第399話 入国

 ガブリエルがレーヴラント王国へと帰国していった翌週。ノエインとヘルガの一行が、ランセル王国へと発つ日が来た。


 目的地はランセル王国の王都サンフレール。この都市はランセル王国領土の中央やや東寄りにあるため、道中何事もなく進めば片道十日ほどで到着する予定だ。


 アールクヴィスト大公国から行くのはノエインとマチルダ、エレオス。護衛の指揮にペンス・シェーンベルク士爵とラドレー・ノルドハイム士爵。ラドレーの副官として従士ジェレミー。御者に従士ヘンリク。そして親衛隊兵士と一般の領軍兵士が併せて二十人ほど。さらに、クレイモアからセシリアを含む二人の傀儡魔法使い。召使いの奴隷なども含めると、総勢で三十人以上に及ぶ。


 友好国とはいえ異国に深入りすることへの備えとして、また小国とはいえ一国の主の一行ともなればそれなりの見栄えが必要であるため、これだけの人数が揃えられている。


 可能であれば公妃であるクラーラも同行した方が良かったが、まだ幼いフィリアのみを屋敷に置いて行くのは難しかったこと、フィリアまで同行させると万が一の事故などで君主家の全員が失われる危険が生まれることから、彼女は国で留守を守ることになる。


 ヘルガの側も補佐役の騎士ベーヴェルシュタム、護衛の責任者となるハッカライネン候をはじめ二十人以上の従者を伴っており、両国の一行は五十人を優に超える大所帯となった。


「ヘルガ殿下、この要塞都市アスピダを発てば、二時間もかからずにいよいよランセル王国の領土へと入っていくことになりますが……そんなに緊張されなくても大丈夫ですよ」


「は、はい。自分でランセル王国への同行を申し出ておいて、申し訳ございません」


 公都ノエイナの西側にある、ランセル王国に対する貿易拠点かつ防衛拠点でもある小都市アスピダ。そこで一時休憩をとりながら、ノエインはヘルガとそんな言葉を交わす。


 アールクヴィスト大公国とランセル王国を結ぶベゼル街道の中間地点には両国を行き来する者のための野営拠点があり、今日はそこを目指すことになる。


 領土的にはそこはもうランセル王国の地であり、ヘルガにとってはそこでの一泊が、獣人に非友好的な国での最初の夜となる。さらに、明日にはベゼル街道を抜け、ランセル王国貴族たちと本格的に接触することとなる。


「やはり怖いですか?」


「……正直に申し上げると、少し。こんな弱腰ではいけませんね。レーヴラント王家が舐められてしまいます」


 獣人国家であるレーヴラント王国の王族として、初めてランセル王国を訪れる者となる。それが自分のやるべき仕事だとヘルガが考えてこの訪問に臨むのだとしても、そのことに緊張するかしないかは別問題だ。彼女の内心を想像し、ノエインは苦笑した。


「前にお話しした通り、少なくとも最初に接触するクロヴィス・バルテレミー子爵に関しては大丈夫ですよ。彼は理性で考えることができる人物です。サンフレールまでは子爵が同行してくれるので、彼と一緒にいれば問題はないでしょう」


 かつては南西部の大戦でノエインに手痛い目に遭わせられながら、再会のときには笑顔で握手を求めてきたバルテレミー子爵だ。良くも悪くも自身の利を重視する子爵ならば、その立場上、たとえ獣人だろうと女王の客人であるヘルガを軽んじるはずもない。


 そして、女王から直轄地の代官を任されている彼が同行していれば、道中の滞在先で余計な茶々を入れるランセル王国貴族もいないだろう。ノエインはそう考えている。


「アールクヴィスト閣下、出発の準備が整いました」


 そのとき、移動の隊列を整え、道中消費する物資を馬車に積み終えたことをペンスが報告に来る。


「分かった、お疲れさま……では殿下、行きましょうか。道中何かありましたら、すぐにお知らせください」


 ノエインはそう言って、レーヴラント王家の馬車に乗り込むヘルガと一旦別れ、自身はマチルダとエレオスと共にアールクヴィスト家の専用馬車に向かった。


・・・・・


 ベゼル街道の途中にある野営拠点で一夜を明かし、その翌日。アールクヴィスト大公家とレーヴラント王家の一行は無事に街道を抜けた。


 森に挟まれた街道から平原へと出て最初に目に入るのは、ランセル王家の直轄地となっているこの国境地帯の中心都市ルヴィニョン。ベゼル街道を経由した貿易のランセル王国側の拠点であり、クロヴィス・バルテレミー子爵が代官として治める都市だ。


「……へえ。バートからの報告で話は聞いてたけど、目覚ましい発展具合だね、マチルダ」


「はい、ノエイン様。以前来たときと比べると様変わりしたように見えます」


 都市の外観を見たノエインは、マチルダとそんな感想を交わした。


 ノエインがここへ来たのは、ランセル王国がまだ内紛の只中にあった頃、オスカー・ロードベルク三世の親書を届けに来たときが最後だ。


 当時は丸太柵で囲まれた無個性な辺境都市でしかなかったルヴィニョンは、しかし今は石材を用いた市壁に守られ、都市としての規模も目に見えて拡大している。ランセル王国にとって、経済的にも政治的にも、そして軍事的にもこの都市の重要性が増した証左だった。


 都市の門まではバルテレミー子爵の部下だという下級貴族の騎士が出迎えに来ており、その騎士の案内でノエインたちはルヴィニョンの市域の中へ。


 行政府を兼ねているという代官の屋敷に到着すると、バルテレミー子爵が出迎えのために自ら玄関の前に出てきていた。


「アールクヴィスト大公閣下! お久しぶりにございます! 此度のランセル王国へのご来訪、心より歓迎申し上げますぞ!」


「出迎えありがとうございます、バルテレミー卿。元気そうで何よりです」


 馬車から降り立つノエインを見たバルテレミー子爵は、いっそ清々しいほどの笑顔で声をかけてきた。分かりやすく社交用だが不思議と嫌味な感じはしないその笑みを受けながら、ノエインは微苦笑混じりに答える。


 そのまま適当に挨拶を交わしていると、ヘルガの方もハッカライネン侯や騎士ベーヴェルシュタムを伴い、レーヴラント王家の馬車から降りてくる。


「バルテレミー卿、話は聞いていると思いますが、私からあらためて紹介します。彼女はアドレオン大陸北部のレーヴラント王国よりお越しになった、ヘルガ・レーヴラント王女殿下です」


 ノエインが手で示したヘルガは、表情こそ平静を取り繕っているものの、獣人迫害の激しいランセル王国の上級貴族を前に緊張した様子だった。ノエインが見ても分かるので、バルテレミー子爵も気づいているだろう。


 一方でバルテレミー子爵の方は、好印象な作り笑顔のまま、ヘルガの方に歩み寄る。


 ヘルガの緊張が増したのが空気で分かり、彼女の傍らに控えるハッカライネン侯と騎士ベーヴェルシュタムの気配が鋭くなる。


 そんな反応を意に介さず、ヘルガの前に辿り着いたバルテレミー子爵は――左胸に右手を当てて慇懃に頭を下げた。


「ヘルガ・レーヴラント王女殿下、ようこそランセル王国へお越しくださいました。アンリエッタ・ランセル女王陛下に仕える王国貴族として、殿下を心より歓迎申し上げます」


「……歓迎に感謝します、バルテレミー子爵。アンリエッタ・ランセル陛下にお招きをいただき、こうして王女の私がランセル王国に来訪できたことは、レーヴラント王家にとって大きな喜びです」


 バルテレミー子爵の言動を見たヘルガはほっとした表情になり、事前に考えてあったらしい挨拶の口上を述べる。その傍らで、ハッカライネン侯と騎士ベーヴェルシュタムはやや拍子抜けしたような様子を見せる。


「アールクヴィスト閣下。ヘルガ殿下。日をまたいでの移動でお疲れのことと存じます。今晩は些細なものですが宴の席も用意させていただきます故、どうかごゆっくりおくつろぎください」


 子爵はそう言って、屋敷の使用人たちに客人であるノエインたちを案内するよう命じる。


 それぞれの客室に案内されながら、一度別れる際、ノエインはヘルガに視線を向けた。


 そして、大丈夫だっただろう、と言うように微笑んで頷く。ヘルガもそれに微笑と首肯で返した。


 バルテレミー子爵は単純な性格だ。主君からの覚えがめでたくなり、自身の出世や立場の安定に繋がるのであれば、相手が獣人だろうと頭を下げることに抵抗は見せない。そういう男だ。


 心配が杞憂に終わってヘルガが安堵した様子なのを確認しつつ、ノエインはマチルダとエレオスを連れて自身の客室に入った。

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