第348話 移り変わり

 公歴三年、王国歴二二二年の三月後半には、アールクヴィスト大公家の一行が公都ノエイナを出発した。


 今回は当主ノエインと公妃クラーラ、公世子エレオスと公女フィリアが揃ってロードベルク王国の王都リヒトハーゲンに出向くとあって、多くの護衛や使用人が随行し、一行の総勢はおよそ四十人にもなる。


 大公一家やその従者、傀儡魔法使いとそのゴーレム、そして荷物を積んだ計四台の馬車列を、七騎の騎兵と十五人の歩兵が守る大規模な旅だ。


 ベトゥミア製の魔導馬車なら片道十日で着くリヒトハーゲンへの道程だが、旅の人数が多く、また幼子のエレオスやフィリアを乗せているため、通常より長い半月ほどをかけてややゆっくりと移動。


 友好国の君主家の一行に対して表立って悪事を働く不届き者などいるはずもなく、ノエインたちは道中何事もなくリヒトハーゲンに到着した。


 リヒトハーゲンの貴族街、アールクヴィスト大公家別邸に入ってひと段落すると、ノエインたち一家はひとまずケーニッツ伯爵家の別邸に出向く。


 今は優雅な王都暮らしをしているアルノルドとエレオノールに孫の顔を見せてやり、その後はアルノルドと当主同士で政治の話に入る。


「それにしても、お前は本当に面倒事によく出くわすな、ノエインよ」


「僕も好きで面倒な目に遭ってるわけじゃないんですけどね」


 本来ならエレオスとマルグレーテの婚約披露宴が真っ先に話題に上がるはずだったが、今日話すのは遺跡と攻撃魔法の魔道具の発見についてだ。この一件について、ノエインは王家以外には現段階でケーニッツ伯爵家のみに詳細を明かしている。


 遺跡と魔道具発見の報を秘密裏にオスカーへと中継したのも、実はアルノルドだ。万が一にも魔道具の話が外部に漏れるのを防ぐため、ノエインは今回、王都にいる義父の伝手を頼っていた。


「攻撃魔法の魔道具が十二本か。最初に聞いたときは私も冗談かと思ったよ」


 そう言って苦笑するのはアルノルドの嫡男フレデリックだ。今回の披露宴の場を利用して、ケーニッツ伯爵領の領主代行として参列者たちに紹介されるため、彼もまた王都に来ていた。


「凄い発見ではあるんですけどね……それを持つ利点は大きいですが、揉め事を避けるために必要な根回しも多くて疲れます」


「王家としても、諸手を上げて一緒に喜ぶわけにはいかないだろうからな。友好国とはいえ、すぐ隣の異国が強力な兵器を大量に抱えることになるんだ。オスカー陛下も複雑な気持ちになるだろう」


 渋い顔でそう語り合う息子と義理の息子に、アルノルドがまた口を開く。


「だが、陛下もアールクヴィスト家から魔道具を無理やり取り上げるような真似はするまい。攻撃魔法の魔道具は確かに貴重だが、要地に領土を構え、おまけに将来は親戚になるアールクヴィスト大公家と敵対してまで欲しいものではないはずだ」


「僕もそう思ってますけど、一応は国と国の外交ですからね。陛下には笑顔を振りまきつつ有利な言質を取れるよう頑張ります……と、お二人の前でこんな言い方をするのは不味いですかね、さすがに」


「ははは、今のは聞かなかったことにするさ」


 口を押さえるノエインにフレデリックが苦笑する。


 いくら近しい親戚とはいえ、ノエインは大公国の利益を第一に考えなければならず、ケーニッツ伯爵家の面々はあくまでもロードベルク王国貴族の立場にいる。突っ込んだ話をしていれば微妙に気まずくなることもある。


「……ところで、今回の披露宴では若い顔ぶれも多いと聞きましたが」


「ああ。うちからはフレデリックが参列するし、ベヒトルスハイム家からもジークフリート閣下のご嫡女が参られる。マルツェル家とシュヴァロフ家は名代として継嗣のみの参列だそうだ」


 ノエインが話題を変えると、アルノルドが頷く。


「派閥盟主や副盟主格もいい歳になってきたからな。そろそろ世代交代が意識される頃だ。現シュヴァロフ伯爵などは今年か来年にも。ベヒトルスハイム閣下も、今後数年かけてご嫡女の顔を本格的に周囲に広めてから代替わりだろう。マルツェル伯爵はもう少し後か」


 ジークフリート・ベヒトルスハイム侯爵の跡を継ぐのは本人の資質を理由に長女と決まっているそうで、ノエインも何度か顔は合わせたことがある。長女と言っても既に三十代半ばで、いつ爵位を継承しても構わない年齢だ。


 マルツェル伯爵の嫡男にはノエインも自身の結婚式をはじめ何度か会っているが、実直かつ有能な人物という印象だった。


 シュヴァロフ伯爵家に至っては伯爵本人が七十歳を超え、領地運営の実務の大半は四十代半ばの息子が担っているという。半ば趣味で交易政争の最前線に立ち続ける当主アントンが、家族からいい加減に隠居しろと叱られているという、笑える噂もある。


「ケーニッツ家とて他人事ではない。今回そのためにフレデリックを王都に来させたわけだからな。大公国との貿易がもっと安定して、フレデリックがもっと政務に慣れたら、私も当主の座を退くつもりだ。あと十年はかからんだろう」


「……分かってはいるつもりでしたが、ロードベルク王国を最前で支える顔ぶれも変わっていくんですね」


「それはそうだ。お前がアールクヴィスト家を興してから今年で十一年か? それだけの時間が経って、これだけ色々な出来事があれば、貴族社会も王国社会そのものも変わる。私も年をとったし、お前だって出会った当初と比べれば纏う雰囲気も随分と変わっているぞ」


 そう言われたノエインは、少し寂しげな微笑を浮かべた。


 ノエインは十五歳の無邪気な小僧だった頃とは違う。守るべき国も民も家族もある。守るために戦い、傷つき、疲れてきた。


 鏡や水面で自分の顔を見たときに、歳をとったと思うことも増えた。容姿は相変わらず童顔だが、その顔に不釣り合いな老成した空気を自分自身の顔から感じるようになった。


 ふと視線を送った先には、エレオスとフィリアとサミュエルが遊ぶ横で、エレオノールやレネットと談笑するクラーラがいる。彼女とて昔とは違う。今は子を持つ母の顔を、夫と共に一国を守る妃の顔をしている。不安げな表情の箱入り娘から、強い大人の女性になった。


 ノエインの後ろに静かに控えるマチルダは、昔にも増して美しくなった。


 兎人の特性で、容姿は同年齢の普人と比べると若々しい。しかし、常にノエインに寄り添い、ノエインと共に人生を重ねてきたその表情は、より深みのある艶やかな魅力を放っている。ノエインの護衛として今も鍛錬を続けているので、身体はしなやかに引き締まっている。


 ただ美麗なだけではない。ただ従順なだけではない。ただ頼もしいだけではない。以前よりもさらに、ノエインの半身と呼ぶべき存在に、ノエインの全てを支える存在になっている。


 そして息子のエレオスは、政治的な意図が介入した結果とはいえ、数日後には将来の伴侶と婚約する。ついこの前まではまだ赤ん坊であったのに。


「開拓を始めた頃は、自分が歳をとったと実感する日が来るなんて思いませんでした」


「はははっ、ノエイン殿の若さで歳をとったなどと言われたら、私たちの立場がないな」


「ふっ、私も昔はいつまでも自分が若いと思っていたよ。年を重ねるほどに、さらに一年が短く感じられるようになるぞ。これから覚悟しておくのだな」


 フレデリックとアルノルドの言葉に、ノエインは苦笑で応える。


 十年ほどでこれだけ変わったのだ。次の十年で一体どれだけの変化が起こるのか想像もつかない。


 今までは未来ばかり見ていた自分が、気づけばそれなりに長い過去を抱えるようになっていた。それは少し切ない一方で、その切なさが積み重ねた人生の証だと思うと、不思議と心地よくもあった。

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