第十六章 二つの戦い

第406話 共闘

 ランセル王国への訪問を終え、夏が過ぎて気候も過ごしやすくなった公暦四年の十月。アールクヴィスト大公国で穏やかな日々を送っていたノエインのもとに、急きょ来客が入った。


「お久しぶりです、アールクヴィスト大公閣下。この度は急な訪問となり、誠に申し訳なく」


「構いませんよ。私がロードベルク王国貴族だった頃からお世話になっているあなたの来訪を迷惑に思うはずもありません、ベヒトルスハイム卿」


 客人はロードベルク王国の貴族社会における重鎮の一人であり、アールクヴィスト大公国と最も近しい王国北西部閥をまとめる盟主であるジークフリート・ベヒトルスハイム侯爵。大公家の屋敷の応接室で、ノエインは笑顔を浮かべて侯爵と握手を交わした。


 向かい合って座り、ひとまずはお茶を飲みながらの雑談に入る。季節の挨拶を交わし、互いにたわいもない近況を語り、空気を温めた上で本題に入る。


「それで、今回はどうなさったのですか? 卿自ら来訪されるということは、よほどの用件かと思いますが」


「はっ。実は先日、ロードベルク王国北西部において重大な事態が発生したもので……場所柄、アールクヴィスト大公国にも影響が出ることは必至でしたので、一刻も早くお知らせせねばと思って参った次第です」


「重大な事態、ですか?」


 怪訝な表情を浮かべるノエインに、ベヒトルスハイム侯爵は頷いて説明を始めた。


 ロードベルク王国北西部の中央やや東寄りに、おおよその直径が数十キロメートルにもなる広大な森がある。その名を「リムネーの森」と言う。


 この森はただ大きなだけの森ではなく、内包する植生の豊かさ故に、北西部におけるいくつかの種類の木材の主要な供給源となってきた。


 そのひとつが、セミラウッドと呼ばれる木材だ。


 セミラウッドは通常の木々よりもやや多くの魔力を内包する魔法植物の一種であり、一般的な木材よりも重く硬く、鋸ややすりを使えばごく普通に加工できるが瞬間的な衝撃には強い。さらに、魔法植物であるために魔力を通しやすい性質を持っている。故にセミラウッドは、魔道具の材料として、ときには防具や防壁や門などの素材としても重宝されてきた。


 また、セミラウッドはゴーレムの主要材料としても知られており、アールクヴィスト大公国が最重要戦力であるクレイモアの稼働率を常に万全にするために必要不可欠な資源でもある。


 セミラウッドの供給源となるリムネーの森は、アールクヴィスト大公国にとっても重要な場所であり、その存在はノエインも当然知っていた。


「しかし、現在はこのリムネーの森で魔物の異常行動が発生し、人が安全に立ち入れる状態ではなくなっています。林業も、狩猟採集をはじめとしたその他の産業も全てが停止しており、経済的な損害は日に日に拡大している状況です」


「それは確かに憂慮せずにはいられない事態ですね……それで、魔物の異常行動というのは具体的には?」


「……オークの群れが暴走しています。森の中で上位個体が発生し、他のオークを統率しているものと考えられます」


「っ……」


 ノエインは小さく息を呑んだ。


 オークは森の奥、通常は少なくとも五キロメートル以上入ったところに棲みつく魔物で、人間から見れば手強く恐ろしい存在として知られている。稀に森の浅い部分や人里まで出てくることもあり、そのような場合は小さな村落であれば全滅しかねないほどの脅威になり得る。


 唯一幸いなのは、基本的に番や子供以外とは群れない魔物である点。成体が同時に出現するのは最大でも二匹までである例が多く、訓練された数十人規模の軍隊や、手練れの魔法使いがいるのであれば十分に討伐は可能だ。


 近年ではクロスボウが普及したことにより、人口の少ない村落でも討伐はともかく追い払う程度ならば成功する事例が増えている。


 そのオークが群れている、という状況は、派閥を挙げて対応に臨まなければならないほどの一大事だ。


 オークが群れる理由はひとつ。長年生き続け、成長し続け、多くの魔力を蓄えた上位個体が誕生し、他のオークたちを従えた場合だ。上位個体はおおよその知能や大きさによってオークバロンやオークケーニヒ、オークカイザーなど呼び方が変わり、オークバロン程度は十年に一度ほどのペースで国内のどこかしらで目撃が報告され、その度に大規模な討伐隊が組織されてきた。


「しかし、今回発生したのはおそらくオークケーニヒと呼ばれる類の個体です。襲撃を受けた林業従事者や狩人の生き残り、後に偵察に入った傭兵の証言をもとに考えると、従えているオークの数は数十……おそらく五十匹程度と推測されます」


「……となると、もはや魔物狩りという規模ではありませんね。ちょっとした戦争になる」


「仰る通りです。セミラウッドをはじめとした重要な木材の供給源であるリムネーの森を奪われた以上、北西部はそう遠くないうちにそれらの資源に困窮することとなります。それに、今でこそオークの群れは人間を追い出して森の中を支配するだけで満足していますが、放置し続ければ個体数がさらに増え、森の中だけでは十分な餌をとれなくなり、人里を襲い始めるでしょう。おそらく数年もしないうちに」


 ベヒトルスハイム侯爵は腕を組み、険しい表情になる。


「オークケーニヒに率いられた数十匹のオークが跋扈すれば、被害は甚大なものとなりましょう。人間を凌駕する移動速度や体力を持つオークが森を出てしまえば、まとまった軍勢を用意してぶつかることも難しくなります。我々ロードベルク王国北西部貴族は、オークの群れが森を出ていない今この段階で結束して戦い、勝利しなければなりません。既に戦いの準備は進めています」


 王国北西部はロードベルク王国の中でも最も早くからクロスボウやバリスタの量産に努め、重武装化が進んでいる。相手は多少頭の良い個体に率いられているとはいえ、所詮は魔物だ。数の優位と人間の組織力、文明的な兵器による有利は覆らない。


 現段階で討伐の準備が進んでいるのというのは朗報だ。ノエインは少し安堵して、強張っていた表情を柔らかくした。


「それは何よりです。ロードベルク王国北西部閥の結束に敬意を表します」


「恐縮です。つきましては、閣下にご相談したいことがございまして……」


「ええ、オーク討伐とリムネーの森奪還への助力ですね」


 派閥の盟主であるベヒトルスハイム侯爵が直々にアールクヴィスト大公国までやって来て自分に申し出ることと言えばそれしかない。そう思ってノエインは自分から切り出した。


 ノエインは実際にゴーレムでオークと戦ったことがあり、そのときに対オーク戦でのゴーレムの有効性は証明されている。手練れの傀儡魔法使い集団であるクレイモアを擁し、自身も凄腕の傀儡魔法使いであるノエインの助力を、王国北西部閥が乞うのは理解できる話だ。


「左様です。なにぶん数十匹ものオークを相手にする戦いは我々も経験がなく、バリスタとクロスボウのみで渡り合うには前衛に大きな不安が残ります。負ける可能性は小さくとも、甚大な損害を受ける可能性は消えません。その点、アールクヴィスト閣下のご助力をいただければ、短期間でリムネーの森をオークから奪還することが確実に叶いましょう。閣下の参戦については問題ないと、国王陛下よりお許しは賜っています……古巣のよしみで協力してもらうといい、と仰っておられました」


 ベヒトルスハイム侯爵の要請を聞いたノエインは、しばし思案する。


 侯爵たち北西部閥が真っ先にロードベルク王家に助けを乞わなかった理由は分かる。差し迫った問題――リムネーの森をオークの群れに占領されて森の恵みを得られないのは北西部の問題であり、それを自力解決せずに君主に助力を求めるのでは派閥の面子が潰れる。


 ロードベルク王家の保有するゴーレム部隊をはじめとした軍事力は王領と各所の国境地帯を防衛するのが役目であり、そう簡単に北西部の中に引っ張れないという理由もあるだろう。


 一方で、アールクヴィスト大公国は事情が違う。


 直近の問題として、リムネーの森からセミラウッドを輸入できなくなり、予備のゴーレムや交換用の部品を製造できなくなったら、アールクヴィスト大公国は戦力維持に支障をきたす。


 セミラウッドは有用であるが故にどの地域でも不足気味で、北西部における供給が滞れば他の地域から取り寄せればいいというわけではない。セミラウッドはその性質故に加工に時間もかかる。正直なところ、一日も早くリムネーの森が奪還されてほしい。


 さらに、オークの群れが思いのほか手強くて北西部閥が討伐に手間取り、いずれオークが数を増して森を抜け出し、暴れ出すようなことがあれば、北西部社会は深刻なダメージを負うだろう。アールクヴィスト大公国のロードベルク王国側との輸出入にも甚大な被害が発生し、現在の貿易体制が崩れてしまう。経済的な損失は計り知れない。


 それに加え、人付き合いの事情もある。ノエインにとってロードベルク王国北西部は古巣であり、北西部閥の重鎮であるケーニッツ伯爵家は義理の実家という極めて近しい親戚だ。義理の兄が当主を務めるヴィキャンデル男爵家もある。


 それら直接の親戚以外にも、友好を保ち共栄関係を維持すべき者が北西部には大勢いる。それはノエインの臣下とその家族も同じで、アンナやダミアン、バートの妻ミシェルをはじめ、北西部に身内がいる者も少なくない。


 ロードベルク王国北西部との良好な繋がりは、アールクヴィスト大公家にとっても、ノエイン個人にとっても命綱。「自分たちが大変なときに、密接に利害を共有する立場にいるにも関わらずアールクヴィスト大公家は助けてくれなかった」という印象が北西部の人々の記憶に残ることは凄まじく大きなデメリットだ。


 これらの事情を考えると、ノエインは「間接的には今もなお北西部閥の仲間と言える立ち位置にあり、自家と自国の直接の利害が多分に関わる事態であるが故に、自ら進んで北西部閥への助力を申し出た」という言い分を説得力をもって通すことができる。


 おそらくベヒトルスハイム侯爵も、それらの事情まで計算した上で話している。「是非とも助けてほしい」とは言わず、「ノエインが助力すれば早期の事態収拾も叶う」と消極的な言い方をしているのは、単にノエインの助力が必須ではないから……というだけではあるまい。


 最近はレーヴラント王国やランセル王国など、他の国々との距離を縮める行動が多かった。オスカーが侯爵に語ったという言葉には、ここらでひとつ、ロードベルク王国の特に北西部との友好を証明する行動をノエインにとってほしい意図もあるのだろう。


「……今でこそ違う国となりましたが、ロードベルク王国北西部閥の皆さんとは今でも友人であるつもりです。北西部閥の危機は我が国の危機も同然。共栄を謳歌する友人たちが危機に見舞われて、助けない理由はありません。どうかアールクヴィスト大公家もオーク討伐とリムネーの森奪還のための戦いに参加させてください」


 だからこそ、ノエインは「自ら戦いに加わりたいと思っている」ことを強調して答えた。好意的な笑みをたたえながら。


 こう申し出て、実際に戦いに加わって貢献してやれば、ノエインは北西部の人々からのさらなる好印象を獲得し、ついでに「自分は未だロードベルク王国に近しい存在である」とオスカー・ロードベルク三世にアピールすることも叶う。


 もともと勝算の十分な戦いに加わり、その戦いをさらに楽なものにしてやるだけで、経済的に多大なメリットを得られる……というよりは、潜在的な大損失を未然に防ぐことができるのだ。悪い話ではない。


「ご助力の申し出、心より感謝いたします。先の数々の大戦でも多大な戦果をお上げになった閣下のお力をお借りできるとなれば、我らの大勝利は確実。閣下のご参戦を聞いた貴族や兵士たちの士気も極限まで高まることでしょう」


「そう言ってもらえると幸いです。ロードベルク王国北西部の安寧を守り、我が国と北西部閥の友好をより一層深める働きができるよう奮闘させてもらいます」


 表向きは友好と信頼によって、その裏では複雑かつ多様な政治的事情によって、アールクヴィスト大公国とロードベルク王国北西部閥の共闘がここに誓われた。

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