第349話 婚約披露宴

「エレオス・アールクヴィスト様。この度のマルグレーテ・ロードベルク王女殿下とのご婚約、誠におめでとうございます」


「お祝いのことばをいただき、お礼もうしあげます。このたびのひろうえんへのごさんれつ、ありがとうございます」


 無事に当日を迎えたエレオスとマルグレーテの婚約披露宴で、参列者の一人であるノア・ヴィキャンデル男爵から祝いの言葉を受け取ったエレオスは、ややぎこちないながらもそう答える。


 場所は王宮にいくつかある中庭のひとつ。今日は天気も良かったため、柔らかな日差しが降り注ぐ屋外での祝宴となっている。


「ほう、これはご丁寧に。この御年でこれほどの挨拶のご口上を述べられるとは、さすがはアールクヴィスト閣下のご嫡男であらせられますね」


「ははは、冬の間、何度も練習させましたから」


 驚いた様子を見せるノアに、ノエインは微苦笑しながら言った。


「いやはや、公世子殿もアールクヴィスト大公閣下のご才覚を受け継いでおられると見えますな。実に聡明なご様子でいらっしゃる」


「全くです。五歳でこれほどしっかりしておられるとは……アールクヴィスト閣下は子育ての才能もおありと見える」


 ノアとそう話すのは、トビアス・オッゴレン男爵とヴィオウルフ・ロズブローク男爵。皆、ノエインにとっては気心の知れた友人たちだ。


 彼らは三人とも隣国の君主であるノエインと個人的な伝手を持つことで、現在の王国の中堅貴族の中でも一目置かれる存在となっている。王家からも一応の重要人物として目をかけられており、今日の披露宴に招かれているのがその証左だ。


「あまり過分な評価をもらうのも照れますね。息子は好奇心が旺盛な性格で、私があまり構ってやれない中でものびのびと成長して、気がつけばこうなっていましたよ」


 ノエインにポンポンと頭を撫でられたエレオスは、きょとんとした表情で父を見上げている。


 そこから少し離れた場所では、マルグレーテが父オスカーと母イングリッドと共に参列者たちの挨拶を受けている。今日の主役であるエレオスとマルグレーテにとっては、次々に声をかけてくる大人たちに定型の挨拶を返すばかりの退屈な宴だろう。


「さてと……僕は少し席を外すよ、クラーラ」


「ええ。エレオスのことは私が見ておきますわ」


 傍らのクラーラにその場を預け、ノエインは移動する。その後ろにはマチルダが影のように付いている。


 ノエインが向かったのは、各派閥の盟主やそれに準ずる格の貴族家代表たちが集まっている一画だ。


「おお、アールクヴィスト大公閣下」


 ジークフリートがノエインに気づき、声をかけながら近づいてくる。ノエインもそれににこやかに応える。


「ベヒトルスハイム卿。先ほどは息子の拙い挨拶に付き合っていただき、ありがとうございました。あらためてご嫡女殿への挨拶をさせてください」


「これはご丁寧に。感謝いたします……エデルガルト」


「はい、父上」


 ジークフリートの後ろから進み出てきたのは、先ほどエレオスへの祝辞をもらった際にノエインと軽く会釈を交わしたエデルガルト・ベヒトルスハイム。ジークフリートの長子であり、次のベヒトルスハイム侯爵家当主となる女性だ。


 齢は三十代半ば。長男だが学者肌であった弟を置いて次期当主に抜擢されたというだけあって、その表情は自信に満ちている。容姿は美しいわけではないが、父親に似た強さと器の大きさを感じさせる。


「アールクヴィスト大公閣下。あらためて、この度はご嫡男とマルグレーテ殿下のご婚約、誠におめでとうございます。また、この場をお借りしてのご挨拶にはなりますが、私も今後はこうした場に出席する機会が増えると思います。どうぞよろしくお願いいたします」


「ありがとうございます。大公国元首として、ベヒトルスハイム侯爵家とますますの友好を育んで行けるよう願っています」


 そう遠くない将来の代替わりを明らかに意識したエデルガルトの言葉に、ノエインもそれを前提とした挨拶を返す。アールクヴィスト大公国に最も近いロードベルク王国北西部の派閥盟主となる彼女は、今後ノエインと、もしかするとエレオスとも長く関わることになる要人だ。


 その後もノエインは、マルツェル伯爵家の嫡男、シュヴァロフ伯爵家の嫡男、シュタウフェンベルク侯爵の名代として参列している侯爵夫人、ビッテンフェルト侯爵の名代を務める嫡男、そして盟主級の貴族では唯一本人が参列している、まだ少年のガルドウィン侯爵らと挨拶を交わしていった。アールクヴィスト大公家当主として。


「……ただいま」


「お疲れさまでした、あなた」


 立て続けの挨拶がひと段落し、疲れた表情で妻と息子のもとに戻ったノエインを、クラーラが優しい微笑で出迎えた。


「ありがとう。挨拶はまだまだ残ってるけどね……自分の結婚式のときにアルノルド様たちを見て知ってたつもりだけど、祝いの宴というのは主役の親も大変なものだね」


「家と家の結びつきを祝う場ですものね。ある意味では、嫡子より現当主こそが真の主役ですわ」


 挨拶を交わすのは親しい貴族や盟主格の重要な貴族だけではない。アールクヴィスト大公に名前と顔だけでも見知り置いてもらいたいと考える宮廷貴族や地方領主貴族は多く、ノエインは一休みしたらこの後も様々な人物の挨拶を受けなければならない。今後どこでどんな縁があるか分からないので、名前と顔もできるだけ憶えなければならない。


 些細な話から情報を得られることもあるし、逆に情報を取られることもある。当たり障りのない雑談の中でも気を抜くわけにはいかない。


 たとえ祝われる立場での参加だろうと、貴族にとって社交は仕事であり戦いだ。だからノエインは社交の場が正直好きではない。臣下や臣民と違って自分を好いていない者たちとの、腹の内を探り合いながらの談笑など、楽しいわけがない。


「失礼、アールクヴィスト大公閣下」


 そこへまた、ノエインに声がかけられる。


 聞き覚えがあるが、記憶にあるよりも落ち着いた響きの声にノエインが振り向くと、そこに立っていたのは異母弟のジュリアン・キヴィレフト伯爵だった。


「……これはこれは、キヴィレフト卿」


 彼が参列しているのは知っていたが、間近で会った印象は以前とは大きく違う。おどおどして見るからに頼りなかった頃の面影はほとんどない。少なくとも見た目の上では。


「ぜひ直接ご挨拶をさせていただければと思いまして。この度はご嫡男エレオス様のご婚約、誠におめでとうございます」


「ご丁寧にありがとうございます……ほら、エレオス。このジュリアン殿は僕の弟、君の叔父さんだ」


 そう言ってノエインがエレオスを呼び寄せ、挨拶をさせると、ジュリアンは少し驚いた表情を見せる。


「閣下、よろしいのですか? このような人の耳の多い場で」


「いいさ。もう誰に聞かれても問題ないだろう。僕の出自を隠したがっていた父も、もういないんだ」


 一応声を潜めた弟の問いかけに、ノエインは口調を崩して、ごく普通の声の大きさで答える。


 最早自身がマクシミリアンの黒歴史だと知られても不都合はない。むしろ、アールクヴィスト大公家の伝手がロードベルク王国南東部にも存在すると仄めかすことが、王国貴族たちへのけん制になる。ノエインはそう考えている。


「ありがとうございます、兄上」


「礼はいらないよ。それよりジュリアン、当主として随分と成長したようで驚いたよ。見違えたね」


「ははは、どうにかこうにか、見かけの態度くらいは取り繕えるようになりました。まだまだ学ぶことの多い身ですが」


 穏やかに笑うジュリアンに、ノエインも微笑みを返してやる。この調子であれば、今後兄弟として真の信頼関係を築き上げ、貴族家当主として協力し合える日も来るかもしれないと考える。


「今日は妻と息子も連れて来ているので、ご挨拶の時間をいただきたく……ブリジット。チェスターを連れてこっちにおいで」


 ジュリアンが呼び寄せると、相変わらず純朴そうな雰囲気のキヴィレフト伯爵夫人と、彼女に手を引かれた、以前見たときよりも成長した息子――ノエインにとっては甥にあたる少年だ――が歩いてくる。


「お久しぶりですね、キヴィレフト伯爵夫人。ご子息も大きくなられた」


 ノエインにとって弟一家との歓談は、忙しい宴の中では貴重な、気楽でいられるひとときとなった。


・・・・・


 エレオスとマルグレーテの婚約披露宴が無事に終わった翌日。ノエインは次の仕事――ある意味では今回の本命の用事とも言える、オスカー・ロードベルク三世との会談に臨む。


 表向きには婚約に際しての祝いの品の贈呈と、私的な挨拶のため。しかし実際の目的は、アールクヴィスト大公国で発見された帝国時代の遺跡と攻撃魔法の魔道具について話し合うことだ。


 ノエインが招かれたのは、王家から見て最重要の賓客を迎えるための豪奢な一室。これにはノエインが一国の君主であるという理由のみならず、重要な部屋だからこそ厳重に警備しやすく、密談に向いているという事情もおそらく含まれている。


「さて、それではアールクヴィスト大公よ。婚約祝いの品とやらを早速見せてもらおうか」


「はい。陛下も大変お楽しみにされていたことと存じますので、直ちにご覧にいれましょう」


 冗談めかして言ったオスカーに、ノエインも少々おどけながら答える。口ではこう言いつつ、これが何のための会談で、ノエインの持って来た品が何なのかは両者とももちろん理解している。


「シェーンベルク士爵」


「はっ」


 ノエインの護衛と魔道具の運搬のために随行しているペンスが、細長い木箱を机上に置く。ペンスが木箱の蓋を開けると、中には赤く輝く貴石を頂点に据えた、複雑な意匠の杖が収められている。


「……ほう、確かに攻撃魔法の魔道具のようだな」


 それを見たオスカーは、目を鋭く細めながら呟いた。

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