第392話 公開処刑

 イゴールたち工作員から情報を引き出し終えた数日後。公都ノエイナの中央広場に、彼らの処刑台が設けられていた。


 平和な社会に生きる民にとって、処刑は最大の非日常だ。アールクヴィスト領時代を含めてこの地で初めて公に行われる処刑ということもあり、そして処刑されるのがこの数週間にわたって公都を不穏にさせた犯人という事実も合わさり、広場には多くの民が集まっている。


 民衆の間に満ちている感情は怒りだ。平穏な生活を脅かされ、せっかく築き上げてきた異種族の知人隣人との関係を脅かされ、そしてこの国に生きる同胞を一人殺された。今まで行き場もなく渦巻いていた民の不安や恐怖は、怒りへと変わって処刑台に立たされた三人に向けられる。


 処刑台の周りには大公国軍の兵士が立ち並び、厳戒態勢をとっている。怒りを暴発させて罪人たちに暴行を加えようとする者がいないか、鋭い視線で見張っている。また、罪人たちの傍らにはペンス・シェーンベルクと数人の親衛隊兵士が立ち、罪人の逃亡や、民衆が罪人に迫るような事態に備えている。


 ロードベルク王国やランセル王国では領民による罪人への軽い暴行を許容する貴族領もあるが、アールクヴィスト大公国ではノエインがそれを許していない。処刑は為政者がその権利と義務のもとに行うものであると考えているためだ。


 そのため、罪人への罵声などは許容されているが、石やものを投げつけるような行為は一切禁じられている。


 罪人たちは縛られ、猿轡をされて朝から処刑台の上に晒されている。千人を越えるアールクヴィスト大公国民から怒りと憎悪の目を向けられ、偶々この日に大公国を訪れていた隣国の商人や護衛の傭兵たちから好奇の目を向けられ、恐怖と羞恥に襲われ続ける。


 そして、君主であるノエイン・アールクヴィスト大公が、処刑台の隣に置かれた演説用の壇へと上る。


 側近である名誉士爵マチルダと、軍務長官ユーリ・グラナート準男爵を引き連れた君主の登場に、広場に集まっている民衆がざわめく。間もなく処刑が実行されると理解したためだ。


「アールクヴィスト大公国の偉大なる君主、ノエイン・アールクヴィスト大公閣下のお言葉である! 者共静まれ!」


 壇の中央、拡声の魔道具の前にノエインが立つと、傍らのユーリが民衆に向けて声を張る。歴戦の戦士であり、大公国軍の頂点に立つ彼の声は、魔道具など無くともその場の全員を静かにさせるだけの迫力を纏っていた。


 ユーリの言葉で、民衆は少しの時間をかけて静かになる。誰もがノエインの言葉を待つ。


 壇へと続く階段の傍では、公妃クラーラに手を引かれたエレオスもノエインを見つめていた。まだ幼いフィリアは屋敷で留守番をしているが、既に物心がつき、いずれは大公家を継ぐ予定であるエレオスにとってはこれもまた勉強だ。


 その他にも、貴族や従士たちの多くが処刑の実行を見守っている。その中には要塞都市アスピダから来たラドレー・ノルドハイム士爵や、鉱山都市キルデから来た従士ダントなどの姿もある。


 臣下と民衆の視線を受けながら、ノエインは口を開く。


「……まず、私は君たちに謝りたい。すまなかった」


 その言葉で、民衆の間にざわめきが巻き起こった。君主の一言目が民への謝罪だとは、誰も予想していなかった。


 民衆の驚きが収まり、場が静かになるのをノエインは無言で待つ。


 そして、また口を開く。


「私が謝る理由は二つ。まず一つ目は、およそ一か月にも渡って君たちを不安の中に居させてしまったことだ。小さなものとはいえ、不可解な事件が立て続けに起こり、怖かったことだろう。ついには民に犠牲者が出て、恐怖と憤りを覚えたことだろう。犠牲者の知人、友人もいたことだろう。本当にすまなかった」


 そこで言葉を切ったノエインは、民衆が少しじれったく感じる程度の間を置いた。


「そしてもう一つは……この国には他種族を嫌悪する者がいる。そんな疑念を君たちに抱かせてしまったことだ」


 民衆はその言葉の意味を理解しかねて、首をかしげる者も出る。そんな彼らに向けてノエインは両手を広げ、さらに語りかける。


「私はこの国を、この国に生きる者全てが幸福を享受できる地にしようと努めてきたつもりだ。平民には平民の幸福を。奴隷には奴隷の幸福を。普人も亜人も獣人も、誰であろうとその努力に見合った幸福を得ることのできる地にしようと奮闘してきたつもりだ……」


 教育レベルも様々な民衆に話を理解させ、彼らの集中力を繋ぎ止めるため、ノエインは適宜間を置きながら語る。


「……しかし、私の努力は足りなかった。普人や亜人の中には未だに獣人への強い差別感情を捨てきれない、この国の社会の理を守れない者がいるのだと、君主である私自身も疑ってしまった。君たちも同じだろう。普人や亜人の者は恥じ、獣人の者は恐怖し、種族の違う隣人や友人との関係に隔たりを作ってしまった者もいたことだろう。そのことも、私が君たちに謝るべきことだ……だが、安心してほしい」


 そう言って、ノエインは自身の後ろ――これから処刑される罪人たちの方を手で示した。


「アールクヴィスト大公家に仕える優秀な臣下たちと、勇敢なる大公国軍人たちの奮闘の結果、こうして一連の事件の犯人を捕らえ、罪を白状させることができた……これで、この国には他種族を嫌悪している者などいなかったのだと分かった」


 ノエインが手で示した先には、三人の罪人がいた。


 それぞれ後ろ手に両腕を縛られ、その上から胴体を縛り上げられ、さらに足も縛られ、絶対に逃げられないよう拘束されている。顔には目立つ傷はなく、首から下は無地の厚手の布の服で隠されているので、民衆が見ても三人が苛烈な尋問、もとい拷問を受けたことは分からない。


 縛り上げられた三人は必死の形相で何かを訴えようとしているが、猿轡をされているので何を言っているかは当人以外の誰にも分からない。


 おそらくは「話が違う」「逃がしてくれる約束では」といったことを言っているのだろうと思いながら、ノエインは彼ら三人のその行動を無視し、彼らに向けた視線を民衆たちの方に戻す。


「全てはこの三人がやったことだ。獣人への嫌悪も、普人への復讐も、全ては彼らが仕組み、演出し、偽造したことだったのだ。他種族だからという理由で誰かを傷つける民は、この国にはいない。ここには心優しく、理性的で賢い民しかいない。私が諸君に説いてきた、あらゆる種族の同胞を慈しみ手を取り合うことの大切さは、諸君の心の中に正しく根付いている。それが分かって、私は本当に嬉しい」


 ノエインの言葉に、民衆の多くは静かに聞き入り、しかし中には少し不安げな表情で周囲の様子を窺う者もいる。


 彼らはおそらく、大小の差はあれど獣人への差別感情を密かに抱く普人や亜人、そして普人や亜人への嫌悪を密かに抱く獣人だ。


 ノエインは民衆の前では理想的な言葉を高らかに語りつつ、しかし現実も理解はしている。十数年、あるいは数十年に渡って獣人差別があるロードベルク王国を生きた彼らの中には、生まれたときから培ってきた差別感情を未だに捨てられない、場合によっては生涯捨てられない者がいると分かっている。


 そんな者たちが心の中にしまい込んでいる負の感情に、さらに蓋を被せて釘を刺す。ノエインが今行っている演説には、そのような意図もある。この国では獣人を迫害しないのが当たり前のことであり、誰もがその当たり前に従うものであると、少なくとも表向きにはそのように示して守らせる意図が。


「あらためて謝罪しよう。この国に獣人への差別や迫害はない。他種族への憎悪はない。それなのに、私の力不足で諸君に無用の不安を抱かせてしまった。他種族の知人や友人との間にぎこちない空気を抱かせてしまった」


 重ねた謝罪は、駄目押しだった。


 アールクヴィスト大公国におけるノエインの支持は絶大で、ノエインの言葉は絶対だ。そのノエインが自ら民に謝り、「この国に種族間の対立などない」と断言したのだ。今回の一件で内に秘めた他種族への嫌悪を思い出した者がいたとしても、この期に及んで具体的な行動に移そうとするものはいないだろう。ノエインはそう考え、そう信じている。


「それももう終わりだ。今日から、今この時からこの国には平穏が戻る。不穏な日々は終わる――罪人たちの処刑を以て」


 壇上でノエインがペンスに視線を送り、小さく頷くと、ペンスは敬礼をして親衛隊兵士たちに指示を出す。


 罪人たちの頭に布袋が被せられ、彼らの視界が塞がれる。


 まさにこれから処刑が実行されると察した罪人たちは、今までより一層身体をよじらせて抵抗しようとする。


 なかでも最も大柄な男――イゴールが兵士の手を力ずくで振り切り、処刑台の床に倒れ、芋虫のように這って逃げようとするが、当然逃げられるはずもなく、腹を蹴り飛ばされて縄を引かれ、起こされる。


 そして三人は、処刑台のそれぞれの立つべき位置に立った。強制的に立たされた。


 三人の首に縄がかけられる。この時点で真ん中に立たされた熟練商人風の男は全てを諦めのか、もがくことを止めた。その左側に立つ若い男は未だにもがいており、右側に立つイゴールは先ほど蹴られた衝撃で嘔吐したのか、布袋の口のあたりを汚しながら、それでも身体をよじらせて逃げ延びる手段を探していた。


 準備が終わり、ペンスが剣を抜きながらノエインの方を向いた。


 ノエインはペンスに頷き、片手を掲げる。


「……これより、この罪人たちを絞首刑に処す。罪状は窃盗、器物損壊、傷害と殺人。そして、違法な工作活動によって我が国の治安の崩壊を試みたことだ」


 民衆たちがざわめき始める中で、ノエインは声を張って宣言した。


 そして、ノエインは掲げていた手を下ろす。その瞬間、ペンスは剣を振り、自身の傍ら、柱と床の間に張られていた縄を断ち切った。


 それに合わせて処刑台の仕掛けが作動し、三人の罪人の足元を支えていた開閉式の床が開かれる。


 三人の身体は床に開いた穴に落ち、その首と真上の柱を繋ぐ縄がぴんと強く張られる。縄に吊られた衝撃で首が折れる鈍い音が三つ、ほぼ同時に広場に響いた。


 重罪人の処刑。その瞬間を目の当たりにして、民衆のざわめきは、興奮の声やどよめきを内包しながら膨れ上がる。


 一気に騒がしくなる広場の中、ノエインは壇の下にいる妻と子の方を見た。


 クラーラは人が死ぬところを直接見る機会がほとんどないためか、少し顔色を悪くしながら、それでも処刑台の方をしっかりと見ていた。


 エレオスは初めて見る人の死の瞬間に目を丸くしながらも、怯えた様子はなく、父が君主として最も残酷な仕事を遂行する様を見届けていた。


 それを確認し、ノエインは処刑台の方に向き直る。三人の罪人は、当然ながら既にもがいてはいない。公都ノエイナに、アールクヴィスト領に混乱をもたらした実行犯たちは、死を以てその責任を取った。死体は今日一日、広場に晒されることとなる。


「……さて、後はバートの報告待ちだね」


 ノエインは傍らのマチルダとユーリにだけ聞こえる程度の声で呟いた。


 実行犯は殺したが、これで全てが解決したわけではない。


 イゴールたち三人に工作活動を命じた黒幕を完全に特定し、その意図を暴き、そしてその黒幕にも責任を取らせなければならない。




★★★★★★★


次回から更新日を5と10のつく日(毎月5日・10日・15日・20日・25日・30日)に変更させていただきたく思います…


個人的な事情で申し訳ございませんが、Web版の執筆と書籍関連の作業、さらに本業の仕事とプライベートのバランスを取るのが隔日更新だとさすがに難しくなってきました…


更新ペースは落ちますが、ご理解・ご容赦をいただけますと幸いです。

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