第401話 内心

 ノエインたちがランセル王国の王都サンフレールに到着した日の夜。アンリエッタが多忙の隙間を縫うようにして確保してくれた夕食会の時間は、実に穏やかだった。


 王家が出す食事ともなれば、その質は最上を極める。素材を活かしつつ様々な趣向が凝らされた料理が振る舞われ、ランセル王国の文化と王家の財力がノエインとヘルガに披露される。


 食事の間は料理に舌鼓を打ち、アンリエッタからランセル王国の食文化の解説などを受けながら、他愛もない会話で空気を温める。そうして食後のお茶を飲む頃には、アンリエッタとヘルガが互いに緊張せず言葉を交わせる程度の雰囲気になった。


 そうなってから、ヘルガの方があらためて切り出す。


「女王陛下、此度は貴国へお招きいただき本当にありがとうございます。貴国を初めて訪問するレーヴラント王家の代表となれましたこと、誇りに思います」


「そう言っていただけて私も嬉しく思います。こうして新たな国の王家と繋がりを持てることは、ランセル王家にとって大きな喜びです」


 やはりアンリエッタは、少なくとも政治的にはヘルガを、レーヴラント王家を歓迎している。そう思いながら、ノエインも会話に加わることにする。


「ヘルガ殿下の披露宴出席については私からの急なお願いとなったので、アンリエッタ陛下にはご無理を申し上げたかたちになってはいないかと心配してしまう部分もあったのですが……こうして殿下のお望みが叶い、お話を繋いだ私としても幸いでした」


 それは非常に遠回しではあるが、「獣人を迫害するランセル王国の王家が、獣人国家であるレーヴラント王国の国王の名代を受け入れたのは何故か」という疑問の提示だった。


 ノエインが言葉に込めた意味を汲み取ったのか、アンリエッタは特に焦る様子もなく、臆する様子もなく、すぐに口を開く。


「ヘルガ王女のご出席の申し出と、アールクヴィスト大公のご仲介をいただいたのですから、ランセル王家としてはそれにお応えしないわけにはまいりません。これからの時代、より広い地域、より多くの国と繋がりを持つことはランセル王国の安寧と発展に不可欠です。もちろん国ごとにそれぞれ多様な歴史や社会、文化が存在する以上、常に価値観を共有できるとは限りませんが……互いに手を取り合うことで利を成せる友邦を多く持つのは非常に重要なことと考えます。これからレーヴラント王国とも、そのような友邦になっていけたら幸いですわ」


 アンリエッタの言葉には、ランセル王国内における種族間の格差と外交は別だ、という彼女の意思がうかがえた。


 たとえ相手が獣人国家であろうと、他の国家と同じように協力関係を構築し、手を取り合える部分では手を取り合い、利益を共有する。少なくともその努力をする。


 ただし、相手国がランセル王国における獣人の扱いに安易に口を出してこない限りは……という条件は付く。


 ノエインと同じくらい遠回しに言葉を選んだアンリエッタのこの返答が、彼女の女王としての意思だとノエインは理解する。


 ランセル王国の貴族や民の獣人に対する感情を考えると、今後この国が獣人国家と国交を持つからといって、いきなり国内の獣人にまで寛容な政策を取るはずもない。アンリエッタ個人を見ても、彼女もまたランセル王国で育った以上、獣人に優しいわけでもあるまい。


 そんなこの国の状況を考えると、アンリエッタのこの態度は、現状では獣人国家の王族に対して十分に穏健だと言える。


 これだけ穏当な言葉選びで、ランセル王国の立場を明確にした言葉がすらすらと出てくるところを見るに、おそらくはこうした会話を想定して事前に答えを考えていたのだろう。アンリエッタの君主としての確かな成長ぶりを、ノエインは感じた。


「女王陛下の寛大なお考えに感謝申し上げます。レーヴラント王国がランセル王国の良き友邦となっていけるよう、私どもも努力いたします」


 そう発言するヘルガの方をノエインがちらりと見ると、彼女もアンリエッタの言葉に含まれた意味を理解しているようだった。


 アンリエッタは自身の真意が伝わったことに満足げな微笑みを見せ、そしてその表情に悲しげな色を含ませる。


「……それに、昨年はランセル王国のアドレオン大陸北部への繋がりが少ないために、かつてこの国の王だった兄の暴走を止めることができず、歯がゆい思いをしましたから。兄が大陸北部に動乱を巻き起こし、レーヴラント王国の敵と成り果てたこと、妹として悲しく思います」


 それは、ランセル国の女王という立場上「ヴィルゴア王国と組んだカドネの暴走を謝罪する」とは安易に言えないアンリエッタの、おそらくは精一杯の言葉だった。


「国を追われた後のカドネ・ランセル殿の行動は、彼個人に責任が伴います。彼が敗北と死を以て責任を取った以上、我が国がランセル王国に何かを申し上げることはありません」


 仮に、レーヴラント王国がカドネの暴走の責をランセル王国に問おうとしたところで、ランセル王国は応えないだろう。国として圧倒的な力の差がある以上、レーヴラント王国が力づくでランセル王国に責任を取らせることも叶わない。両者の仲が険悪になるだけだ。


 であれば、既に終わったことについてはこの程度の言及で留め、ランセル王国とのこれからの関係を友好的なものにした方が益が多い。ヘルガの言葉にはそんな考えがおそらく込められている。


「そう仰っていただけると幸いです……アールクヴィスト閣下にはあらためてお礼を言わせてください。兄の首を私のもとへ送ってくださり、心より感謝いたします」


 カドネは王位を簒奪し、ランセル王国に混乱を巻き起こし、国内外に多くの犠牲を生んだ。ランセル王国としては、首を見てその死を確認すること自体には意味があれど、王族の一人として公的に弔うことはできないはずだ。


 それでも、アンリエッタにとっては父と母を同じくする兄だ。カドネは兄王子たちを謀殺した一方で、アンリエッタだけは生かした。彼女が幼かった頃には、兄妹として穏やかな交流もあったことだろう。


 だからこそ、アンリエッタはあえて「私のもとへ」という言い方で、この発言が個人的な謝意であることを示した。ノエインはそう理解して、口を開く。


「兄君の亡骸を迎えたことで、陛下のお心が少しでも安らかになられたのであれば幸いです」


 目の前にはカドネに国を荒らされたヘルガがおり、またノエイン自身も民をカドネの軍勢に殺された過去があるので、間違っても彼の冥福を祈ることはできない。


 しかし、アンリエッタが亡き兄を偲び、彼との良い思い出を心に抱えるのを否定することはできない。ノエインも今までに非道な戦い方を実行し、直接的にも間接的にも多くの不幸を生み出しながら、自身は多くの愛を享受し続けているのだから。


 ノエインの言葉を聞いたアンリエッタは、少しの間目を伏せる。


 三国の代表による夕食会は、各々の立場もあって政治の色が絡みながらも、至って平和に終わった。


・・・・・


 ランセル王家の居所たる王城の敷地は、面積においてはロードベルク王国の王城ほどではないものの、それでも相当の広さを持つ。


 行政府としての機能と王族の家としての機能を併せ持った本館。客人を泊めるための別館。その他にも様々な用途の与えられた複数の小さな館を持ち、兵舎や倉庫、厩、畑、いくつかの庭を備える。


 そんな王城の本館、いくつかある広間の中でも最も格の高い一室に、多くの貴人が集まっていた。


 それらは全員が、ランセル王国の当代君主であるアンリエッタ・ランセル女王の結婚披露宴の出席者。ランセル王国内でも指折りの重鎮、あるいは周辺国の君主やその名代たちだ。


 この地域の重要人物が一堂に会し、アンリエッタとその王配となったクラウス・ロードベルクの結婚を――内心は各々違えど表面上は――明るく祝っている。


「オスカー陛下、イングリット王妃殿下。この度のご子息のご婚姻、心より祝福申し上げます」


 少し前、クラウスを隣に伴ったアンリエッタが披露宴の始まりを宣言し、今は広間の各所で挨拶攻勢が始まった只中。ノエインが最初に挨拶に訪れたのは、今日の主役の一人であるクラウスの両親、オスカー・ロードベルク三世とその妻イングリットだった。


 アドレオン大陸南部でも有数の大国の王家同士が結びつく重要な婚姻ということもあり、彼らは二人揃ってロードベルク王国より来訪し、次男の晴れ舞台に立ち会っている。


「感謝する、アールクヴィスト卿。久しぶりに会ったが、息災そうで何よりだ」


「共にめでたい日を迎えることができて嬉しいですわ。クラーラさんにお会いできなかったのは残念ですが……」


「妻には政務の方を任せていまして、連れてくることができず申し訳ございません。彼女も殿下にお会いしたかったと言っていました」


 挨拶を交わし、その後もしばし雑談を交わす。会話にある程度の時間を費やすのは、それだけアールクヴィスト大公家がロードベルク王家と近しいことを周囲に示すためのアピールでもある。


「それにしても、クラウス殿下はアンリエッタ陛下とすっかり打ち解けたご様子ですね」


 ノエインが視線を向けた先には、出席者たちの挨拶を受けながら、仲睦まじげに寄り添い合うアンリエッタとクラウスの姿がある。


 君主としてはまだ若いアンリエッタだが、ロードベルク王国の社交の場にほとんど出ていなかったクラウスよりはこのような挨拶攻勢にも慣れているようで、年下の王配をうまくサポートしながら無難に挨拶をこなしているようだった。


「ああ。アンリエッタ女王も、前と比べると随分落ち着いて立場にも慣れたようだ。あの様子ならクラウスも王配として上手くやっていけるだろう。あれにこのような仕事が務まるか少し心配だったが……結果的には良かったようだな」


 オスカーの言った通り、王侯貴族にとって婚姻は仕事でもある。


 父オスカーや兄ルーカスよりも柔和な印象を感じさせる容姿のクラウスの評判は、頭は賢いが素直かつ穏やかで、少々内気な性格……というもの。芸術への造詣が深いので文化の庇護者にはなり得るが、一方で荒事や政争にはどう見ても向かないと見られていた。


 重要な友好国の女王のもとに嫁ぐ王配という役目は、バランスが難しい。その点、王族の仕事を務められる程度に聡明だが政治的に出しゃばる心配のないクラウスは適性が高い。性格の面でも、もともと王家の令嬢として上品な育てられ方をしていたアンリエッタと仲良くできているとなれば、オスカーのひとまずの安堵も当然のものだった。


「これで、ロードベルク王国とランセル王国の友好は末永く保たれることと思います。両国の間に位置するアールクヴィスト大公国の主としても、喜ばしい限りです」


 ノエインの言葉にオスカーも頷き、そしてノエインの隣におとなしく立つエレオスの方に視線を下ろす。


「これでうちの末娘と卿の息子の婚姻が成されれば、ロードベルク王国の西の安寧はほぼ確実だな。いつ頃になるか……」


「あなた、まだきっと十年は先の話ですよ」


「ん? そうか……前より年をとったからか、どうも最近は焦っていかんな」


 苦笑しながら指摘したイングリットに、オスカーも小さく笑った。それにノエインも微笑で答える。


「それでは、私はそろそろご挨拶を終えさせていただきます。他の出席者の方々から睨まれているようですので」


 王配の両親で大国の君主であるオスカーとその妻イングリットは、誰もが挨拶をしておきたいと考える相手だ。未だ二人への挨拶を済ませていない王侯貴族たちが、こちらを気にしているのはノエインも分かっていた。


 ノエインは恭しく礼をしてオスカーたちのもとを離れ、その後も宴は続く。

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