第330話 貿易準備

 レーヴラント王国と国交を結び、貿易を行うことを決めたノエインは、年内の本格的な貿易開始に向けて今のうちから準備を始めることにした。


 とはいえ、今のノエインは一国の長。自ら実務を行う部分は少ない。国としての動き方を考え、臣下や民に指示を出していくのが主な仕事になる。


 まずノエインが領主執務室に呼んだのは、外務長官であるバート・ハイデマン士爵だ。


「レーヴラント王国への表敬訪問ですか……」


「うん。向こうから使者が来た以上、こっちからも送らないわけにはいかないからね。今後の友好の証として色々もらったから、その返礼品も贈らないと」


 レーヴラント王国からは騎士身分のベーヴェルシュタムが来訪し、ガブリエル国王からノエインへの友好を示す品として、工芸品や特産の食品、グロースリザードの革布を置いて行った。


 なので外交儀礼上、ノエインもガブリエル国王のもとにそれなりの格の使者を送り、質の高いラピスラズリや高価な砂糖などを贈らなければならない。でなければアールクヴィスト大公家は一方的にもらってばかりで、レーヴラント王家を軽んじていると思われてしまう。


「そこで俺の出番というわけですね。レスティオ山地を越えるとなると、さすがに少し緊張しますが」


「あはは、それはそうだよね。あっちから交易路整備の手伝い役と一緒に案内人が来てくれるらしいから、そうそう危ない目には遭わないだろうけど……」


 国土が山がちなレーヴラント王国は、山道の整備には慣れているという。また、比較的安全とされるルートを詳しく知っているのは今のところあちら側だけだ。


 そのため、アールクヴィスト大公国が交易路を整備する際の手伝いの人材が、あちらから送られることになっている。それと併せて、大公国側から使者を送るための道案内の人員も。


「レスティオ山地は地勢が厳しくて食糧に乏しい分、大型の魔物は少ないらしいからね。護衛に傀儡魔法使いも何人かつけるから、あんまり危険はないはずだよ」


 レスティオ山地を越える上で怖いのは、魔物よりもむしろ滑落や遭難などの事故だ。ある程度安全なルートを把握する案内人を連れて、少人数で移動する分にはさほど怖くはない……と、ベーヴェルシュタムから聞いている。


「そう聞くと不安も減りますね。それではこのハイデマン士爵、心して役目を果たさせていただきます」


「よろしく。苦労をかけるね」


「いえ、これも外務長官の務めですから」


 ノエインが微苦笑すると、バートはいつもの人好きのする笑みで答えた。


・・・・・


 バートをレーヴラント王国へと送る算段を立てたノエインは、その数日後にダントを呼び出す。


「従士ダント、アールクヴィスト閣下の命により参上いたしました」


「ご苦労様。とりあえず、座って楽にして」


 領主執務室の端に設けられた応接席でダントと向かい合って座ったノエインは、さっそく本題を切り出す。


「実は君に打診したいことがあってね……今後のキルデの防衛態勢に関わることなんだけど」


 ノエインのその言葉で、ダントは打診のおおよその内容を察した顔になる。


「こないだの定例会議で伝えた通り、アールクヴィスト大公国はレーヴラント王国と国交を結ぶことになった。その玄関口になるのはキルデだ。今後、あの街には異国の人々がやって来るようになる」


 アールクヴィスト大公国とレーヴラント王国を結ぶ交易路は、地形の関係でキルデから東側に少し離れた場所へと出入り口が通る予定だ。交易路を抜けたレーヴラント商人たちはまずキルデに入り、それから公都ノエイナまでやって来ることになる。


 現在のキルデの人口は五百人弱。企業城下町として、街の運営はヴィクターの建設業商会が実質的に担っている。アールクヴィスト家としては、治安維持と監視を務める人員として、領軍の一個小隊十人と傀儡魔法使い二人、文官一人を交代制で駐留させてきた。


 今まではそれでよかった。しかし、異国の人間が頻繁に通るのであれば話は変わる。


 レーヴラント王国から侵攻を受ける可能性はほぼないだろう。レスティオ山地を越えて軍を送り込もうとすれば莫大な労力がかかるし、かの国の国力では動員できる兵力はたかが知れている。


 それに、アールクヴィスト大公国が攻められれば、すぐ隣のロードベルク王国やランセル王国が黙っているわけがない。大兵力での反撃を受け、徒労に終わるのは目に見えている。


 しかし、例えば大陸北部の盗賊などが交易路を逃げ道にして南部に流れてくる可能性もある。また、今回のベーヴェルシュタムのように重要人物が訪ねてくることもあるだろう。


 そんなときに、仮にも国家の玄関口に、都市内の治安維持担当の小部隊しかいないのは問題だ。公都ノエイナとキルデは片道二時間足らずの距離だが、だからといってがら空きにはできない。


 また、アールクヴィスト大公国側の交易路を維持管理し、レーヴラント商人の入国を監視する責任者も要る。


 そのため、キルデに住み、ある程度の兵力を管理して国家の玄関口を守る、それなりの格の臣下がいなければならない。


「つまり、アスピダにおけるラドレーみたいな立場の防衛責任者が必要なんだ。僕としては、それを君に頼みたいと思ってる」


「……私がそのような大役をいただいてよろしいのでしょうか?」


 ノエインの説明を聞いたダントは、緊張した面持ちでそう言った。


「もちろんだよ。君の軍人としての実力や、アールクヴィスト家への忠誠心の高さは疑いようもない。君はこれまで、実績を以てそれを証明してる。この役目を任せられるのは君しかいない……キルデに居を移してもらうことにはなるけど、家も農地も今までと同程度のものをあっちに用意する。どうかな?」


 問いかけられたダントは、表情を引き締め、息を整えて口を開く。


「了解しました。身命を賭していただいた役目を務めてまいります」


「ありがとう。頼りにしてるよ」


 ノエインは満足げに微笑みながら、敬礼するダントに答えた。


・・・・・


 ダントにキルデへの移住を打診してからまた数日後。最後にノエインが呼んだのは、御用商人のフィリップだ。


「ジャガイモの輸出量をあえて絞る、ですか……」


「そう。レーヴラント王国との繋がりを、なるべくこっちに都合のいいかたちで深めていくためにね」


 ノエインは彼の呟きに頷きつつ、レーヴラント王国に輸出するジャガイモの量を意図的に絞る狙いについて、説明を続ける。


「向こうがいちばん欲しがってるジャガイモは、栽培して増やすのに十分な量を確保された時点で需要がなくなる。だけど、こっちは半永久的に塩を輸入していきたい。長い目で見れば、レーヴラント王国との貿易はむしろ大公国にとって重要になる。足元も見られやすくなる」


 もちろんノエインも塩の輸入の全てをレーヴラント王国に頼るつもりはないが、その割合はどうしても高くなるだろう。「塩を売ってほしければこちらの言うことを聞け」などと言われれば、逆らいづらくなってしまう。


「だから、互いにとって重要な物資を売り買いする関係を、なるべく長く維持させたいんだ。君には大公国がレーヴラント王国に売れるジャガイモの量を少なく見せてほしい。『国内での消費と備蓄、ロードベルク王国などに以前から約束している輸出分を除けば、売れるジャガイモはこれだけしかない』と言いながらね。できるかな?」


「もちろん可能です。もともと、ロードベルク王国やランセル王国へのジャガイモの輸出量はいくらでも調整できますので。国内での消費量についても、閣下のお力添えをいただければ操作できます」


 大公国の君主と、この国の経済を掌握している御用商会の長。その二人で共謀すれば、レーヴラント商人に疑われることなく輸出できるジャガイモを少なく見せることは容易い。


「よかった。それじゃあお願いするよ。詳しいことはアンナやエドガーも交えながら後日相談しよう……それともうひとつ。これは長い目で見て進めてほしいことなんだけど、」


 そう切り出してノエインが語ったのは――レーヴラント王国と「蜜月の関係」になることの重要性。


 レーヴラント王国が自国内でジャガイモを自給できるようになってからも対等な貿易を続けるためには、かの国にとってアールクヴィスト大公国との貿易が欠かせない状況を作ってしまえばいい。そうすれば、大公国は安定して塩を輸入し続けることができる。


「そのために、レーヴラント王国が大公国を介した大陸南部との貿易に依存するように、上手く誘導してほしいんだ。ラピスラズリや砂糖、この国を中継するロードベルク王国やランセル王国の品々を、レーヴラント商人が買い求めやすいようにしてほしい」


「そうして手に入れた大陸南部の珍しい品や高価な品を、大陸北部で捌いて大きな利益を上げるようになれば、レーヴラント王国の経済は大きく発展するというわけですか……そのようなかたちで富国を成せば、かの国が権勢を維持するためには、富の源泉の輸入元であるアールクヴィスト大公国と良好な関係を維持するしかないと」


「ふふっ、それで正解だよ」


 ノエインが不敵な笑みを浮かべると、フィリップは苦笑した。


「さすがはアールクヴィスト閣下です。素晴らしいお考えに感服いたしました」


「商人の君にそう褒めてもらえるのは光栄だね。それで、僕が今言ったようなことは実現できるかな? できれば貿易開始から五年くらいで、遅くとも十年程度で、ある程度の”蜜月の関係”を築いてほしいんだけど」


「やりようはいくらでもあります。必ずや、かの国と経済的に密接な結びつきを作り上げてご覧に入れましょう。そうすれば閣下のお考えの通りになるはずです……それに、あちらの商人に新たな富の味を覚えさせることにも意味があるかと」


 そう言いながら、今度はフィリップがニヤリと笑う。


「私が言うのも何ですが、商人は国の繫栄には欠かせない存在。レーヴラント商人たちを儲けさせて力をつけさせれば、レーヴラント王家でさえ自国の貿易商人たちを無視できず、彼らのために大公国との密な貿易体制を維持せざるを得ません。そのような状況もまた、閣下とアールクヴィスト大公国のためになることでしょう」


「なるほど、そういう見方もあるのか……さすがは僕の御用商人だね」


「恐縮です」


 国の豊かさの維持という点でも、王家の商人たちからの求心力維持の点でも、レーヴラント王国にとってアールクヴィスト大公国との健全な貿易が必要不可欠。そのような状況を作るという共通の目標を、ノエインはフィリップを確認し合う。


 その後も細かなことを確認し、フィリップを帰してから、ノエインは応接室のソファにもたれかかって一息ついた。


「……とりあえず、こんなところかな」


 例のごとくマチルダを隣に座らせ、彼女に甘えながら呟く。


 ひとまずノエインが行うべき根回しや指示出しは、概ね終わった。今後は各所の求めに応じて必要な権限を振るうだけだ。貿易開始の目標時期はおよそ半年後。それまでは事態が急激に進むことはない。


 翌日から、ノエインはまた君主としての平和な日常に戻っていく。

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