第361話 紛糾

 準備を終えてクルタヴェスキを発ったレーヴラント王国軍とアールクヴィスト大公国軍は、途中、北西の国境で砦を設営していた一部の隊と合流し、デール侯国に入った。


 デール侯国の中心都市で、デール候の直轄領だというルズールは人口二千。発展の度合いは低く、大陸南部の感覚で見ればこれといって見どころもない田舎町だ。


「国王陛下」


「ご苦労だった、騎士ベーヴェルシュタム。そして騎士レーヴラント。こちらの受け入れの手筈は?」


 先遣隊を率いてデール侯国に入っていたベーヴェルシュタムが一行を出迎え、ガブリエルに礼を示す。ベーヴェルシュタムの隣にはヘルガもおまけのように付き従っている。ガブリエルは二人に頷きながら尋ねた。


「問題ございません。王族と貴族はデール候の城館に宿泊し、兵士たちも一部は倉庫を流用した臨時の兵舎に、残りは街の外に野営地を設けて滞在することになっています」


「そうか、分かった……まずは、デール候に挨拶をせねばな」


 そう言って、ガブリエルは二人の後方を見る。そこには当代デール候であるエヴェリーナ・デールが、自ら友軍を出迎えに来ていた。


「ガブリエル陛下、彼女がデール候ですか?」


 挨拶のために隊列前面に出て来ていたノエインが聞くと、ガブリエルは頷く。


「そうだ。見ての通り、武人の鑑のような女傑だ」


 普人の女性としては異例の長身と精悍な顔つきを持つエヴェリーナ・デール。誇り高き武人として、周辺国にも名が知られているという。


 王女ヘルガも強き女性君主である彼女に憧れており、だからこそガブリエルもヘルガをベーヴェルシュタムに付けて先に送ったのだと、ノエインは聞いている。


 そんなエヴェリーナが馬を降りて近づいてきたので、ノエインとガブリエルも下馬し、彼女に歩み寄った。


「久しいですね、ガブリエル国王陛下。此度はよろしくお願いします。敵を打ち破りましょう」


「息災そうで何よりだ、デール候。互いの国の存続のため、全力を尽くそう」


 デール候と握手を交わしたガブリエルは、次にノエインの方を手で示す。


「騎士ベーヴェルシュタムからも伝えられていると思うが、此度は大陸南部からアールクヴィスト大公国軍が駆けつけてくれた。彼が君主のアールクヴィスト大公だ」


「初めまして、ノエイン・アールクヴィストです」


「……話は聞いています。はるばるよく来てくれました。よろしく」


 エヴェリーナはやや事務的な口調で応えながら、隊列後方、アールクヴィスト家の旗の下に並ぶ軍勢を見た。


「騎兵隊のない軍か」


「……我が軍がどうかされましたか?」


「いえ、何でもありません。皆様お疲れでしょう。どうぞ我が城へ。歓迎します」


 エヴェリーナは踵を返し、自身の馬の方へ戻っていく。ノエインとガブリエルも移動するために再び馬に乗る。


 小柄で非力なために自力で馬に上がるのが困難なノエインが、マチルダの補助を受けて馬に乗る姿を、エヴェリーナは意味ありげに一瞥してからルズールの方へと戻っていく。


「アールクヴィスト大公、気にするな」


 思わず冷たい視線をエヴェリーナの背中に返すノエインに、ガブリエルが小声で言った。


「デール候国は誇り高き騎士こそ至高と考える国だからな。デール候は代々あのような人間だし、特に彼女は筋金入りではあるが、悪気があってのことではない」


「……まあ、ここは彼女の国ですからね。私と我が軍のやるべきことが変わるわけではありません」


 ノエインは表情を和らげて答えると、馬を進めた。


 ・・・・・


 レーヴラント王国軍とアールクヴィスト大公国軍がデール候国に到着した翌日。三国の君主と側近格が集まり、軍議が開かれることとなった。


 午後から始まった軍議は――大いに紛糾した。


「無謀だと何度言えば分かる! 数で劣るのに野戦を仕掛けるなど馬鹿げている!」


「その弱気が敗北を招くとさっきから言っている! 貴様はそれでも騎士か!?」


 デール候の城館の広間で、大テーブルに広げられた地図を挟んで怒鳴り合っているのは、スルホ・ハッカライネン候とエヴェリーナ・デール候だ。


 ハッカライネン候の後ろではガブリエルが苦い表情を見せ、王国騎士たちは怒りや呆れを顔に滲ませている。今は一騎士として同席している王女ヘルガも、デール候国側の主張に困惑の表情を浮かべ、交わされる凄まじい怒声に怯えを見せていた。


 一方でエヴェリーナの後ろでは、彼女の側近の騎士たちが時おり野次を飛ばして主君に加勢する。エヴェリーナの意見こそが妥当かつ立派なものであり、それを受け入れるのが当然だと語る。


 その言い争いを、ノエインは冷めた表情で見ていた。ノエインの後ろには無表情のマチルダが佇み、ユーリ、ペンス、グスタフが感情を隠しつつ場の様子を見守っている。


 これほどまでに場が荒れているのは、レーヴラント王国とデール候国それぞれにおける戦いへの価値観があまりにも食い違っているためだ。


 まず、レーヴラント王国側は、防御陣地を設営しての防衛戦という、地味だが堅実な案を出した。


 都市ルズールの北には、隣国との国境まで続く平原を監視するための小規模な要塞があるという。その要塞を拠点に堀や防壁を作って強固な陣地を構築し、数の不利を補って敵の戦力を削り、撤退に追い込むというのが案の概要だった。


 それに対して、デール候国は野戦に打って出ることを主張した。


 北の国境を越えた平原に布陣し、ヴィルゴア王国の軍勢と真正面から激突。デール候国の騎士とレーヴラント王国の騎兵をまとめた部隊で敵中を一気に突破し、国王カイアと参謀カドネを討ち取るというのが、エヴェリーナの案だった。


 それは策と呼ぶにはあまりにも荒い博打だ。ノエインは内心ではそう思いながら無言を守る。


「まったく、これでは堂々巡りだな」


「誰のせいだと思っている!」


「無論、そちらのせいだろう。ガブリエル国王ご本人はどのようにお考えか? ご意見を賜りたい」


 険のある声色のままエヴェリーナが尋ねると、ガブリエルは少し考えて口を開いた。


「言うまでもなく、私は防衛戦をするべきだと考えている。我々が臨むべきは一か八かの大勝に賭ける戦ではなく、負けない可能性の高い戦だと。だが、私がそれを主張しても場は詰まったままだろう……ここはひとつ、第三者に意見を求めてはどうだろうか?」


 言いながら、ガブリエルがノエインに顔を向けた。


 それに釣られるようにして、両陣営の全員の視線がノエインに刺さる。レーヴラント王国の面々は助力を期待して。デール候国の面々は訝しむような顔で。


「……では」


 面倒なかたちで話を振ってくれたものだと思いながら、ノエインは切り出す。


「私から言えることはあまり多くはありませんが、結論から言うと、私もレーヴラント王国側の皆さんの意見に賛成です」


 その言葉に、デール候国側から小さな舌打ちが鳴った。エヴェリーナはさすがにそこまではしなかったが、苦々しい顔でノエインを見据えている。


「カイア・ヴィルゴアとカドネを討ち取るのが狙いであれば、エヴェリーナ・デール候が仰ったように攻めの姿勢も求められるでしょう。しかし、今回の第一目標はヴィルゴア王国の軍勢に打撃を与え、侵略を諦めさせ、以てかの国の権勢を削ること。であれば、堅実な防衛戦を行うのが最も現実的な選択肢かと思います……それにそもそも、」


 自身の臣下たちに視線をやりながら、ノエインは言葉を続ける。


「我が軍は陣地での防衛戦に特化しており、野戦ではあまり力を発揮できません。ゴーレム、バリスタ、攻撃魔法の魔道具。これらはいずれも開けた場所ではなく、敵の攻勢の方向が限られる場所で真価を発揮する兵器です。もし野戦にこだわるのであれば、我が軍は大した加勢はできないでしょう」


「ふっ、正々堂々の野戦もできぬような軍だと認めるか」


 鼻で笑ったエヴェリーナを、ノエインは冷たい微笑みを浮かべながら見やる。


「向き不向きで言えばそうですね。それが何か?」


「アールクヴィスト大公、貴殿は騎士か?」


 挑発するような問いかけに、僅かに目を細める。


「……まあ、否ですね。私個人は騎士ではなく魔導士です」


「魔導士か……やはりな」


 明らかな嘲りを込めて吐き捨てるエヴェリーナに、彼女の騎士たちも同調するように侮蔑の表情を見せた。


「デール候国に魔導士はいないのですか? 人口を考えれば数人はいてもおかしくないはずですが」


「もちろん、我が国にも魔法使いと呼べる者はいる。騎士に二人、従卒に二人な。しかし彼らはあくまで騎士と兵士だ。武器として魔法も使うが、大盾や防壁の後ろに隠れ、魔法のみに頼ってこそこそ敵を撃つような腰抜けではない。大将も魔導士、主力も魔導士とは、私たちに言わせればそんなものは真の軍とは呼べないな」


「っ!」


 それを聞いたグスタフが気色ばむ。今のエヴェリーナの言葉は、クレイモアを全否定するに等しい。


 ノエインは片手を上げて彼を抑えつつ、ため息を吐いた。


 騎士の国を自称するデール候国の成り立ちについては、ガブリエルから事前に聞いている。


 もともとデール候国は、北にある国の領土の一部であり、デール候もその国の一貴族だったという。


 しかし、その国は広いばかりで王族の権威が弱く、頼りない王に見切りをつけた諸侯は次々に独立。当時のデール候――エヴェリーナの祖父も独立を宣言し、レーヴラント王国をはじめ周辺の何国かがそれを承認し、国として成り立った。


 その歴史を考えれば、エヴェリーナたちが騎士こそ至高の存在と考え、騎士らしくあることにこだわるのも理解はできる。彼女たちにとって、自分たちが立派な騎士であることは国のアイデンティティそのものなのだろう。


 以前の宗主である北の隣国が、無抵抗のままヴィルゴア王国に恭順を示したらしいことを考えると、極小国でありながら徹底抗戦の構えを見せるデール候国は勇敢だと言える。その決意の根幹を支えるのが騎士としての自負だと考えると、彼女たちの誇りも一概に馬鹿にできるものではない。


 しかし、今回はその誇りばかりを顧みてやるわけにはいかない。この戦争の勝敗はアールクヴィスト大公国の利害にも直結する上に、はるばるデール候国までやって来たノエインたちは既に当事者だ。


「あなた方の国の価値観はあなた方のものです。我々が口を出すことではありません。例えそれが、我々から見ればどんなに頑なで非合理的なものであろうと」


 今度はデール候国の騎士の何人かが気色ばみ、それをエヴェリーナが抑えた。


「ですが、この戦いは最早、あなたの国だけのものではありません。レーヴラント王国もまた国の命運をかけてこの戦いに臨むのです。我々アールクヴィスト大公国とて他人事ではない。確かに私は己の身を最前に晒して戦う騎士ではありませんが、戦いの流れによっては自分が死ぬ可能性があることも覚悟した上でここに来ています。私の臣下と兵もそれは同じです。そのことは理解してもらいたい」


 ノエインの言葉に、エヴェリーナから反論はなかった。


「野戦や突撃こそ戦の真髄と考えるのはあなた方の自由であり、尊重します。であれば、負けないことが最重要と考える我々の価値観もあなた方に尊重されるべきだ。三国が協同してヴィルゴア王国に立ち向かうことに同意したのであれば、その友軍を安易に軽んじることもまた、騎士の道に反するのではないでしょうか」


 エヴェリーナは黙ったままだ。彼女の騎士たちも、苦虫を噛み潰したような表情ではあるものの、文句を言うような真似はしなかった。


 彼らを見回したノエインは、そのままガブリエルへと、そしてその他の将兵たちへとノエインは視線を巡らせる。


「それを踏まえた上で言わせてもらうと……基本としては陣地を構築しての防衛戦を行う。その中で、デール候国の諸卿が打って出る機会があれば我々は止めはしない。カイアやカドネを討つに越したことはないので、そういう機会が生まれるよう積極的に支援する。これが現実的な折衷案かと思いますが、いかがでしょう?」


 舌戦で徹底的に叩きのめすことでエヴェリーナたちが従ってくれるならそうしただろう。しかし、今そんなことをしても彼女たちがさらに頑なになり、デール候国との共闘が決裂するだけだ。


 であれば、次善の提案をするのが現状で利益を最大化できる唯一の選択肢だ。そう考えた上で、ノエインは問いかけた。


「良かろう。レーヴラント王国はアールクヴィスト大公の案を受け入れる」


 それに、まずはガブリエルが答える。


「……いいだろう、その妥協案を受け入れよう。ただし、いつどのように打って出るかは我々で決める。我々は騎士だ。突撃戦のことは我々が最もよく知っている」


 渋い顔ではあるが、エヴェリーナも頷いた。デール候国の騎士たちから不満の声が上がりかけるが、エヴェリーナ自身がそれを制止する。


「私は構いません。ガブリエル陛下はいかがです?」


「ああ、私もそれでいい……決まりだな」


 儀礼的にはこの場で最も高位にあり、名目上は三国連合軍の盟主という立ち位置にいるガブリエルの呟きで、場の緊張が少しばかりほぐれる。


 ノエインは表情こそ動かさないものの、内心で安堵していた。


 これでエヴェリーナたち騎士とその従卒はともかく、デール候国の徴集兵四百については言うことを聞く防衛戦の戦力としてあてにできる。農民兵といえど四百人の兵力は、いるのといないのでは大違いだ。陣地に籠って戦うのであれば使いようもある。


 それに、敵の隙をついての突撃というのは、状況によっては悪手ではない。小国とはいえ三世代にわたって独立を保ってきた騎士集団だ。その自信は口先だけではあるまい。戦況の動き方次第では、本当にエヴェリーナたちがカイアとカドネを討ち取ってくれる可能性もある。


「では、次は具体的な陣地設営や戦術の話になるが……その前に少しばかり休もう。皆、疲れたであろう」


 政治的な議論が終わったこの段階で、熱くなった各自の頭を冷ますため、ガブリエルの一声によって小休止を挟むことが決まった。


 ノエインは臣下たちと一緒に広間を出て、城館の中庭で新鮮な外の空気を吸う。


「アールクヴィスト大公、先ほどは助かったぞ」


 そこへ声をかけてきたのは、同じく外の空気を吸いに来たらしいガブリエルだ。


「よくぞあれほど言葉がすらすらと出るものだ。貴殿はやはり賢いな」


「お褒めに与り光栄です。子供の頃は本ばかり読んでいたので、人一倍言葉に触れてきた影響があるのかもしれません。あとは、自分に威厳がない分、口だけでも達者にならなければと意識してきたのもあるでしょうか」


 そう言って、ノエインは自嘲気味に笑う。


「戦は敵とぶつかり合う前から始まるものだ。複数の軍が協同して動くとなれば、思想的、政治的な理由で関係が破綻し、戦う前から負けることもある。その点、我々の状況は大分ましになった。貴殿のおかげだ」


「……そう仰っていただけると嬉しいです。口がよく回るよう鍛えてきた甲斐がありました」


 おどけて見せるノエインに、ガブリエルも笑みを零した。


「ところで、王女殿下は大丈夫ですか? 随分と混乱されていたようですが」


「ああ、あれは気にするな。あのような場を経験するのもまた学びだ。エヴェリーナ・デールへの憧れは壊れてしまったかもしれんがな」


「世間の評価とは、往々にして過大か過小なものですからね」


 誇り高き武人と頑なな猪武者。その二つは紙一重であり、ときに表裏一体だ。エヴェリーナ・デール候が噂に聞くような女英雄ではなかったとして、その事実に打ちのめされるのも、ヘルガにとっては現実社会を知るいい薬だろう。


「……軍議もようやく本番だな」


「ええ。ここからは私の口先もあまり役に立ちません。臣下たちの知恵に頼ることになるでしょう」


 これから戦術面で議論を詰め、その後は実際に陣地構築に奔走する。兵士たちに調子を整えさせ、兵器類の状態を再び確認する。


 あまり時間の余裕もない中で、まだまだやるべきことは多い。

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