第331話 自由と道徳①

 アールクヴィスト大公国の娯楽と文化芸術の担い手として、拠点設立から一年で大きな存在感を示すようになった大公立ノエイナ劇団。


 当初は十五人から始まったこの劇団は、今では大公国民からも裏方の人材を雇い、さらには役者としての入団希望者も数人迎え、規模を増しながら公演を続けている。


 公演の内容は、君主であるノエイン・アールクヴィスト大公の功績を讃える大がかりな演目から、数人の役者で演じる喜劇や恋愛劇などの娯楽性が高いものまで様々。いずれも国民たちから好評を博している。


 そして、このノエイナ劇団と並んでもうひとつ、主に子どもたちの文化的教養を育てる役割を果たしているのが、大公立ノエイナ高等学校に置かれた図書室だ。


 ノエインとクラーラが収集している書物の中から、物語本や詩集、歴史書などの写本が作られて並び、在籍する生徒の中にはこれらを熱心に読む者も多い。当初はほんの数冊だった蔵書は五十冊以上にまで増えており、子供たちの知的好奇心を満たし続けてきた。


 演劇と書物。これらから創作物の魅力を知った子供や若者の間で、ある流行が生まれた。既に存在する物語を消費するだけでなく「自ら物語を作る」という流行だ。


 最初は数人の若者たちの遊びとして王歴二二〇年の夏頃に始まり、それは多くの者が暇を持て余す冬に爆発的に広まった。自作農家や商家、職人家の十代と二十代を中心に、数十人が物語や詩の創作を楽しむようになった。


 彼らは恋愛物語から怪奇譚、架空戦記まで思い思いに物語を綴り、あるいは気持ちや思考を表現するために詩を書き、趣味を同じくする者同士で披露し合うように。


 やがてそれらの創作物は、彼らの兄弟や友人を中心に読み手を増やし、すぐに親世代の目にも触れるようになった。


・・・・・


 王歴二二一年、公歴二年の四月下旬。アールクヴィスト大公国婦人会の事務所では、国内の女性の顔役たちが集まり、定例会議を開いていた。


 君主であるノエイン・アールクヴィスト大公は社会における女性の繋がりの強さをよく理解しており、女性たちが協力し合って子を産み育て、それぞれの家を守ることに注力できるように、女性たちの互助組織である婦人会の運営を助けている。また、民への情報伝達を行うためにも婦人会をよく利用している。


 そのため、婦人会はこの地がまだアールクヴィスト領と呼ばれていた頃から一定の力を持っており、今も社会の安定のために活動を続け、このように女性有力者たちによって定期的な会合も開かれている。


「――では最後に、何か意見や提案のある人がいれば、挙手してちょうだい」


 今月の会議も終わりにさしかかった頃、そう提案したのは、婦人会長であるマイ・グラナート準男爵夫人だ。


 彼女の問いかけに対して、ひとつの手が上がる。


「どうぞ、ダニエラさん」


「ありがとうございます、グラナート夫人。それでは……私がお話させていただきたいのは、昨年から若者や子供たちの間で流行っている、詩や物語の創作についてです」


 マイから発言を許された女性――ダニエラは、そう切り出した。


「文字を読み、その内容を理解するだけでなく、自ら文章を書くことができるのは高い教養を持つ証。彼らが創作を行うこと自体は、親世代として喜ぶべきことと存じます。ただ、彼らが書いている一部の創作物の内容に、いささか問題があるかと思いました」


 彼女の発言を聞いたマイは、ため息こそつかないものの、内心で「またか」と思った。


 ダニエラの家はそれなりの広さの農地を抱える地主家で、彼女の夫は平民の有力者の一人に数えられる。夫婦揃って模範的な平民であり、アールクヴィスト家や大公国への忠誠は厚い。


 しかし、父親が南西部貴族の従士だったという彼女は、性格的に少々厳格すぎるきらいがあった。


「私の息子も創作を楽しんでいる一人ですが、先日息子が書いた物語を読んでみたところ、騎士として名を挙げた主人公が、既に他人のもとに嫁いだかつての想い人と男女の関係になる……という内容でした。これが道徳的に問題があるのは、疑いようがないと思います」


 続くダニエラの言葉は、おおよそマイの予想通りだった。


 マイの息子であるヤコフも、創作を楽しんでいる一人だ。自分で書いてまではいないようだが、年上の級友たちの書いた物語を読ませてもらっていると、家で楽しそうに話していた。


 その内容についても少し聞いたが、思春期真っただ中の世代が書いただけあって、承認欲求や異性への欲求が素直に散りばめられた作品もある様子だ。ダニエラがこの件について切り出した時点で、おそらくこうした「問題提起」をするのだろうと予想できた。


「このような創作が若者や子供たちの間に蔓延れば、彼らの精神的な成長に悪影響を及ぼす恐れがあるのではないでしょうか。いかがでしょう、グラナート夫人」


「……そうね、あなたの懸念については私も理解できます」


 もとは傭兵だったマイは、現実の戦場を、残虐な光景を数多く見てきた。人間の生まれ持った業の深さを考えれば、たかが空想の物語の影響程度が何なのだと思ってしまう。が、実際にその考えを口にしてダニエラを一蹴するわけにはいかない。


 有力者の席に並んでいるだけあって、彼女は公都ノエイナ内の女性の中で小さくない発言力を持っている。彼女の厳格な考え方に賛同する者も一定数いる。現に今も、数人がダニエラの言葉に頷いている。


 民の分断を防ぎ、社会の安寧を保つためにも、彼女とその支持者に一定の配慮を示さなければならない。マイには大公国貴族として、その責任がある。


「であれば、無秩序に行われている創作について、我々が正しく監督するべきではないでしょうか。例えば、盗みや姦通などの違法行為の描写を禁じたり、残虐で暴力的な表現を禁じたり……」


「それは、ちょっと安易ではないでしょうか?」


 ダニエラの意見に疑問を呈したのは、婦人会幹部であるミシェル・ハイデマン士爵夫人だった。


「盗みや姦通を悪として描き、正義の登場人物がそれを正すような物語もあります。暴力表現に関しては、例えばアールクヴィスト閣下の半生を描いたノエイナ劇団の演劇でも人が殺される描写があります。特定の表現を単純に禁止するのは難しいのでは?」


「……確かに、ハイデマン夫人の仰る通りです」


 ダニエラは若干の不満も抱えているのか、答えるまでに少しの間があった。


 この会議では身分や立場に関係なく発言することが許されているが、貴族にあまり強く意見をぶつけるのは、平民たちはやはり躊躇う。何よりミシェルが「アールクヴィスト閣下の物語を否定することになるのでは」と遠回しに指摘したので、安易な反論はできないのだろう。


「私たちは文化芸術の専門家ではないし、婦人会だけで何か規定を決めることもできないわ。今はひとまず、子供や若者たちの創作がどのように広がるか見守って、必要があれば対話や助言をしていきましょう」


 マイはそう言って、会長としてその場を締める。ダニエラもそれ以上強硬に何かを主張することはなく、定例会議は終わった。


 出席者たちは帰っていき、後には運営幹部だけが残る。会長の執務机に戻って一息ついたマイにお茶が差し出された。


「お疲れ様でした、会長」


「……ありがとうジーナ。そうね、疲れたわ」


 お茶を出しながらマイに労いの言葉をかけたのは、ラドレーの妻で、今はアスピダの婦人会支部の責任者でもあるジーナだ。


 今は一応別の都市に住む彼女だが、ノエイナとアスピダは近いので急いで帰る必要はない。こうして会議終わりに茶飲み話をする程度の余裕はある。


「ミシェル、さっきは助かったわ。ありがとう」


「いい援護だったわねぇ。ノエイン様の伝記劇を例に出せば、さすがのダニエラも言い返せないものね。やるじゃないミシェル」


「いえ、そんな。私は単純に自分が疑問に思っただけなので……」


 今では貴族夫人として仲間でもあるジーナとミシェルと一緒に、マイはお茶を囲む。


「ダニエラね……悪い人じゃないんだけど」


「そうですねぇ。むしろ、本来はいい人なんですけどねぇ」


 マイの言葉にジーナが賛同する。ダニエラは大公国社会の中では年長の部類に入り、生真面目な性格もあって若い女性たちの面倒もよく見ている。出産や子育てで彼女の世話になった者は多い。今回はその真面目さが、頑なな方向に働いてしまっただけだ。


「まあ、ひとまず様子を見るしかないでしょうね。創作の件と併せて」


 言いながら、マイはお茶に口をつける。


 その日は、創作流行の話題についてはそれで終わった。


・・・・・


 婦人会の定例会議で創作の流行が話題に上がってから二週間後。事件は起きた。


「会長!」


 ミシェルが事務所に駆けこんでくるなり、焦った様子でマイを呼ぶ。その表情と声を受けて、人命に関わるようなことではないが、何か良くない事態が起きたのだろうとマイは察する。


「どうしたの?」


「婦人会絡みの揉め事です。ダニエラさんの家で……」


「……分かった。すぐに行くわ。現場に向かいながら状況を教えて」


 マイはすぐに立ち上がり、いつもの習慣で一応帯剣して事務所を出る。


 公都ノエイナの中心部に立つ婦人会の事務所から、ダニエラの家までは南東方向に徒歩数分だ。その短い道のりを歩きながら、マイはミシェルの説明を受ける。


「私も詳しくは分かってないんですが……前回の定例会議で話題に上がった、創作の件の続きです。ダニエラさんと、彼女と意見を同じくする人たちが、自分たちの子供や親類の若者たちの創作物を調べたらしいんです。それで、度を越して非道徳的だと判断したものを……」


「……庭で焼いてる、ってところかしら?」


「そうです。当然ですが、その創作物を書いた若者や子供たちは強く反発していて、結構大きな騒ぎになってるみたいで」


「そう……ちょっと油断してたかもしれないわね」


 嘆息混じりにマイは呟く。まさかダニエラがこんなに早く、ここまで強硬なことをするとは思っていなかった。「対話と助言」というのを一体どう捉えたのか。


 そうして話しているうちに、二人はダニエラの家に到着する。地主の居所だけあってそれなりに大きな家の、それなりに広い庭でくり広げられる光景を見て――マイはまた大きなため息を吐いた。


 儀式じみた雰囲気で紙の束を焼くダニエラたちと、怒鳴ったり泣いたりしながらそれを止めようとする五、六人の若者や子供たち。そんな彼らを取り押さえる家族たち。なかなかの地獄絵図だ。


 庭の中にいる関係者十数人と、何事かと集まった野次馬が数十人。人だかりが大きすぎて、様子見の衛兵まで立っている。


 各家庭で少量のごみ等を焼却するのは、火事を起こさないのであれば合法だ。ダニエラたちは桶に水も用意して、広い庭の中央でごく小規模に火を焚いているだけなので問題はない。


 が、悪目立ちし過ぎだ。


「どう話したものかしらね……」


 軽い目眩を覚えつつ、マイは現場に近づく。

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