第326話 アールクヴィスト大公国軍の日常①

 アールクヴィスト大公国軍は、志願して入隊した職業軍人による正規軍だ。


 前身となる領軍を含めても設立から十年と経っていないが、ベテランの傭兵だった武門の臣下たちによって鍛え上げられているため、その練度と士気は高い。


 この地の開拓開始から最初の五年ほどで移住してきた古参国民の次男以下が中核を成しており、兵の年齢は下が十五歳、上は三十代後半までと、比較的若いのが特徴となっている。


 また、南西部大戦の後に移住した者を中心に、獣人の正規兵がそれなりに多いのも注目すべき点だ。ロードベルク王国の貴族領軍では、獣人は軍属の労働者や奴隷という扱いで従軍する者が多いので、これは大公国軍ならではの特色と言える。


 そして、この大公国軍の中でも選りすぐりの精鋭を集めたのが、親衛隊である。


 その任務は大公家の屋敷の警備、大公家の人間が外出する際の警護が主。高い実力や絶対の忠誠心はもちろん、客人の目に触れたり社交の場で警護についたりする機会もあるため、洗練された立ち振る舞いを行う知性も求められる。


 兵の定数は十五人で、三人一班の五班編成。ここに親衛隊長であるペンス・シェーンベルク士爵が加わる。種族の比率は普人がペンスを含め十四人、獣人が二人となっている。


「では、これより重要地区警備の任務に入る。この任務で俺が直接指導するのはこの一回きりだからな。よく学べよ」


「はっ!」


 そして今、隊長であるペンスは、この親衛隊の定数を埋める最後の一人として配属された若い兵士と向き合っていた。


 当初は古参兵の中から忠誠心や実力を見て選んでいた親衛隊兵士だが、若手に機会を与える意味もあり、定数の最後の数人は新兵の中から選抜している。


 ペンスの前で緊張した面持ちで敬礼する兵士は、剣の筋の良さと実直な性格を見込まれて配属され、心理的に重い負荷のかかる訓練の中で大公家への忠誠を吹き込まれ続ける洗脳的な教育の末に、最近になって正式配属されたばかりの新人だ。


「巡回の経路は記憶してるか?」


「はっ、全て覚えております」


「よし、それじゃあまずはお前が先行しろ。後ろから見てやる」


「了解しました!」


 ペンスの命令を受けて、新兵は巡回ルートを歩き始める。ペンスはその後ろに続きながら、新兵は正しくルートを把握できているか、周囲を良く警戒できているかを厳しい目で見る。


 親衛隊の任務には、領内の重要地区の見回りも含まれている。公都ノエイナの南東側にある屋敷の周囲、そこからほど近い、重臣たちの家が集まる区域、そして直営工房の周辺が親衛隊の警備範囲だ。


 新兵は巡回経路を正しく進み、直営工房の方へ進む。


 兵器の開発・改良を続け、型鍛造など国の工業力の要となる技術を扱う工房には、機密情報も集まっている。そのため、国外の人間はおろか一般国民さえ、工房に面する通りへと勝手に近づくことは許されていない。だからこそ、大公家と国に絶対の忠誠を誓う親衛隊が警備を担う。


「……っ! 閣下!」


「しっ、俺も気づいてる。まだ騒ぐな」


 工房から少し外れた道を巡回していたとき、新兵とペンスは一人の不審者を発見した。


 相手には気づかれないよう、ペンスたちは静かにその後をつける。


「不審者の特徴を観察して、報告してみろ」


「……中年の男で、体格を見るに種族はドワーフかハーフドワーフあたり。服装から考えて職業はおそらく商人です。ロードベルク王国からの行商人かと」


「いいぞ、俺の見立てと同じだ……進んでる方向を見ても間違いないな。よし、止めるぞ」


 不審者はキョロキョロと左右を眺めながら、明らかに工房の方向を目指して進んでいる。もはや疑うまでもないと判断し、ペンスは実力行使を指示した。


 新兵はやや緊張した面持ちで頷き、その表情とは裏腹にさすがは精鋭と言うべき素早さで不審者に急接近する。ペンスもその後に続きながら――剣を抜いた。


「止まれ! アールクヴィスト大公国軍親衛隊だ!」


 不審者の前に回り込んだ新兵が剣を突きつけて宣言し、ペンスは不審者の退路を塞ぎつつやはり剣を突きつける。いきなり登場した二人の軍人を前に、不審者は度肝を抜かれた様子で固まった。


「ひ、ひいっ」


「この先は一般国民や異国民の進入が禁止されている地区だ。何故この方向へ進んでいる!」


 厳しい口調で追求する新兵を前に不審者はやや狼狽えながらも、口を開く。


「それは、その、道に迷いまして……」


「商業地区は公都ノエイナの中心部や東側だ。太陽も出ているこの状況で、移動に慣れている行商人がここまで見当違いの方向に迷うわけがないだろう……都市の南側には近づくなと、入国の際に注意があったはずだ。俺たちには不審者を自己判断で切り捨てる許可も出ている」


「ひいいぃっ! お、お待ちください!」


 後ろから首元に剣を当ててペンスが言うと、不審者はさらに怯える。


「……まったく。おい、入国証は」


「ず、ズボンの左のポケットです」


 不審者の返答を聞いて、ペンスは彼のポケットに手を入れ、入国証――異国からの行商人などが大公国内で身分を証明するための木版だ――を取り出す。


「商人ゾンゴ。種族はドワーフ。出身はヴィーデルゼン男爵領か……おい、衛兵を呼んできてくれ」


「はっ」


 新兵がペンスの指示に頷き、公都内を定期巡回している一般部隊の兵士を呼びに走っていった。


「初犯で未遂ということで、実刑はなしにしてやる。ただしお前は再入国禁止だ。今後もし名前や身分を偽って再入国したことが分かったら、その場で処刑する。貿易商人の罪は連帯責任だ。ヴィーデルゼン男爵領の商人は全員、向こう一年の入国禁止になるだろう。この件はアールクヴィスト大公家よりヴィーデルゼン男爵家に正式な文書で伝えられる。大公閣下は強く抗議されるはずだ」


 不審な商人は顔を青くしながらも、ここで処刑や手足の切り落としになるよりはマシだと思ったのか、おとなしく頷いた。


 間もなく衛兵を連れた新兵が戻り、商人は衛兵に引き渡されて連行されていく。


「……シェーンベルク閣下」


「どうした?」


「あの商人を帰してよかったのでしょうか? 工房に近づこうとしていたのは明らかだと思いますが……」


 商人の連行を見届けながら、新兵が尋ねる。


「お前の言いたいことも分かる。だが、これは政治的に微妙で複雑な問題でもあるんだ」


 ペンスが答えると、新兵はその意味を掴みかねる表情を見せた。


「確かにあの商人には良からぬ目的があったんだろうが、未遂だ。壁を乗り越えて工房の敷地に入り込んだわけでもない。形の上では道を歩いていただけの商人を切り捨ててしまえば、アールクヴィスト閣下が外交的な抗議を受ける原因になってしまうかもしれない……というか、ヴィーデルゼン男爵はそれが狙いだろうな」


 皮肉な笑みを浮かべて、ペンスは言葉を続ける。


「ヴィーデルゼン家はアールクヴィスト閣下を嫌う一派にいたはずだ。子飼いの適当な商人に金を握らせて、不審だが決定的ではない行動をとらせる。それを俺たち兵士が不審者として切り殺せれば、大公家に難癖をつける口実にできる。大公家の新たな悪評も広められる。狙いはそんなところだろうな」


「……なんと卑怯な」


「ああ、俺もそう思うよ。だからこうした方が抑止効果があるんだ」


 愕然とする新兵を見て、ペンスは苦笑した。


「木っ端商人を一人失うよりも、そいつへの恩情と引き換えに出身領地の商人全員の入国が禁じられる方が、その領地を治める貴族にとっては大損害だ。併せてアールクヴィスト大公家から正式に抗議がされれば、相手に言い訳や反論の余地もない。この処分を見ても尚、同じ小細工をする貴族はそうそういないだろう……あの商人、ここで見逃されても領地に帰ったらヴィーデルゼン男爵に殺されるかもな」


「なるほど、そこまでお考えの上でのご判断だったんですね」


「そうだ。ついでにこの一件で、直営工房がしっかり警備されていて、容易に近づけないということも国外に示せる」


「そんな利点も……さすがはシェーンベルク閣下です」


 傭兵上がりの自分でも気づける程度の策謀を、どうして成功させられると思う貴族がいるのか。内心で呆れながら説明するペンスに、新兵は憧れの眼差しを向ける。


「お前も親衛隊の一員なら、そういうところまで意識できるようになるべきだ。俺たちはただの兵士じゃない。アールクヴィスト閣下の直接の手足として動く立場でもあるんだからな」


 親衛隊は一般兵士にまでは教えられない情報も知り、場合によってはノエインが直接動かす私兵として、非合法的な任務に携わることも想定されている。


「了解しました。心して任務に臨みます」


「それでいい。これからもよく学べ……それじゃあ、巡回に戻るぞ」


・・・・・


「――というわけで、あの新兵も将来性込みなら親衛隊として申し分なしです。さすがはグラナート閣下が鍛えられた兵士でさぁ」


 新兵の巡回任務を指導した日の夕刻。ペンスは国軍本部で軍務長官ユーリ・グラナート準男爵への報告業務を行っていた。


「そうか、報告ご苦労だった。これでようやく親衛隊は完全な編成になったな」


「はい。軍全体では確か、訓練兵も合わせて一八九人でしたか」


「ああ、来年の新規募集で定数の二百人に届くだろう……ここまで長かったな」


 もともと定数に届いておらず、ベトゥミア戦争でさらに減ってしまった大公国軍だったが、その状況もようやく完全解消される目処が立っている。来年には、新移民に農業の実務を任せたことで手の空いた古参領民家の子息から希望者が入隊し、二百人に届く予定だ。


「特にラドレー……ノルドハイム士爵の隊はいつも人手がギリギリですからね。あいつ……ノルドハイム卿も喜ぶでしょう」


「えらく呼びづらそうだな?」


 同僚の呼び方が定まらないペンスを見て、ユーリが微苦笑する。


「まあ、慣れませんね。上官のグラナート閣下はともかく、ラドレーやバートやエドガーを今さらノルドハイム卿やらハイデマン卿やらロイシュナー卿なんて呼ぶのは、妙な感覚でさぁ」


「まあ、気持ちは分かるがな……俺は自分が『閣下』と呼ばれるのが一番慣れん。少し前までは従士長、もっと昔はお頭と呼ばれてたのにな」


「ははは、そうですね。俺も平民や奴隷から『シェーンベルク閣下』なんて声をかけられたときは、まだ自分が呼ばれた気がしませんよ」


 傭兵に生まれ、一時期は盗賊同然まで落ちぶれたのに、ノエインとの縁があってついには貴族にまでなった。そんな自分たちの立場の変化に、ユーリもペンスもまだまだ馴染めずにいる。


「公の場ではともかく、俺たちしかいない場では今まで通りの呼び方でいいだろう。口調も気安いままでいい」


「それじゃあ、遠慮なくそうさせてもらいます……っつうか、もとからそうなってますね」


「お前だけじゃないがな。他の爵位持ちの奴らも普段の口調はそれほどかしこまってない。生真面目なエドガーでもだ。ラドレーの奴なんかもっと酷いぞ。あいつは傭兵時代から何も変わらん」


「ははは、でしょうね。あいつ、口調を改められないからって公の場では極力喋らないと決めてるらしいですから。いくつか貴族らしい挨拶の文言だけ丸暗記して、それだけで乗り切るんだとか」


「ふっ、あいつらしいな」


 それぞれ立場が変わっても、若い頃から共に戦ってきた間柄であることは変わらない。内務を手がける重臣たちも、開拓初期から協力し合って気心が知れている。


 アールクヴィスト大公国の貴族や名誉貴族たちは、小さくも良好な貴族社会を築いている。

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