第404話 女王の威容

「待ちなさい!」


 この騒動が巻き起こって初めて声を発したアンリエッタの方に、全員の視線が向く。


「女王陛下! どうかお止めなさらず――」


「私は貴方たちの話を聞きました。では、貴方たちも私の言葉を聞くのが筋でしょう。それとも、女王である私の言葉が聞けないのですか?」


 護衛に道を空けさせて前に出てきたアンリエッタがそう問いかけると、オートゥイユ伯爵は黙り込んだ。


 さて、この茶番をどう収めるのか。そう思いながら、ノエインは大勢の出席者のうちの一人として、黙って状況を見守る。


「……私は今からオートゥイユ伯爵と話をします。誰も手出しをしてはいけません。これはこの国の女王としての命令です」


 親衛隊兵士たちを見回して宣言したアンリエッタは、傍らのタジネット子爵に何かを耳打ちすると、数段高く設けられた広間前方から静かに、堂々とした佇まいで降りてくる。指示を受けたらしいタジネット子爵も、剣を手にアンリエッタの後に続く。


「あ、アンリエッタ……」


「クラウス、大丈夫です。あなたはどうかそこで見守っていてください。これは女王である私が収めるべき場です」


 穏やかでやや臆病な気質の王配がうろたえている方を振り返り、優しく微笑み、アンリエッタは再び前を向いて段を降りる。


「通しなさい」


 広間前方への進路を阻むように並んでいた兵士たちに命じ、さらにオートゥイユ伯爵たちに近づいていくアンリエッタを見て、パラディール侯爵が口を開いた。


「陛下、危険です!」


「パラディール侯爵、あなたもどうか見守っていてください」


「ですが……止むを得ん。親衛隊! オートゥイユ伯爵たちの生死を問わず取り押さえ「閣下」


 アンリエッタの身の安全を優先して、オートゥイユ伯爵たちを囲む兵士を動かそうとしたパラディール侯爵に、タジネット子爵が素早く迫った。剣の刃こそ侯爵に向けていないものの、場合によっては侯爵を切りかねない冷徹な気迫を放ちながら。


「なっ、自分が何をやっているか分かっているのか、タジネット卿」


「そのお言葉をそのままお返しします、パラディール閣下。女王陛下は誰も手出しをするなと仰られました。自分の行動を誰にも邪魔させるなと、陛下は私に命じられました。たとえ閣下であっても、陛下の命を無視されるのであれば容赦はしません」


「……それが陛下の御身を危険に晒すことであってもか」


「私は陛下のご意思を守る剣なれば。陛下のお考えを信じ、陛下の往く道を開くことこそが臣として在るべき真の姿であるはずです」


「……くっ」


 王の剣であることに頑ななまでにこだわるタジネット子爵を説得することはできないと考えたのか、パラディール侯爵は苦々しい表情で黙った。


 邪魔をする者がいなくなった中で、アンリエッタはさらに前に進む。困惑する兵士たちの脇を通過し、ついにオートゥイユ伯爵の目の前まで辿り着く。


「オートゥイユ伯爵。そして伯爵に賛同した貴方たち。それほど女王としての私を信じられませんか。それほど私は頼りないですか。貴方たちにとって、私はやはりお飾りの女王ですか」


「なっ!? ……そのようなことは申しておりません。我々はただ、陛下にランセル王国の真に在るべき姿と往くべき道を思い出していただければと思った次第。陛下ならば正しく王国を導かれることと信ずるからこそ、この訴えを――」


「その考え方が、私を信じていない証左です! 愚か者!」


 アンリエッタが一喝すると、その鋭い声に広間が静まり返る。一見するとまだ少女にも見える彼女の堂々とした力強い言葉に、誰もが驚く。


「この王国の正しい在り方。それは時代によって変わりゆくものです。そもそもランセル王国自体が、百年も前には存在しなかった国。百年前や、それよりももっと昔を生きた数多の人々から見れば、小国が並び立っていたはずのこの地域を一つの国家が統一していることさえ間違ったことに写るでしょう。『正しい在り方』などというものは、それほど移ろいやすい概念です」


 そこで、厳しい表情だったアンリエッタは、悲しげな表情に変わる。


「時代ごとの国家の正しい在り方を考え、決めることこそが王の権利であり、同時にそれに責任を負うことが王の義務であると私は考えます。それなのに……どうして、私の臣であるはずの貴方が国の正しい在り方を決め、私にそれを強いるのですか、オートゥイユ伯爵。私が信頼すべき、今日まで私を支え続けてくれた、私の忠臣」


 忠臣、と呼ばれたオートゥイユ伯爵は、アンリエッタの言葉に虚を突かれた表情になった。


「まず、六十年以上をかけて国としての基礎を固めたこの国の王家が、私の……本来であれば私の長兄の代にロードベルク王家から王の伴侶を迎えることは、先々代国王である亡き父のお考えに基づくものでした。先の内戦によって傷つき、未だにその爪痕が残るこの国の国力を回復させるため、私は父の遺志を継いで開放路線に転じ、他国との貿易をはじめとした交流を通じてさらに国を富ませたいと考えています」


 そこで言葉を切り、アンリエッタはノエインとヘルガの方をちらりと見た。


「獣人の治める国や、獣人の扱いが我が国とは異なる国と交流を持つことについても同じです。王位を簒奪して暴走した兄カドネのような失敗を犯さないために、カドネのような失敗を犯す者が今後生まれないために、我が国は多様な国々と交流を持たねばならないと私は考えます。アドレオン大陸に、ランセル王国とは違う価値観を持つ国が数多あるからこそ、私たちはそれらの国々とまずは言葉を交わし、可能な限り共存共栄の道を歩むため、少なくともその努力をしなければならないのです」


「……し、しかし、そのようにして国を異国の者に明け渡すのは「黙りなさい。今は私の話を聞きなさい」


 静かに、しかし反論を許さない力強い口調で、アンリエッタはオートゥイユ伯爵の発言を許さない。


「外に向けて国を開くことと、異国の者に国を明け渡すことは違います。そのことは、軍閥貴族の中でも冷静で理性的な一派を率いて私のもとに下った貴方ならば、本来理解できるはずでしょう。私が開放路線を目指すのは、ランセル王国をより豊かで強い国にするためです。他ならぬ我が国のために、我が国の臣民たちを思えばこそ、私が自ら考え選んだ道です……そして、この道を往くために貴方たちの力を借りたいと思っていました」


 アンリエッタはオートゥイユ伯爵と、彼に賛同する数人の貴族たち一人ひとりに視線を向ける。


「弱き国が他国と対等な関係を結ぶことはできません。外交や経済で開放路線を取るからこそ、同時に国の守りはより一層強固にしなければなりません。国を開き、同時に国を守るため、私は貴方たちの力を借りたいと思っていました。武を誇り、しかし理をわきまえる貴方たちならば頼れると信じていました。貴方たちと共にこの国をより富ませ、守っていく。そんな未来を描いていました」


 真っすぐに視線を向けられながら言われたオートゥイユ伯爵は、思わずといった様子で主君から目を逸らした。その表情には戸惑いと、そして羞恥が滲んでいるように、事態を見守るノエインには見えた。


「……私は私の考えを臣に説き、その考えを実行できる君主であると、私のやり方で国を守り富ませられる君主であると、それだけの成長を遂げたと、行動で示してきたつもりでした。それが貴方たちに伝わっていなかったというのであれば、それは私の落ち度とも言えるでしょう」


「へ、陛下、そのような……」


 目を伏せて呟くように言ったアンリエッタの言葉を否定しようと、オートゥイユ伯爵が口を開く。アンリエッタは視線を上げ、彼を真っすぐ見据えたその挙動で、彼を再び黙らせる。


「私が貴方たちにとって信頼するに値しない君主であると言うのならば、貴方たちがこの国を正しく導く答えを知っているというのならば……今ここで、その短剣で、私を殺しなさい」


「はっ!?」


 オートゥイユ伯爵とその賛同者たちは驚愕し、広間の中にどよめきが広がる。この場の誰にとっても、アンリエッタの言葉は予想外だった。


 ノエインもまた予想外だと驚きを覚えつつも、同時にどこかで見たことがあるような展開だとも思っていた。


「私は今ここで宣言します。オートゥイユ伯爵が私を斬り捨て、私に成り代わっても罪に問わないと、彼が国を導きたいのであればそれを許すと宣言します。今ここにいる全員が証人です……その上で、オートゥイユ伯爵。やれるものならばやって見せなさい。あなたがランセル王国の歴史を、前身となった国々の歴史を、百五十万の民の命と生活を、王国貴族たちの家と誇りを、友邦との共栄の歩みを、全てをその身に抱えて責を負い、正しく導いて行けるというのならば、私を殺しなさい!」


 毅然と、アンリエッタは言い放った。


 まだ十代の女性が、自分より二回り以上も年上の、自分より頭二つ分も背の高い男を前に声を張る。己の覚悟と誇りのみに自身と国の命を預けて叫ぶ。その場の誰もが、そんな彼女に強い女王の姿を見た。


 それは彼女を目の前に見て、彼女から言葉をぶつけられた張本人であるオートゥイユ伯爵も例外ではなかった。


「……っ! 敬愛なる女王陛下! 私が、私が全て間違っておりました。驕っておりました。陛下のお覚悟を理解できず、陛下の偉大さに気づけず、このような愚行に走った己の未熟と浅慮、どれほど後悔しても決して足りることはありません」


 とても顔を上げていられないと言わんばかりに床を見つめ、膝を折るオートゥイユ伯爵に、彼の賛同者たちも続いて口々に後悔の念を口にする。


 彼らは本当に心から己の恥を悔いているらしく、床にはぱたぱたと男泣きの涙まで零れる。


「お許しは乞いません。陛下と王配殿下の祝いの場を騒がせ、陛下のお覚悟を汚すような真似をした我々がお許しいただけるはずもありません。せめてもの謝罪の意を示すため、この場で自害し果て――」


「なりません」


 アンリエッタが即座に答えると、オートゥイユ伯爵たちは絶望的な表情で顔を上げた。


「へ、陛下……」


「謝罪の意を示して自害する。聞こえは良いですが、それは単なる逃げです。命を絶ち、己の恥から逃げて楽になることなど、決して許しません……もちろん、貴方たちをそのままの立場に置くわけにはいきません。財産を取り上げ、家を取り潰します。あらゆる名誉を奪い、力を奪い、枷を与えた上で重要でない辺境に送ります」


 アンリエッタはオートゥイユ伯爵に手が届く距離まで近づき、彼を鋭い目で見下ろす。


「それでも、貴方たちは生きなければなりません。貴方たちが本当に己の今日の行いを悔いているのならば、生き恥を晒しながらその身をランセル王国のために使いなさい。どのような立場であろうと、どのような職務であろうと、人生の全てを使って粉骨砕身しなさい。そうしながら、私が国をより強く、より豊かにしていく様を見届け、私が正しかったことを目の当たりにした上で天寿を全うしなさい。そうして初めて、あなたたちの名誉は挽回され、あなたたちの働きによっては家の復活が許されるでしょう」


 それは誇り高い貴族にとって、自害を命じられるよりも、首を刎ねられるよりも、よほど過酷な罰だった。堪えがたい恥辱にまみれながら地獄の中で生き続けろと宣告されたも同然だった。


 と同時に、それは慈悲でもあった。あまりにも愚かな過ちを犯したオートゥイユ伯爵たちに、生涯をかけた贖罪の後の名誉挽回と一族の救済を約束する赦しでもあった。


「オートゥイユ伯爵。そして他の者たちも。貴方たちは今日、決して許されない過ちを犯しました。しかし、先の内戦で貴方たちが私に尽くし、まだ幼く未熟な王女でしかなかった私を命を懸けて守ってくれたことを、私は忘れていません。貴方たちの献身をどうして忘れることができましょう……ならばこそ、私はあなたたちに生き恥を曝す罰と、贖罪を全うした後の救いを与えます。それを受け入れなさい。どうか、受け入れてください」


「……はっ! 陛下の御心のままに!」


 オートゥイユ伯爵たちは短剣を床に捨て、アンリエッタにひれ伏した。


「追って沙汰を下します。ひとまず今は、王国軍の監視のもと、自宅にて謹慎しなさい……親衛隊!」


 オートゥイユ伯爵たちを囲んでいた親衛隊はようやく行動を許可され、伯爵たちの動きを警戒しながら全員を連行していく。


 騒動を起こした者たちが全員連れ出され、広間には沈黙が流れる。ひとまず騒動が収まり、緊張の糸が切れたことによる奇妙な沈黙が。


 そして、その沈黙を破るように、拍手が鳴った。


 拍手の聴こえた方を皆が振り返ると、手を叩いているのはオスカー・ロードベルク三世だった。彼はアンリエッタを真っすぐに見つめ、彼女の勇気と覚悟を讃えるように小さく笑い、彼女に頷いて見せた。


 オスカーに倣って彼の妻イングリットも拍手を始め、それを見たノエインも続いた。やがてヘルガが、そして他の出席者たちも、次々に手を打ち鳴らし始めた。


 女王としての堂々たる振る舞いで騒動を収めて見せたアンリエッタは、今はどこかほっとしたような、年相応の微笑をたたえて周囲を見回す。


 そんな彼女を囲み、万雷の拍手がしばらく鳴り響いた。

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