第十四章 新発見と決着

第343話 政略婚約

「……ついに来たか」


 王歴二二一年、公歴二年の十一月下旬。ノエインは羊皮紙を開きながら、口の端を歪めて呟いた。


 羊皮紙はオスカー・ロードベルク三世から届いた親書だ。そこに書いてあるのは親愛なるアールクヴィスト大公へ云々。大公国の繫栄に喜びの意を示す云々。ところで汝の子息エレオス・アールクヴィストは来年で五歳になることと存じている云々。ついては以前に交わした約束について云々。


 要するに「俺の娘とお前の息子の婚約披露宴を開くぞ」という意向が記されている。


 元々、ノエインの嫡男エレオスとオスカーの末子マルグレーテの婚約は内定していた。オスカーの配慮で、エレオスが婚約や結婚についてある程度理解できる五歳頃までは正式な婚約発表を待とうという話になっていたのだ。


 そして、来年にはエレオスは五歳になる。このタイミングでこういう親書が来たことは別に不自然ではない。


 だが、そこに記された婚約披露宴の日取りは来年の四月の初旬。二国の君主の子供が婚約するとなれば披露宴にもそれなりの顔ぶれが集まることだろう。地方の大貴族たちは、冬明け早々に王都に向かう羽目になるはずだ。


「オスカー陛下も焦っておられるようですね」


 そう言ったのは、ノエインの妻クラーラだ。二人は屋敷の食堂で、テーブルに広げた親書を並んで覗き込んでいる。


 なぜ食堂で親書を広げているかと言えば、今日が一家団欒の休日で、ノエインがこれを受け取ったのが居間だったからだ。


 隣国の王からの親書となればさすがにすぐ確認しないわけにはいかず、開いてみたら内容的にエレオスの婚約に関することのようだったので、ひとまず居間のすぐ隣の食堂に場所を移し、現在に至る。


 エレオスも親に似たのか年の割には聡明だ。自分の話をされていれば分かる。幼い息子の前でその政略結婚の話をあれこれする気にはなれなかった。


 当のエレオスは居間で妹のフィリアと遊んでおり、マチルダが二人の面倒を見てくれている。


「だね。まあ、オスカー陛下の気持ちは分かるけどさ」


 ノエインは小さく嘆息しながらクラーラに答えた。


 いくらエレオスが五歳になる年とはいえ、冬明け早々に婚約披露宴を開くことからは明らかにオスカーの焦りが見て取れる。内々の約束ではなく、公に婚約の事実を作ってしまいたいという焦りだ。


 その裏にあるのは、アールクヴィスト大公国とロードベルク王国の繋がりが極めて強い今の内に、その繋がりをさらに強めておきたいという思惑。


 今でこそロードベルク王国はアールクヴィスト大公国の宗主国のような立ち位置にいるが、将来は分からない。大公国は貿易の本格始動に合わせてランセル王国との繋がりも日に日に強めているし、付き合いやすさという点では、国の規模が近く対等な関係を築きやすいレーヴラント王国の方が上だ。


 だからこそ、大公の嫡男と末子の王女をとっとと婚約させてしまいたい。そうなれば少なくとも次代までは大公国と極めて近しい関係を維持することができ、貿易の要所をロードベルク王国側に繋ぎ止めることができる。


「別にいいんだけどさ、色々隠そうともしてないよね。祝いの品の用意が間に合わなくてもいいからとにかく期日までに来てくれとか。エレオスの衣装が間に合わないなら王子たちのお下がりを貸してやるとか」


 婚約の内定は取り消される可能性もあるが、公表された婚約の解消はよほどのことがなければ起こらない。春先に早々に披露宴をやってしまえばオスカーの勝ちだ。とにかく今のうちに勝っておきたいオスカーの意思が、親書から伝わってくる。


「決まっていたことですし、もちろんこのお話をお受けすることになるのでしょうけど……エレオスにも話さなければいけませんね」


「そうだね。細かい話や披露宴に向けた指導は冬の間にやっていくとして、とりあえず今のうちに簡単な事実を伝えておこうか」


 ノエインとクラーラは居間に戻る。ソファではエレオスが図鑑を開き、隣に座っているまだ赤ん坊の妹フィリアに読み聞かせていた。フィリアはエレオスの話す内容は分からないだろうが、挿絵の多い図鑑を興味深そうに眺めている。


 その隣では、フィリアがソファから落ちたりしないようにマチルダが見守っている。


「あっ、父上、母上、おかえりなさいませ」


「ただいま、エレオス」


「フィリアと遊んであげて偉いわね」


 両親が仕事の話を終えて戻ってきたのを見て、エレオスは嬉しそうな顔を見せる。


「はーうえ。こっこ。こっこ」


 その隣ではフィリアがクラーラに向かって両手を伸ばし、抱っこを求めていた。まだまだ母親に抱かれていたいお年頃だ。


 クラーラはフィリアを抱き上げ、マチルダにそっと耳打ちする。親書の内容を彼女にも伝えているのだろう。


 そして、ノエインはテーブルを挟んでエレオスの向かい側に座った。以前は居間にひとつのソファしかなかったが、家族が増えた現在は二つある。


 クラーラから事情を聞き終えたらしいマチルダはノエインの隣に移り、クラーラはフィリアを抱いたままエレオスの隣に座る。


「エレオス、父さんと大事なお話だ」


「はい、父上」


 ノエインに言われて、エレオスは図鑑をテーブルに置き、父親の方を向く。


「去年の建国式のときに、ロードベルク王国のオスカー陛下がご家族を連れていらっしゃったのは憶えてる?」


「オスカーへいか……マルグレーテのお父さんですか?」


「そうだよ、その人だ」


 そっちで憶えていたか、とノエインは思った。ロードベルク王家の一行が来訪したとき、エレオスは初対面のマルグレーテとそれなりに仲良く接し、自分の持っている本を見せたり、一緒におやつを食べたりしていたと聞いている。


 少し仲良くなった女の子のお父さん、という形でオスカーのことを憶えていたのはかえって都合がいい。むしろ、マルグレーテをメインに憶えてくれていて助かったくらいだ。


「そのオスカー陛下と僕が話し合って決まったことなんだけどね、マルグレーテとエレオスは婚約することになった」


「こんやく?」


「結婚の約束のことだよ」


「ってことは、ぼくとマルグレーテはけっこんするんですか?」


「そうだよ。二人が大人になってからだけどね」


 エレオスはきょとんとしているが、話の意味が理解できないのではなく、突然のことでまだよく飲み込めていないだけだろう。


 例えば、ノエインとクラーラが結婚していて夫婦だということはエレオスも理解している。ユーリとマイ、ペンスとロゼッタ、キンバリーとヘンリクなど、普段から屋敷に出入りする身近な夫婦も見ている。結婚が「男女が家族になること」というのはエレオスにも何となく分かるはずだ。


「ふうん……」


「エレオス、マルグレーテのことはどう思う?」


「一回しかあそんでないけど、マルグレーテはいい子です。やさしいし、かわいいです」


「それじゃあ、マルグレーテがエレオスのお嫁さんになるのは?」


「うれしいです」


「それは良かった」


 ノエインは素で安堵した。エレオスの隣ではクラーラがホッと息をついた。ノエインの隣にいるマチルダも、少し肩が下がったのが分かる。


 まだ子供の仲良し程度の話ではあるし、前回会ったときは年長で王家の教育を受けているマルグレーテがエレオスに合わせてくれた部分もあるのだろうが、ひとまずこの段階で不仲ではない。出だしで躓いてないのは幸いだ。


 立場上、継嗣に完全な自由恋愛での婚姻などさせられないのは分かっているし、エレオスが物心ついたときから彼自身にもそのことを言い聞かせていたが、それでもノエインも一人の親だ。嫌がる我が子に無理やり結婚相手を宛がうような真似は避けたい。


「それでね、エレオス。君とマルグレーテは大人になったら結婚する、ということを、皆でお祝いするための集まりが開かれることになったんだ。来年の春にね」


「ぼくとマルグレーテのおいわい? けっこんは大人になったらなのに、ですか?」


「そうだよ。そうやって、君たち二人が将来結婚することを皆に知らせるんだ」


「みんなはぼくとマルグレーテがけっこんのやくそくをしたことを知りたいんですか? どうしてですか?」


「うーん、どう言えばいいかな……」


 疑問に感じるのも無理はない、と思いながらノエインは苦笑する。


「エレオス、君は大きくなったらどうなるのかな?」


「父上のあとをついで、ぼくが次の大公になって、あーるくびすと大公国をおさめます」


「そうだね。君はこれから偉くなる人だ。その人のお嫁さんがどんな人になるかは、皆が気になるんだよ。君のお嫁さんは、今のクラーラの立場……大公国の公妃様になるからね」


 教育上、ノエインはエレオスの立場について説明するとき、生まれながらに偉いのではなく「これから偉くなる」と言い聞かせている。彼が自身の立場や責任を真に理解できるようになるまでは、そういう言い方をすると決めている。


「そして、マルグレーテはオスカー陛下の、ロードベルク王国で一番偉い王様の子供だ。そんなマルグレーテが将来どんな人と結婚するかも、やっぱり皆は気になるんだ。皆の気になってるエレオスとマルグレーテが結婚すると決まったから、集まってたくさんの人に知らせる。そうすると、皆が安心できるんだ」


「……? なるほど」


 エレオスは分かったようないまいち分からないような顔で、しかし腕を組んで頷いて見せた。おそらくは大人の真似のつもりだ。


 一度の説明で全部を理解するのは難しいだろう。今は「エレオスとマルグレーテが結婚の約束をして、来年の春にそのことを祝う」と分かってくれれば十分だ。そう考えながらノエインは微笑む。


「だから、冬が明けたらロードベルク王国の王都リヒトハーゲンに行くよ。普段は仕事で僕とマチルダだけが行ってるけど、今回は家族皆でね」


「りひとはーげん! ぼくも行けるんですか!?」


 そこで、エレオスは目を輝かせながら前のめりになるという、今日一番の好反応を見せた。それを見たノエインたちは小さく吹き出す。


 ノエインはリヒトハーゲンに行った際はいつも大量の土産を買って帰り、見聞きした珍しい物事をエレオスにも語って聞かせてきた。ノエイナよりもレトヴィクよりも何倍も大きいというリヒトハーゲンに、エレオスはいつも興味津々だった。


 そこへついに行けるのだから、興奮するのも無理はない。「マルグレーテとの結婚の約束」という複雑な話よりも、よほど楽しみなのだろう。


「そうだよ。だけどあくまで用事があって行くわけだから、それは忘れずにね。披露宴に向けてまた挨拶の練習もしないといけないかな」


「分かりました! がんばります!」


 実際の目的はともかく、エレオスが披露宴に向けて前向きな気持ちになってくれたことについて、ノエインたちは一安心した。

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