第344話 思わぬ発見①

 アールクヴィスト大公国は東西と南北にそれぞれ十五キロメートル程度の領土を持つ小さな国だが、国内で人が居住する地域はいくつかに分散されている。


 中核を成すのが公都ノエイナ。他に、北のレスティオ山地の麓には鉱山開発の拠点であり、今後はレーヴラント王国との貿易の玄関口になる小都市キルデが。公都の西側にはランセル王国側の玄関口として、こちらも小規模ながら要塞都市であるアスピダがある。


 それ以外に、開拓途上の農村が四か所。これらは将来的な人口と農業生産拠点の分散のためにノエイン・アールクヴィスト大公が作らせたもので、現在も移住や開墾が奨励されている。


 そんな開拓村のひとつが、公都ノエイナから南西方向に一時間ほど進んだ地点にあるラガラ村だ。人口一〇〇人ほどのこの小村は、今のところアールクヴィスト大公国で最南端の人里となっている。


 公歴三年の三月初頭。そのラガラ村に住む一人の少年が、森で道に迷っていた。


「どうしよう……」


 例年より少し早く春がやって来たこの時期、森の恵みを採集するために森に踏み入った少年は、つい欲が出て、村民たちが採集の際に利用する獣道を大きく外れてしまった。


 普段は人の出入りがない辺りで、手つかずの木の実や山菜の採集に夢中になり、気がつけばどの方角を見回しても帰り道が見当たらなかった。空を見上げても今日は曇り。どちらが村の方角か見当もつかない。


 途方に暮れながら森をさまよう少年は、


「……あれ、何だここ?」


 森の中にあるはずのない、朽ち果てた建造物を見つけた。


 ・・・・・


 公歴三年の四月には、ロードベルク王国の王都リヒトハーゲンでエレオス・アールクヴィストとマルグレーテ・ロードベルクの婚約披露宴が予定されている。


 まだ婚約を公表するだけの披露宴ではあるが、それなりに準備すべきこともある。


 例えば、エレオスの挨拶の練習。披露宴には格の高い貴族が集まるので、彼らに対してエレオスが挨拶の口上を諳んじられるように指導する。礼の仕方なども練習させる。


 まだ今年で五歳の子供に厳格な儀礼が求められることはないが、形だけでもちゃんとした挨拶ができれば、周囲から将来有望な少年と見られて得になるのだ。


 その他にも、披露宴でエレオスに着せる儀礼服作りもある。


 オスカーからの親書には間に合わなければ王家の服を貸してやると言われたが、そこはアールクヴィスト大公家も一国の君主家。意地でも自前で衣装を用意するために、公都ノエイナに店を構えるお抱えの仕立て屋に依頼していた。大金を積んで急がせているおかげで、出発の日までには余裕を持って仕上がる予定だ。


 そして、情報収集。


 ロードベルク王国の中を通り、ロードベルク王国の貴族たちと披露宴で顔を合わせるのだ。ここ一年半ほどはほとんど国内に籠って過ごしていたノエインは、近年の自身と大公国のロードベルク王国での評判を、昨年の秋から今年の初春にかけて簡単に調べていた。


 国外の商人とその護衛の傭兵たちが滞在する宿や、彼らが出入りする酒場や料理屋の店主たち。御用商人フィリップの経営するスキナー商会。そして、外務長官バート・ハイデマン士爵とその部下たち。そうした者たちの情報網を駆使すれば、少し本腰を入れるだけで様々な話が聞こえてくる。


 それらをまとめた報告を、ノエインはバートから受け取っていた。


「……ひとまず全体の印象としては、ノエイン様の独立前の評判が、そのままアールクヴィスト大公国の評判として引き継がれている感じですね」


 屋敷の会議室。ノエインとマチルダ、そして同席する側近ユーリに対してバートが報告するのは、ここ最近で集められたアールクヴィスト大公国についての風評だ。身内ばかりの場ということもあって、室内には気安い雰囲気が漂う。


「そのまま引き継がれてるってことは、やっぱり今も好評から悪評まで色々あるんだ?」


「そうですね。特に昨年の晩夏にはワイバーン討伐を成し遂げられましたから、否定的な評判でも、ノエイン様の実力やアールクヴィスト大公国の豊かさに関しては認めている声が多いんですが……どうしても皮肉が混ざっていて」


「へえ、具体的には?」


「……では、聞こえた噂をそのまま申し上げますね。まず、良い評価としては、大公国については『この世の楽園』『王国の小さな友』など。ノエイン様についても『稀代の名君』『王国の盟友』『文武両道の英雄』といった言葉が並んでますね」


「あははっ、建国から一年足らずでもう名君の英雄扱いか。少し気が早いね」


 名君という評価は、普通は後世の歴史家が下すものだ。調子のいい話にノエインは笑いをこぼす。


「そして、悪い方の評価ですが……大公国については『成金国家』『金の流れるドブ川』『悪魔が治める天国』などが。ノエイン様については『強欲小僧』『ベゼルの悪魔』あとは単に『気狂い』などというものも。最近は『トカゲ殺し』などとも呼ばれているようです。このあたりになると、単なる陰口ですね」


 右隣に座るマチルダが、怒りからか拳を強く握りしめる気配をノエインは感じる。


「金の流れるドブ川、か……アールクヴィスト大公国が中継貿易で利益を上げていることへの皮肉なんだろうが、勝手な話だな」


「そうだねえ。悪口を言ってる北西部貴族たちも、大抵はその貿易に関わって川下でドブ攫いをしてるくせにね」


 ユーリが不愉快そうに言う一方で、ノエインは自分たちへの悪評を気にした風でもなくヘラヘラと笑う。


「でも、なかなか洒落の利いた仇名もあるね。『悪魔が治める天国』なんてよく考えたものだよ。最初に言い出した人に会えたら褒めてあげたいね。それと『ベゼルの悪魔』っていうのもなかなか良い。今度からロードベルク王国での僕の肩書に使おうかな」


「……ノエイン様。そこは一応は怒りませんと」


 呆れながら呟くバートに、ノエインは尚も笑いながら首を振る。


「僕が怒っても仕方ないよ。さすがに他所での評判まで変える力はないし、そもそもそういうことを言う貴族たちから距離を取るための独立でもあったしね。そんな幼稚な悪評は放っておいて、粛々と貿易を進める方がいい……そのうち、彼らも悪魔の靴を舐めてご機嫌をとらないといけなくなるだろうし」


 そう言いながらさらに楽しげに笑みを深めるノエインを見て、ユーリとバートが小さく嘆息する。自分たちの主君はこういう人間だと半ば諦めるように。


「失礼します、閣下。急ぎの報告です」


 そのとき、会議室の扉がノックされた。呼びかける声は親衛隊長ペンス・シェーンベルク士爵のものだ。


 急ぎの報告、という言葉に内心で少し驚きつつも、ノエインはペンスに入室を許可する。室内に入ったペンスは軽く敬礼し、そこにいる面々を見回し、この面子ならそのまま話しても問題ないと思ったのか口を開いた。


「大公国領土の南の方で、ちょっとした……というと嘘になりますね。それなりに大きな問題でさぁ」


「前回は北のキルデで、今回は南か。それで、今度は何があったの?」


 微妙な顔で報告するペンスに、ノエインは尋ねる。


「実は……見慣れない廃墟が発見されたそうで。ラガラ村から更に南西に何キロか進んだ辺りです」


「廃墟?」


「はい。森の中に古びた建物がいくつか建っていたらしいです。見た感じでは何かの作業場とその倉庫じゃないかと。相当に古いもので、百年単位で放置されてたように見えるとかで……廃墟というより、もはや遺跡ですね」


 何とも妙な話に、ノエインは少し首をかしげた。


「百年単位というと、小国乱立時代のものか?」


「……あるいはもっと昔の、古の大国の時代のものかもね」


 ユーリの呟きにノエインが返すと、その場の全員が小さく息を呑む。


 現存する文献が少ないので不明な点も多いが、古の大国は現代よりも何段か進んだ技術や知識を持っていたとされている。


 その時代の建造物が、数棟程度の小規模とはいえ手つかずの状態で発見されたのなら恐るべきことだ。中に残っているもの次第では大きな騒ぎになる。


「ペンス、その遺跡が見つかった経緯は?」


「村の子供が森で迷って歩いてるうちに遺跡を発見して、翌日に太陽の方向を頼りに自力で村まで帰ってきたらしいです。それで、村長が村の男たちを率いてその子供から聞いた方角に進むと、確かに遺跡があったと。ついさっき村長から軍に報告が入ったので、今はひとまず親衛隊を一班派遣してます」


 親衛隊が見張っているのであればとりあえず現場の保全は大丈夫だろう。そう思ってノエインは安堵する。


「とりあえず現場を見た方が良さそうだね……マチルダ、それとユーリも一緒に来てほしい」


「かしこまりました」


「了解だ」


「それとペンス、ヘンリクに馬車を用意するよう伝えて。大公家の馬車と、遺跡から何か運び出すことになるかもしれないから荷馬車も二台……いや三台お願い」


「了解でさぁ」


「あと、クラーラにも迎えを手配して。今は学校の方に出てるはずだから」


「奥方様もですか?」


 意外そうな表情で尋ねるペンスに、ノエインは頷く。


「クラーラは歴史に詳しいからね。古典語の文字も少し読めるはずだし。遺跡を調べるときに彼女の知識が欲しい」


「……なるほど。それじゃあ親衛隊から迎えを出します」


 納得した様子で答え、ペンスは退室していった。


 ノエインも出発の準備に向かうために立ち上がりながら、バートの方を見る。


「ごめんねバート、せっかく報告の途中だったのに」


「大丈夫ですよ。俺の報告はほぼ終わってましたし。それに、さすがにその遺跡の件が優先事項でしょう」


「ありがとう。それじゃあ今日はご苦労様」


 気にした風でもなく笑うバートに見送られ、ノエインたちは会議室を出た。

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