第370話 フィオルーヴィキ峡谷の戦い 緒戦④

「っ!」


 ユーリの報告を受けたノエインは、瞬時に思考を巡らせ、敵の策略を潰す方法を導き出す。


 防壁は丸太製だ。表面を覆う土壁を剥がされ、火魔法をぶつけられれば、炎上は免れない。


「グスタフ! 敵は火魔法で防壁を焼く気だ! 水をできるだけ多く最前面に!」


「了解!」


 グスタフたちに操作されるゴーレム四体は、その場に突撃盾を捨て置いて後方へと駆ける。ノエインも自身のゴーレム二体を天幕の中から呼び戻し、後方へ走らせる。今は火矢がどうのと言っている場合ではない。


 ゴーレムを操る術者たちが動くのに合わせて、護衛たちも移動する。


 一度後方まで下がったノエインたちが再び前面に移動しながら運ぶのは、大桶に汲まれた水。峡谷の後方に流れる川から汲まれてきたもので、本来は『沸騰』の魔道具で沸かして防壁上から敵に浴びせる予定だった。


 大桶を担いだゴーレムとその術者たちが火矢の中を駆け抜け、大量の水を防壁の足場の下へ。その途中、一体のゴーレムに運悪く火矢が当たり、肩の関節部に入り込んだ鏃の火が燃え移る。


「アレイン!」


「桶をください! 土壁がボロボロでもう時間がないです!」


 アレインは一度は足場の下に退避させていたゴーレムを、既に足場に上がらせていた。ノエインのゴーレムが大桶を持ち上げ、それをアレインのゴーレムが受け取る。


 防壁の他の場所でも、アレインの部下たちがグスタフとその部下から大桶を受け取る。移動中に火矢を受けていたゴーレムは、大桶を手渡したところで耐久性が限界を迎え、半身が燃え上がりながら頽れた。


 防壁の表側は、元は土魔法と土木作業によって分厚く張られていた土壁が立て続けの魔法攻撃で崩れ、一部の丸太が剥き出しになっていた。そこを狙って敵陣から放たれた『火炎弾』が直撃し、大きな爆炎が上がる。


 そこへ、アレインのゴーレムがひっくり返した大桶の水がかかった。丸太に燃え移るかに思われた火は消され、さらに剥き出しの丸太の表面が水びたしになる。


「あ、危ねえ……どんどん水持って来てください!」


 間一髪の危機を乗り越えて息をつきながら、アレインは足場の下のノエインたちに伝えた。防壁は広い。まだ露わになった丸太の全てを濡らせたわけではない。


「大丈夫、後方の兵に水の運搬を頼んでる。すぐに運ばれてくるよ」


 ノエインがそう言いながら振り返ったときには、レーヴラント王国の兵士たちが敵の火矢を掻い潜りながら追加の水を運んで来ていた。器は桶や革袋、さらには煮炊き用の鍋や逆さまにした兜まで多種多様だ。


 地面に下ろされた大桶にそれらの水が注がれ、ある程度溜まるとまたノエインやグスタフ隊のゴーレムが持ち上げる。それをアレインの隊が受け取り、土壁の剥がれた防壁を濡らす。


 その間もバリスタや投石隊による攻撃は続き、着実にヴィルゴア王国の軍勢の数を削る。防壁を破壊するために前面に出ている敵魔導士も全員が無事とはいかない。防御陣形に爆炎矢の直撃を受け、周囲を固める盾兵ごと炎に包まれる者が出る。


 一方で、味方側にも被害が広がる。最初よりは数が減ったが火矢は止むことなく砦の中に降り注ぎ、普通の矢も飛び込んでくる。


 敵陣を攻撃する者、火矢による火災の消火に励む者、防壁まで水を運ぶ者。人数は多くないが、敵の矢を受ける犠牲者は次第に増えていく。ゴーレムもさらに二体が火を浴びて行動不能に陥った。


「アールクヴィスト閣下! 敵の魔導士が退いていきます! 諦めたみたいっす!」


 何杯目かの水を防壁上からぶちまけたアレインが、敵陣を見やってそう叫んだ。


「よかった……防壁の破壊を諦めたのなら、また梯子で上ろうとしてくるだろうね。防衛戦の再開準備だ」


 ノエインは安堵の息を吐き、すぐにまた表情を引き締める。


「今日が運命の分かれ道だ。今日一日、一日だけでいいから耐え抜くんだ」


・・・・・


「こっちに包帯を! 水ももっと!」


「そいつの腕はもう駄目だ! 麻酔を打って切り落とせ!」


「魔法薬をください! 急いで! 騎士ミュドワ殿が危険な状態です!」


 砦の前面で戦闘がくり広げられている頃、投石陣地やバリスタ隊陣地よりもさらに後ろ側、最後方にも戦いはあった。


 そこは救護所。レーヴラント王国内から集められた医者や、精霊信仰に従って弱者を助けることを使命とする聖職者たちが天幕の中を駆け回り、運び込まれた負傷者の手当てに当たっている。


「ほ、包帯と水を持ってきました!」


「ありがとうございます。その机の上に!」


 立ち働く者の中には、ヘルガ・レーヴラントもいた。


 表向きは救護所の警備責任者という名で。しかし、安全ではあるが負傷者が次々に担ぎ込まれるこの場では警備よりも手当ての人手が必要なので、ヘルガは自ら申し出て手伝っていた。


 身分が身分なので血に触れる仕事はさせてもらえないが、包帯や水、薬を運ぶ役割を、医者や聖職者たちに言われるがままにこなしている。


「うぅ……殿下、申し訳ございません……」


「あ、謝る必要はありません。あなたは国を守るために、立派に戦ったのですから」


 木の板そのままの簡素な寝台に寝かされて呻くように言った兵士に、ヘルガは努めて気丈に答えた。しかし、その顔は青い。


 目の前に横たわる兵士は片目が潰れ、頬の肉と骨が割れている。その見た目も、漂ってくる血と肉と脂の臭いも、今まで王城で箱入り娘として育てられたヘルガには辛く刺さる。


 救護所内には常に血の臭いが立ち込めているが、ヘルガはまだそれに慣れない。意識しないようにしているが、ふとした瞬間に吐き気がこみ上げる。戦いの前の緊張で昼食をとらなかったのが不幸中の幸いか。


「誰か! こいつを診てやってくれ! 重傷だ!」


 喧騒の続く救護所の中に、また一人の負傷者が運び込まれる。医者が空いている寝台に負傷者を寝かせるよう指示し、ヘルガに水と薬を持ってくるように言った。


 ヘルガは桶に水を汲み、『天使の蜜』を薄めた痛み止め兼麻酔の薬瓶を手に新たな負傷者のもとに走る。


「うっ……」


 その負傷者を見たヘルガは、思わず小さく呻いた。彼の姿は、正視に耐えないものだった。これまでに見た他の負傷者と比べても殊更に悲惨だ。


「敵に浴びせるはずだった熱湯を、手を滑らせて頭から被ったそうです。これでは……」


 医者はヘルガの方を振り向きながら、諦めたように呟く。


 その負傷者の顔は赤く爛れ、元がどのような容姿だったのか分からない。上半身も広範囲に大火傷を負っており、鎧は脱がされているが、鎧下が皮膚に張り付いてしまっている。無理に脱がせようとすれば皮膚や肉ごと剥がれるだろう。


 人はあまりにも広く深い火傷を負うと、その負担に身体が耐えられずに心臓が止まる、と聞いたことがある。彼はどう見てももう助からない。素人目に見てもそう思われた。


「せめて痛みを取ってやりましょう。殿下、麻酔薬をこちらへ」


「……」


 ヘルガは呻き声を漏らす負傷者を真っ青な顔で見下ろし、医者の呼びかけに気づかない。


「殿下!」


「はっ! はいっ!」


「麻酔薬をいただきたい。それと、殿下もお疲れでしょうから救護所を出て少し休まれてください。その後はまた警備の方をお願いいたします」


「……分かりました。ごめんなさい」


 アールクヴィスト大公国から輸入された麻酔薬の薬瓶。ヘルガはそれを医者に手渡すと、青ざめた顔のままで救護所を出る。


 先ほど言われたのが遠回しの戦力外通告であることは、ヘルガにも分かった。自分があまり役に立っていないことは察していた。


 今まで父や母、家臣や家庭教師からは聡明さを褒められてきた。自分は優れた思想を持つ人格者だとも思っていた。軍務でもきっと能力を示せる。そう思っていた。


 だが、現実は机上の学問や議論とは違うらしい。今ここで、自分はあまりにも無力な小娘だった。


・・・・・


「……今日はそろそろ退き時か?」


 砦を攻めあぐねる味方の軍勢を眺めながら、カドネは言った。


 デール侯国の徴集兵を使って梯子をかけるところまでは上手くいったが、その後の戦況は芳しくない。


 アールクヴィスト大公国が参戦している時点で予想はしていたが、爆発する投擲物やゴーレムによるものと思われる投石など、敵側の抵抗用の装備はかなりの充実ぶりだった。レーヴラント王国の軍勢も、大半が平民の徴募兵のわりには良く戦っている。


 魔導士を接近させての攻撃も不発に終わり、逆に数人の魔導士を失う有り様だ。火矢による牽制は多少の効果があったようだが、それでもゴーレムによる抵抗が止んだわけではない。


 結果、戦いは泥沼に陥って膠着状態になっている。特に中央に置いた属国と友好国の部隊は、死傷者が多く消耗も疲労も激しい様子だ。


「そうだな。兵士たちも限界だろう。仕切り直してまた明日に攻勢再開だ……ガジエフ」


「はっ! 各部隊に伝達! 攻勢を中止し、後退せよ!」


 将軍ガジエフが伝令に命じ、伝令たちが各部隊の将のもとに走る。


「さすがに一日では落ちないか。弱兵をよくまとめているあたり、ガブリエル・レーヴラントも馬鹿にできないな。デール候とはまた違ったかたちで大した君主だ。アールクヴィスト大公も、お前の言っていた通り厄介な敵だ」


「まあ……そうだな。敵ながら有能なことは否定すまい」


 カドネは苦い笑みを浮かべてカイアの言葉に頷いた。


 ノエイン・アールクヴィストは言わずもがな、ガブリエルもなかなかの傑物と認めざるを得ない。平民の徴募兵が大半を占める軍を、この不利な状況で瓦解させずに戦わせ続けることができているのだ。普段の治世から上手くやり、民の信頼を得ている証左だろう。


 敵の有能さを認めず、侮ってかかれば思わぬしっぺ返しを食らう。かつて飲んだ苦汁を忘れないよう、カドネは自分に言い聞かせる。


「さすがに疲れた。俺は少し休ませてもらいたい」


「ああ、後退と陣の再編成では俺たちがやることはない。お前は体力がないんだ。むしろ休めるときに休んでくれ」


 総大将であるカイアの許しを一応得てから、カドネは自身の天幕に戻る。


 御輿から下ろされ、天幕の中でイヴェットと二人きりになってから、彼女の膝の上に寝転んだ。


「イヴェット、俺を癒してくれ」


「はい、陛下」


 カドネがひと言頼めば、イヴェットは優しい微笑みを浮かべて頭を撫でてくれる。


「戦場は何度も見てきたのに、ノエイン・アールクヴィストが相手だと思うと駄目だな。やけに神経をすり減らしてしまう」


「陛下の御身に傷を負わせた悪しき敵が、すぐ目の前にいるのです。無理もございません」


 カドネがイヴェットの頬に手を触れると、イヴェットもカドネの顔を包むように手を添えてくる。


「ああ、そうだな……こんなにも早くあいつと再会できるとは。仕留められれば幸い程度に思っていたが、やはり目の前にすると憎い。殺してやりたい……何より、あいつを自国に逃げ帰らせると厄介だ。なんとしてもここで討っておきたい」


「私には戦いのことは分かりませんが、陛下は偉大なお方です。今は強大な味方もいます。必ずや勝利を掴まれることでしょう」


「ははは、お前はいつも優しいなぁ」


「それが私の役目です。私は常に陛下に付き従い、身と心をお捧げするのみですわ」


 イヴェットの献身を心地よく感じながら、カドネは目を閉じる。


「今日は落とせなかったが、敵の疲労や被害も深刻なはずだ。明日こそはあの砦を落とす。それでヴィルゴア王国の覇権は絶対のものになる。ランセル王国に近づく。そして……ノエイン・アールクヴィストを殺す」

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