第359話 軍議
レーヴラント王国に入って翌日と翌々日は、ノエインは兵士たちに休みを与えた。長い行軍による精神的な疲れを癒す時間を与え、これからの戦いに向けて英気を養わせるためだ。
大公国軍の兵士たちは、この国を助けるために来訪した存在だ。街にくり出せばさぞ盛大な歓待を受けることだろう。
一方で、自身とマチルダ、そしてユーリ、ペンス、グスタフ、ダントは一日のみ休みを取り、その翌日にはレーヴラント王国の要人たちとの会談に入る。
ノエインたちアールクヴィスト大公国の一同が王城の会議の間に迎え入れられると、レーヴラント王国側の一同は既に揃っていた。
その列の端、ハッカライネン候と騎士たちが並ぶ末席に軍装のヘルガが立っているのを見たノエインは、小さく眉を上げる。しかし、ガブリエルも貴族たちもそれが当たり前であるかのような顔をしていたので、特に言及せず、楕円形の会議机の片側、ガブリエルに最も近い側に立った。
「ではアールクヴィスト大公、よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ノエインと一言交わしたガブリエルは、今度はハッカライネン候の方を向く。
「スルホ、始めろ」
「はっ! それでは僭越ながらこのスルホ・ハッカライネンが、進行を務めさせていただきます」
主君に敬礼したハッカライネン候が、会議机の方を向く。
「まずは、レーヴラント王国と周辺地域を記したこの地図をご覧いただきたい。記載ある通り、レスティオ山地の交易路より北に十五キロほど進んだここが、レーヴラント王国の王都クルタヴェスキであります」
地図の中で曲線を描き、左上から右下の湖へと流れる川の線。その半ば辺りに書かれたクルタヴェスキの文字をハッカライネン候の太い指が指し示す。川を逸れて下の方には、宿場町と交易路を示す真新しい文字があった。
「クルタヴェスキより川に沿って北西に一日進むと、ゼビア山道に入ります。この山道を抜け、山岳地帯を抜けて北西にさらに一日進むと、デール侯国の領土に入ります。我々は侯国の中心都市ルズールにてデール侯国の軍と合流。かの国と共闘し、ヴィルゴア王国の軍勢を撃破します」
ハッカライネン候が地図上で指を動かし、クルタヴェスキのある平原を半ば以上囲む小山脈を左上に乗り越える。
いくつもの小さな山が描かれた山岳地帯らしき地形の先、小山脈とその切れ目の峡谷を挟んで北西側に、デール侯国と書かれていた。
「レーヴラント王国よりデール侯国に出向く兵力は、正規軍より二百五十。民からの徴募兵が七百。残る正規軍の五十と徴募兵二百には国境を固めさせ、万が一に備えます。アールクヴィスト大公国の部隊規模については――」
ハッカライネン候から視線を向けられたノエインが、自分はユーリに視線を流す。ユーリが頷いて口を開く。
「アールクヴィスト大公国軍よりは、傀儡魔法使いによる攻撃部隊が十二人。バリスタという大型の弓砲が十二台。攻撃魔法の魔道具が十一本。これらの運用人員として兵が五十人。その他、アールクヴィスト閣下直衛の親衛隊や通信担当の対話魔法使い等。人数としては七十三人ですが……戦力としては、戦い方にも寄りますが五百人の兵と同程度の力があるかと」
その説明を聞いたレーヴラント王国側の貴族たちがどよめく。
「今、攻撃魔法の魔道具が十一本と言ったが……あれはロードベルク王国においても五十本とない貴重なものだったはずだ。何故、貴殿らがそれほどの数を備えている?」
尋ねるガブリエルに、ノエインは苦笑して見せた。
「実はつい今年の春に、領土内で古の大国の遺跡を偶然に発見しまして。中を探索したところ、この魔道具十一本を発見したのです。国を守るための秘密の武器として当面は隠し持っているつもりでしたが、早速役立つときが来ました」
「……なるほどな。それほどの隠し種を我が国のために持ち出してくれるとは。感謝の念に堪えん」
「いえ、貴国の危機は我が国の危機も同然ですので。力を出し惜しみするわけにはいきません」
政治的な意図を孕むノエインの言葉と笑みに、ガブリエルは微苦笑を返す。
二人の会話が終わったのを確認して、またハッカライネン候が話を続ける。
「次に、デール侯国の兵力は騎兵が六十と歩兵が四十。民より集めた兵が四百とのことです。我々とアールクヴィスト大公国よりの援軍、そして侯国の兵を合わせた総数はおよそ千五百。大公国軍の力を考えると、実際の戦力は二千人に匹敵すると言えましょう。数こそ敵の方が上ですが、三国が一致団結すれば、必ずや侵略者どもを打ち砕くことが叶います!」
威勢よく言い切ったハッカライネン候に、王国貴族たちがそうだ、その通りだと同調する。レーヴラント王国とデール侯国が少なくとも数の上では思いのほか多くの兵力を集めていたことに、アールクヴィスト大公国側の面々も表情が多少明るくなる。
「……デール侯国の正規軍は騎兵の方が多いのですね?」
ふと気になって、ノエインは尋ねた。
デール侯国は名前の通り、デール候と名乗る貴族家が治める騎士の国。人口はおよそ六千。ノエインはその程度の概要しか知らなかった。いくら騎士の国とはいえ、あまりに極端な編成について疑問を零すと、ガブリエルがそれに答える。
「かの国は少々特殊でな。一国の軍という概念がなく、デール侯に数十人の騎士が忠誠を誓い、それぞれの領有する村落が集合して国の体を成している。国内の軍馬をかき集め、それに騎士とその子弟が乗ると六十騎程度というわけだ。歩兵の四十は騎士の従卒たちだな。彼らによると、戦とは騎士と従卒が行うものなのだと。本音を言えば農民を兵として動員するのも不本意なのだろうな」
「……なるほど。ご教授ありがとうございます」
連携が少々難しそうだと内心で一抹の心配を抱きつつ、ノエインは言った。
「続けます。戦略、戦術の詳細については、デール侯国と合流した後にまた軍議を行うこととなりますが、我が国としては陣地を形成しての防衛戦を提案する予定であります。間諜からの報告によると、ヴィルゴア王国の襲来はおよそ三週間から一か月後。我々はこれより出兵の準備を行い、五日以内にはクルタヴェスキを発ちます」
言いながら、ハッカライネン候は国境の通り道である峡谷を指差す。
「また、デール侯国と繋がるフィオルーヴィキ峡谷には、国境防衛を担う二百五十の兵を既に配置済みであり、ここの関所を砦として強化する作業が現在進められています。侯国と協同した戦いで万が一敗北した場合、我々はこの砦まで退き、そこで決戦を迎えることになるでしょう」
決戦。すなわちその砦を突破されたら、以降レーヴラント王国は蹂躙されるばかりになるということだ。
「アールクヴィスト大公。貴殿らにはフィオルーヴィキ峡谷の砦での戦いまで付き合ってもらいたい。ここでの防衛戦で勝ち目が見えないようなら、悪いが貴殿らには自力で国へ帰ってもらうことになる。我々は遅滞戦闘を行いつつ、貴殿らが帰還し、できるだけ多くの民が周辺国に逃げるまでの時間を稼ぐことになる」
それはつまり、国境の防衛戦までは共に戦ってほしいというガブリエルからの要請だった。
「分かりました。貴国が存続する未来に寄与できるよう、全力を尽くしましょう」
死ぬまで共に戦うことはできないが、その程度であれば許容範囲内だ。そう考えて、ノエインも頷いた。
「戦いが始まるまでの備えについても、我が軍も微力ながら助力できると思います。糧食の運搬などは我が軍の兵もこなせますし、国境の砦の強靭化については、ゴーレムが土木作業の労働力として役に立つことでしょう」
「それは願ってもないことだ……スルホ、アールクヴィスト大公国軍にどのように協力してもらうかは、お前に一任する。上手くやれ」
「御意!」
ガブリエルに任じられたハッカライネン候が敬礼する。
「ユーリ。こっちの隊の運用は君に任せる。ハッカライネン候と上手く協力して。よろしく頼むよ」
「了解しました」
ノエインに言われたユーリは、静かに頷いた。
「……それと、騎士レーヴラント」
「はい」
ガブリエルが呼ぶと、軍装のヘルガが父王の方を向く。凛とした佇まいはさながら姫騎士とでも呼ぶべき存在感だ。これで突っかかる癖がなければ可愛いものを、とノエインは思ってしまった。
「騎士ベーヴェルシュタムが先遣隊を伴ってデール侯国に入り、こちらの到着予定や部隊編成を伝え、本隊を迎えてもらうための調整を行う。お前は彼女に同行し、補佐を務めろ」
「御心のままに」
ヘルガはまるで一臣下のように頭を下げて見せた。
「では、準備に取りかかれ。諸卿の働きに期待する。以上だ」
ガブリエルが軍議を締めると、レーヴラント王国の貴族たちが退室していく。大公国側も、ノエインとマチルダ以外の面々が会議の間を出ていく。
それを見送りながら、ノエインは隣に立つガブリエルの方を見て口を開く。
「……なるほど。軍務においては王女であろうと他の者と同じ扱い、ということですか」
「ああ、そういうことだ」
微苦笑を交えてガブリエルが答えた。
「王族だからといって戦場でもちやほやされていては、王位を継いだ時に使い物にならんからな。若いうちは修行も兼ねてあのように扱うのが我が国の伝統だ。騎士レーヴラントというのも、そのための形式的な爵位だ」
「素晴らしい制度ですね。参考になります。我がアールクヴィスト大公国軍も、私の息子が成長した暁には真似させていただきましょう」
「ははは、それは光栄だ……とはいえ、ヘルガは軍に入れてまだ数か月だがな。これで少しは大人になってほしいと思っているが。昨日の件については今朝あらためて叱り、王女であろうと軍規を破れば処刑するとよく脅しておいたから、あれも軍務中はさすがに大人しくしているはずだ」
「それでは、安心して全力を尽くします」
未だに申し訳なさそうな顔のガブリエルに、ノエインは笑みを見せた。
「ところで、騎士レーヴラント殿も最前線で戦わせるのですか?」
「いや、さすがにあれを死なせるわけにはいかないからな。戦場の前面には置かず、戦闘以外の仕事をさせるつもりだ。もし我が王家の治世が終わるようであれば、あれだけでも国外に逃がさなければならん」
ノエインの問いに答えながら、ガブリエルは真剣な表情になる。
「アールクヴィスト大公。出兵の準備が行われる間、貴殿とはいくつか政治的な話し合いをしておきたい。戦勝後、貴国に支払う謝礼について。そして……敗北して我が国の存続が絶望的になった場合についてだ」
その言葉に、ノエインも表情を引き締めた。
「もちろん私は勝つつもりでいるが、負けたときのことも考えるのが王の役目だ。我が国の民や王家の財産、そして王家の血統を国から脱出させ、いかにして再興の可能性を残すかを考えねばならない。周辺諸国とは話し合いを済ませているが……貴国ともいくつかの取り決めをさせてもらいたい」
「……分かりました。できる限りのご協力をしましょう」
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