わらないものになってしまう。


「……ふっ。私も老いたということか。自分が経験を重ねてきた自負がある分、若い者にあれこれと口を出したくなっていかんな」


 皮肉な笑みを浮かべるパラディール侯爵に、タジネット子爵が口を開く。


「しかし、女王陛下はお休みになられる前、パラディール閣下への感謝を口にしておられました。ああして自分の身を案じてくれる忠臣がいるのは嬉しいと仰っていました」


「ははは、それは王国貴族として冥利に尽きるな……陛下がまだ僻地で静かに暮らす幼い王女だった頃、初めてお会いしたときのことを思い出す。あの頃と比べると、本当にお強くなられた」


 もしパラディール侯爵があのまま親衛隊に命じ、力ずくでオートゥイユ伯爵たちを制圧しようとしてしたら。伯爵たちはおそらく自害を果たしてその目的は闇のままとなり、ランセル王国は賓客たちの安全脅かした上に騒動の原因も解明できない国だと侮られることになっていた。


 しかし、アンリエッタの勇敢な行動の結果として、ランセル王家はあの状況に置いて最善と言えるかたちで騒動を収束させることができた。近隣諸国から見たアンリエッタの評価は極限まで高まり、今後の外交を考えると、今回の騒動はランセル王国にとって良いことだったとさえ言える。


 おそらく、アンリエッタはそこまで全てを計算して行動したわけではないだろう。だからこそ末恐ろしい。彼女は言わば、君主としての本能のままにあれだけの行動をやってのけて、あれだけの成果を獲得してみせたのだ。


 パラディール侯爵に言わせれば、今日の騒動は出来過ぎなほど幸運な結末に終わった。あれは今日という日の、あの場の空気の中で、アンリエッタという若く純粋な女王だからこそ成し得た偉業だ。たとえあのような茶番を仕込もうとしてもあそこまで上手くはいくまい。事実は物語より奇なりだ。


 素であれだけのことを成せるのはもはや才能だ。血筋だけで担ぎ上げられただけの少女だったアンリエッタは、まさに「女王」という生き物へと、時代の主役の一人へと進化を遂げようとしている。


 そんな彼女を女王に戴き、自分たち臣下が粉骨砕身して彼女を支えていけば、ランセル王国の未来は明るい。パラディール侯爵は満足げな笑みを浮かべた。


・・・・・


「アールクヴィスト大公、そしてヘルガ・レーヴラント王女。この度はご来訪くださりありがとうございました。そして、先の騒動をあらためてお詫びします。私の女王としての未熟さ故に、皆様をご不安にさせ、お見苦しいところをお見せしてしまいました」


「滞在中は歓迎を尽くしていただき、感謝の念に堪えません。先の一件についてはどうかお気になさらないでください。陛下の君主としてのお覚悟、敬服しました」


 帰路に発つ前。女王自ら見送りに来てくれたアンリエッタと、ノエインはそう言葉を交わした。


 そして、ヘルガの方もアンリエッタに挨拶をする。ヘルガがアンリエッタを見るその瞳には、敬意と憧れの感情が込められていた。


「私も、女王陛下のあの御言葉に心から感動いたしました。これから自分が強き女王となることを目指していく上で、陛下の御姿はまさしく道標です。私も陛下のような、信念と覚悟を以て国を導く君主となれる日が来るよう、努力を重ねてまいります」


 きらきらと輝く瞳を向けられてそう言われたアンリエッタは、年相応の少女のような照れた笑みを見せる。ここまで真っすぐに尊敬を語られたらまんざらでもない。そんな表情になる。


「ありがとうございます……これから先、手を取り合うことのできる場面を見つけ、友好を育んでいきましょう。そして、国を背負う女同士、仲良くしていければ幸いです」


「はい。どうかよろしくお願いいたします」


 生まれた地も、抱える国の規模も、種族に対する価値観も違う。相容れない部分の方が多い。手を取り合えない場面、協力し合えない場面、ぶつかる場面は今後間違いなくある。


 それでも、似た立場で奮闘する者同士、敬意を示し合うことはできる。その敬意こそが不和を打開することもあるだろう。


 だからこそ、ヘルガとアンリエッタは固い握手を交わし、微笑みを向け合った。


 その光景を見守りながら、ヘルガを連れてきてよかったとノエインは思った。


 アンリエッタに別れを告げ、再会を願い、ノエインとヘルガはそれぞれの家の馬車に乗る。


 アンリエッタに手を振られながら馬車を出発させ、しばらく進んで窓を閉めたところでようやくリラックスしながら、ノエインは呟いた。


「……予想外の出来事もあったけど、結局、今回は僕は特に何もしなかったね。喋って食べて見てただけだ」


 その言葉にエレオスはきょとんとした表情で首を傾げ、マチルダは微苦笑を浮かべる。


 今回、最も頑張ったのはおそらくアンリエッタで、ヘルガも自身の社交を頑張っていた。


 一方のノエインは顔繫ぎのための談笑をするか、当たり障りのない挨拶をするか、振る舞われた御馳走を飲み食いしていただけ。例の騒動の際も、その他大勢の立場で黙って見ていた。脇役もいいところだ。


 しかし、たまにはそういうのもいいだろうとノエインは思った。


 いついかなる時も騒動のど真ん中に立っていては、疲れる。




★★★★★★★


ここまでが第十五章となります。ここまでお読みいただきありがとうございます。


また、書籍版『ひねくれ領主の幸福譚』ですが、2022年8月25日に第2巻が発売されます。

こうして続巻が叶ったのも、皆様より沢山の応援をいただいたからこそです。本当にありがとうございます。


Web版、書籍版ともに『ひねくれ領主の幸福譚』を今後とも何卒よろしくお願いいたします。

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