第332話 自由と道徳②

「――よって、人の心を腐らせるこのような邪悪な物は、神の炎によって浄化されるべきである。神の光がもたらしたこの炎は――」


「なんでだよ! なんで焼いちまうんだよ!」


「黙れ! こんな下品なものを書きおって、この恥知らずが!」


「ああ……せっかく書いたのに……頑張って考えたのに……」


「泣くのはおよし! あんたなんか一家の面汚しだよ!」


「おい、何もそこまでしなくても……」


「部外者は黙ってろ! これは家族の問題なんだ!」


 当事者から野次馬まで、悲観に暮れる泣き声から怒声まで、様々な立場の様々な声が入り混じる現場に入り、マイは声を張った。


「静かにしなさい! これは何の騒ぎ!?」


 戦いから離れて久しいとはいえ、マイもかつてはそれなりに場数を踏んだ傭兵だった。その鋭い声には、群衆を黙らせる程度の威力が十分にある。


「ぐ、グラナート準男爵夫人!」


 マイの声を聞き、その姿を確認した野次馬たちが慌てて頭を下げる。暴発を防ぐために立っていた衛兵が敬礼の姿勢をとる。


 そして、庭で揉めていたダニエラたちも、さすがに紙を焼いたり言い合ったりするのを止めてマイの方を向いた。


「ダニエラさん、あなたの家の敷地に入っていいかしら?」


「……もちろんです。どうぞお入りください。グラナート夫人」


 貴族は必要があれば家に入れるよう平民に命令できるが、マイはダニエラの感情を極力害しないために、あえて許可を取ってから庭に入る。


 紙を焼く現場の目の前まで来て――ため息が出そうになるのを堪えた。そこで行われていたのは、ミレオン聖教における「浄化の儀式」だ。


 地面に簡単な魔法陣を描き、その上で悪いものを燃やせば、それは神の祝福を受けて浄化される――という儀式。古くは死刑になった罪人の死体を焼く際の儀式として始まり、今では破談になった婚約の相手からの贈り物を焼却したりと、縁起の悪いものを処分する際にも気軽に行われる。


 性質上、この儀式で焼かれるのは「この世に残っていては、個人や社会に悪影響をもたらすもの」だ。人の創作物を燃やすために行うのは、かなり趣味が悪いと言える。


「……一応、何をしていたのか聞かせてもらうわ」


「ご説明いたします。まず、私と友人たちは、我々の子供や身内の若者が昨今の創作の流行の中で書いている物語や詩を調べました。責任ある大人として、対話や助言の必要があるかを知るためにです。その結果……度を越した内容の創作物がいくつも見つかりました」


 成人前の男女の恋模様を、接吻などの直接的な描写も含めて描いた恋愛物語。盗みを正当化するような、悪徳商人から奪った金を貧民にばら撒く正義の盗賊の物語。明らかに暴力描写を娯楽の一環として扱っている、激しい戦いの物語。


 そうした「邪悪な創作物」が見つかったと、ダニエラは語った。


「このようなものが若年層の手元にあっては、私たちの子供や、次代を担う若者たちの心は腐ってしまいます。成人前に遊び半分で男女の関係を結んだり、盗みに走ったり、残虐行為への興味で誰かを傷つけてしまうことさえあるかもしれません。そのような事態を防ぐために、私たちは浄化の儀式を行っているのです。これは私たちの家族を守るための行動です」


 ダニエラはマイを真っすぐに見つめて、真剣そのものの口調で言い切った。マイは彼女の目を見返して、彼女が本気で家族のためを思って浄化の儀式をしていることを理解する。


 彼女の言わんとすることは分かる。気持ちも分かる。だからこそ、何と説くべきか悩む。


「……まず、身内にどんなかたちで教育を施すかは各家族の問題なので、あなたたちの浄化の儀式そのものを咎めることは、私はしないわ」


 準男爵夫人のその言葉に、自らの創作物を焼かれてしまった子供と若者たちは一層泣き、あるいは諦めたように項垂れる。


 マイは創作のことなど分からないが、苦労して作ったものを燃やされれば悲しいというのは理解できる。が、今のマイには彼らにかけてやれる言葉はない。


 今のところ、ダニエラは自身の家の庭で浄化の儀式をしていただけだ。燃やしていたのはただの紙であり、自身の家族のものだ。他の者たちについても同様に、家長が自分の家のものを焼くと決めて焼いただけだ。


 そのこと自体については、マイが口を出す筋合いはない。貴族だからといって大公国民の家庭生活に口を出すのは褒められることではない。


「だけど、これだけの騒ぎを起こしたことについては、民の生活の安寧を守るために一定の責任を持つ婦人会長として、苦言を呈させてもらうわ。周囲の住民たちが何事かと集まって、衛兵まで出ている。公都ノエイナでこのような騒ぎが起こるのは良いことではないと、あなたなら分かるでしょう」


「……はい。その点につきましては、私の配慮が欠けておりました。申し訳ございません」


 マイの苦言に、ダニエラは素直に頭を下げる。


 彼女は決して悪い人間ではないのだ。むしろ善人と言える。今回の行為も彼女の正義感から始まったものだ。


 ただ、元は南西の都市部の従士家の生まれだという彼女は、争いを知らずに比較的高度な教育を受けて育ち、そのためにやや潔癖な考え方を持っているだけなのだ。だからこそマイもこの件で悩むことになる。


「……それで、あなたはその考えを、他の人たちにも広めたいと思っているのよね? 若者や子供たちが不適切で邪悪な創作を行うのを禁じるべきだという考えを」


「もちろんです。私の行いは、アールクヴィスト大公国の次代を担う者たちの、健全な成長のためになると信じております」


「それじゃあ、アールクヴィスト閣下に上申してはどう? あなたの考えを伝えて、閣下の名のもとに若い世代の創作について一定の規制がなされるよう求めるの」


 民は自身の暮らす地を治める為政者に要望がある場合、上申というかたちでそれを伝えることができる。


 大きな揉め事の裁定や、不作の際に税を減免してもらう嘆願、さらには街道に魔物や盗賊が出た際の排除を求めることまで、民が為政者に頼りたい旨を伝える内容であればどんなものでも届けられる。為政者がそれを聞いてくれるかは、内容や為政者自身の性格によるが。


 そして、ノエイン・アールクヴィスト大公は自身の民に優しい為政者なので、妥当な内容の上申だと判断すれば必ず手を差し伸べてくれる。


「そこまでことを広げるのなら、有力者とはいえ一平民であるあなたの領分を超えるわ。アールクヴィスト閣下への上申でご理解をいただいて、お力をお借りするべきよ。優先的に閣下に伝わるよう私が口添えしてあげるから、正式に上申の書状をしたためることを強く勧めるわ」


 穏便に「強く勧める」とは言ったが、これは実質的に「自分の身内の枠を越えて動くのであれば、アールクヴィスト大公の理解と許しを得ろ」というマイからの命令だ。


「……かしこまりました。では、明日にも書状での上申をさせていただきます」


 ダニエラもそれが分かっているので、素直に頷いた。


・・・・・


「……それで、こんな上申書が上がってきたわけか」


 マイから直接受け取ったダニエラの上申の書状を読み、事の詳細を聞きながら、ノエインは呟いた。


「申し訳ございません、ノエイン様のお手を煩わせることになってしまって……ここまでの騒ぎになる前に、もっと早くご報告するべきでした」


「マイが謝ることないよ。まさかそんなことになるなんて思わなかっただろうからね。話を聞いて僕も少し驚いたし」


 頭を下げるマイに、ノエインは怒っていないことを示すために微笑みかけながら首を振る。


 若者や子供たちの間で創作が流行り始めていることはノエインも報告を受けて知っていたし、そのこと自体は喜ばしく思っていた。


 マイによると、この流行についてダニエラが問題を提起したのが二週間前。この程度の内容であれば、次回の重臣たちとの定例会議で報告を受ければ済むはずだったのだ。騒ぎが起こって兵士が様子を見に出るような事態になるとは、誰も思うまい。


「それにしても、浄化の儀式で創作物を焼くとはね……可哀想に」


「現場に出た兵士からの報告では、火の扱い等については問題なかったそうだ。儀式を行った当事者たちと野次馬たちの間で多少の言い争いのようなことは起こったものの、暴力沙汰にまではなっていない」


「ってことは、誰も何かの罪を犯してはいないわけか」


 様子を見る程度とはいえ一応は兵士が出動する事態が公都ノエイナ内で起きたということで、マイとともに報告に来ていたユーリの言葉に、ノエインは微苦笑を浮かべながら返す。


「それでノエイン様、ダニエラの上申の内容についてですが……」


「そうだねぇ。とりあえず、受け入れることはできないかな」


「……やっぱりそうですよね」


 ノエインの答えが予想通りだったのか、マイも、隣に立つユーリも、特に驚かない。


 幅広い書物を収集したり、ノエイナ劇団の公演にも度々足を運んだりと、ノエインは文化芸術を愛している。あまり貴族らしい派手な遊びをしないノエインが、唯一熱心に取り組む趣味と言ってもいい。


 そんなノエインに言わせれば、せっかく自国内で育ち始めた新たな文化の芽を摘むことなど、承諾できるわけがない。


「マイはこの件についてどう思う? ダニエラの言うことは理にかなってると思う?」


「……いえ、思いません」


 試しにノエインが尋ねると、マイは少し考える表情を見せた末に答えた。


「一見すると尤もらしく聞こえますし、物語や詩が人の考えにまったく影響を及ぼさないかと言われれば……多分違うんでしょうけど。でも、人はそんな単純な生き物ではないはずです。こうした創作物の一部を、内容が過激だからと禁じても、それで若い世代の教育を成したことにはならないと考えます」


「そうだね、僕もそう思うよ。直接的に『人を殺すべきだ』『商人を襲って物を盗むべきだ』なんて思想を文章にして訴えてるならともかく、空想の物語としてそうした描写を禁じるのは無意味だ……ユーリはどう思う?」


「俺もマイと同意見だな。人が殺しや盗みに走るのは物語に憧れたときじゃない。怒りや憎しみを押さえきれなくなったときか、金や食う物に困ったとき。あとは、力で人の財産を奪う方が真面目に働くよりも楽だと考えてしまったときだ。なら、俺たち大人がやるべきなのは創作を禁じることじゃない。恨みで人を殺しては駄目だと教え、金に困らず生きるための術を身につけさせ、真面目に働くことの大切さを説くことだ」


「ふふっ、さすがだね。今の言葉、僕がエレオスとフィリアに道徳を教えるときの心構えにさせてもらうよ」


 父親としては、ノエインよりもユーリの方が何年も先輩だ。確かな説得力を持った彼の言葉を聞いて、ノエインは満足げに頷いた。


「それは恐縮だな」


「では、ダニエラの上申は却下ということで彼女に伝えますが……」


 マイの確認に、ノエインは少し考えて答える。


「……いや。ただ却下だと伝えても、ダニエラは不服に感じるだろうからね。民との間に誤解を抱えて、彼女たちの家族の中にも軋轢を残すことになりかねない。僕が直接話す場を作るよ」

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