第398話 親善訪問
公暦四年の七月上旬。アールクヴィスト大公国の公都ノエイナにある大公立ノエイナ劇団の専用劇場で、ある演劇が上演されていた。
「今だ! 敵の隊列は崩れた! 勝機を逃すな! 我らが友邦を救うため、前進せよ!」
壇上でノエインの軍服を模した衣装を身に纏い、高らかに叫ぶのは、この劇の主演を務める俳優。劇団の看板俳優として知られる優男だ。
ノエインを極端に美化したような容姿と言動で物語を盛り上げる主演俳優の横で、こちらも今回の主演の一人である、若い女優――猫人の新人女優が声を張る。
「これは私たちの未来を守るための戦いです! 家族のために! 子孫の幸福な未来のために! 勝利のために! 前に進みましょう!」
新人女優の決め台詞に合わせて楽器が打ち鳴らされ、役者たちが動き、劇は最高潮の盛り上がりを迎える。
この劇で描かれているのは、昨年にアドレオン大陸北部、レーヴラント王国と旧デール侯国の国境で行われたカイア・ヴィルゴアの軍勢との戦いだ。
君主ノエインの庇護のもとに活動している大公立ノエイナ劇団は、こうしてノエインの活躍を劇化し、アールクヴィスト大公国民の君主に対する敬愛を高めることも役割としている。
ノエインの直近の活躍であるレーヴラント王国との共闘も、こうして戦記劇にされ、この年の春頃から上演が始まっていた。
観客席が賑わう中で、その中央の奥側、一段高く作られた貴賓席には、この劇のモデルであるノエインもクラーラやマチルダ、エレオス、フィリアを連れて座っている。
さらに、ノエインの隣には、ガブリエル・レーヴラント国王とヘルガ・レーヴラント王女の姿もあった。劇中で描かれる自身を見て、ガブリエルは楽しげな、ヘルガはやや気恥ずかしそうな笑みを見せている。
レーヴラント王国からアールクヴィスト大公国へと親善訪問している二人をもてなすために、ノエインはこの観劇の場を設けていた。劇中でガブリエルやヘルガがノエインに勝るとも劣らない印象的な描かれ方をするのは、ノエインが劇団の団長であるカルロスに直々に要望を出した結果でもある。
劇はレーヴラント王国軍とアールクヴィスト大公国軍の華々しい勝利を描き、ノエインとガブリエルが友邦の君主として変わらぬ友情を誓い、さらにはノエインとヘルガが言葉を交わし、ノエインが帰路についたところで終演を迎える。
観客の拍手が鳴り響き、終演後の喧騒がひと段落したところで、ノエインはガブリエルとヘルガの方を向いた。
「ガブリエル陛下、ヘルガ殿下、いかがでしたか?」
「実に面白かった。我が国にも演劇を行う芸人はいるが、貴殿も良い劇団を抱えているな」
「私もとても楽しませていただきましたが……何と言いますか、自分があのように素晴らしい王女として描かれるのは、実際の自分の未熟さを思うと照れてしまう部分もあります」
ガブリエルが機嫌良さげに語る一方で、ヘルガは戸惑い交じりの笑顔でそう感想を話す。
「物語には脚色がつきものですから、私も時々照れてしまうような描かれ方をすることはありますよ。ですが、そこについては……こうして活躍を語られ、歴史の中に記される立場にいる者の役得ということで。甘んじて受け入れましょう」
「……では、そう思うことにいたします」
ノエインの悪戯っぽい笑みに、ヘルガは微苦笑で返した。
「それにしても、大陸南部の国の演劇で、獣人の我々がこれほど目立つ描き方をしてもらえるというのは驚きだな」
「先の戦いについては、陛下と殿下のご活躍をこそ大きく描くべきだと思いまして。それに、我が国は獣人の臣民も多いですから。種族の格差が小さい国とはいえ、やはり自分と同じ属性の人物を、同じ属性の役者が演じていると彼らも喜びます。ヘルガ殿下を演じた女優はノエイナ劇団初の獣人の役者で、まだ新人ですが、今回の演目で早くも熱烈な支持を集めていますよ」
感慨深そうに呟いたガブリエルにノエインがそう答えると、ガブリエルの隣でヘルガが顔を少し赤くする。
「まあ、何だか自分のことのように嬉しいですね……アールクヴィスト閣下、私を演じていた女優に挨拶をさせていただくことはできますか?」
「もちろんです。脚本と演出を手がけた団長と、今回出演していた役者たちに、お二人をご紹介させてください」
ヘルガの申し出に快く頷き、ノエインは二人を舞台裏へと案内した。
・・・・・
大公立ノエイナ劇団の観劇を終えた後、ノエインはガブリエルとヘルガに、公都ノエイナの各所を案内する。
様々な店が並ぶ商業区。露店で賑わう中央広場。教会に隣接して作られた、この地を守って散っていった戦士たちを称える記念碑。
案内が終わると大公家の屋敷に戻り、休憩を挟んだ後に夕食。食後はクラーラとヘルガが女性同士でお茶の席を設ける一方で、ノエインはガブリエルと共に酒の杯を傾けながら語らう。
「此度は実に楽しい訪問となった……私の方は自国の戦争に付き合わせておいて、自分の訪問ではこのような穏やかな時間をもらい、申し訳ない限りだ」
「ははは、どうかお気になさらず。昨年の貴国の危機は、我が国の危機でもありましたから。それに、つい数か月前までは我が国でもちょっとした騒動がありましたので。穏やかな時期にご来訪いただくことができて喜ばしいです」
ガブリエルの言葉に、ノエインは微苦笑で答えた。
昨年はノエインが親善訪問を行うはずだったが、レーヴラント王国が戦乱に見舞われたため。初の訪問が軍事的な救援となってしまった。
こうして平和に来訪し、あるいは相手の来訪を迎えるのが互いの本来あるべき関係であり、アールクヴィスト大公家とレーヴラント王家の交流は、ようやく理想的なかたちで仕切り直されたと言える。
ガブリエルとヘルガは、大公国に到着した初日とその後の二日間は、旅の疲れを癒す意味もあって大公家の屋敷で静かに過ごした。その際、ノエインは彼らに屋敷の敷地内を案内し、自慢の書斎やワイバーンの頭の骨格標本、クラーラの歴史研究のための研究室などを見せた。
そして昨日と今日は、公都ノエイナ内を案内し、それに合わせて観劇の席も用意した。
これで親善訪問の日程は無事に終了し、ガブリエルは明日の午後には公都ノエイナを出発。北の鉱山都市キルデで一泊した後、レーヴラント王国への帰路につく予定だ。
「……今日まではただ訪問を楽しむだけで良かったが、明日からは心配を抱えることになるな。ああいや、決して貴殿に娘を預けることに不安があるわけではないのだが」
「ええ、分かっています。ご息女の大陸南部での初の外交となれば、ご心配に思われるのも無理もないことでしょう。ましてや行き先がランセル王国ですから」
そう言ってノエインは微苦笑を重ねた。
明日、レーヴラント王国に帰るために発つのはガブリエルのみで、ヘルガはこのままアールクヴィスト大公国に滞在し、一週間後にはノエインと共に外交に出ることになる。
行く先は西のランセル王国。訪問の目的は、現女王であるアンリエッタ・ランセルと、オスカー・ロードベルク三世の次男であるクラウス・ロードベルクの結婚披露宴への出席だ。
今年で齢十九になるアンリエッタが、ランセル王家と王国の安泰のために王配を迎えるにあたり、選ばれたのが齢十五になるクラウスだった。二人の婚姻はランセル王国とロードベルク王国の友好が再興されたことの象徴となり、その友好関係の少なくとも次代までの安寧をほぼ確実に保証する繋がりとなる。
昨年の終わりにこの結婚披露宴の予定が両王家から正式に公表され、ノエインのもとには当然に招待状が届いた。その話を聞き、自身もレーヴラント王国の国王名代として出席したいと申し出たのがヘルガだ。
昨年ノエインから受けた助言をもとに、ヘルガはレーヴラント王国の次期女王として成すべきことを考え、まずは自身の国が大陸南部の各国に確かな繋がりを築くことが国の発展と獣人の地位向上の第一歩だと結論づけたらしかった。
その第一歩を踏み出すさらに前段階の小さな一歩として、大陸北部の獣人国家の王族でありながら、獣人に不寛容な南部の国家の重要な社交の場に出席する。その事実を今後に向けたひとつの実績とする。それが、今回のヘルガの目的だ。
ヘルガに乞われたノエインが、駄目もとでランセル王国に彼女の出席を打診したところ、どのような政治的意図が働いたのかは不明だが、アンリエッタの名のもとにヘルガを歓迎する旨の返事が届いた。よって、ヘルガはノエインと共にランセル王国を訪問することとなっている。
「……確かに、娘には次期女王としてふさわしい人間に成長してほしいと願った。娘が王女のうちから自身で考え、国の発展や大陸南部における獣人の地位向上のために行動する姿勢を見せているのは、王としても親としても喜ぶべきことなのだろう……だが、やはり心配にはなるし、どこか寂しくもなるな。恥ずかしい話だが」
哀愁漂う口調でそう語るガブリエルの表情は、今は王のものではなかった。どこにでもいる、なかなか子離れのできない一人の父親だった。
「私も娘を持つ身ですから、陛下のお気持ちは想像できているつもりです」
もう随分と昔、クラーラがノエインのもとに嫁ぐ前に、アルノルドが今のガブリエルと同じような顔を見せていた。いずれフィリアが成長し、父親である自身の手を離れていく日が来れば、自分もこのような表情を浮かべるのだろう。そんなことを思いながら、ノエインは穏やかに笑う。
「ご安心ください。ランセル王国への訪問には、私の優秀な護衛たちも付き従います。身の安全という点でも、政治的な安全という意味でも、ヘルガ殿下をお守りするために全力を尽くすとお約束しますよ」
ヘルガの身の安全を守ることはレーヴラント王家、すなわちガブリエルの責任であり、当然ヘルガにはレーヴラント王家側の従者や護衛がつく。何か不運な事態が起こったとしても、それは客人を招くランセル王家や王女を送り込むことを決めたガブリエルの責任であり、ノエインが何らの責を負うことはない。
それでもノエインは、君主としての友人の立場からガブリエルを少しでも安心させてやるために、そう語った。
「……感謝する。貴殿には良くしてもらってばかりだな」
そう言って苦笑するガブリエルに、ノエインは気にしなくていいと笑って軽く杯を掲げた。
誠意ある言葉と態度だけで売れる恩だ。売れるだけ売ってしまった方がいい。穏やかな微笑みをたたえながら、ノエインは内心でそんなことを考えている。
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