第327話 アールクヴィスト大公国軍の日常②

「そっち行ったぞ! 回り込め!」


「はっ!」


 アールクヴィスト大公国内のベゼル街道から、やや離れた森の中。ラドレー・ノルドハイム士爵の率いる見回りの班が、一頭の魔物を追っていた。


 黒に近い灰色の毛並みと、熊よりも大きな体を持つグレートウルフ。オークやグレートボアと並んで、ベゼル大森林の奥地に住む魔物の中でも特に危険とされている強敵だ。


 しかし、このグレートウルフは、自身が見たこともない敵――ゴーレムと出くわしたことで驚き、逃走しようとしていた。


 俊敏に森の中を跳んで逃げ去ろうとするグレートウルフだが、その進路上に別のゴーレムが出現。咄嗟に立ち止まり、方向を切り替えようとする。


 そこへ矢が飛んだ。放ったのはラドレーの副官であるジェレミーだ。


 アスピダ要塞やベゼル街道を守るラドレーの部隊は、軍内でも唯一『天使の蜜』を常備し、部隊の判断で使うことを許されている。ジェレミーが撃った矢の先端にも原液が塗られており、その矢をまともに横腹に受けたグレートウルフは一瞬怯み、逃走の足が遅くなる。


 グレートウルフの動きが十分に鈍ったところで、ラドレーは愛用の槍を手に一気に肉薄した。


『天使の蜜』の原液を食らったとはいえ、巨躯を持つグレートウルフだ。足元に接近してきた敵に対して、常人から見れば十分な脅威となる、前足の爪での鋭い斬撃を放つ。


 しかし、ラドレーはそれを難なく躱して懐に入りこみ、グレートウルフの頭に下から槍を突き出した。


 その穂先はグレートウルフの顎に突き刺さり、そのまま後頭部を突き抜ける。脳を貫かれたグレートウルフの体は一瞬ぶるっと震え、ラドレーが槍を引き抜くと同時に横に倒れた。


「す、凄い……」


「さすがはノルドハイム閣下です!」


 班の兵士や傀儡魔法使いがラドレーのもとに集まり、しっかり周辺を警戒しつつも先ほどの彼の驚異的な動きを口々に称える。


「けっ、今さらこの程度でおだてんじゃねえよ」


 ラドレーは部下たちの称賛を一蹴し、槍の穂先にこびりついた血と脳漿を振り落とす。そこへジェレミーも近づいてきた。


「閣下、お見事でした」


「おう……なあジェレミー、その『閣下』ってえの止めねえか? 落ち着かねえ」


「軍務中でなければ私も喜んでラドレー様と呼ばせていただきますが、今は駄目です。軍の秩序のためにも閣下には閣下と呼ばれる義務があります。慣れてください」


「ちっ、何だよ。おめえも言うようになったじゃねえか」


 今度は自分の発言が一蹴されたことに苦笑しつつ、ラドレーはグレートウルフの死体を見下ろす。


「街道から一キロってところか。このあたりでここまでの大物が出たのも久しぶりだな」


「ええ。やはり冬前だと、魔物の縄張りも多少動きますね」


 ベゼル街道の安全を保つために、こうした見回りと魔物の排除は欠かせない。だからこそラドレーの率いる要塞都市アスピダの防衛部隊には、獣人兵を中心とした武闘派が集められている。


 本来ラドレーは指揮官として要塞でふんぞり返っていても許される立場だが、今でもこうして定期的に見回りの班を自ら指揮し、魔物を狩っていた。これには腕が鈍らないようにする意味と、暇つぶしの意図と、やはり自分には戦いの場が性に合っているという考えがある。


「よし、班を割るぞ。俺は片方を率いてこいつを街道沿いまで運ぶ。お前はもう半分を連れて回収のための増援を呼んで来い」


「了解しました」


 ジェレミーをはじめ班の各員はラドレーに従って素早く動き、アスピダからの増援も加わってグレートウルフの死体は速やかに回収され、解体に回される。


 ラドレーもアスピダに帰還して次の班と見回りを交代し、自身の本来の仕事場――アスピダの防衛部隊の詰所、指揮官執務室に戻った。


「ところでよ、ジェレミー」


 ジェレミーからお茶を差し出されながら、ラドレーはふと彼に呼びかける。


「はい、何でしょう」


「おめえ、セシリアとはいつ結婚すんだ?」


「はいっ!?」


 ジェレミーが素っ頓狂な声を上げ、自分の分のお茶が注がれたカップを揺らす。足にお茶を少しこぼして慌てふためいてから、上官に抗議の声を上げた。


「い、いきなり何ですか」


「馬鹿、今さらいきなりもクソもあるか。往生際の悪い部下のケツ蹴り上げるのも上官の仕事だ」


 ベトゥミア戦争の頃からジェレミーとセシリアが意識し合っているのは、今やラドレーの隊とクレイモアの誰もが知るところとなっている。


「……別に、おめえの昔の嫁さんとガキを忘れろとは言わねえ。だけど、おめえが自分でも前に進まねえといけねえと思ってるなら、そろそろ動くときじゃねえのか?」


 ラドレーが真面目な口調で言うと、ジェレミーも神妙な表情になった。


 ジェレミーはランセル王国人だった頃に、カドネの圧政の影響で妻と子を失っている。


「それにな、本来は兵士ってのは置いて行くことが多い側だ。クレイモアも絶対安全な仕事とは言えねえが、殉職する確率で言えば俺たちの方が高えだろう。だからこそ、生きてるうちに好いてる奴と早いところくっつくべきだと、俺は思うがな」


 ラドレーもただの世話焼きで言っているわけではない。


 ラドレーは傭兵時代に、傭兵であるが故に結婚できなかった男女を多く見てきた。いつか金を貯めて傭兵を辞め、土地を買って平穏に暮らそう。そんな約束をした相手に死なれて、泣き崩れる者を何人も見た。


 アールクヴィスト大公国軍の軍人は恵まれている。たとえ死んでも、主君ノエインによって遺族への十分な援助がなされるのだから。そもそもセシリアは自力で生きていける技術がある。軍人との結婚に障害は何もない。だからこそ、掴める幸福は早く掴むべきだ。


「……分かりました。次にセシリアと休暇が揃ったときにでも……いえ、二日後にはセシリアの隊がアスピダに駐留する予定でした。その時にでも伝えます」


「そうしろ……二人とも早番になるようにしてやるよ」


 ラドレーがニヤリと笑うと、ジェレミーも苦笑して頷いた。


・・・・・


 アールクヴィスト大公国の外務長官であるバート・ハイデマン士爵は、ベゼル街道のちょうど真ん中、領土としてはランセル王国側に位置する貿易商人用の野営拠点を訪れていた。


「ハイデマン卿、本日はようこそお越しくださいました」


「出迎え感謝します。よろしくお願いいたします」


 ここの責任者だという、ランセル王国の下級貴族と笑顔で握手を交わすバートに、周囲の視線――拠点を守る兵士や滞在している商人たちの好奇の目が集まる。


 士爵となったバートは、一目で高価だと分かる衣服に身を包み、その所作は以前にも増して洗練されている。元々の容姿も整っている。アールクヴィスト大公から外交における相当の裁量権を預かる重要人物として、申し分ない存在感を放っていた。


 衣服も所作も容姿も、言ってしまえば単なるはったりだが、外務貴族にとってはったりは何より強力な武器だ。「ただ者ではない」と相手に思わせることができれば、何事も有利に働く。


「それでは、さっそく施設内を案内いたします」


 案内役の貴族の後に続きながら、バートは施設の各所を見回す。


 ベゼル大森林は広大で、ランセル王国側のベゼル街道入り口からアスピダまでは優に四十キロ以上ある。強行軍を覚悟しなければ一日で踏破するのは難しいので、途中で一泊するための中継地点としてランセル王国が作ったのが、この野営拠点だ。


 バートが大公家の使者としてここを訪れた目的は、表向きは友好的な視察という名の外務であるが、その実は偵察という軍務の一面もある。


 この野営拠点に、軍事施設としての価値はどれくらいあるか。ある日いきなりアールクヴィスト大公国侵攻の前線基地となる可能性はあるか。そうした情報を探る意図もある。


 貴族の説明を受けながら施設を隅々まで観察し、バートはこの野営拠点への評価を固めていく。


 周囲を囲むのは頑丈な丸太柵だ。おそらくグレートボアの突進にも耐えられるだろう。常駐する兵力は二十人程度か。見るからに精鋭で、おまけに魔法使いらしき者が二人いる。強力な魔物への備えとしては、ひとまず十分だ。


 だが、軍事施設としてはおそらく脅威ではない。


 あくまで野営拠点であるので、規模は小さい。兵士たちの宿舎と利用者の宿泊用の建物が並んでいるのみで、物資を大量備蓄できるような倉庫はない。軍を控えさせるとして、限界まで詰め込んでも二百人が入るかどうかだ。


 強固な丸太柵も、所詮は木製だ。爆炎矢を大量に保有し、クレイモアを擁するアールクヴィスト大公国軍であれば、さほど苦労せずに落とせる。


「丁寧なご案内ありがとうございました。とても良くできた野営拠点ですね。貿易の発展のため、このような施設を作られたランセル王国に、アールクヴィスト閣下に代わってお礼申し上げます」


 ここは本当に貿易商人が一泊するためだけの拠点だ。バートはこの施設をそう評した。


「そう仰っていただけて幸いです。それでハイデマン卿、本日はこちらへ宿泊されると伺っていますが」


「ええ、お世話になります」


「では、用意したお部屋に案内いたします。ささやかですが、夕食の席も」


 貴族に感謝を伝えつつ、バートは用意された部屋に部下たちと移動する。明日にはランセル王国の方に発ち、バルテレミー子爵が代官として治める都市への友好的な訪問、もとい偵察をしなければならない。


・・・・・


 初冬にさしかかったある日の夜。クレイモアの幹部であるセシリアとアレイン、そしてロードベルク王国リヒトハーゲンから長期任務を終えて帰還したばかりのグスタフが、久々に夕食を共にしていた。


 場所はアールクヴィスト家の臣下たちにとって馴染み深い、ロゼッタの両親の経営する料理屋の個室だ。


「それじゃあとりあえず、我らが隊長様のお帰りを祝って、乾杯!」


 威勢よく声を張ったアレインに合わせて、グスタフもセシリアも、ビールの注がれた杯を軽く打ち付ける。


「それにしても、よかったですね。本格的な冬の前に帰って来られて」


「そうだな。冬に入ってもアールクヴィスト閣下は迎えを寄越してくださっただろうが……真冬の移動は俺たちも兵士も大変になるからな」


 セシリアの言葉にグスタフが頷く。


 グスタフたちの帰還に際して、主君ノエインは魔導馬車を護衛付きで迎えに送ってくれていた。一年の長期にわたって任務をこなしたグスタフたちへの労いと、貴重な傀儡魔法使いを安全に帰らせるための措置だ。


「それで、ロードベルク王国のゴーレム部隊はどうだった? ものになったか?」


 アレインの問いかけに、グスタフは微妙な表情を見せる。


「まあ……一応は形になったかな」


「一応?」


「ああ、王家の募集に集まった五十人くらいの傀儡魔法使いを指導したんだが……俺たちが実戦配備された頃と同じくらいまで上達したのが十五人程度。その水準以下だが一応はなんとか使い物になるのが十五人程度。残りは不合格か、途中で脱落だ」


 戦闘に臨めるレベルまで上達するには、精神的に非常に厳しい訓練を続けなければならない。若い傀儡魔法使いたちは多くがそれに耐えられたが、すでに年を重ねた者たちを中心に、途中で音を上げて辞める者も続出した。


 今さら苦労を重ねて戦闘職に鞍替えするよりも、やっぱり商会の倉庫などでのんびり荷を運んでそこそこの給金をもらっていた方が楽だ。そう考える者もいる。


 また、一応は王宮魔導士として採用されていたほどの才持ちはともかく、民間で働いていた傀儡魔法使いの才はピンキリだ。生まれ持った才能や魔力が少なすぎて、努力しても十分な水準までゴーレム操作の技術が上達しなかった者もいた。


 そうした話を、グスタフは二人に語って聞かせた。


「なるほどな……十分な魔力を持った奴が、若いうちに訓練しないと駄目ってわけか」


「クレイモアの人員も、もともとロードベルク王国の王宮魔導士だった人以外は、実力にばらつきがありますからね」


 クレイモアの二十四人中、王宮魔導士上がりでない者は八人。その者たちの腕は必要十分な水準ではあるものの、他の者と比べれば持久力がなかったり器用さに欠けていたりと、どこか見劣りする部分もある。


「俺たちが現役を退く頃には、次代の傀儡魔法使い探しに少し苦労するだろうな。不合格者がある程度は出るのを覚悟で仕官希望者をかき集めないと」


「確かにそうだけどよ……今からそんな険しい顔で悩んでも仕方ねえだろ?」


「ははは、それもそうだな。悪かった」


 深刻そうな表情で考え始めたグスタフは、アレインの指摘を受けて苦笑した。


「それで、俺がいない間にこっちでは何かあったか?」


 建国式が無事に済んだことや、大公国各所の発展具合など、仕事上の報告はグスタフも受けている。しかし、仲間内の私的な話題は久しく入っていない。


 そういった話を教えてもらおうとグスタフが尋ねると、アレインが不敵な笑みを浮かべた。


「ああ、聞いて驚け……セシリアとジェレミーの結婚が決まったぞ。俺たちの妹分がついに人の嫁だ」


「んぶふっ」


 真顔から不敵な笑みに変わってアレインが言うと、隣でセシリアがむせた。


「さ、最初に言うのがそれですか……」


「へえ、そいつはめでたい! おめでとう、セシリア」


「それと、メアリーの腹に俺の第一子がいる。来年の春頃に生まれる予定だ」


「おお、それもめでたいな。お前がついに父親か」


 王宮魔導士時代からの仲間の吉報に、グスタフも嬉しそうな表情を浮かべる。


 その後も互いの近況報告に花を咲せながら、三人は夕食を楽しんだ。

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