第403話 訴え

 祝宴の場で短剣を抜き、主君であるアンリエッタの方を睨むオートゥイユ伯爵。そのあり得ない物騒な光景に、ノエインやヘルガをはじめ披露宴の出席者たちは唖然とする。


 オートゥイユ伯爵の周りに数人のランセル王国貴族が集まるが、彼らは伯爵を取り押さえるのではなく、同じように懐から短剣を抜いて伯爵に並び、アンリエッタを睨んだ。その行動は、彼らが伯爵の共犯者であることを示していた。


 一方で、出席者の警護についている武官たちはそれぞれの主君を守るために素早く動く。


「父上」


「大丈夫だ、エレオス」


 驚いて声を上げるエレオスをノエインは自身の背中に隠すように庇い、護衛役であるマチルダとペンスがノエインのさらに前に立つ。


 ヘルガの方も、ハッカライネン候と騎士ベーヴェルシュタムがいざというときに彼女の盾になるために位置取る。


 出席者の中でも最も格の高いオスカーとイングリットは、傍に控えていた直衛のみならず、広間の壁側に並んで控えていたロードベルク王家親衛隊の兵士たちも加わり、周囲を完全に固められる。


「なっ!?」


「どうなっている!」


「一体何なんだこれは!?」


 出席者たちは困惑の表情を浮かべ、その困惑を声に出す者もいる。そんな彼ら各々の警護担当者はそれぞれが懐に手を忍ばせ、アンリエッタに向けられるオートゥイユ伯爵たちの視線が自身の主君に向けばいつでも武器を取り出せるよう身構える。


 ペンスも短剣を抜く構えを見せ、マチルダはいつでも戦闘靴を履いた足を振り抜けるよう、片足に重心を移す。


 祝いの空気が霧散してしまい、一気に緊張感の増した広間の中で、アンリエッタの側近たちも動いていた。


 アンリエッタの傍に控えるクロエ・タジネット子爵は躊躇なく片手で剣を抜き去り、オートゥイユ伯爵たちを睨みながら、反対の手に魔力を集中させる。主君であるアンリエッタの指示があれば、いつでも魔法を発動できるよう備える。


 その他にも広間に控えていたランセル王家の親衛隊兵士たちが集まり、アンリエッタと王配であるクラウスは十数人もの護衛によって瞬く間に囲まれ、守られる。


 そして、出席するランセル王国貴族の中でも一際格が高く、軍事の総責任者でもあるパラディール侯爵は、暴挙に及んだ者たちの説得を試みる。


「オートゥイユ卿! 気でも狂ったか!? すぐに武器を捨てろ!」


 そう声を張りながらパラディール侯爵が手で合図を示すと、増援として広間になだれ込んだランセル王家の親衛隊がオートゥイユ伯爵たちを取り囲む。披露宴の出席者やその護衛たちと、伯爵一派の間に立ち、客を守りつつ謀反人を取り押さえようとする。


 オートゥイユ伯爵たちが何を思って暴挙に及んだのであろうと、これで彼らは誰に危害を加えることもできない。この場にいる誰もがそう思ったところで――伯爵が口を開いた。


「敬愛なる女王陛下、そしてこの場におられる来賓の皆様方、及びその護衛の諸卿に、まずは心よりお詫びする! 本来であれば和やかたるべき宴の場で刃を抜き、陛下の御心を乱し奉り、混乱を巻き起こしたこと、誠に申し訳なく思う!」


 よく通る低い声で放たれたその言葉に、広間にいる者たちはますます困惑を極める。状況が全く飲み込めずおろおろと周囲を見回し、あるいはオートゥイユ伯爵の発言の意味を理解しようとして理解できずに訝しげに首をかしげる。ノエインは首をかしげた側だった。


 ヘルガは緊張しながら視線を泳がせ、オスカーとイングリットは特に焦った様子もなく、むしろ興味深そうに事態の推移を見守っていた。


「だが、どうか安心なされよ! 我々はこの場の誰かに危害を加えるつもりでこのような暴挙に及んだのではない! 我々の手にするこの刃は、この場の誰にも振られることはない!」


「では何故短剣を抜いた! 答えよ、オートゥイユ卿!」


「……こうするためです、パラディール閣下」


 パラディール侯爵が鋭く問うと、オートゥイユ伯爵と彼を囲む一派は、手にしていた短剣を自身の喉元に突きつけた。


「我々はランセル王国貴族として、アンリエッタ・ランセル女王陛下を心より敬愛する臣として、王国の未来を憂うがために今ここで行動を起こした! どうか、女王陛下の御耳に我々の訴えをお届けし、この場に居並ぶ全ての方に我々の覚悟の叫びをお伝えする時間を頂戴したい!」


 そう声高に言い放ったオートゥイユ伯爵と、彼を囲む一派の者たちを、誰も止めることができない。


 下手に取り押さえようとすれば、伯爵たちは喉をかき切って自決するだろう。そうなれば女王の王命のもとに彼らを裁くことは叶わなくなり、この暴挙の目的――彼らの言うところの「覚悟の叫び」の内容を聞くことも叶わなくなる。


 これほどの騒ぎが起こりながら、その原因が分からずじまいに終われば、この場にいる王国の重鎮たちや諸国の代表たちが、ランセル王家と女王アンリエッタの能力をどう見るか。今後の治世において、間違いなく国内外に悪影響が出るだろう。賓客の集まる中で刃物沙汰が起こった現段階でも十分に悪影響が考えられるというのに。


 伯爵たちがただちに誰かを傷つけようとしているわけではない今、可能な限り彼らを生け捕りにしたいランセル王国軍兵士たちはまだ動けない。


 魔法が使えるタジネット子爵もそれは同じだ。人に直接触れるかたちで魔法を行使しようとすれば、どう急いでも通常の魔法発動より時間がかかる。子爵が自分たちを凍らせようとしていると気づけば、オートゥイユ伯爵たちはあっさりと自決を果たしてしまうかもしれない。


 自身の命を盾にするというオートゥイユ伯爵たちの行動は「この場にいる者に手出しをさせず、自身の主張を叫ぶ時間を稼ぐ」という一点においては最善だった。


 その最善の手を選びながら、オートゥイユ伯爵は周囲を見回す。この場にいる者たちと視線を合わせていくオートゥイユ伯爵の目は、やがてノエインに、マチルダに、ヘルガやハッカライネン候に、そして前方のクラウスに、最後にアンリエッタに向けられ、そこで止まる。


「……女王陛下! どうかご再考をお願いいたします!」


 それが、オートゥイユ伯爵の訴えの始まりだった。


「我々は女王陛下こそがお仕えするべき主君であると信ずるからこそ、先の内戦では陛下のもとに下り、陛下に忠誠を誓う道を選びました! 軍閥貴族家としての立場を捨て、陛下に命を捧げようと覚悟いたしました! 己の欲のために王国を食い潰そうとした暴君カドネではなく、そのカドネを打倒して王国の社会と文化、歴史と伝統を守るために立ち上がられた陛下こそが、ランセル王家とこの国を治めるべき御方だと確信したからです!」


 その言葉を傍から聞きながら、ノエインはオートゥイユ伯爵がこれから何を訴えるのか、おおよその目的を察する。


「……ああ、そういうことか」


 ノエインは独り言ち、今にも懐の短剣を抜かんとするペンスと、次の瞬間にも飛び蹴りをくり出せそうなマチルダの肩にそっと手をおき、緊張を緩めて様子を見守るよう目で指示する。背中に隠していたエレオスを、いつでも庇えるよう肩を抱きながらも隣に立たせ、広場の中央で何が起こっているかを見せてやる。


 ノエインと同程度に察しの良いらしい出席者たちも、自身の護衛に同じような目配せを行っていた。


 一部の者たちが見物を決め込む中で、オートゥイユ伯爵の訴えは続く。


「内戦を終えた後も、我々は自分の覚悟と確信が正しかったのだと信じて陛下にお仕えしてきました……しかし、今の状況はどうでしょうか! 今日のこの宴は何なのでしょうか! 国内の有力貴族ではなく異国の王族の男を王配としてランセル王家に迎え、それを祝う宴の場では獣人が歩き回ることを許す! これが本当にランセル王国の末永き安寧と発展に繋がると陛下はお考えなのでしょうか!」


 伯爵がそこまで言うと、察しの悪い者も含めてこの場にいる全員が、彼の言いたいことを理解する。


 ノエインがヘルガたちの方に視線を向けると、ヘルガは小さくため息をつき、ハッカライネン候と騎士ベーヴェルシュタムは無表情を保ちながらもどこか白けたような雰囲気を漂わせていた。


「あらためて申し上げます! 陛下、どうかご再考ください! ランセル王国の正しき在り方を守り、次代やその先へと伝えてゆくため、この婚姻をご解消ください! 獣人国家や、獣人を侍らせる者の治める国家と友好を結ぶことをお止めください! 我々は陛下を信じて今日この日までお仕えしてきました! 陛下のこれまでのご決断を拝見し、ときには内心で首を傾げながらも、陛下が君主としてご成長を遂げ、いつか真にランセル王国の明るき未来へと繋がるご判断をなされるようになると信じてお仕えしてきました……どうか陛下、今ならばまだ間に合います! 王国を支える諸卿や、王国と友好を結ぶ諸国の代表の方々が見守るこの場で、お考えを正しきものに改めると宣言なさってください!」


 オートゥイユ伯爵が語る「諸国の代表の方々」に、獣人のヘルガと、獣人を侍らせるノエインはおそらく含まれていない。ノエインは場違いとは思いながらも、小さく鼻で笑ってしまう。


「もちろん、たかが武門の一伯爵風情である私や、家格を見れば私以下である数人の賛同者たちが、陛下の御前でこのような暴挙に出て己の主張を叫び、許されるとは思っておりません! 我々はあらためて敬愛なる女王陛下とこの場にいらっしゃる御歴々にお詫びすると共に、その責任を取って覚悟を示すため、ここで自害する所存にございます! これは我々個人が決意した行動であり、我々の家族親類も、友人知人も関与しないものであります! 我々の死を以て、どうかこの騒動を引き起こした罪をお許しいただきたい!」


 声を張りながらオートゥイユ伯爵は顎を上げ、それに合わせて短剣を掲げ、自らの喉を突く瞬間がアンリエッタや周囲の者からよく見えるように構える。オートゥイユ伯爵が「賛同者」と語った数人のランセル王国貴族たちも、同じ行動を取る。


「この命を以て、我々の思いと覚悟を陛下に示し奉ることができるのであれば本望! 我々の命が果てた後、女王陛下の治世の下でランセル王国が正しき発展を遂げてゆくことを願い! 心から信じ! 今ここに――」


「――待ちなさい!」


 オートゥイユ伯爵の死に際の自己満足の叫びを、アンリエッタの鋭い声が遮った。

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