第400話 女王と王女

 クロヴィス・バルテレミー子爵に随行されながらのノエインたちの移動は、何の問題もない平和なものとなった。


 アンリエッタ女王の代官として、女王の命のもとに動いているバルテレミー子爵は、ランセル王国貴族たちにとっては軽視できない存在だ。移動先の村や都市で、その地を治める貴族たちに向けられる子爵の指示は、常識的な範囲内である限りは抵抗もなく受け入れられる。


 また、ランセル王国側が案内という名目でノエインたち一行に付けた王国軍親衛隊の小部隊の存在も大きい。王家の軍旗を掲げる彼らはノエインたちのお目付け役であると同時に、ランセル王国の貴族や民がノエインたちに危害を加えないよう見張る頼もしい護衛でもある。


 危険な目に遭うこともなく、宿泊先の領主や代官たちに歓待され、ノエインたちは順調にランセル王国内を進む。


 そして、入国から一週間ほどが経ったある日。ノエインたちは道中の大都市で休息を取っていた。


 丸一日の休みで連日の移動の疲れを癒しながら、気晴らしとして市街地に出向く。マチルダとペンスたちに護衛され、さらにはバルテレミー子爵やランセル王家の親衛隊にも付き添われながら。


「ほおぉ……」


 そう感嘆の声を漏らしたのは、勉強の意味もあって今回の旅に同行しているエレオスだ。


 これまで通過したのは農村や小都市ばかりであったこともあり、今日がこの旅程で初めてゆっくりとランセル王国の都市を見て回れる日であることもあり、大都市の大通りを通行する人々や並ぶ建物を興味深そうに見回している。


「エレオス、面白いかい?」


「……はい、おもしろいです。人も、まちも、他にも色んなものがアールクヴィスト大公国とはちがいます」


「そうか、それはよかった……それじゃあ、どこがどんな風にアールクヴィスト大公国と違うか、分かるかな?」


 ノエインが尋ねると、エレオスはしばし首をかしげて考え込む仕草を見せ、また口を開く。


「女の人たちが着てる服がちがいます。アールクヴィスト大公国の服とくらべると……もようが多いです」


「そうだね、それは大公国とランセル王国の分かりやすい違いだ。良く見てみると、男の人たちが着ている服も僕たちの服とは雰囲気が違っているよ」


「あ、ほんとうだ。たしかに父上のおっしゃる通りですね」


 アールクヴィスト大公国やロードベルク王国と、ランセル王国の服飾文化は、微妙に異なっている。


 大公国やロードベルク王国では、染色した生地の色合いや、各部位の作りの細かさ、シルエットの広がりの美しさなどを重視して趣向を凝らす傾向にある。マチルダの服の腰に備わった燕の尾のような装飾や、ノエインの羽織る大きなマントも、そうした文化の影響を受けたものだ。


 一方でランセル王国の服飾文化は、服の生地に様々な模様を刺繍して個性を見せる例が多い。どれほど精緻で凝った模様を、どれほど服の広範囲に施せるかが、着る者の地位や富を示している……とノエインは聞いたことがあった。


 この地域がランセル王国として統一されて以降、両国の服飾文化は緩やかに融合を進めているが、それでもじっくり見れば気づける程度には特徴の違いが残っている。エレオスの感想は、女性の服装の方が違いが顕著に表れているためのものだろうとノエインは考えた。


「ご子息殿はこの御歳にして、とても聡明でいらっしゃる。私の愚息にも見習わせたいですな」


「ははは、ありがとうございます。息子は好奇心が旺盛で、いつも色々なものを観察しては質問攻めにしてくるんです」


 バルテレミー子爵にノエインがそう返す一方で、褒められたエレオスは心なしか誇らしげな表情で、またきょろきょろと市街地の景色を眺めて観察する。


「あとは、あとは……あっ、獣人たちのふんいきもちがいます。アールクヴィスト大公国の獣人とくらべると、みんな元気がなさそうです。かおが暗くて、やせてる人が多いです。ひどい扱いをうけてるみたいです」


「……あはは、確かにそうだね」


 息子の鋭い気づきにノエインは苦笑交じりに答えながら、横目でちらりとバルテレミー子爵の方を見る。子爵は穏やかな表情を保って他所を向いており、今のエレオスの言葉については特に指摘しないでおいてくれた。


 ランセル王国はロードベルク王国南部にも増して獣人差別が激しい国だ。ほとんどの獣人が奴隷または最下層の貧民であり、普人との社会的立場の差は彼らの表情や身なりにも表れている。


 種族間の立場の差がほとんどないアールクヴィスト大公国や、獣人に比較的寛容なロードベルク王国北部ばかりを見て育ったエレオスが「獣人がひどい扱いをうけている」という感想を抱くのも無理のないことだった。


「父上、どうしてこの獣人たちはこんな扱いをうけてるんですか?」


 エレオスのその言葉を聞いて、ヘルガたちレーヴラント王国の面々が複雑そうな気持ちを表情に表す。


 悪気のない息子の発言にどう答えるべきか、ノエインは少し考えてから口を開いた。


「……いいかいエレオス。国にはそれぞれ考え方の違いがあって、だからこそ国境線を引いてそれぞれ別の国を成しているんだ。確かに、普人や亜人と獣人の格差が少ないアールクヴィスト大公国から見れば、ランセル王国の獣人たちのあり方は異様に見える。大公国で育った君の目から見れば、悪いことに思えるかもしれない。だけど、何が悪いことかを決める考え方さえ、時には国によって違うんだ。他国の価値観は、気持ちの面で理解できなくても、安易に批判や非難をしていいものではない。いずれ大公国の君主の座を継ぐ者として、そのことは理解しなければいけないよ」


「……分かりました、父上」


 おそらくノエインの話を完璧に理解できたわけではないだろうが、エレオスはそう答えた。


 今はひとまずこれでいいとノエインは考える。ランセル王国での獣人の扱いにはノエインも思うところはあるが、それを今バルテレミー子爵の前で語っても何の利益もない。アールクヴィスト大公国とて、他国の在り方を否定できるほど完璧な国ではない。


 アドレオン大陸南部の全体で獣人の扱いを変えたければ、おそらくは世代をいくつか重ねるほど長期的な努力が必要であり、今回はヘルガがその第一歩を刻もうとしているのだ。彼女のランセル王国訪問が穏やかに終わるよう努めることが、最も益のある行動だ。


「それでいい。君はいい子だ、エレオス」


 聞き分けの良い我が子の頭を撫でてやりながら、ノエインは気まずさを感じつつバルテレミー子爵の方を向く。


「失礼しました、バルテレミー卿」


「ははは、どうかお気になさらず。今の閣下のお話を理解されるとは、やはりご子息殿は賢い方でいらっしゃる」


 バルテレミー子爵はエレオスの発言を笑って流した。両国の関係を考えれば、王家の代官が六歳の子供の言葉を本気にして不愉快になるメリットは皆無なので、妥当な反応と言える。


「ではアールクヴィスト閣下、ヘルガ殿下、次は市場の方をご覧になるのはいかがでしょうか。皆様のお国とはまた違った品が見られることと存じます」


「いいですね。面白そうだ」


「とても興味深いですわ。是非お願いいたします」


 場の空気を切り替えるように提案したバルテレミー子爵に、ノエインとヘルガも努めて明るい声で答え、一行は移動する。


・・・・・


 ランセル王国に入国してからおよそ十日後。ほぼ当初の予定通りの日程で、ノエインたちはランセル王国の王都サンフレールに到着した。


 人口およそ十万とランセル王国では随一の規模を誇るサンフレールは、肥沃な平原の中、大河に接するように作られた城塞都市だ。


 人口こそロードベルク王国の王都リヒトハーゲンに及ばないものの、都市としての完成度では引けを取らない威容を誇るランセル王家の膝元の巨大な門に、一行は入っていく。


 先を進むのはレーヴラント王家の一行だ。国の歴史や規模ではレーヴラント王国の方がアールクヴィスト大公国を上回るため、自分たちはレーヴラント王家の一行の後ろに続くとノエインが自ら申し出た結果の並びだった。


 一国の代表者がサンフレールに来訪したことを示すように、両家の馬車は窓が開け放たれ、馬車の前を進む騎士が家の旗を掲げ、一行は堂々と通りを進む。


 リヒトハーゲン以来の巨大都市の訪問でエレオスが目を輝かせながら外を眺める一方で、ノエインが見ていたのは、自分たちに対するランセル王国民の反応だった。


「……よく目立ってるね。ひとまず成功だ」


 民の視線を見て、ノエインはそう呟く。


 民が特に熱心に目を向けているのはアールクヴィスト大公家の一行ではない。その先を進む、レーヴラント王家の一行の方だ。


 アドレオン大陸南部では珍しい亜人、そしてランセル王国ではほぼ例外なく迫害される種族である獣人が、立派な装いで騎乗し、武装し、大通りを進む。豪奢な馬車から顔を出す一行の主もまた獣人。その光景は、この国の民にとっては衝撃的なものだろう。


 こうして衝撃を与えることができれば、市井の者に対するノエインたちの今回の目的は達成されたと言える。世の中には獣人の治める国が実在し、そういう国の貴人がランセル王国を来訪したのだと知らしめれば、今回はそれでいい。


 一行は王都の民に強い印象を示しながら通りを淡々と進み、王都の西側、緩やかな坂の上に築かれた王城へ。敷地の門を潜り、広大な前庭を抜けると、城の入り口で出迎えてくれたのはアンリエッタ女王その人だった。


「アールクヴィスト大公、お久しぶりですね。お待ちしておりました」


「ご無沙汰しております、アンリエッタ女王陛下。陛下自らのお出迎え、恐悦至極に存じます」


 相手は宗主国の君主ではないので膝をつく臣下の礼はとらず、代わりに敬意を示すため深く頭を下げて、ノエインは挨拶を返す。


 少し雰囲気が変わった、とノエインは感じた。アールクヴィスト大公国の建国式の際に会ったときと比べると、アンリエッタはいくらか自信をつけたように見える。表情に不安そうな色はなく、口調も落ち着いている。彼女は彼女で、この数年で経験を積んで成長してきたのだろう。


「今回はご子息殿も揃ってのご来訪、感謝いたします」


「恐縮です。本当は妻も来たがっていたのですが、仕事の都合や娘がまだ幼いこともあって今回は叶わず……陛下にお会いしたかったと言っていました」


「どうかお気になさらず、とクラーラ様にお伝えください。お気持ちだけでも本当に嬉しいです。またいずれお会いできる機会もございましょう」


 ノエインとの挨拶を終えたアンリエッタは、今度はヘルガの方を向いた。


「……ヘルガ・レーヴラント王女。はるばる大陸北部より、ようこそお越しくださいました。歓迎いたします」


 アンリエッタは少なくとも表面上は、穏やかな笑顔でヘルガを迎えた。ランセル王国の王族として、獣人を低く見るのが当たり前のことであると教育を受けてきた彼女が、内心でヘルガをどう思っているのかは分からない。


「お招きに与り光栄に存じます、アンリエッタ・ランセル女王陛下。今回のような重要な場への出席をお許しいただいたこと、レーヴラント王家として心より感謝申し上げます」


 そして、ヘルガも穏やかに挨拶を返した。おそらく内心では緊張や警戒心も抱きながら。


 獣人迫害の激しい普人国家の女王と、獣人の王を戴く国家からやって来た王女。その邂逅は、ひとまず和やかなものとなった。


「お会いして早々に申し訳ございませんが、私は披露宴に向けた準備があるので失礼させていただきます……あまりお構いすることができそうになく心苦しいですが、皆様のご滞在中に不自由のないよう臣下たちに申しつけております。それと、今夜は夕食をご一緒させていただければと思っていますので、また後ほど」


「ええ、どうかお構いなく」


「ありがとうございます」


 ランセル王国の女王の結婚披露宴ともなれば、各国から君主やその名代が出席しに来る。頼るべき親戚の少ないアンリエッタは賓客たちの出迎えだけでも大忙しのはずで、それに加えて結婚式や披露宴自体の準備と諸々の練習もあり、さらには通常の執務もこなさなければならない。忙しくないはずがない。


 ノエインとヘルガの快い返事を受けたアンリエッタは、取り巻く臣下を引き連れ、やや急ぎ気味にその場を離れていった。

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