第360話 馳せる

 今や二年前の数倍にまで増したヴィルゴア王国の国土。その南東側、かつては独立した一国だった地域の平原に、軍勢が集結していた。


 その数は現時点でおよそ三千六百。アドレオン大陸北部では稀に見る大軍だ。


 無数の天幕が並ぶ平原を小高い丘の上から見渡しながら、カイア・ヴィルゴアは感嘆のため息を吐いた。


「……数日前と比べてさらに数が増したな。これが全て俺に従う軍勢とは。夢のような話だ」


「はははっ、確かにそれなりに壮観だが、この程度で感動されては困るぞ。兵はまだまだ集まるし、いずれお前には万の大軍を率いてランセル王国に攻め込んでもらうんだからな」


 その隣で笑ったのはカドネだ。かつて親征で食らった毒矢のために両足の腿から下が不自由なカドネは、持ち手の付けられた御輿のような椅子に座っている。その傍らにはイヴェットが控え、周囲には御輿を運ぶための屈強な従者が並んでいた。


「万の大軍か……俺にとっては戦記でしか知らない世界の話だな。お前は率いたことがあったのだよな?」


「ああ。ランセル王国の掌握のために行動を起こしたときと、ロードベルク王国と東の国境でぶつかったときだな。大軍を率いて臨む戦はいいものだ。俺の意思で無数の兵士が動き、双方合わせて数万の兵士がぶつかり合うんだからな。お前も一度経験すれば病みつきになるぞ」


「ふっ、それは楽しみだ。まずは此度の戦で勝利を収めなければな」


「必ず勝てるさ。まだまだ兵は集まるんだ。デール侯国やレーヴラント王国のような小国、ひとたまりもないだろう」


 これから始まる戦争に思いを馳せながら語らっていると、そこへ声がかけられる。


「カイア陛下! 参謀殿!」


 呼ばれたカイアとカドネが振り返ると、歩み寄って来たのは岩のように大きな体躯を持つ黒毛の狼人。


 カイアが王子だった頃からの王家の側近であり、現在はヴィルゴア王国の将軍として、王国や属国、協力を申し出た国の軍勢をまとめるガジエフ・タタリノフだ。


「ガジエフか。わざわざこのような場所までお前が自ら来るとは、一体どうした?」


「お二人が軍勢を肴に楽しく語らっていると聞きましてなぁ。私も混ぜていただきたく!」


 獅子人のカイアよりもさらに頭ひとつ大きなガジエフは、主君をほとんど見下ろすようにして言いながら豪快に笑う。そのあからさまな冗談に、カイアとカドネの方も苦笑した。


「まあそれは冗談として……レーヴラント王国の方に潜らせている斥候より面白い報告がございましてな。直々にお耳にお入れしたく、こうして参りました。特に参謀殿にとっては興味深いお話かと!」


「俺にとって興味深い話? ……もしや、アールクヴィスト大公国か!?」


 カドネは目を見開き、椅子から身を乗り出すようにして体ごとガジエフの方を向く。


 レーヴラント王国とアールクヴィスト大公国がどの程度の友好を築いているかは情報が足りず読めていなかった。しかし、カドネたちは可能性としては大公国がレーヴラント王国に援軍を送り込むことも考えていた。


 もしそうなれば、カドネとしては願ってもないことだ。


「左様です! 南のアールクヴィスト大公国より、援軍と思われる軍勢がレーヴラント王国の王都クルタヴェスキに入ったのが確認されました。数は百人足らずの小勢ですが」


「本当にアールクヴィスト大公国軍か? 間違いないんだな? ノエイン・アールクヴィストは来ているのか?」


「はっ。軍勢の掲げていた旗は参謀殿の仰っていたアールクヴィスト家のものと特徴が一致しており、ゴーレムを何体も連れていたことも確認されています。かの国の軍で間違いないでしょう。それとは別で、デール候国の方ではレーヴラント王国とアールクヴィスト大公国の君主自らが援軍に来るという噂も流れているようです。それらの状況を見れば、アールクヴィスト大公も来ているものかと」


「……そうか。そうか!」


 カドネは喜びを顔に表しながら身を震わせる。


 ノエイン・アールクヴィストとは、そう遠くないうちに決着をつけなければならないと考えていた。


 いずれレスティオ山地を越えてランセル王国に攻め入るにしても、大軍を一気に山越えさせるのは難しい。そのため、まずはアールクヴィスト領――現アールクヴィスト大公国に攻め入って占領し、そこを橋頭保にランセル王国へと進行を仕掛けるのがカドネの戦略だった。


 アールクヴィスト大公国軍が参戦してくるのであれば、デール侯国やレーヴラント王国の軍勢もろとも撃破することで、かの国に痛手を負わせることができる。ノエイン・アールクヴィストを討ち取ることができればさらに良い。ノエイン亡き後のアールクヴィスト大公国など、恐れるに足らぬ小国でしかない。


「ノエイン・アールクヴィスト……よくぞ来てくれた……俺をこんな身体にした恨み、俺の権勢を破壊した恨み、きっと晴らしてくれる。これから俺が大陸南部にぶつける憎しみを、まずはあいつに食らわせてくれる!」


 凶悪な笑みを浮かべるカドネを、その後ろではイヴェットが微笑ましく見ていた。


「……カドネ。お前の気持ちは分かるが、あまり熱くなり過ぎないようにな。今回の敵はあくまでデール侯国とレーヴラント王国だ。あの二国を潰して大陸北部における我が国の権勢をもっと高めなければ、お前の復讐も完遂できないぞ」


「ああ、もちろん分かってるさ。ノエイン・アールクヴィスト仕留めたさに焦るような馬鹿はやらない。だが……それでも、あいつと戦場で再会できるというのは嬉しいものだ。この上なく嬉しい」


 宥めるような口調のカイアに応えながら、カドネは噛みしめるように語る。


 親征のときと今回の侵攻では、状況が違う。今のカドネはノエイン・アールクヴィストと彼の軍隊の力を理解しており、彼らが待ち構えていることも知っている。前回のように一方的にしてやられる無様は晒さない。


 これだけ状況が整った中で、再びノエイン・アールクヴィストと戦うことができる。それはカドネにとって大きな喜びだった。


「こうなると、侵攻を少し急いだ方がいいな。ノエイン・アールクヴィストは優れた策士だ。あいつにあまり時間を与えない方がいい。カイア、出発を一週間早められないか?」


「今から一週間早めるのか? 集結が間に合わない属国や友好国も出てくるだろう」


「そうか……いや、それでも早い方がいい。その方が敵を焦らせることもできる。デール侯国の北のティルノ平原を新たな集結地点として、まだ到着していない軍は直接そこに来させよう。これから各国に伝令を送れば、敵もこちらの動きは読めないはずだ」


 カイアはカドネの提案にすぐには応えず、ガジエフの方を振り返った。


「どうだ、ガジエフ。できるか?」


「まだ集結していないのは併合した地域が二か所、属国が一国、友好国が二国です。併合地域は距離も近いですし、属国と友好国はどの道を通って軍を寄越すかは分かっています。いずれも伝令を送るのは容易です」


「そうか……では、カドネの案を受け入れよう。ガジエフ、頼んだぞ」


「御心のままに!」


 ガジエフは握った両の拳を胸の前で交差させるようなヴィルゴア王国の敬礼をすると、丘を下って去っていった。


「……ああ、本当にノエイン・アールクヴィストがこの大陸北部に来ているのか。あいつは俺との戦を前に、何を思っているのだろうな」


 空を見上げながら、カドネはしみじみと呟く。


・・・・・


 レーヴラント王国の王都クルタヴェスキでは、デール侯国への出発に向けた準備が急ぎ進められていた。


 正規軍と徴募兵を合わせて千人近い部隊の装備や物資を揃えるためにレーヴラント王国軍兵士たちが奔走する一方で、アールクヴィスト大公国軍も移動と戦いの準備を進める。


 本国から持ち込んだ大量の兵器を確認し、自分たちの分の糧食や消費物資をレーヴラント王国から受け取る。


「グラナート閣下、レーヴラント王国より追加で借り受けた荷馬車を持って参りました」


「ご苦労。では第二小隊と共に、すぐに残りの糧食を積み込め」


「はっ」


「閣下、爆炎矢と魔石の確認が完了しました。移動中の爆炎矢の損壊は現時点で三。魔石の方は問題ありません」


「そうか、許容範囲だな。以降も注意して運ぶよう運搬役の班員各位に厳命しろ」


「了解しました!」


 実務の総責任者を務めるユーリは、報告に来た兵士たちに指示を出し、準備が滞りなく進むよう指揮していく。


「閣下、攻撃魔法の魔道具、確認と試射が終わりました。十一本全て問題なしでさぁ……さすがにレーヴラント王国軍が魔道具に近づいてくる気配はありませんが、一応まだ親衛隊兵士を二人ずつ、三交代で見張りにつけてます」


 ユーリのもとにやって来たペンスが、後半は声を潜めて報告する。


「それで十分だろう。かの国もいくら何でも、こんなときにこちらの不興を買うことはしないだろうがな」


 ユーリも周囲にレーヴラント王国軍の人間がいないことを確認した上で答える。攻撃魔法の魔道具は大公国の重要な財産だ。友好国の中にいるとはいえ、警備を怠ることはできない。


「ユーリ、ペンス、お疲れさま」


 と、そこへ二人の主君の声がかかる。二人が振り返ると、マチルダを伴ったノエインが歩み寄ってくるところだった。


「閣下、ガブリエル陛下とのお話し合いは終わったのですか?」


「なんとかね。話の規模が規模だから、さすがに調整することが多くて疲れたよ。向こうの要望も色々あったし」


 尋ねるユーリに、ノエインは苦笑しながら返す。


 この数日、ノエインはガブリエル・レーヴラント国王と政治的に重要な話し合いを重ねていた。その内容は「この戦争が終わった後」についてだ。


 まずは、デール侯国とレーヴラント王国、アールクヴィスト大公国の連合軍が、ヴィルゴア王国の軍勢を打ち破って勝利した場合。


 アールクヴィスト大公国は今回、自国の直接の危機でもないのに君主自らが軍を率いて助力した。そのため、救援を求めたレーヴラント王国から多少の礼を受け取ることになる。ノエインは塩と柘榴石による物納を所望し、どの程度の量をいつまでに受け取るかをガブリエルや内務貴族たちと話し合い、条件をまとめた。


 そして、連合軍がヴィルゴア王国の侵略を退けることができず、レーヴラント王国の存続が絶望的になった場合。


 もちろんガブリエルもただ黙って自国を滅ぼされるつもりはないので、できるだけ多くの民を周辺国に逃がし、王家の財産や史料を信用できる異国に送ることになる。アールクヴィスト大公国もその受け入れ先のひとつとして、いくらかの要請を受け、交渉の末にそれを承諾することとなった。


「君たちに任せてたから心配してなかったけど、こっちの準備は順調みたいだね」


「はい。我々の準備はもう間もなく終わります。その後はレーヴラント王国軍を手伝うことになるでしょう。数が多い分、あちらの方が立て込んでいるようですので」


「フィオルーヴィキ峡谷の関所に送った連中も、今ごろ上手くやってると思いますよ」


 準備の様子を見たノエインの呟きに、ユーリもペンスも頷いた。


 グスタフ率いるクレイモア八人と一部の歩兵は、一足先にクルタヴェスキを発ち、デール侯国との国境にあるフィオルーヴィキ峡谷にいる。防衛線の設営という重労働をゴーレムで手伝うためだ。


「それならよかったよ……ユーリ、ペンス。この戦い、絶対に勝とう。ヴィルゴア王国の軍勢を叩きのめそうね」


 微笑みながら頷いたノエインは、急に真剣な表情になって言った。「叩きのめそう」などと、普段のノエインらしからぬ言葉選びも見せる。


「もちろんそのつもりですが……ノエイン様、何かあったのか?」


 ユーリは周囲に部下がいないのを確認し、小声になって素の口調で尋ねた。それにノエインも声を潜めて続ける。


「ガブリエル陛下との交渉でね……もしレーヴラント王国の存続が絶望的になったら、ヘルガ王女をうちの国に亡命させることになったんだ。レーヴラント王家の血を絶やさないために」


「ヘルガ殿下をですか? そういうのは、普通はもっと交流が長い友好国に頼むもんじゃないんですか?」


 ペンスが怪訝な表情になる一方で、ユーリは少し考え、口を開く。


「……なるほど、大陸北部の他の国だと、距離が近すぎて逆に政治的に不安があるわけか」


「そういうこと。極端な話、今後さらに勢力を増したヴィルゴア王国が『亡命したヘルガ・レーヴラントを引き渡せば、大幅な自治を認めてやる。引き渡さなければ皆殺しだ』とか言ったら、北部の国だとどう動くか分からないってわけ」


 ノエインが苦い顔で頷くと、それを聞いたペンスも納得した様子を見せる。


「ガブリエル陛下に『保護した後の扱いは任せるので、同じ父親としてどうか頼む』って頭を下げられたから断れなかったけどさ、あのヘルガ王女をうちの国で保護するんだよ? そうなったら、彼女に立場を分かってもらうために僕がどんなに面倒くさい思いをするか想像してみてよ」


 もちろんノエインが本腰を入れて取り組めば、時間をかけてヘルガを洗脳し、素直な味方に変えることもできるだろう。そうなったヘルガは、由緒正しい血統を持つ食客として使いようもある。


 とはいえ、それとノエイン個人が抱える面倒は別だ。ノエインとしては、そんな駒ひとつを抱えるよりも、友好的な隣国に存続してもらう方が堅実な利益がある。


「確かにそれは、ノエイン様にとって重大な危機だな」


「これはもう、意地でも勝つしかありませんね」


 困り顔のノエインに、ユーリは気の毒そうな顔を向け、ペンスは苦笑した。ヘルガ・レーヴラント王女がどんな思考をしているかは、初日の会食の席で二人も見ている。


「本当だよ。だからくれぐれも準備はしっかり頼むね。僕が今さら口を挟むことじゃないけど」


 二人に念を押して、ノエインはふと天を仰いだ。


「……ああ、これも全部カドネのせいだよ。本当に面倒なことに巻き込んでくれた」


 空を見上げながら、ノエインはため息交じりに呟く。

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