第402話 平和な宴

「お久しぶりにございます、アールクヴィスト大公閣下。この度は王都サンフレールまでようこそお越しくださいました」


「ありがとうございます、パラディール侯爵……あなたに『閣下』と呼んでもらうのは少し奇妙な感覚ですね」


 近づいて挨拶をしてきたランセル王国の軍務大臣オーギュスト・パラディール侯爵に、ノエインは微苦笑を交えて答える。


「実力を以て成果を示した者が、それに見合う待遇を受けるのは人の世の正しき在り方です。齢も以前の爵位も関係ありますまい。どうか大公閣下とお呼びさせてください」


 侯爵にそう返されたノエインは微苦笑を穏やかな微笑みに変え、自身の傍らを示した。


「紹介させてください。こちらはヘルガ・レーヴラント王女。レスティオ山地を挟んでアールクヴィスト大公国の北隣、レーヴラント王国を治めるガブリエル・レーヴラント国王のご息女です」


「初めまして、パラディール侯爵。この度はアンリエッタ・ランセル陛下のお招きに与り、こうして貴国の重要な一日に立ち会うことが叶いました。光栄に思います」


 ヘルガのその挨拶には、「自分は女王に招かれた客としてここにいる」という牽制の意味が込められていた。こちらが獣人だからといって軽んじるなと、暗に示していた。


「……お初にお目にかかります、王女殿下。殿下のご来訪、女王陛下もさぞお喜びのことと存じます」


 それに対して、パラディール侯爵は整った所作で挨拶を返した。


 その言葉にはおそらく「女王は歓迎しているが自分はしていない」という意味が込められている。職務として礼儀は尽くす、という宣言だ。


 保守派の軍閥から距離を置いていたとはいえ、壮年までランセル王国の価値観の中で生きてきた重鎮の対応としては、十分にヘルガの立場に理解のあるものと言える。ノエインがヘルガにちらりと視線を向けると、彼女も侯爵の意図を理解した上で気にしていないようだった。


「パラディール侯爵閣下、こちらの方々は?」


 そのとき、ノエインたちのもとに、一人のランセル王国貴族が歩み寄ってきた。


「おお、オートゥイユ卿。丁度よいところに来たな……アールクヴィスト閣下、ヘルガ王女殿下。これは現在の武門の重鎮の一人で、オートゥイユ伯爵と言います。かつては軍閥に属していましたが、内戦の早期に親女王派へと立場を変え、以降は女王陛下の御為に奮闘してきた男です」


「これはこれは、あなたがアールクヴィスト大公閣下でございましたか。失礼いたしました。ザカリ―・オートゥイユと申します。どうぞお見知りおきを」


 パラディール侯爵の紹介に続いて、オートゥイユ伯爵自身が慇懃に頭を下げて挨拶をしてくる。


 その所作と、几帳面に整えられた髪や髭を見るに、伯爵は非常に紳士的な人物のようにノエインには思われた。早期に軍閥を離れるという理性的な判断を下したと聞いても違和感のない第一印象だった。


「ノエイン・アールクヴィストです。丁寧な挨拶に感謝します、オートゥイユ伯爵」


 ノエインが笑顔で挨拶を返すと、オートゥイユ伯爵はあらためて小さな会釈を見せ、そして向いたのはヘルガの方だ。


「王女殿下、ようこそランセル王国へお越しくださいました。一王国貴族として、我らの国と貴国の末永い友好、そして共栄を心よりお祈り申し上げます」


「……感謝します、オートゥイユ伯爵。どうぞよろしくお願いいたします」


 伯爵が元軍閥貴族と聞いて身構えていたヘルガは、しかし彼の極めて友好的な挨拶に虚を突かれた様子で答えた。同じく元軍閥貴族であるバルテレミー子爵や、穏健派のパラディール侯爵よりも一歩踏み込んで好意的な言葉を選んできた伯爵の挨拶に、ノエインも内心で驚く。


「それでは、あまりお時間を頂戴しても申し訳ないので、私は失礼いたします。どうぞ今日というめでたき日をお楽しみください」


 ノエインたちの驚きをよそに、オートゥイユ伯爵は優雅に一礼して去っていく。


「……驚きました。元軍閥貴族の方に、これほど歓迎をいただけるなんて」


 ヘルガは思わずといった様子で呟いてから、ともすれば失言となる自身の言葉に焦った表情でパラディール侯爵の方を伺った。


「ははは、どうかお気になさらず。ランセル王国の気質を考えれば、殿下がご緊張なされるのも仕方のないことです……アンリエッタ陛下を君主として戴いてから、この国の中枢は少しずつ変化を見せております。あのオートゥイユ伯爵や、陛下の直衛に就いているタジネット子爵のように、元軍閥でありながら陛下の臣として活躍する者も出ている。この国の外交もまた、時代と共に変化を見せていくことでしょう」


 パラディール侯爵は穏やかに語った。変化するのがあくまでこの国の「外交」だと範囲を限定して語ったところに、国内まで獣人に寛容になるわけではないという警告めいた意味が、おそらくは含まれている。


 とはいえ、これまでのランセル王国を考えると十分に穏健なその語りに、ヘルガは安堵した表情になった。


 その後はパラディール侯爵とも別れ、ノエインとヘルガは他の出席者たちと挨拶を交わしていく。


 ランセル王国の主だった貴族たち。ランセル王国よりさらに西や、南の海側の島々に位置する国の代表たち。誰も彼もが例外なく獣人を迫害する文化に属する者なので、ノエインはともかく、ヘルガに対して好意的な反応を示す者は少なくなる。


 家格が低いが故にランセル王国の中枢から遠い貴族や、レーヴラント王国と直接関わる可能性の低い国の代表は、立場のあるパラディール侯爵やオートゥイユ伯爵よりもやはり愛想は悪い。こればかりはヘルガがこの場で異質な存在である以上、今はある程度は仕方のないことだった。


「アールクヴィスト大公国の栄えぶりは聞き及んでおります。こうして大公閣下にお見知り置きいただけたこと、光栄の極みに存じます……王女殿下におかれましても、ご挨拶できて喜ばしく思います」


 そう言いながら、ノエインとヘルガで明らかに態度や言葉選びを変える者。ノエインには握手を求める一方で、ヘルガとは正面から目を合わせようとしない。これでも、対応の中では穏やかな方だ。


「ふむ、何やら臭いと思ったら。何故着飾った獣人がいるのだ?」


「場違いだとは思わんのかね……よく恥ずかしげもなく居られるものだな」


 中には、あえて楽しむために、ぎりぎり聞こえる程度の声量で悪口を呟いている者さえいる。ランセル王国貴族の中にもこのような発言に臨む者がいるのは、中枢を除く王国貴族社会には獣人国家との交流を歓迎する気風が未だ生まれていないことの証左と言える。


「……殿下、大丈夫ですか?」


「ええ、ご心配ありがとうございます。こうなると分かっていて今回のランセル王国訪問に臨んだのです。建国以来、いえ建国以前から獣人を迫害する地に来たのですから、最初はこうなって当然です。むしろ、こうでなくては」


 ノエインが尋ねると、ヘルガは凛と澄ました顔でそう答えた。政治的な色を多分に含んだ歓迎の言葉をかけられる先ほどまでよりも、かえって清々しそうな表情だった。


 ヘルガの傍らに護衛兼補佐役として付くハッカライネン候も、無言を保ちながらこの状況を逆に楽しむような不敵な笑みさえ見せている。


「それはよかった。本当にお強くなられましたね」


「閣下にそう仰っていただけるのは何より光栄です」


 ノエインもむしろこの社交を楽しむことにして、また挨拶攻勢に臨んだり、贅を尽くした会場の料理や酒に舌鼓を打ったりする。


 様々な立場の、様々な王侯貴族がそれぞれの思惑を巡らせ、その思惑を華やかな空気が彩り隠す、大国の王族同士の結婚披露宴。時間は表面上は和やかに過ぎていき、夕刻になって終わりを迎えようとしていた。


 晩餐会の始まりに際しても出席者全体に挨拶をしたアンリエッタが、披露宴を締めるために再び広間の前方、女王のために立てられた壇上で玉座から立ち上がり、夫となったクラウスと並ぶ。官僚が会場に呼びかけ、出席者たちの注意がアンリエッタとクラウスに集まる。


 ノエインとヘルガも、アンリエッタの方に注目する。


「お越しくださった各国代表の皆様、そして親愛なるランセル王国貴族の諸卿に、まずはあらためて感謝を。私とクラウスが婚姻を結び、ランセル王国とロードベルク王国の友好がより一層深まったこのめでたき日を、あなた方と共に過ごせたことを心より嬉しく思います」


 そこでアンリエッタが言葉を切り、空気を読んだ出席者たちは喧しくない程度の拍手をする。


「今日この日は夫を持った私のみならず、ランセル王国にとって、そしてランセル王国と友好を結ぶロードベルク王国をはじめとした諸国にとって大きな意味を持つ一日となりました。私たちの栄華と安寧がこれからも続くことを、心より願って――」


「――待たれよ!」


 そのとき。今日の主役であり、この場のホストであり、この国の女王であるアンリエッタの言葉が遮られた。


 鋭い叫びを以て、あり得ない無礼を働いた者の方に、広間にいる全員の視線が向く。


 ノエインも、声の聞こえた広間の中央後方を振り向き――そこで短剣を抜いて険しい表情でアンリエッタの方を睨んでいるオートゥイユ伯爵の姿を見た。

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